4月並みの風景はきのうまでか?

立春の今朝、我が家まわりで20㌢ほどと久しぶりの積雪となり除雪トラクターを動かしました。ここ2,3日の大雪も予報されましたから、雪降りを待っている方々にとっては「願ってもない積雪」。

かまくらや犬っこまつりらしい雪景色のなかでの小正月行事ができることに関係者はホッとしているでしょう。しばらくは冬らしいお天気が続くようで、春4月並の異常な冬はこれで終わりかもしれません。

きのうもまたまた雨で、少し積み重なった雪はたちまちのうちに薄くなりました。なので、今日もまず雪の少ないきのうまでの様子を記録としてのこしておきます。今朝は、また白が支配する村に戻りましたからね。

今日とりあげるのは、わが集落と椿川手倉地区を結ぶ川通りの崖にある硯滝(すずりたき)。
ここは、蛇行する成瀬川が長年かけて削りとった崖です。

春は萌える若葉、秋は紅葉と、村の里山景観のひとつにあげられる美しい小さな崖地。そこにあるのが硯滝。滝の上部すぐから、わずかの水が湧き流れ落ちるので、細々の水ながらも滝の名がつけられたと思われます。

村の郷土誌は、集落の歴史を記す一節の岩井川の叙述部で「秋田風土記」を引用しています。「風土記」は、「此里手倉との間に硯石を生す、川岸の山なり至りて難所なり、其所の石を取て作る、名を鹿通石と云、硯石のあるところは滝の下也、(以下略)」と記します。滝が滑り落ちる岩はその硯石となった材料と同じなのでしょうか。

その硯滝も、いつものこの季節なら雪と氷にほとんどが覆われていたでしょうが、今冬は雨で水量もやや多く、滝全体が姿を見せていて、ここもまるできのうまでは春4月のよう。

そばには、葉緑の濃いヒメアオキも雪に押さえられずにいきいきと暖かい冬を越しています。今冬は、同じように常緑で背の少し高いユキツバキも、村の各地でやはり雪に押さえられずにシャンとしています。それよりずっと背が低くかよわいヒメアオキもこのとおりなので、豪雪の村は、土肌だけでなく、かってないほど緑も多く目にはいる異常な真冬です。

不思議な雁の群れ

雪の少なすぎた寒中が一目でわかる風景、そんな特徴ある場面が村内のいずこでもみられた過ぎた1月。田子内大塚の小さな祠もそのひとつ。1月31日だったのに、小高い地の社は全体の姿をあらわしていました。

同じ31日、朝の用務を済ませて役場から帰宅途中のこと。東から西へむけて地元集落の低空を飛ぶ雁の群れが目に入りました。

厚い雲が垂れ込めた朝で、奥羽の嶺はその雲に覆われ、里の山々も雨の空模様で霧に隠されていた時です。天気は分単位で激しく変わりやすく、流れる雲の切れ間からわずかの青空がのぞいたりする時でした。

はじめ20羽ほどと見えた雁の群れでしたが、編隊の数は次から次へと増え、低空を飛ぶ編隊に加えて、見上げたらそれよりはるかに多くの群れがもっと高くにも。

総数200羽ほどの群れは、集落の上で今度は大きく旋回して向きを急に西から東へ変え、編隊を乱したり整えたりしながら低く厚い雲の中に消えました。

まだ渡りの季節ではないでしょうが、越冬地からはるか離れた1月末の村の上空に群れ飛ぶ雁。それに、急いで西へ行くでも東へ行くでもない、その飛翔の目的は何なのでしょう。

真冬に村で見られためずらしい雁の群れということでは、2,3年前のことですがこういう事例もあります。めずらしい群が見られたのは成瀬ダム工事現場の仁郷台地。雁の大群が確認されたのは飛ぶ姿ではなく厚い積雪の上です。群れが何のために雪の上に舞い下りていたのか、羽を休めるためだったのか、それはわかりません。

下の写真は、雪上にいるその群れのごく一部です。仕事に行く途中たまたまこちらの先輩Sさんが目にし、遠くから撮った写真をSさんからお借りしていたものです。

越冬場所ではない山間集落での1月末の雁の群れ、真冬の仁郷台地に舞い下りた雁の群れ。いずこで目にしても感ずるのは、雁という鳥がもつ深く不思議な固有のロマンです。

▼きのうは、各期成同盟会での要望行動や村の要望などで年中お世話になっているみのり川信英代議士の国政報告会へ出席。国土交通副大臣就任祝賀も兼ねた集いでした。

代議士の活動を長くささえておられる後援会長さんが、あいさつでは最後に立たれましたが、会長さんの語られた情勢や世相への視点の鋭さには昨年と同様に注目しました。政治活動だけではなく民間の会社にも官公庁組織にもいえることでしょうが、凜として重みと洞察深い言葉を放つ方が陣営にまたは会社や組織におるというのは、とても大きい意味があることだと思われます。

1月最終日の寒中にバッケ

寒の1月は、記録的な暖冬のまま終えようとしています。

雨天続きの昨日の成瀬川。その流れは「雪代水」とはいえぬものの雪解けによる濁りで少しの増水となり、澄み切ったいつもの1月末とは思えぬ川面を見せていました。

田んぼの土手や畦などは土の見える範囲をいっきにひろげました。集落の南側日向斜面は4月のような雪のない景色となり、蕾を開き始めたバッケ(ふきのとう)も目に入ります。

今朝になったら寒さがやや戻り、久しぶりに道路をうっすらと白くしましたが、野の植物たちはおかしな冬の影響を受け続けるはず。植物にとどまらず、生物界全体に今後この暖冬がどう響くのか注目、懸念されます。

それは、一ヶ月以上、最も厳しいはずの寒中をゆるりと過ごしてきた我々ヒトにもいえること。通常の寒中なら、吹雪ヒューヒューの中を毎朝除雪し、夕方にはまた除雪、週に一度は屋根雪下ろしのあの豪雪を生き抜く我々。

豪雪の村で生きれば、なかなかの粘り力がそなわることなどをよそ様からはよくいわれたものですが、思わぬ「楽な寒中」を過ごしてみて、「なるほど」と直の体験でも雪国人と忍耐力の関わりを感じたところです。

世界有数のこれだけ厳しい豪雪の土地で、県内のほかの市町村とそれほど差のない自治を保ち、元気に村をまもり続けているということに誇りと自信をもちながら、粘り強く前に進みたいものです。「楽過ぎる寒中」を過ごしたおかげで、そこから学ぶことも大いにありです。

掲げる旗印は「三又~岩井川にトンネルを!」

主要地方道横手東成瀬線の整備促進を期す同盟会の要望活動が、きのう朝から夕方までびっしりの時間をかけて行われました。

県建設部、県議会、横手平鹿、湯沢雄勝の地域振興局に対して、地元出身で同盟会の顧問をお願いしている県議のみなさん4氏も同席していただいての要望です。横手、東成瀬の首長、議会代表、三又、岩井川両地区住民代表による要望団から「通年通行」実現を主軸にしたうったえがなされました。

三又、岩井川両地区からはじまった「通年通行」実現を主目的としたこの運動は、その後山内村(合併後は横手市)、東成瀬村という両市町村がかかげる運動へと発展し今日に至っています。運動開始当時も、今も、要望の主軸は冬でも通れる「通年通行」の実現。つまり両地区をトンネルで結ぶ県道の実現にあります。後にも先にも、悲願は「トンネル」化なのです。

積み重ねてきた同盟会の活動を土台にしながら、その実現のためには何をかかげるのがいま大切かということで、様々な方策を模索しながら運動が進められています。市として、村として、同盟会として、新たな運動の前進をはかるうえでそれぞれの活動のさらなる検討・練り上げが必要と痛感した一日でした。

▼きのうは終日の雨天。ですから、前日よりもさらに雪が解けて、雪のない地面の範囲はよりひろがっています。夕方には増田町吉野あたりまで、たんぼに雪のない寒中の風景が成瀬川筋を上ってきました。

我が家の周囲もさらに土の露出が広がっています。記録的な少雪場面が更新されていますので今日もそれを載せておきます。

秋田市中心部は見える雪も無し

きのうは県町村議会議長会の正副会長会議で秋田市内へ。

きのうは横手市内の寒中の様子をとりあげ、まるでいつもの年の秋田市内や沿岸地方の冬を思われるほどに雪が少ないことを述べました。それと同じように、きのう向かった秋田市街地は都内を思わせるほどに「見える雪」さえほとんどゼロ。

それを見れば2~3㍍もの積雪のなかで暮らすいつもの年の私たちなら「同じ県内でも異国のよう」と思います。でも、今冬は我々も極端に雪の少ない中で暮らしていますから、秋田市内のそういう風景にもあまり驚くことなく過ごしてきました。

真冬の横手盆地と雄物川筋には、横手、大曲、秋田市と行くにつれたんぼにも雪が無し。白鳥の群れが、晩秋・初冬のようにして稲株の見える圃場に舞い下り食を摂る姿が散見されました。寒中に雪のないたんぼで食を摂る白鳥。こういう冬鳥たちの姿を1月末に目にするなどということは、数十年間隔で年月を遡ってもめったになかったことでしょう。

ダム湖や潟、沼などにも氷の範囲が少なく、田んぼも土が出ている。今冬は渡り鳥たちにとって食を摂れる範囲が広くまことに過ごしやすい年となっているようです。今朝も雨ですから少ない積雪はさらに解けたはず、雪に変わらなければもっと解けるはず。雪なしの異常な風景はまた広がるでしょう。

太平洋側のような気候が続く

降積雪が「記録上最小値」と各地から告げられる極端に雪の少ない県内。そのために深刻な嘆きが聞こえるようになっています。

除雪を冬の間の最大仕事としている業者や個人。積雪があることを頼りにした林業などの職種、冬物を商う方々、営業をほとんどあるいは充分にできないスキー場はその筆頭格でしょう。

反面、雪が少なくて助かっている方々、暖房費の節約で助かる方々もいて、農業用ハウスなど施設園芸のみなさん、除雪経費を軽減できるみなさんは大喜びかもしれません。

嘆きと困ったの双方をかかえている方もいて、当たり前でない自然のうごきに豪雪地帯の社会はかなりの戸惑いが続く日々です。

きのうも、役場帰りに、畦の一部が雪に覆われずに露出している田んぼの一部や、全体に地面が多く見られる日向などを記録しておきました。集落西の庚申塔も、寒中なのにほぼ全体が見えます。陽射しのある日中など寒中の雪国を忘れてしまうほどで太平洋側の冬と同じ。南側の仕事部屋では暖房が一時は必要ない暖かな一日となりました。

川連では、住宅地へのクマの出没がつい先日報道されましたが、こういう春4月のようなお天気が続いたならば、そういう動きをするクマは各地でもっと増えるでしょう。

▼きのうは県南3ヶ町村の議会でつくる連絡協議会で、議長・議会事務局長さんたちと今年の活動などについて協議しました。議会運営についてほかの経験を学んだり、それぞれの行政運営での情報交換など、議長・事務局長にとって参考になることの多い協議会です。協議会の今年の開催地当番羽後町は、この3月に議会が改選されます。

雪の少なさがここでも話題になり、すでに美郷町六郷の小正月行事「竹打ち」が雪不足のため中止が告げられています。横手市内は観測上の積雪がゼロで、市街地は、例年の秋田市内を走っているような感じ。かまくらをつくるのに雪が足りず「ほかから運ぶ」という実情がよくわかります。

寒中に野の菜を摘んで

伏流水が湧き出る我が家前の河川敷。その湧水の流れ筋には所々に上流から運ばれ堆積した栄養豊富な泥溜まりがあります。いわばそこは自然がつくった小さなセリ田、クレソン田みたいなもの。泥溜まりですからそこにはノゼリやクレソンがよく育ちます。

小さな池を見るような所々の淵には川ザッコ(ウグイ)やニガッペ(アブラハヤ)もいて、寒中なのに彼らの群れがよく見えます。カワセミやヤマセミに狙われ易い淵ですが、群れは夏も冬もよく生き残っています。

きのうは久しぶりにその河川敷を散策し、まるで春4月のような雪の少ないなかでノゼリとクレソンを摘みました。

暖冬の村。集落のいずこにも、地面の多く見える雪のない不思議な寒中の景色が広がり、それは雪寄せしなくてよい今朝も同じです。

▼きのうは村の農業担い手組織「田畑会」による恒例の「農業を語るつどい」へ。

つどいでは、横手市雄物川町東里で水稲12㌶と花卉(トルコキキョウ16.5㌃、カンパニュラ6.6㌃、ラナンキュラス6.6㌃、フリージア2.3㌃)を栽培する高橋茂樹さんによる講演がありました。

高橋さんは長い間、冬は村のジュネス栗駒スキー場の季節職員としてパトロール部門で働かれ、村のスキークラブの一員として子どもたちへの指導などでも力を尽くしてこられた方です。

本職の農業はご両親と妻の4人による経営で、これは国連がめざしている「家族農業」を地でゆく秋田型とりくみの典型です。高橋さんご一家は、水稲とともに雄物川の条件に見合った花卉の複合経営を主軸にし、それに冬期間の一時給与所得を合わせて家族農業を確立しています。

わが村内にも経営の内容はちがいますがそういう組み合わせで家族農業を成り立たせている方々がおります。集いの参加者それぞれが講演から学ぶことは多かったと思いますが、家族農業でがんばっている方々、これからがんばろうとする方々にとってはとくに励みとなったお話だったと思います。

積雪ゼロの地面も

雪の少なさに「ウーン」とうなってしまうことを今日も記します。

世界有数の豪雪地帯にある1月24日のわが村で、積雪ゼロの地面が方々で見られるというのはそうはないこと。南向きの斜面では、急な所だけでなく緩斜面でも積雪ゼロ地点があちこちで見られます。

我が家裏手の法面も、例年なら厚い積雪で隠されてしまう樹木の根元でまだ積雪なしの所があります。1月の今なら2階から出入りできるほどに下ろした屋根雪がたまる住宅の東側も、12月初めに下ろしたあのドカ雪ももう解けてこんな状態。農機具格納庫の冬囲いも役割を充分に果たしきっていないようです。

成瀬川もいつもの寒中なら積雪によって川筋はずいぶん狭められるのですが、今冬は未だに通常の幅を見せ、流れの量も色も、降った雪が時々解けて加わるためか寒中の様相とは違います。つまり、少しずつ雪解け水となっているからと思われます。

昨日の朝は、雪が解けた状態のアスファルトやコンクリ面が凍りつき、そんな凍っている状態をわからずに転倒する事例や車の事故があちこちでおきたとききます。私も危うく転びそうになりました。舗装面が濡れたままで朝になればこういうこともあります。積雪が少なければ少ないでそんな危険もありますから、みなさん、これからも「凍り」には要注意を。

能恵姫伝説にちなむ「龍女の珠」を読む

「県内一の豪雪」が村の特徴ですから、おかげさまで全面滑走ができているわがジュネス栗駒スキー場。

でも、連日の雪なし天気で「できれば、もう少し雪が降ってくれれば」と思っていたら、めずらしく雪寄せ作業をするほどの雪が20日には降り、その後もほんの少しずつ積雪は重なりました。

「恵みの雨」ならよくつかわれる言葉ですが、この雪はまさに雪を営業の頼りにしている立場のわれわれにとっては「恵みの雪」。スキー場にはさらに万全のゲレンデ状態を楽しむ人々が訪れ、晴天のきのう午後はゲレンデにシュプールを描くスキーヤーの姿が我が家前からも遠目に入りました。

その降雪も長続きはせず、またあたりまえではないおだやかな寒に戻りましたから「雪乞い、寒気乞い」の日々は続きます。そういうこともあり、22日になっても雪の多くない家前の様子をまた記録しておきます。

当たり前のお天気が続くことで人のくらしが円滑にまわることをのぞむのは今も昔も同じです。農に欠かせぬ「雨乞い」のおこないはその象徴でしょう。

雨乞いといえば、村人や成瀬川下流域の方々ならすぐに連想できるのが仁郷の地に流れを落とす赤滝と、その脇に鎮座する赤滝神社。(赤滝神社は、ダム工事にともない昨年解体され、今後再建される予定)

赤滝・赤滝神社といえば連想はさらにふくらみ、それはやがて「能恵姫」伝説にたどり着きます。

その「能恵姫」を軸にしながら、近郷近在の人々の伝承、社寺に保存されている遺産、菅江真澄の紀行文研究、考古学上の知などを総動員した石橋健朗氏(湯沢市)の著書「龍女の珠」-能恵姫物語の宇宙-(平成30年 イズミヤ出版)を先日読む機会がありました

赤滝と能恵姫伝説にちなんでは、平成27年に東京芸術座の俳優佐藤アズサさんと村の子どもたちによる音楽劇「能恵姫ものがたり」が上演され、昨年は、東成瀬源流コンサートで、秋田出身で元オフコースの大間ジローさん作曲、妻の美井子さん作詞の「なるせの源」という感動きわまるすばらしい歌も披露されたばかりです。

その成瀬川と皆瀬川、二つの支流はやがて雄物川を経て大海に注ぎます。その様を「なるせの源」の歌は最後に写真のような言葉で奏でます。(写真は、昨年のコンサートの際のチラシから

音楽劇「能恵姫ものがたり」にも、「なるせの源」の歌にも、そこに脈打つのは龍神と川と人々の歴史を連ねる営み。石橋さんの著書は、それらの劇と歌の背景を「心旅」するのにうってつけの言葉でちりばめられています。村の龍泉寺、赤滝神社を北斗の七つ星のひとつひとつとしてたとえた最終章の記述には「オッ」としばらくそこで目がページに釘付けとなりました。

能恵姫伝説にちなむ栗駒山麓を源とする県南の二つの流れを私たちは日々目にします。私の手元に、「ふるさと秋田の学び」という著書があります。これは県教育委員会が平成8年にふるさと教育の指導資料として刊行したものですが、その第一章二節の「過去を刻む地形・地質」で、川の流れの移り変わりの特徴事例として成瀬川と皆瀬川、雄物川をならべとりあげています。(最後の写真)

それによれば、成瀬川は皆瀬川と合流せずに横手盆地をはるか大曲までのび、成瀬川のまま雄物川に合流した過去もあると記されています。それは数万年前のことのようですが、「龍女の珠」の著書とともに二つの清流の悠久の歴史を偲ぶにはこれもまことにうれしい書籍です。

新春懇談会

村の農業再生協議会の総会がきのう開かれました。この会は、今年の米の生産数量の目安について確認し合うことを主な目的とする組織で、令和2年度の村の生産目安は、数量で1,143トン、面積で216㌶、水稲作付け率は60.9㌫と決めました。

きのうは村商工会と成瀬ダム振興事業協同組合合同の新春懇談会にも出席。

持続可能な村、安定した自治で130年の歴史を紡いできた村づくりの大きな柱のひとつは産業振興です。商工会の諸先輩、そして現在の会員はその分野で大きな役割を果たしてきていますで、そのことへあらためて感謝を申し上げました。

この村の自治を確かなかたちで次の世代に受け渡すためにも「持続可能な村づくり」の土台をしっかりと固めることが大きな鍵ととらえます。今に生きる我々のつとめはその点で大変大きく、そのカナメのひとつは周到な財政計画にもとずく産業振興であります。

この点で、仕事興しに長けておられる会員みなさんの創意に満ちた事業展開、新たな雇用開拓などは欠かせぬ要素でありますので、いっそうの意欲あふれるとりくみを期待し、そういうしっかりとした志あるとりくみへは公的支援をひきつづき強めねばの思いをこめご挨拶を申し上げました。

ダム工事に関係する業者さん方も含め参加の方が多く、第2部の懇親会はいつもの年と違いジュネス1の大食堂会場での開催でにぎわいました。