大蔵村役場周囲のたんぼは雪がほぼ無し

18日は、議会常任委員会の視察研修で大蔵村に向かいました。最初の写真は村の議場です。

視察の目的は、雪対策と6次産業化などで、ほかに再生可能エネとしての小水力発電のとりくみなども、そのごく一部を学んできました。

大蔵村さんは「日本で最も美しい村連合」発足当初の構成自治体であり、わが村も後にその一員となりました。それに加えて、高速道路関係の期成同盟会活動でも最上地方の自治体とはいっしょの行動が多く、3県合同の議長会研修などでもお世話となり、親しく交流させていただいております。

今回、常任委員会が大蔵村さんを視察先に選ばせていただいた主な目的は、前述のような内容ですが、同じ東北の内陸部、山村、豪雪、人口規模、トマトなどの産物、そして創立130周年の歴史などを含めまして、共通点がとても多いということも視察行の目的にあったようです。

類似団体を行政指標の参考にすることが我々にはよくあります。その点で大蔵村さんは、「参考になる自治体として常に頭から離れない村」と私は思っておりましたが、常任委員会のみなさんもそれは同じであったようです。

わが村では、新たな総合計画案づくりがこれからはじまります。産業振興、生活環境整備など中長期の村づくりのカギとなる総合計画ですので、よりよい計画を議決する上で議会の責務も非常に大きいものがあります。そのためにも、新たな計画づくりを先行させている大蔵村さんの事例をその面からも学び、参考にしたいと思い訪問させていただきました。

歓迎のごあいさつをいただいた加藤正美 村長、矢口智 村議会副議長、説明に同席していただいた安彦加一 副村長、海藤邦夫 産業建設常任委員会委員長、加藤忠己委員、長南正一委員、斉藤光雄委員の皆様と、高山和広 村地域整備課長、早坂勇一 議会事務局長、食品加工所で説明をしていただいた(株)三和食品の梅津大輔 工場長をはじめ会社の皆様には心からのお礼を申し上げます。写真のお弁当は加工場手作りのもの。とてもおいしかったです。

今年は極端に積雪が少ないことをわかっていながらも、豪雪の大蔵村を念頭において向かいました。が、その大蔵村は、最上川が流れるそばの役場所在地周囲のたんぼには雪がほとんどなく稲株が出ていました。名うての豪雪箇所はよく報道される肘折のごく一部のようで、同じ日に役場所在地で60㌢ほどの雪があるわが村とは積雪に格段の差があったことは意外でした。

なお、大蔵村議会常任委員会の皆様は3月末に教育行政視察で来村の計画があり、ホテルブランにもお泊まりいただく予定です。

帰路、大部分を厚い雲に覆われた鳥海山の、我々からすればその山体の裏側を酒田や仁賀保側からながめ、やや白波のたつ日本海を久しぶりに目にしました。

仁賀保市は、同じ県内とは思われぬほどに少々背高の南の地方に多い常緑広葉樹が目立ち、海岸部の雪はもちろんゼロ。雪がほとんどないのはお隣由利本荘市内の平野部もおなじ。しかし、出羽丘陵を越えて横手市方面に入り、雄物川を渡って焼石連峰をのぞむわが村に入るにつれ「さあ、また雪国に帰ったぞ」という気分にさせられました。それでも、今年はこちらも異常に雪の少ない冬ですからね。

2月半ばでネコヤナギ盛り

久しぶりに河川敷を散策した15日。3~4月並のお天気が続く2月ですから、予想したように川岸のネコヤナギはいずこでも衣を脱いでいました。

散策では、いつものようにクレソンとノゼリを摘み、真冬(春)の野の菜のみずみずしさを味わいました。

河川敷の木立には、忙しそうに動き回るコゲラがみられ、コゲラのそばには、それよりさらに敏捷なシジュウカラの群れがやってきて、ながめているネコヤナギにも止まりました。

昨年は、3月6日に「岸辺のネコヤナギがほころびはじめている」と記しています。今年は、2月15日でほころびはじめてから数日たっているこんなネコヤナギの様子です。成瀬川も雨天でやや増水。春、雪解けはじまりのような流れをみせ続けています。季節のうごきが例年よりあまりに早く春に近づいていることがこれらでわかります。

▼14日、村の小学校のそばを通ったら、小5年生の児童たちが雪中田植え行事の最中でした。村のふるさと教育で尽力されているSさんのご指導によるもので、昔の小正月行事のひとつを体験する授業です。

村の郷土誌は、この雪中田植えについて「農耕の模擬行事で、一五日、屋敷内に僅かな面積の雪をかきならし、『もみ』を播き、田にみたてる。また、五、六寸(15~18㌢)ぐらいに切ったわらをさし、田植えをする家もある。」と記します。

雪中田植えは、農事に関わる数多くある「予祝行事」のひとつですが、お祝いの願いがお天道様に届いてくれることを今年はとくにのぞみたいものです。

雪が少なすぎるし、春があまりに早く訪れそうだしで、農家のみなさんは「どうか、雪解け後のお天気があたりまえでありますように。水不足が心配で、適度な雨も降ってくれますように」とねがっているのです。

村芸術文化祭

14日、県町村電算システム共同事業組合議会の定例会で秋田市へ。

総額約7億4,100万円余の令和2年度一般会計や補正予算案などを審議し、いずれの案件も可決、承認されました。

先の町議会改選で新たに議長就任となられた井川町の遠藤政勝氏とは、この議会が初顔あわせとなりました。県内では、むかし「秋田ミニ統一選」ともいわれた地方議会の選挙が今年は集中します。この後に3月は、小坂町、藤里町、五城目町、羽後町が告示となり、さらに9月までが任期の大潟村も改選をひかえます。

それぞれ選挙にかかわる話題もありましたが、立候補状況もふくめどういう結果となるか、当事者のみなさんだけでなくほかからも注目が集まっているようでした。

▼きのうは村の芸術文化祭。小さな村ですから規模はこじんまりとしていますが、芸術・文化活動にとりくむ村民の意欲は多彩、旺盛で、表現や作品もすばらしいものがいっぱいでした。

こういう機会には出展・出場しないものの、芸術・文化活動、趣味を一つの生きがいにされている方はまだまだ村内にはたくさんおられます。そうしたみなさんもどんどんこうした場で展示・表現していただければ祭りはより豊かなものになるでしょう。「参加することに意義あり」は、いろんな分野にあてはまることです。そうやって、みんなで気軽に楽しみ合えればいいのですから。

赤滝の伝説をうたう「成瀬の源」をお聴きください

お気づきと思いますが、村のホームページから、元オフコースの大間ジローさんが作曲し歌う東成瀬村応援歌「成瀬の源」を聴くことができるようになって幾日か経ちました。

赤滝、能恵姫伝説、成瀬川、雄物川、そして日本海の大海原へと、成瀬の源から流れゆく水模様を叙情ゆたかにあらわした調べはほんとに素敵です。まだお聴きでない方は、ぜひお開きになってその魅惑の響きに触れてみてください。

▼月の上旬に今冬2度目となるいっきょに50㌢も降るドカ雪に見舞われた村でしたが、その後はまた「3月~4月並み」という気温が続き、きのうの雨もあって積雪深はまたぐっと下がりました。

気温だけでなく土肌が広がりを見せるまわりの景色も、またまた3月から4月なみ。かまくらなど雪を象徴する小正月行事のみなさんを嘆かせるおかしな冬が続きます。

今朝、その春並みの空を見上げたら、奥羽の脊梁を南東側から越えてきた雁の大きな群れをいくつか目にしました。彼らの北帰行もいよいよはじまったようで、これはその先がけの群れでしょう。伊豆沼あたりから飛んできて、途中の休憩地は大潟村あたりでしょうか。

岐阜白川町から教育行政視察

岐阜県白川町議会の副議長さんをふくむ5名の議員さんと、町教育委員会教育長、教育委員会職員の方々ご一行7名のみなさんが、きのう教育行政視察で来村されました。

人口8千人弱の町で、町議会の定数は9人。視察の議員さんのなかには女性議員の方が2名おられました。

みなさん、事前に村の情報などをよく把握されていたようで、小、中学校あわせて半日の視察でしたが、質疑応答のなかでも内容の濃い質問がたくさん出され、お一人お一人から視察後の感想もいただきました。それらは、いつもと同じように我々にとっても学びとなる言葉です。

みなさんは前日に村のホテル・ブランにもお泊まりいただいております。視察には総務教育民生常任委員長とともに同席し、歓迎とともにそのことへのお礼も申し上げました。ご一行の交通手段は往き来とも新幹線で、帰宅されたのは昨夜10時近くになったらしく、女性議員の方から視察お礼のお電話を夜にいただきました。

▼午後すぐには、3月議会を前に届けられている陳情書について、その内容を説明するために代表のみなさん5名が来庁。これにも常任委員長と対応しました。

きのうはここ数日の間では一番の晴天に恵まれました。役場庁舎裏手にはめずらしくノウサギの鮮明な足跡までみられました。久しぶりにおとずれた晴れの夜だったので、ノウサギさんはいつもより行動範囲をややひろげ、月の夜を楽しんだようです。

焼石連峰など真白き奥羽の嶺が青空にくっきりと映えた一日でもありました。役場の帰り、久しぶりの青い空と際立つ高嶺の白さに惹かれてつい車を止め、その景色を切りとっておきました。

雪山を駈けるテン

久しぶりに青い空をみた10日、運動不足の体がムズムズしてきた。

そういうこともあって、きのう、今冬初めて横手市山内三又境のブナの尾根に向かった。いつもの年なら12月から1月はじめにかけて一度は上がっていた尾根だが、今年は雪が異常に少なく歩きを敬遠していたもの。

それが先日のドカ雪で積雪はやっと1㍍を越した。しかし、新雪はまだ締まらずカンジキをつけても足が膝近くまで沈むほどに雪は深い。それにお天気も、期待する岩手山など遠くを望めるほどよくはなかったが、「これ以上の悪天にはならないだろう」と歩きを決めた。

「そろそろ、山に向かう頃」と、前日からこちらの動きを妻は察していたのだろう、昼食の準備もしてくれている。朝食後は、朝ドラ・スカーレット(離婚した夫婦が久しぶりに会い、会話後に分かれる場面)をみてからゆっくりとコーヒーをいただき、ゆるりと家を出た。4時間ほどの里山歩きだから、それほどあわてることはない。

やはり雪は深い。が、二段ぬかり(一度沈んだ足が、体重をかけるとさらにもう一段沈むこと)はしないので、雪が深い割にはそれほど足に負担とはならない。

それでも、集落を見下ろす最も大きなブナの根元に着いたら2時間近くはかかった。この大ブナの根元では決まったように毎年セルフタイマーで撮る。それは、「今年も、ここまで、カンジキで上がれる。まだまだ、足も体もだいじょうぶ」という自分がくだす健康診断の証を得る作業のようなものでもある。雪深い斜面のハデを漕ぎ、この大ブナまで上がれるうちは、まずまずの健康が保たれているというわけだ。

ここらあたりまで上がれば、ヤマドリやノウサギが途中で目に入ってもおかしくないのだが、新しい足跡はきわめて少なくもちろん姿も見えない。

休みなしでいっきに山内三又境の尾根まで上がる。やはり天気は好転せずで、尾根は予想したように風が冷たい。三又集落のごく一部は眼下に入るが、真昼や和賀岳、岩手山などへの遠望はまったく利かない。郡境の風の通り道、尾根のヘンドウ(くぼんでいる箇所)には、強い風に運ばれた雪がつくるいろんな造形が毎年観られる。雪と風と低温がつくる芸術だ。

尾根には何故かクマがとりわけ好んで毎年上るブナの大木があり、あいかわらず新しいツメ跡が加わっている。

めざす尾根の終着点にも、その雪と風たちがつくる美しいブナの風景が広がる。が、この日は期待した青空と陽射しがなく、写真にのぞむいい按配の光と影がない。横手盆地から上る北の風がまともにあたる尾根なので、体感の寒さだけは一等級。こういう時は長居は無用。風のない尾根裏で立ったまま食事をとり、さっさと登りとは別コースで岩井沢方面に下る。

この尾根に通い始めて50年以上になるだろう。郡境の尾根にはちょっとした平坦部があり、見通しの利かない吹雪の日などはホワイトアウトになることが稀にある。そのため里山でも、まちがえて見当外れの尾根に下りてしまい、後に気づくことが二度ばかりこちらも体験している。山歩きでは、平坦な地点で方向を間違え迷うことが多い。ホワイトアウトの山ならなおさらなのである。

さて、その下る尾根は、岩井沢最上流部のここらの里山のなかではとびっきりの急な尾根。登りのコースにはほとんど歩くことがないが、下りは急で楽だし、数十年の経験からノウサギが伏せている箇所も多いので私はここを決まって下る。

足跡とともに、タラの芽や蔦を食べたノウサギの新しい活動跡がある。いつでも写せるようにカメラをかかえながら下り初めてすぐの急斜面に、ノウサギではなくヒラリと動くテンらしい黄色の生きものが瞬間的に目に入った。確かめたらそれは予想したとおりのテンだ。

雪上を動いたテンは、いきなりヤマブドウやフジなど各種の厚いツタ類がからまる木に上がり、途中でこちらを正面から見ている。

テンまでの距離は80㍍ほどはあるだろうか、遠い。それで、こちらは尾根から雪深い斜面に移り、テンになるべく近づこうとした。この日は新雪がいっきに積もっているのでワス(表層雪崩)に気をつけながら斜面を下ろうとしたら、むこうはこちらの動きをとっくに察して木の高所から大ジャンプで下り、斜面をいっきに上へ向け走り始めた。雪は深いのにその足の早いこと。一度も休まずにたちまちのうちにテンは視界から消えた。かってノウサギを追いかけ倒したテンの姿を自宅前の河川敷で目にしたことがあるが、瞬間的なスピードはそうとうなもの。

今年はテンにご縁のある冬で、今度はブナの里山でご対面である。先にご紹介した柿の実を食べるテンは、木を伝う途中で柿の実の汁を体のあちこちにつけていた。そのために本来の美しい毛色より少し落ちていた。しかし、今回のテンは汚れがなく真冬の美しい体色そのもの。その色は、やはり、黄金色というよりはインディアンイエロー色に近いのか。

深山、里山を問わず、山を歩けば何かとのうれしい出会いがある。その出会いをもとめて、「あと何年、冬山歩きが出来るかなァ」などと考えながら、帰り道も深い雪を漕いだ。都合、4時間ほどかかった里山歩きでした。

屋根雪を下ろすかどうか迷う時期

いっきに50㌢も降ってくれた6日のドカ雪の後、さらに積雪は少しずつ重なりました。週末、休日は雪の村らしくなり、雪下ろしや雪寄せに動く人々の姿も村内ほうぼうで見られました。

久しぶりに南下した強い寒波のおかげで、家々に吊されていた「凍み大根」も本来の寒気をうけようやく仕上げの段階に入れるようです。あまりの暖気続きで「これで、よく凍みれるのかなァ」と思ったほどでしたから。

わが集落、家々の屋根にも50㌢以上の雪が新たに降り積もったわけで、今冬2度目の本格的雪下ろしに動く人々の姿もみられました。

その一方で、50㌢も積もればいつもなら雪下ろしにかかるのに、そのまま屋根に雪をのせたままの家も案外多くみられます。それは、時期がもう2月も半ば、今後すぐには強力寒波の襲来が予報されず、「もう、それほど多くの雪が重なることはないだろう」と考える方が多いからと思われます。こちらもそういう思案をしている1人で、「この程度の雪なら、かえって屋根に重しとして載せておいた方が、今後襲来の爆弾低気圧による風害対策になるだろう」などとも考えています。

ただし、屋根雪に雨が加われば重さは何倍にもなるので、こんな時に万が一大地震がきたならば困りもの。しかし「ムダな動きはなるべくしたくないし」と、心は微かに揺れたりもしています。風下に溜まったマブ(雪庇)だけは落とすつもりですが。

さて、その判断が的中すればよいのですが、どうでしょう、これから一日で50㌢ほどのドカ雪がまたくるかどうか。判断結果の「運」を試される日々が、もうしばらくは続くことになりそうです。

▼この寒波・大雪のきのう朝、起きてすぐに「水が止まった」と妻の声。年に一度ほどはあることで、湧水源から引いている洗濯などにつかう生活用水が急に断水したらしい。こういう時に限ってトラブルはおきるもの。

何十年もの間の体験からトラブルの原因やその箇所はおおよそ見当がつきます。早速カンジキを履きスコップをもち、備えの各種道具をリュックに詰めて水源方向へ上がりました。

雪原は新雪が積もったばかりで深く、足は、カンジキをつけても膝より上まで雪に沈みます。トラブル箇所も原因も予想したとおりで、1㍍ほどの雪を掘り、すぐに原因の漏水は止まりました。思わぬトラブルのおかげで、今冬では最も難儀なハデコギ(ハデは固まらない新雪。コギは漕ぎの意。ラッセル)をし汗をかき、運動不足でナマっていた体にはほどよい運動になりました。

今冬2度目の冬らしい空

今年に入ってからは、厳しい寒さも大雪もないままひと月が過ぎていたので、50㌢ほど新たに積もったきのうのドカ雪で「ほんとうは、村の冬って、こうだったんだよな」と思わせられたところです。

村らしい大雪降りは、雪下ろしをした12月初めに次いでこれが今冬2度目。雪不足を嘆いていた小正月行事のみなさんは、平野部でも50㌢ほどの新しい積雪をいっきに記録して、まずは一安心というところでしょう。役場庁舎のつららも今冬最大の長さとなり、立春を過ぎて真冬をはじめて感じたような2月です。

雪のことでは、いつもの年より雪と関わる稼働時間が少なくて見込んだ収入より少ない業者さんも県内に多いようです。そういうことも想定して「最低の補償」となる救済対策を各自治体が委託業者に対してとっているところが多いようです。それはわが村も同じです。ただし、村の場合、雪が極端に少なかった今シーズンであってもその「補償」が適用されることはないようです。つまりこれほど異常な雪の少なさの今年でも、豪雪の村では「補償」のラインを越えて稼働がなされているというわけです。

ところで、除雪は朝早くからの仕事です。村の場合は、業者さんに対して、朝の作業開始時間を特別な大雪の日は別にして通常は3時半から始めるよう告げられているようです。3時半開始というのには理由があり、村民の睡眠を大きく妨げる時間帯はなるべく避けることと、朝の車の通行に支障のない時間までに終えるという、除雪に最も効率よい時間帯を考慮してそういう時間設定がされたようです。

朝早い除雪は、直営であれ、委託であれ、携わるご本人にとっても、それをささえるご家族にとっても苦労の多い大変な仕事と思われます。無理のない時間設定で作業ができるよう、常に考慮しての作業委託の発注や路線の編成を村は心がけているようですので、村民のみなさんにそういう実情を私からもお知らせしておきます。

▼きのうは、年に二回開かれている厚生連雄勝中央病院の運営委員会へ。

中央病院スタッフのみなさんの努力が毎回のことながらよく理解できる会議です。

先に、全国の公立・公的病院の再編・統合について病院名をいきなり公表した国に対して、全国から批判の声があがりました。わが議会も「国の基準に基づく一方的な再編・統合は行うべきでない」という旨の意見書を過ぎた12月議会で国に提出しています。

国がとるべき政策は、人口が少ない地域でも必要な医療が安心してうけられる体制です。民間であれ公であれ総合病院はその中核であり、医療スタッフ不足や医師の不足、偏在を解消する制度創設こそが求められます。効率論と市場経済の論理を優先するなら、我々の社会は、どこまでも一極集中にならざるをえないでしょう。

人口減少を一定数に止めようとする地方創生を本気で考えるなら、安心して暮らせるカナメとなる医療の充実、医師の絶対数不足(経済開発協力機構の2016年調査で、人口1000人当たりの医師数がOECD平均3.3人に対し、日本は2.4人。これはOECD35カ国中30位。OECD平均と比べ11万5000人医師の絶対数が少ないとされます)の解消が必要であり、さらに医師を主にした医療スタッフの偏在もなくす制度が必要でしょう。これらについて、世界の医療先進国に学び、日本に適合した制度をつくることに我々はもっと執念をもたなければと痛感します。

野の生きものあれこれ

過ぎた2日の日曜日。県猟友会の「鳥獣管理担い手育成事業」の現地実習と鳥獣の解体や巻き狩りの講習が、村内を会場にして行われました。

講習の参加対象者は狩猟免許を所持してから5年未満の猟友会員。ノウサギ巻き狩りや獣の解体を体験・実習し、巻き狩りの方法などについて室内でも講習を行ったものです。

東成瀬村を会場にした講習では、湯沢雄勝と横手平鹿の猟歴の浅い担い手会員のみなさんが10数人参加。総動員となった村の猟友会員たちとともに大柳地区での二回の巻き狩りやノウサギの解体講習が行われました。

後に行われた室内講習では、村の猟友会が協力し教育委員会がABS秋田放送に委託してつくった巻き狩りなどのDVD視聴もなされました。

この日の巻き狩りではノウサギの猟果はなかったようで、前日に捕獲していたノウサギで解体実習がおこなわれたようです。

▼ところで、日本の野生鳥獣類については、その生息数の推移が全国的な関心をあつめています。よく話題になる特徴的なことは、イノシシ、シカ、サルの生息数増。とくにシカとイノシシについてはこれまで長年棲息が途絶えていた北東北日本海側での確認頭数が増えていることです。秋田では県南の湯沢雄勝と横手平鹿でイノシシの棲息確認が急増。加えて、東北ではクマの棲息増も特徴的です。

それら棲息増の種があるなかで、逆に数を極端に減らしているのはノウサギです。生息数減の主原因が何かはわかりませんが「狩猟者も激減、狩猟者が長年入らない山でもノウサギは増えない。不思議だ?」と言われてからもう30年近くにはなるでしょう。生息数減の原因についての風評や諸論はいろいろ発せられます。しかし、科学的な根拠をもつ説はこちらも聞いたことがありません。こういう分野は研究者も研究体制もおそらく極めて少ないからなのでしょう。

ノウサギの激減は、食物連鎖の環をつくる野の生きものたちに大きな影響を与えているはずです。地上でその影響の大きいのは、ノウサギを主要な獲物としてきたキツネやテン。鳥では、とくに厳冬の環境で長年ノウサギを大切な捕獲物としてきた絶滅危惧種のイヌワシとクマタカは、とりわけ大きな影響をうけているはずです。

▼こんなことを記していたきのうの朝、岩井川集落下の庚申塔付近で、道脇にキツネが横たわっていました。夜に車にはねられたと思われる死体です。たっぷりの栄養をとっていたらしく、骨太で毛並みも体つきも立派な個体でした。我が家にもありますが、むかしなら、テンとともに競って襟巻き用などに重用されたキツネの毛皮。ですが、今は、食が細くなってきたカラスなどの餌食となるだけ。この骸もたちまちのうちに土に還るでしょう。

久しぶりの真っ白な村

前日より20㌢ほど新雪が重なったきのうの村。地面のほとんどが久しぶりに白いクロースにおおわれたようになりました。

午後にはときおりの陽射しもあり、木々にまとわり着いたままの湿り雪の白さがその陽射しに輝き、村には白い世界の美しさがもどってきました。

きのうは所用で村内を巡りましたが、一時の積雪があったものの雪の少なさはやはり異常です。豪雪対策本部が設置されるいつもの年なら、雪に埋もれるほどになる谷地集落の農家のビニルハウスもきのう午後でこんな状態。今朝も雪寄せはしなくてもよいほどです。

今日明日には強力寒波が襲来ということですが、このままの異常な暖冬傾向で春をむかえるなら、例年になく春作業にとりかかれる期間に幅がうまれ、とくに農業では余裕のある仕事の計画がくめるかもしれません。水不足への懸念はいっぱいありますが。