大寒なのに虫の動き

きのうは大寒。なのに「寒中お見舞い」のおたよりもどこか拍子抜けしたように受け止められやすい日々が続きました。交わし合われる挨拶も「雪、びゃっこで(少なくて)、楽だな」が何処でも。

暖冬、少雪は、雪や寒さをたよりにしている営業活動には大きく負の影響を与えているでしょう。反面、自然界、とりわけ厳しい雪の季節を越す生きものたちにとっては、めったにない「過ごしやすい冬」となっているようです。

過ぎた日曜に山を歩いて「生きものたちの過ごしやすい冬」を感じたのは、低木の柴木などの植物が雪に覆われないでいるために、それを主食とする生きものたちの「食」が豊富なことです。

あらゆる夏緑広葉樹の柴木や、所によっては常緑の草がまだ雪に隠されず、常緑低木のヒメアオキ(写真)でさえ雪の上に姿を見せるほどです。ノウサギやカモシカは、いつもの年ならもう雪の下になっていて容易くは食べられないそれら低木の芽や小枝、草を今年はまだたっぷりと摂ることができています。

地面や小沢の水流も露出範囲がまだ広くありますから、そこで食を探すヤマドリなどの鳥たちも、そこでネズミなどをとらえるテン、キツネたちもおそらく「いつもの年とちがう過ごしやすい寒中」を感じているに違いありません。

暖か過ぎる寒を感じているのは家の中で冬ごもりをしている虫たちも同じようです。我が家では、冬ごもりのアネコムシ(カメムシ)も例年になく動きがまだ活発ですが、こちらの仕事部屋の窓には大きな蠅の仲間もおとといの陽射しに誘われてお出ましでした。どうやらこの蠅の仲間も、「もう4月の半ばの春」と季節を誤って感じとったようです。

▼きのうは村農業委員会の新春懇談会へ。懇談の中でも雪の少ない1月が話題になりました。でも「村は、一晩、一日で1㍍近くの積雪もある。2月末までまだ一ヶ月、冬はこれからだ」と、みなさん過去の体験からこれから先ひと月を見据えていました。

そのお天気、懇談会の帰りには湿り雪がかなり積もっていて、久しぶりに今朝は除雪機械を動かすことになりました。

今冬初の雪上歩き

この季節らしくないおだやかな天気が続き「雪の少な過ぎる冬」をテレビや新聞が連日とりあげるほどになっています。

過ぎた土曜、日曜もまたまた好天、晴天。そんな雪の少ないなかでも全面滑走ができるわが村のスキー場には多くの方々が訪れ、晴天の下にひろがる山々や遠くの鳥海山をながめつつ存分の滑りを楽しんだようです。湯沢市に住むこちらの娘家族たちも初のジュネススキー場行きで、小4年の童は「同級生達が3人もいたよ」と語っていました。

その日曜日、こちらは「長引いた風邪と運動不足でナマった体を少し締めねば」と、カンジキを履き3時間ほどの雪上歩きへ。今冬初のやや時間を要した歩きです。

めざしたのは、集落と成瀬川を眼下にのぞめる向かいの山。積雪が50㌢前後(杉林の樹下はもっと少ない)ですから雪の山といってもいつもとは様子がまったくちがいます。

いつもならとっくに雪に覆われ見えなくなる小沢もまだ水流が見えるほどに露出。背の低い柴木も多くが雪にまだ押さえられませんから風の強い尾根は藪が繁って歩きにくし。下りの斜面など、カンジキごと雪とその下の藪を踏み抜いて地面まで足が沈み、カンジキを履いたままの足を藪や蔦から抜き上げるのに一苦労ということもあります。こんな雪状態の歩きでは、転倒もしやすくケガにはいつもより注意が必要となります。

さて、今冬の特徴である雪不足。何よりも雪の少なさがよくあらわれているのは、山々の尾根にこの時期ならできあがるダシ「雪庇」がほとんどゼロであること。例年、冬山の尾根に近づけばそこには万里の長城のような「雪庇の壁」が風下の東側に連なります。そのため雪庇の最も小さい「越場」をさがさなければ稜線には上がれません。それは生きものたちも同じで、私などは、ノウサギやカモシカなどの足跡をたどって彼らが歩いているそういう「越場」を見つけて尾根筋に上がることも稀にあります。

でも、今年は写真のように尾根にはそういう「雪庇の壁」がまだまったくないので、生きものたちと私はどこからでも自由に上がれます。

雪が少く雪庇もなしですから、例年なら雪崩や雪庇の崩落を怖れて踏み込めない所まで今年は行けます。眺望のもっともよい所から雪の少な過ぎる集落と川を見下ろし、その後にはさらに雪の少ない稜線を藪こぎ(こんなことも初めて)してこの日の最も高い所からスキー場方面をながめました。途中では大沢と元山沢境の尾根上に真白き山容の鳥海山も目に。県境の焼石連峰は晴れ空に輝き、絶好のスキー日和を楽しむ人々の姿も目に入ります。

この日は期待した生きものたちとの出会いはなし。カモシカが食べ物を反すうしながら雪上に座っていた跡、クマが秋にドングリを食べようと枝を折った跡、畑のそばでテンがカボチャを食べたらしい跡など、跡、跡、跡を目にしただけでした。

大根のナタ漬け

デェゴ(大根)のナタ漬けがおいしい季節です。

大根や野菜を大きな木の桶にまとめて漬け込む「一本漬け」を、村人は「奥漬け」などとも呼びました。昔はその「一本漬け」が農家ならどこの家でも普通に漬けられていたものですが、今はそういう大きな「桶」での漬け込みはほとんどみられないでしょう。

我が家も「一本漬け」は一昨年から止めました。でも、歯ごたえのある大根漬けものは冬の食事には欠かせずで、いまごちそうになっているのはナタ漬け。

ご承知のようにナタ漬けは、文字通り大根を切る刃物が包丁ではなく鉈であるところがミソ。ナタだと切り口が粗いので味が早く均等にしみ込み食感もよし。

大根をかかえ鉈を手にしている姿だけを見たら、鉈漬けを知らない方なら「オオッ」と思うでしょうが、雪国の台所ではこんな風にして鉈も時々ごちそうづくりの役割を担うのです。

寒ですから大根といえばもう「凍み大根」つくりも始まっていい頃です。でも、あまりの暖かさに、みなさん「もっと冷えがきてから」と、寒中らしいお天気を待っているようです。

▼極端に雪の少ないめずらしい1月を、15日の外景色として記録しておきます。

美の衣をまとい柿の実に通うテン(その二)

樹上のテンは、枝から枝へと移りながら熟した実だけを選んで口にしているらしく、5粒ほどの実に口を当てた後、8分ほどで食を終え幹を下りて雪原を歩きました。10㍍ほど離れて身を隠して写しているこちらにはまったく気づいていないのか、気づいてもある程度距離があるので無視しているのか、ゆっくりと、また妻が立つ炊事場から2㍍の窓の外、来た道を引き返して姿を消しました

テンの黄色は白雪に映えます。この毛皮の色はテンによって様々。色の名前ポケット図鑑(福田邦夫著・主婦の友社)を脇に置いていますが、こちらが過去何十年もの狩猟で目にした幾多のテンの体色は、マリーゴールドあり、サフランイエローあり、インディアンイエローあり、黄金色、山吹色、うこん色あり、サンフラワー色あり、くちなし色、クロームイエロー、たんぽぽ色あり。つまり、赤と黄の間で体色は実に多彩です。

前述の著書で福田氏は、きつねいろの解説ページで「古くからの色名には動物の色からとられた色名というのはほとんどない。……中略……。動物の毛皮などからの色からとられた色名は、鎌倉時代以降の中世になって、やっといくらか現れるようになる。……以下略」とのべます。このテンは、どちらかというと朱に近いインディアンイエロー色の美しく暖かそうな衣をまとっていました。

ところで、この柿の木をめぐってのテンとの偶然の出会いは同じその日の夜にも、翌日の夜にもその次にもと毎晩つづきます。風邪気味のこちらが就寝していての9日夜中の10時50分頃、外から「ギャッ、ギャッ」と聞き慣れない音がきこえます。ちょうど外を徘徊しているネコ同士がケンカしている時の、あの「ねごくれぇ(ネコの争い)」の声に似ています。

そういう生きもの同士の争う鳴き声らしい音を、同じ場所で年末にも聞いていたため「おかしいな。もしかしたら、朝に見たテンと別のテンが、柿の実をめぐって争っているのかな?」と、懐中電灯を照らし外をみました。

光の先で目に映ったのはやっぱりテン。柿の木の下でさかんに実を食べています。でもそれは一匹だけ。電灯を照らしていっしょにながめた妻は「もう一匹、ねげだあどだななんべぇ(逃げた後なのでしょう)」といいます。年末に聞いたテンの争う鳴き声の、今日は再演だったのでしょう。争いの声は、ネコのように長く派手な相手を威嚇の声ではありません。一瞬の鳴き声で勝負は決まったようです。

勝ったらしいテンは、樹下に落ちていた実を食べてからすぐに幹を上り、樹上でまたしばらく食を摂っていました。近距離から懐中電灯を直射されても警戒する様子はほとんどなく、ゆうゆうと枝を伝って熟した実を食べ、10分後には幹を下りて姿を消しました。

ブレ写真の最後2枚が夜に見たテンで、それ以外はみな朝に目にしたテンです。同じテンか別かはこちらにはわかりません。が、どうも夜のテンのほうが体色が黄色に近く、大きさもわずかにちがうような気もします。

この柿の木には、カラスや小鳥たちもひっきりなしにやってくるため、13日で実はとうとうゼロとなりました。それでも、テンは樹下に落ちた実がないかと通っているのでしょう、13日深夜もテン同士の争いの声が聞こえました。

初めて樹上のテンを、しかも家の中から見た妻は、テンの美しさ、樹上の動きの速さに見とれたようで、その夜はやや興奮気味で「えぐ、ねれねぇがった。(よく、眠れなかった)」と翌朝語っていました。こちらも、家の中から毎夜、テンをじっくりながめたのははじめてのことです。11日夜など、樹上では食べずに実を口にくわえて幹を下り、その咥えた姿のまま雪上を駈け去り闇に消えました。

美の衣をまとい柿の実に通うテン(その一)

いつものように外の景色を眺めながら朝食をとっていた9日。時刻は7時30分を少し過ぎた頃。風邪気味だったので、この日は普段より1時間遅れの朝食です。

その食後のおきまりでコーヒーをカップの半分ほどまで飲んだ時です。お天気が「雨から雪に変わったな」と窓外を眺めるこちらの眼中に、左から右に駆け抜ける黄色い生きものの姿が瞬間的に飛び込んできました。

瞬時に「あっ、テンだ」と判断。食後の後片付けをしていた妻が立つ場所からは窓をはさんで2㍍ほどの外をテンは堂々と走っていったのです。「いつか、こういう時がくる」と待っていたのはこちら。準備していたカメラを急いでかかえ家の外にとびだしました。

まぎれもなく、その黄色い生きものの姿はテン。自宅そばの柿の実を食べに来たらしい。普段なら夜の行動なのに、この日はどういう風の吹き回しか気分の移りようかわかりませんが、日中に堂々のお出ましです。

キツネやテンなど彼らの食をとる時間は主に夜が多いのですが、ご承知のように時々日中も見かけられます。テンは木の実などもよく食べますし、テンもキツネも日中にノウサギやヤマドリなどを捕らえることがありますから、昼の行動もめずらしくはないのです。

積雪を見るようになると、いつの年も我が家の軒下にはテンやキツネ、イタチの足跡がいっぱい。彼らは夏のうちから池の鯉も狙っていて、とくにイタチには我が家の多くの鯉が水揚げされてしまいました。

さて、今回姿をあらわしたのは、ここらあたりを毎夜徘徊し雪上に足跡をつけていたテンと見られます。このテンは、推測したようにやはり柿の木の下にまず近寄りました。そこで雪の中に落ちた実を食べる仕草を少しして、そんなに間をおかずにまだ実のある柿の木にいっきに登りました。樹上の軽い身のこなし、すばやい動きは猿と同じ。細い枝を渡るうごきでは体が軽いだけに敏捷さは猿を上回ります。

交通・防犯指導隊初出式

11日は、村交通指導隊、防犯指導隊の初出式。

先日出初め式を終えた消防団、そしてこの日の初出式にのぞまれた交通指導隊、防犯指導隊は、村民の安心安全をささえる活動をしている柱となる組織。

村内の日常生活で、命の安全ともっとも身近に広く深く関わってくるのは、車社会における交通安全課題であることはどなたも認めるところと思われます。とりわけ、高齢運転者の増加や、夕暮れ時の歩行などによる事故は、高齢化社会にともなう交通安全のために村でも大きな課題であります。隊のみなさんには、ひきつづき、村民への事故防止活動にいっそう励んでくださることをお願いしたいと思います。

SNSの世となり、社会のしくみが全体として広範化し、あるいはグローバル化しています。身体に危害が加わる犯罪、あるいは窃盗、急速に増えている特殊詐欺などにむけた防犯活動の重要さは山村も都会もほぼ同じようになっています。地域住民と一体のくらしをしている防犯指導隊のみなさんが、住民からの情報に敏感となり、組織の目的とする役割を果たされることは防犯の原点だと思われます。

地域ぐるみでの交通安全活動、防犯活動こそ、事故や犯罪を防ぐ一番の力になると思われますので、そのカナメとして活動されているみなさんの益々のご精進をねがうものです。

こちらは、一週間ほど前からの風邪がまだ治らず咳も止まらずで、みなさんへのご迷惑を考え、この日は式典だけの出席とし、後段は急きょご遠慮しました。

▼先日記しました平良の故菊池義之助氏(画人・号は彩雲)の画について、我が家にあるのはこの間載せました画だけと思っていました。ところが、8日に掛け軸の下げ替えで数幅ならべたら、もう一幅、花鳥と翁・媼(おうな)をあらわす彩雲の吉祥画もありました。

ご参考のためにその一幅も今回ご紹介しておきます。これらの画は著名な画家が描いた作品の模写のようですが、素人の私には、趣味、アマチュアの世界を一歩抜け出た作品のように見えます。

▼もう1月も半ばの寒中。それなのに今朝の我が家のまわりも村の山里も、雪解け時のような土肌の多い景色となっています。14日でのこういう雪の少ない村は近年ではめずらしいこと。しばらくは強力寒波の襲来も見込めないようですので、雪寄せや雪下ろしに動く時間が極端に少ない冬がまだまだ続くのかな。

豊かな自然食材の冬ぐらし

雪の1月。我が家の冬のくらしでは、塩蔵や瓶詰めで保存していた山菜やキノコたちが再び登場し、食卓は春から秋までの自然が育てた産物で季節感いっぱいになります。

この土地でもっとも広く楽しまれる冬の山菜やきのこ料理といえば、やはり村の伝統食といえる「納豆汁」がまず筆頭にあげられます。我が家では、新年最初の味噌汁は何十年もの間決まって「納豆汁」。おそらく村の大方の家々でもそれは同じでしょう。その「納豆汁」の具に欠かせぬ山菜はワラビで、キノコはサモダシ(ナラタケ)がもちろん必須。サモダシが不作の年は一年前の塩蔵ものや瓶詰めを用い、稀にナメコで間に合わせる時も。サモダシは村人(我が家)にとってはそれだけ重要な食材なのです。

年越しの日から大人数で何日も食べられるように大鍋で煮られるのはでぇごじる(大根煮もの・おでん)。これにも山の産物は欠かせずで、こちらの山菜の顔役はサグ(エゾニュウ・シシウドの仲間)。そしてキノコは、肉厚のネズミハギモダシ(ウスムラサキホウキタケ)とアガキノゴ(サクラシメジ)、シトリテデ(ウラベニホテイシメジ)、ムギダゲ(ムキタケ)、ナメラコ(ナメコ)、ヤマドリモダシ(クリタケ)が顔役となります。

お吸い物には、時を替えてオオヒメジ(ホンシメジ)やハタケシメジ、ミャゴ(マイタケ)、コナラ(シモフリシメジ)、シシタゲ(コウタケ)が登場し、ほかにもクリフウセンタケ、カノガ(ブナハリタケ)、ラグヨウ(ハナイグチ)など、瓶詰め、塩蔵のキノコたちが料理の品をかえて冬の食卓をにぎやかにしてくれます。何年もの間味噌漬けにされ飴色になったノギウヂ(エゾハリタケ)とトビダゲ(トンビマイタケ)も我が家(私)にとっては
欠かせぬ食材です。

写真は、塩出しされたウスムラサキホウキタケ、サクラシメジ、ムキタケなどと山菜のサグです。

こうやってあげてみると、貯蔵ものが豊富な豪雪の村の冬は、食が意外と豊かなことに気づきます。昔は、これに野の鳥(主にカモやヤマドリ)や雪原に生きる獣(主にノウサギ)たちの肉も加わりましたから、自然食ではもっと豊かだったといえます。

雪の少なさ予想外の1月初旬

昨年12月初めの、いっきに1㍍越の大雪にはたまげてしまいましたが、その後の年末、そして年明けの1月の降雪量、積雪量の少なさはまったくの予想外。自宅からながめるきのうの外の風景も、小寒に入った村とは思われないような積雪の少なさで、昨日の朝から今朝までに降ったのは雪ではなくまたもや雨。

予想外は、お天気のうごきに詳しくない我々にはよくあることですが、それを仕事にされておられる気象学者や、毎日テレビに立たれている気象予報士のみなさんは、この雪の少なさを「予想していた範囲」の外としているのか、内としているのかお聞きしてみたいものです。

雪の降りよう、積もりようがこうでしたから、12月のあの大雪時にも屋根の雪下ろしをしていなかった家では、雪が自然融雪で屋根上にほとんどなくなりました。「この冬、まだ一度も雪下ろしをしていない」という方が豪雪の村にも見られます。例年、比較的積雪の多い県南内陸部ですが、平野部では、まだ雪下ろしゼロの家々がもしかしたら大半かもしれません。

雪下ろしは、業者さんなどを頼めば何万円もの出費になるので、頼む側は「助かる」となりますが、頼まれる側は「あてにしていた仕事が少ない」となっているのでしょうか。

公共用道路の除雪作業では、それにともなう予算がケタ違いですから、降雪が異常に少なければ、出費側の「助かる」と、収入側の「困る」の度合いも大変な額となるでしょう。ここでは、助かる側よりも、あてにしていた収入が少ない「困る」側の深刻さが大きいと思われます。そういうことなどを考えれば、雪国では、「降る時に雪が降ってくれなければ、社会は円滑にまわらない」ともいえます。

県内のスキー場も、雪が少なくて営業に入れないところがまだあるようです。わがジュネス栗駒スキー場は、一部滑走からはじめて、年明けの再度の積雪で全面滑走ができるようになっていました。しかし後の雨天で積雪減もあり、滑走条件の変化がはげしいようです。それでもここは県内最大の豪雪の村。その利点が、雪の極端に少ない今年はよく活かされているようです。

村内平良の方が描いた画

お正月ということで掛け軸の上げ下げをしたので、画のことでひとつ。写真は、我が家がふだん床の間で見ている一幅の掛け軸です。この掛け軸に描かれている画は、村内平良の菊地義之助氏(故人)によるもの。菊地氏の雅号は「彩雲」。この画は、明治時代の著名な日本画家 狩野芳崖の代表作「悲母観音」の画を模写したものとみられます。

「彩雲」を知る村内の方は「湯沢の七夕絵灯籠にも美人画を描いていた」と語ります。

画ということでは、この成瀬川流域(支流の狙半内川もふくめ)は多くの傑出した人々を輩出している土地です。

歴史を遡れば桧山台の女性の絵師・おいち(蛭川のS氏宅に、おいちの描いた屏風絵二双があると村郷土誌は記す)、狙半内の親郷肝煎・加瀬谷庄右衛門(江戸時代の画家、京の都に上り円山四条派に学んだ。雅号・東嶺)。現代では、同じく旧西成瀬村地区中村出身の漫画家矢口高雄氏(ご母堂は東成瀬村岩井川出身)、そして北欧をはじめ海外にまで多くのファンをもつわが郷土の誉れ、高橋よしひろ氏(漫画家・岩井川出身)です。根強い人気をもつ版画家の高橋功氏(椿台出身・作品の一部がまるごと自然館に展示)もおります。

世界有数の豪雪の地、成瀬川流域の美しい山河は、きっと、そういうすぐれた芸術家を産み育む豊かな土壌となっているのでしょう。

通年議会開会

6日、令和2年の村議会定例会が開会されました。通年議会ですので、会期は12月18日までの348日間となりました。
いつもの年と同じように「あけましておめでとうございます」のごあいさつで開会を告げるわけですが、年の初めであるだけに「議会としての務めをしっかりと果たさねば」と開会の鈴を押す指先には普段より少々力が強く入ります。

今年は東京オリンピック、パラリンピックをはじめ、日本や世界の歴史のうえで人々のうごき、営みが大きな節目となる年です。

改選後の議会もこれから3年余の間は腰をじっくりと据えて活動できる始めの年でもあります。議会は「村民のために常に改革心をもって」をかかげ新年の活動を開始します。

4日は村消防団の出初式でごあいさつを申し上げ、終了後には分団の新年懇談会へ。たちまちのうちに過ぎる1月~2月半ばは年始の行事が次々と入ります。こちらはお酒はたしなみませんが3日ほど前から弱い風邪気味。風邪やインフルエンザも含め健康管理にはよくよく配慮の必要なときです。