自治体には自然消滅なし

CIMG0296-1CIMG0294-120日、21日は、岩手、山形、秋田の3県町村議会議長会合同の中央研修会が都内で行われました。
研修会の講演はいつものように3本立て。農林水産省大臣官房・統計部長の佐々木康雄氏は「国の農政改革とこれからの農業のあり方」、元総務省自治財政局長・地域創造審議官で一般財団法人・地域活性化センター理事長の椎川忍氏は「地方創生の課題と私の考える地域力想像のポイント」、東京農業大学教授で小樽市役所から内閣府や農水省の企画官を務め全国の地域づくりに影響をあたえている木村俊昭氏は「戦略的地域活性化論~地域を元気にする処方箋~」をテーマに語りました。

3氏の講演テーマから見てとれますように、今回の研修は地域活性化論、第1次産業の大切さにポイントを定めたもの。椎川、木村の両氏は、ほんとうの地方創生とは何かについて実践に裏づけられた主張を展開。現場重視の佐々木氏の姿勢も共感を集めました。

椎川氏は「自立心の再生、住民自治の確立、地域経済の循環構築、若者が力を発揮できる風土づくり」などをかかげ、木村氏は「(1)地域の産業・文化・歴史を徹底的に掘り起こし、研き、地域から世界へ向け発信するキラリと光るまちづくり(2)未来を担う子ども達を地域で愛着心あるよう育むひとづくりと、33年前から考え、北海道はじめ全国の自治体で実現してきた、今、自分たちはどんなまちに住みたいのか、次世代を担う子どもや若者に受け継ぎたいまちとはどんなまちなのか。地域が『部分・個別最適』に陥っていれば、急がず焦らず慌てず近道せずじっくり、けっして諦めず、『広聴』を重視し、『全体最適』思考で構想することが重要」と、それぞれ述べていることをレジュメのほんの一部から抜き出してご紹介しておきます。

お二人の講演で印象を強くした言葉は、椎川氏の「地方創生は自治体消滅の危機ではなく、集落消滅や無居住地区多発の危機。自治体がなくなるのは合併の時」、木村氏の「本当に2040年までに自治体半分が『消滅』するのか?」という示唆でした。村より人口規模の比較的大きい町でも合併すれば自治体は簡単になくなります。全国数多ある人口のごく少ない小さな町や村でも合併しないかぎり自治体はなくならないのです。当たり前のことですが、どんなに地方創生と言葉で強調しても、地方自治、住民自治を大切にした行動がともなわなければ地域の活性化はむずかしいでしょう。活性化策で全国から注目される多くの自治体は町や村、そして合併時に自立を選択したところ。自治意識の強いところ。

一方、地方自治ですから、自治体によって、そのまちやむらが住民にとって住みよいかどうか、将来にわたって事業も財政も安心な運営が保障される自治体構想をきちんともっているかどうか、その構想どおりに事がすすんでいるかどうか、これらで自治の力が今はとくに試されます。当局も、職員も、議会も、ただひとつ全体の奉仕者として一心不乱にその役割を発揮しているか、私も議会の一員としてそれを常に振り返りながら歩みたいと思います。自然とちがい、社会は、人によってどのような方向にも向いてゆくのですから。
▼帰りの新幹線は大曲の花火で満席状態。あの花火は、その人に、生きる力を与えます。

花の百名山・焼石岳のお盆山行(その3)

春のユキワリコザクラ、ヒナザクラ、初夏のハクサンイチゲやミヤマシオガマと、花の百名山・焼石を代表する花園がンバエシティ(姥石平)とその周辺一帯。

DSC_0155-1DSC_0156-1DSC_0157-1DSC_0159-1DSC_0164-1DSC_0174-1DSC_0176-1DSC_0178-1DSC_0181-1DSC_0182-1DSC_0185-1DSC_0187-1DSC_0190-1DSC_0197-1DSC_0204-1DSC_0211-1DSC_0205-1DSC_0212-1DSC_0214-1およそ8合目から頂上までは、雪解けからこの8月まで途切れのない季節ごとの花姿を見せてくれる。むかし、私の祖母(母方)が祖父といっしょに若い頃はじめて焼石に登り、その花景色のすばらしさに感動してだろう「あど、えず、死んでもいい」と語っていたことを伝え聞いたことがある。その言葉は他の人々にもそうとう強い印象をあたえたのだろう。地元の人にとっても、花景色と紅葉の焼石はひとつのあこがれ、楽天だったのである。

花園といえるほどに開花の種類数が多いのは6月、7月、8月とおよそ一月周期でめぐってくる焼石。いまはその盛りがやや過ぎ具合なのだが、やはりこの姥石平をとりまく東成瀬側コース8合目から岩手側コースの横岳、東焼石、権四郎森(南本内岳)一帯は、開花が比較的早かった今年の8月半ばでも、登山者を惹きつける花園の魅力をまだ残している。実は大きいが、おいしさからはほど遠いベニバナイチゴも熟期のようだ。

焼石連峰ではおそらく残雪が一番多い箇所の一つ南本内川カッチ(最上流部)のシゲイシ周辺をふくめ、タチギボウシやイワイチョウ、イワショウブ、キンコウカなど湿地を好む花が今は多い。ミヤマリンドウやエゾオヤマリンドウもここは多いところ。

DSC_0231-1予想していた以上に花景色にひたることができ満足の心持ちで8合目に戻り、タゲの清水に冷やしておいたモモをしゃぶる。歯にしもうほど果肉の芯まで冷たくなっていた。今回はモモだったが、トマトもこうして冷やしておくと、その美味さはたまらない。

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DSC_0233-1清水のそばにサンカヨウの甘い実が熟していたので口にふくむ。並ぶ赤い実はタケシマランだろうか。この日の見納めは、駐車場すぐ近くで目にした花。名はわからなかったが、しらべてみたらジャコウソウという花に似ていた。

DSC_0237-1DSC_0241-1帰り道、食べ頃のきのこツギワゲ(ウスヒラタケ・一月に一度ほどの周期で度々発生するキノコ)が目に入った。味噌汁にしたらこれは極上の味、さっそく手にし、県境近くのブナの森ではフキも少し背にした。行き会わせた若いカップルの登山の方など、ナタを下げフキを背にした私の格好をみたら、山菜採りを業としている山人と思ったかもしれない。

村の人々は、昔から「盆ボギ(フキ)」と呼んで、お盆を前にキタサ(北ノ俣沢)やエシャガ(胆沢川)へとホギ採りで入った。盆ボギは、キタサかエシャガの名がつくホギでないと味に満足できない方が多かったからだろう。

おみやげに汲んできたタゲの清水は、母の手で「ほら、じいちゃん、タゲの水だど」と告げられながら亡父の仏前に供えられ、その残りで妻はコーヒーを煎れ味わっていた。もちろん盆ボギもツギワゲ(月ワゲ)も、季節の分かれ目を知る味としておいしくいただいた。

花の百名山・焼石岳のお盆山行(その2)

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この日の山頂は暑くもなし、寒くもなし。花々と眼下の景色をながめてなら絶好の頂上長居ができるお天気だ。

だが、この日の私には、頂上でゆっくりする予定はなかった。横岳方面に少し足を伸ばしてみようと思ったからである。南の森にはまだ例年の雪渓がみられる。南の森の裾一帯から横岳方面の裾一帯にかけては若い頃によく残雪の春山を歩いた所。

そこには広大なブナ林がひろがり、焼石、南の森、横岳などの南西側山麓の清水は眼下の湿地を経て、私がよく訪れる滝にも流れ込み、胆沢の本流に注ぐ。

DSC_0123-1DSC_0128-1DSC_0134-1DSC_0135-1DSC_0136-1DSC_0140-1ここは雪が多いためか、気流の関係でなのか、8月半ばでも遅咲きのハクサンイチゲが登山道沿いを彩ってくれてうれしいところ。そばの姥石平は6月半ば、花の焼石をもっとも素敵に象徴するハクサンイチゲの大群落で有名。それに連なる南の横岳方面は、東焼石岳方面とならんで花の焼石連峰のなかでもひときわ花の種数の多いところ。足に自信のある方で花をめざす方なら見逃せないコースともいえる。

DSC_0119-1DSC_0121-1DSC_0130-1DSC_0133-1DSC_0141-1DSC_0147-1DSC_0126-1DSC_0125-1ここからは、ハクサンイチゲ、ミヤマリンドウ、タチギボウシなどギボウシの仲間たち、それにシロバナトウウチソウやミヤマアキノキリンソウなども加わる。初夏から秋までの花の種類数が多く、この時期としてはめずらしいほどにもっとも花園らしい景色を堪能できる。

引き返して姥石平の夏油コースへ入り9合目・焼石神社までの途中では、登り下りの登山者が何組もみられる。今日の花の百名山焼石の締め紹介は、隣り合わせて咲いていたウスユキソウの二つのなかま。まさに、花*花*花の山である。

CIMG0284-1▼待ちかねていた水稲の害虫防除作業、薬剤散布をきのうやっと済ませることができた。きのうの予報は主に曇りで、「にわか雨が降るかもしれない」という付け加えもあった。そういうことだったので作業は19日に予定していた。

ところが、朝になって風と陽射しがあり、雲の流れも比較的速い。役場に出てから急きょ心が揺れ予定を変更「よし、今日やるぞ」と妻に宣告したのが10時頃。

こういう急な変更があるらしいことを妻はとっくに承知なのだろう、予想していたように「わかっだ」の返事で俄に段取りをはじめる。「泥縄仕事だな」と小声でつぶやきながら。

「にわか雨」は、作業が終わった直前と、しばらくたってからの二度あったが、薬剤を洗うほどの量ではなかったのでまずは一安心。昨日はそのにわか雨が降るかどうかで「バクチ」みたいな作業決断の選択だったが、お天道様は私どもの賭に微笑んでくれた。百姓は、時に天候判断の賭け心でお天道様を見つめ、穫り入れまでの日々を過ごすのである。

花の百名山・焼石岳のお盆山行(その1)

歩きを開始は朝6時。まだ早いので駐車場には車が1台のみ、ホテルブランの軽自動車と林道の途中ですれ違う。登山客を送っての帰りなのだろう。

歩きはじめてすぐに、その方々の背がみえる。ご挨拶を交わし合ったら、東京から来られたという。ご夫婦らしい。

若い頃、残雪の春や夏の山でブナ材の搬出や架線集材作業に通った岩手・大森沢のブナ林で少し立ち止まってからは、8合目までまずはどんどん進む。

わずかの間も手を浸していられぬほど冷たい8合目の「たげ(岳)のスズ(清水)」でのどをうるおし、冷やして帰りに食べようと、傷まないよう背にしてきたモモをスズの湧き口に沈める。

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DSC_0074-1DSC_0075-1DSC_0077-1焼石沼の小平原では夏の花はやはり終わりを告げ、あるいは終わりに近く、いま目を引くのはヤマハハコやトリカブト、それに背高のっぽのエゾニュウやシシウドの仲間たち。ノウゴウイチゴやエゾノクサイチゴの実が「まだ、残っているかな?」と淡い心で草原を歩いたが、いずこも食べられる実はわずかだけ。

DSC_0067-1沼のほとりで簡単な朝食をとり、いつものように三界山をながめたり、沼に浮かぶ昆虫類を入れ替わり立ち替わり次々と朝の餌にしているイワナを見つめたり。小学生の頃からここで泊まりの山遊びに明け暮れた頃を想いおこしたりで、ここは飽きの来ない私の休み場。

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8合目からの夏の名花タカネナデシコとチシマフウロ、ハクサンシャジンも、なんとか花姿を残している。でも、盛りの美しさからは遠ざかっている。

それらに代わっていきいきしているのがサラシナショウマ、ミヤマアキノキリンソウやウメバチソウなど秋の花たちで、9合目の焼石神社付近からはこれぞ高嶺の名花ミヤマリンドウもちらほらと顔をみせはじめた。

DSC_0092-1DSC_0093-1神社へのご挨拶と諸々の安寧無事をこめたお参りをし、頂上へ到着9時25分。まだ秋田側からのぼった方はこちらを含めて二人。他に岩手側からの方が二人いる。秋田側、岩手側両コースの登山道を見下ろしたら、どちらにも頂上をめざしている方が幾人も見られる。
山に多い団体登山のみなさんは、お盆でお休みかまだ時間が早いのか、長い列はまだない。

南の森を眺めながら食事をとっている一人の女性がいて「この山が好き。ここで食事をとるのが楽しみ」と言われた。おたずねしたら一ノ関の方という。この日は、若き女性一人だけという単独登山者もほかに幾人かみられた。昔ならほとんど見かけない山の新しい光景である。若夫婦か、恋人同士らしい熱々カップル幾組かとも行き交った。こういう時は、男一人だけのこちらの姿というものは、どうも様にならないものである。

戦後70年、終戦記念日の成人式

CIMG0100-115日は成人式へ。案内された新成人は24人で、出席は21人。

戦後70年にあたる日で、しかも集団的自衛権行使をめぐる法案をめぐって国論が法案ノーへの声をますます大きくしているなかでの成人式です。挨拶の内容はほぼ同じでも、例年以上に平和憲法を尊重することへの大切さに力をこめたつもりです。

▼お盆で童たちが遊びに来ている間はあいにくの天気。いつものように川でおつきあいができず残念無念。たんぼも、害虫の防除をしようと計画していましたが、天気の変化が心配だったり、妻がお盆の直売所臨時営業などもありこちらも作業できずに過ごしています。

天気予報の変化が激しく、予想に反して昨日は曇り予報だったのに朝から急に晴れ空。でも妻は直売所なので防除作業はできません。それで、真っ最中の夏の花の山をながめるには少し時期が遅くなりましたが、「秋の花も咲き始めているだろう」と急きょ花の百名山・焼石岳へ向かいました。

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網戸の夜は終わり

CIMG0087-1「盆過ぎれば、あぎがじぇ(秋風)、ふぐ(吹く)」という村は、一年を半分に区切るとすればその節目は6月ではなくやはり8月お盆の時でしょう。

沢風の通るわが家では、網戸での夜は涼しすぎてもうだめ。夜中はぴったりと戸を閉めてちょうどよいほどの気の流れとなりました。

今年の村は、その半分を大きな自然災害もなく過ごしてお盆をむかえました。

たんぼは順調に出穂と受粉を終え、山間の村でも稲穂が少しずつ傾き実入りの様子を見せています。米作りのみなさん、まずは一安心で盆の時を過ごせるというものです。

CIMG0093-1わが家は亡父の新盆の年で、墓地も新しく整えお墓への迎え参りもはじめての年。法事では何から何まではじめてのことでうろうろ。諸事とまどう2代目一家が、まわりのみなさんの教えをうけながら、迎えの盆の日までをなんとか過ごすことができました。

DSCF4634-1▼昨夜は、地元部落恒例の夏祭り。午後には役員のみなさんといっしょの会場準備に出かけました。下り坂の天気がどうなるかと花火の夜が心配されましたが、それはとりこし苦労、雨は花火が終わるまで待ってくれました。部落の身の丈にあったお盆の華が、ドーンドーンと世帯数200をやや上回る小さな集落に咲き響きました。

見事な木版画、これも村が産んだ宝

旧椿川小学校を大改修してオープンした村の「まるごと自然館」。この施設の各種事業内容は村のホームページからのぞけるのでここでは省きますが、ひとつだけご紹介しておきたいことがあります。

それは、館内に常設展示されている創作木版画の数々の作品です。作者は高橋功氏。

CIMG9918-1CIMG9919-1CIMG9917-1CIMG9912-1高橋氏は地元椿台のお生まれ(1940年)で現在は湯沢市住。横堀小学校校長を最後に教壇を退職された方。教職に就かれてから後に創作された木版画のうちの一部が、氏が小中学と学んだ母校でもある館内に展示されているのです。

CIMG9910-1CIMG9909-1木版画にこめる氏の思いの断片とでもいえるのでしょうか、作品のいくつかを載せた「高橋功 創作木版画集 普及版(平成16年12月30日発行)」に、氏の言葉が寄せられているのでお借り撮りして載せました。

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「創作」の言葉をあえて用いた心に響く木版画大作の数々。「足もとでこれほどすばらしい作品を無料でみられるなんて」と、どなたかがおっしゃっていましたが、なるほどです。みなさん、お盆には、是非まるごと自然館をおとずれてみて下さい。

お盆は豊かな稲穂のなかでむかえられる

もう30年以上も前になるでしょうか、わが家では、キキョウやオミナエシの栽培をはじめたり、転作としてリンドウの栽培をはじめたり、セリの栽培をはじめたりと、規模は小さいながらいろんなことに精を出してとりくみました。その担い手はすべて妻でした。

それらの名残が家のまわりやたんぼにまだあり、土手や畑にはその時に植えられた兄弟株や子孫のオミナエシやキキョウが咲き、たんぼには、毎年わずかに苗が引き継がれたセリが育ちます。

そのセリを育てる「セリ田」の準備に、やや遅くなりましたがきのうやっととりかかりました。今年は、畑に植え付けていた苗が、旱天の影響でしょう管理の手抜きでほぼ全滅、かろうじて水辺に残っていたセリを苗に使うしかないようです。もう今から「今年は食用はムリ。来年の苗用をつくるしかない」とあきらめています。こんなこともはじめて。

CIMG0054-1CIMG0051-1▼山間部のわがたんぼも稲穂がようやく出そろい、あるいは傾きはじめました。

10日の農業委員会総会で各作物の出来具合が語られました。お天気との関係では「コメは豊作の予想」「リンドウは最需要期のお盆前におおかたの花の盛期が過ぎ打撃」「葉たばこは葉に厚みがあり大豊作」などが各委員から語られました。旱天は、水稲と葉たばこには効があったようです。

CIMG0048-1たんぼの土手には熟期が終わりに近づいたバライチゴがまだ見られます。赤よりもさらに熟れて紅色となった時の実は、野イチゴ特有の甘酸っぱさが濃くなり、むかしの子どもたちは、夏休み、この時期の実をめざし我先にと川岸・堤防の群生地にむかいました。

世界最大級の磨製石斧出土の村

CIMG9964-1CIMG9966-1CIMG9974-1CIMG9971-1CIMG9979-1先日、議会全体としてははじめて足を運んだ村の縄文遺跡発掘調査中の菅生田掵(すごうだはば)。ここは滝ノ沢菅生田地区の広い台地にひろがる遺跡群で、生活につかわれた土器などの道具はもちろん縄文時代のむら跡が次々と掘り出されています。

一帯は、現在発掘されている菅生田掵につらなる上掵(うわはば)地区もふくめ「前述の磨製石斧(国の重要文化財)にとどまらず東北あるいは全国までふくめ、極めて貴重な遺跡が出る可能性がある」と期待されている遺跡です。

出土する遺跡の類が、奥羽山脈をはさんだ岩手側に共通するものが見られるのも特徴のようで、それらもふくめ、ある考古学関係者は「なんとも魅力あふれる遺跡」という位置づけをしているようです。

平安の人々、平泉、清衡らが通い、義経も兄に追われての逃避行に平泉をめざした可能性の大きい仙北道(手倉越)がわが村と奥州市、平泉を結びます。出羽のくにから衣川に最短で通ずる古の仙北道よりはるか前に、胆沢地方などの人々との往来もあったことを想像させる遺跡群は、私のロマンをかきたてます。

村独自の調査が今後も進めば、もしかしたら世界遺産級にならぶ縄文遺跡群が広大な範囲で発掘されるかもしれません。「それこそ村にあるもの、長い眠りについていたものの価値があらためて世間に見直される」とびっきり大きな宝が、また村の誇りとなって加わるときがくるかもしれません。そんなに遠くないうちに。

▼学校給食センターと食肉加工センター(2施設で請負契約額は5億3,838万円)の二つを同時に建設する工事が着工の運びとなり、きのう施工者の伊藤建設工業により安全祈願祭が執り行われました。

▼昨日午後、所用で横手市内にむかっての帰り、十文字まできたら、笠をさしても濡れるほどの猛烈な雷雨。「これは、久しぶりの恵みの雨」とよろこびながら村に向かいましたが、雨の増田を過ぎ、滝ノ沢まで来たら雨雲はなしで道路も乾ききったまま。

CIMG9985-1それでも夕方になったら村にも待望の夕立がやってきました。わずか一時の通り雨でしたから、村の南部、成瀬川本流の水かさは増えませんでしたが、雷雲の通り道に少しかかった村の北部、合居川はほんのちょっぴり流量が増していました。畑作物にとってはまことにありがたい雨でした。

わが集落の「たんぼ水不足」はどうやら解消できそうです。解消できそうな最大の要因は、用水路から引かれながらも使われずにそのまま川に排水されている水がかなりあったという原因特定ができたことにあるようです。何事も「まずは、原因をすばやくつかむ」そしてすばやい対策です。解消策に尽力されたみなさん、ご難儀をおかけました。

新安保法制への反対デモ層は60年安保とちがう

7日は全県の町村議員研修会(講演会)へ。

中央大学名誉教授・今村都南雄氏が「地方創生に向けた町村議会の対応」、日本記者クラブ企画委員で政治ジャーナリストの泉宏氏が「新安保法制、70年談話…正念場迎えた1強安倍政権」と題して講演しました。

CIMG0040-1泉氏が新安保法制をめぐる動向に触れ、「国会と国民の乖離」について述べられたこと、永田町周辺にみられるデモなどに参加する人々の層が、60年安保当時は「組織の人」が主流だったようだが、今回は若者、女性など60年安保とはちがう層の参加が特徴のこと、昨今のメディア(報道の編集)の動向には一部に「忸怩たる思いがある」などの旨が語られました。私は、メディアをめぐるうごきを語った氏のジャーナリスト魂に、ある種の共感を覚えました。

戦後「談話」をめぐるうごきについて、今朝も報道がありました。結局は内外の世論に抗しての自分勝手な「国益主張」などは成り立たないことを、政治の現実は知らせてくれます。政治の主人公は国会ではなく、国民です。政権が世論に極めて敏感となっていることを、新安保法制をめぐるうごき、広島、長崎の原爆の日平和記念式典あいさつなど、この間の一連の報道から察することができます。政権の座にある人々の心のうごきを。

▼8日は法事。お盆を前に新しいお墓が出来上がり、約9ヶ月近く自宅に安置していた亡父の納骨をようやく済ませることができました。

CIMG0055-19日は早朝5時から部落の「盆道普請」で国道や村道沿いなどの草刈りへ。むかしからのならわしで8月7日の村はお墓の掃除日でした。お先祖様や帰省客をむかえるお盆前の村は、これでお墓も道路もすっきり、みなさんをお迎えする支度はみなととのいました。

CIMG0057-1CIMG0059-1CIMG0072-1CIMG0074-1CIMG0080-1▼依然として続く雨無し天気で川の流量はさらに細くなりました。部落の草刈り作業を終え朝食を済ませた後の炎天下、住み家のまわりの草も刈ったら体は汗びっしょり。

久しぶりに童もこちらもいっしょになれる時間がその後にあり、早速水の極端に細くなった成瀬川の渕へ二人でザブン。

体が少々寒くなるほど存分に水浴びの時を過ごし、カジカと戯れ、水の児へとかえったおかげで、ジトっと湿った汗の体はスッカスカになりました。時々群れで迫るツナギ・トシベ(小型の刺しアブの一種)に所々刺されながらです。

天気がこのままだと、帰省のみなさんも、川辺での楽しいひとときを過ごせるお盆の年となるでしょう。畑、たんぼと、農家は水枯れ、水のやりくりで大苦労のなかですが。