半世紀前をしのぶ沢の雪道

CIMG2186-1CIMG2191-1CIMG2193-1CIMG2195-1CIMG2197-1金曜日の午後、自宅裏の林道を3時間ほど雪こぎ運動しました。この日は、薄く積もった雪が宝石のように輝く久しぶりの美しい雪原具合。

集落の地名となる岩井の名がつく沢沿いにある道は、いまは立派な林道です。が、むかしはいずこも同じように田畑のある沢途中まではやや広いリヤカー道で、さらに奧は人がやっと歩けるだけの山道でした。

沢には、今では樹齢100年を越しているでしょうか、集落の民有林ではもっとも大きな杉の林があります。これは平野部の町の地主さんが所有していた林で、この沢には、村の各集落にもあるように同じ旧町の地主さんといわれた方々の林がほかにもあります。集落の民有林が、なぜほかの町の方々の所有形態になったのかそのくわしいことはわかりませんが、こういうすばらしい林を手から放したのですから、元の持ち主には何か特別の事情があったのでしょう。

林道はこれらの林沿いに沢の8割ほど奧まで入ります。そこは、私らが50年ほど前に人力のそりで杉の丸太を引いた道。主にその作業は春のこれからの時期でした。荒れた農地や道筋が厚い雪に覆われてしまえば、今も半世紀前も沢の景色はほぼ同じです。

その雪道を、額に汗の塩を浮かばせ、下りでは積み荷ごとソリにのみ込まれないように注意し、やや上りでは体をありったけ斜めにして、少しずつ少しずつグッグッと荷の重みで雪が鳴る音を耳にしながらソリを引いた若い頃を思いだします。その時、当方といっしょにソリ引きに働いた集落のアバ方(ご婦人たち)の幾人かはもうこの世におりません。

この日は高見への上がりはしないで入道方面をのぞむ菅ノ又境の尾根で足を止めました。

ここからは、焼石連峰の南の森がのぞめ、それから北への9合目焼石神社界隈、権四郎森、三界山が合居川渓谷の奧に真っ正面でのぞめました。

DSC_0001-1▼めずらしく、若いオスらしいヤマドリを遠くで目にしました。警戒心のとくべつ強いヤマドリ。こちらがむこうさんを見つけたということは、むこうさんはとっくにこちらを見つけて警戒態勢入りしたということ。カメラを動かそうとしたら、飛び立ちの体制にすぐ入り、
あっという間に林の間に消えました。いつみても、ヤマドリはほんとに早い。

かつて、狩猟では数多むきあったヤマドリ。真冬に、成鳥のオスヤマドリを雪をバックにカメラでとらえるのは、猟よりはるかにむずかしいです。

いいものです、人もいろいろ、芸もいろいろ

CIMG2219-1CIMG2222-1CIMG2226-1いっぱいの村の方言をおりこんだ寸劇を楽しめる「さあ・シャベローゼ大会」と、歌と踊りなどを趣味とする方々の発表会「芸術文化祭」がきのうゆるるんで開かれました。

土、日曜日と、連日の雨降りで積雪もぐっと締まって解け下がり、ひと月後の季節を感じさせるようなお天気。おかげで、寒さなどそんなに気にせず発表会場のゆるるんにでかけました。

会場には、和紙、つる細工、編みこだし(こだす)、陶芸品、写真、ごてんまり、書などの作品がならび、茶道同好会の野点も。それぞれ自分の「好き」で打ち込んでいる歌や踊り、創作があるだけでも満足でしょうが、なおかつそれを発表して人々の注目、感動、よろこびをよぶ。人もいろいろならば、芸にむける目もいろいろ。人間ってすばらしいなあと、芸に触れる度に思います。

塩蔵山菜やキノコは冬のうちに

「漬け物は雪のある寒いうちに食べる」が、いわば常識。春になればまた新鮮な山菜が出て、野にも畑にも食の材料がいっぱいになるし、なによりも暖かくなって漬け物がスカグ(すっぱく)なるから。

そういうことで、「早ぐ、くぁねば(食わなければ)」と、わが家の塩蔵食べ物がこのところ次から次へと顔を変え食卓にのぼっています。

CIMG2165-1CIMG2166-1今回はワラビとサグ(エゾニュウなど)、そして私がキノコでは最もおいしい横綱格のひとつとしてあげるクリカラモダシ(クリフウセンタケ)がいよいよ登場です。昨年はこのきのこが大のつく豊作でしたから。(秋の写真)

ワラビは納豆汁へ、サグとキノコはおでん風デゴ(だいこん)汁 や味噌汁でたくわえていた春と秋の野の味を楽しみます。キノコと同じで山菜も土地によって好みに大きなちがいがあるようで、サグやクリカラモダシもその典型にあげられる山菜とキノコ。

わが村でのサグは山菜中の山菜として食卓にのぼりますが、同じ雪国、東北でもほとんど食べないところもあります。逆にクリカラモダシは、村では毒キノコとの区別がわずらわしいか、ややこしくてでしょう、食べる方はごくごく稀、ほんの少数。

CIMG0011-1CIMG0012-1CIMG0013-1特徴のあるキノコなので採取の経験が豊かだと毒キノコとの見分けはすぐにつきますが、やはり、クリカラモダシは成長するとだんだん似たような猛毒キノコとの区別がむずかしくなるようです。だから村でも、こんなにおいしいキノコなのに警戒、敬遠されつづけている様子。実際、それが正解でしょう。わからないものは食べないがキノコ食の鉄則です。

一定の授業料(微少量の試食を繰り返すなど)を払わないと、おいしい果実にはなかなかたどりつけない、手にできない、この教えはキノコの美食を得るにも同じ事がいえるようで、現場を数踏まないと安心した判断はできないものです。

いつもご紹介していますが、クリカラモダシという村の方言名は、わが家の隣の亡きTおばあさん(山菜、キノコ採りが生業の方)からお聞きしたもの。村のその道のプロたちは、やはり知っていたのです。いかにも毒々しいタマゴタケをタマゴモダシと呼んでおいしく食べたように。東北の縄文遺跡からはキノコ食をうかがう跡もあるらしいですが、こういう教えは縄文の時代、あるいはそれ以前からこの村に棲む人類が知っていて、今に伝わっているのでしょうか。クマも時にキノコを食べます。この雪国人類が、「これは食べられる、これは毒」と区別してのキノコ食はいつの頃からはじまったのか、クリカラモダシやタマゴモダシをみればそんな悠久の昔にまで思いがついおよびます。先人は勇気があった。

CIMG2182-1CIMG2168-1CIMG2177-1▼優に2㍍越え、これが今冬のほぼ最大積雪深と思いたいわがたんぼのヤマユリが咲く土手。ここには川筋からまともに西の風が吹きつけるため、おもしろい雪庇が毎年できます。

積雪およそ2㍍に吹雪空

朝の除雪作業に出なくていい日が続き、「今年は、これで、雪下ろしは、やらなくていいかも」そう思っていての今朝、やはり2月のフギ(吹雪)が今年もやってきて、重い雪を久しぶりに除雪です。

CIMG2158-1CIMG2162-1きのうまでは、雪消しエド(井戸・池)に盛り上がっていた雪もとっくに消え、軒下も、いつもの2月なら考えられないほどに雪がなく地肌がみえるほど。家のまわりも地温がそんなに低くないからでしょうか、地際の隙間がどんどん広がっていました。

CIMG2160-1CIMG2163-1屋根から下ろした雪が2階の窓近くまで高くなっていますが、この高さも例年よりはるかに低しです。積雪およそ2㍍というわが集落(観測点よりわが家は多い)で、雪下ろしも3~4回は大方やっているでしょうが、それでも「今年の冬は、楽だぁ」がこれまでの実感です。

この調子なら、真人へぐりのまんさくの花も3月に入らぬうちに咲くかも、と私の素人長期予測はもう「今年は、春早し」を早合点していますが、今朝のフギでそののぞみは少ししぼみました。

排雪作業が始まりました

人によって感じ方にちがいがあるでしょうが、私は、雪景色やそこにすむ生きものたちがならして一番美しいのはやはり寒中であり、すこしその期間をひろげても2月の半ば頃までだろうと思っています。

雪はいっぱいあっても、立春を過ぎ、小正月行事がやってくる頃になれば春の風が少しずつ多くなります。昔から「かまくら・犬っこまつりまで我慢だ」と、雪との格闘でも2月半ばを大きな節目として、私たちは文字どおり雪に耐えてきました。

山の生きものたちも、真冬の毛皮の色はいかにも暖かそうな色をしていますが、ノウサギも、キツネも、テンも、カモシカも、真冬から離れるごとにだんだんと毛皮の光沢が冴えなくなります。

CIMG2156-1まもなく2月半ば。今冬はじめて排雪作業によって大型ダンプで運ばれた雪がわが家前河川敷に捨てられています。きのうは、立春こそ過ぎたものの、今冬トップクラスのすばらしい雪景色の村でした。雪との大格闘はこれで終わりかな、たいしたことないかな、とも思いたくなるような穏やかな一日でしたが、吹雪の予報が出ました。まだまだわかりませんね。

長びく風邪

風邪気味のうちで済むかと思っていたら、週末からだんだん本物になり、まだ調子がおかしい。

湿り雪が降った後でハデ(雪原)が締まっていてそんなに足が沈まないだろうから、休日には運動と写真目的で山への遠出を計画していたが、それは残念無念に。

「プラス思考でとらえれば、『この休日は外に動くな、何か運の良くないことがあるぞ』というお告げでウィルスが体にとりついたのかもしれないなぁ」などと妻と語り合ったりした。つまりこれも何かひとつの運だと。

外に出ないから本を読めばいいのだが頭がガンガンで読みがあまり進まない。痰が出てのどは痛しだが、熱もそれほど高くなく食欲もいつもの9割ほどはある。

CIMG0085-1CIMG2150-1CIMG2151-1それで、めずらしいものを食べようと「ナスの紋漬け」とタラノメ、コサバラ(コシアブラ)のテンプラをいただいた。

紋漬けは、母が秋に一年間食べる分を漬けていたもので、ナスの上に菊、南蛮(トウガラシ)を載せご飯とともに漬け込む村の伝統食品。おいしいあきたこまちなら、このナス一かけで一杯のごはんが優に食べられるほどに味が染みこんでいるおかずの最良品。ほのかな菊の香りと南蛮のピリ辛さもいい。

とそういうことで、めずらしいおかずをごちそうにはなったが、齢を重ねるにつれて、じりじりと長びく傾向の風邪にまだ克てないでいる。

補正予算案を審議可決

本会議の様子(議会事務局提供)
本会議の様子(議会事務局提供)

第2回の村議会2月臨時会議が予定通りきのう開催された。風邪気味なので開会宣告の声に張りがない。

議案は一般会計補正予算案。主なものは、年金生活者などを支援するという名目で給付される国の補助金11,754千円(給付対象者360人、1人当たり3万円)や公共施設の除排雪費6,200千円、冬期交通対策費12,100千円、成瀬ダム事務所建設提供用地購入費9,292千円(11筆7188㎡、対象者3人)など。

雪関係の経費は、すでに大字単位で積雪2㍍を越した地区が岩井川、椿川と2つあり、まだ2月始めなので今後の降雪量増加に備えてのもの。今年は新潟、長野方面の特別豪雪地帯の積雪が不思議なほど少ないので、1自治体の5割を越える世帯が積雪2㍍のなかで暮らしているのは、もしかしたら国内でわが村だけかもしれない。ということは、世界でもわれわれは一番雪深のなかで今冬を過ごしている民族ということになるのかも。

まだ豪雪への警戒部や本部などが設置される積雪基準にはなっていないが、雪をめぐって対応や現場視察の必要な箇所がいくつか議員から出され、議会は今月17日午後に雪状況の村内視察を予定した。

通年議会なので、臨機応変に常任委員会活動がいつでもサッと行える。加えて大災害時などには災害対策特別委員会も常設されているから、われわれは機敏な対応がいつでもとれるようになっている。

CIMG2147-1▼議会を終えて、農機具格納庫のノギ(軒)に連なっている雪除けをした。今冬2度目の作業で、積雪2㍍になると滑った屋根雪が軒につかえこういうしごとも加わってくる。楽をしようとつかえてたわんだ雪を下側から少しつついたら、自重でドーッといっきに屋根の雪が滑り落ちた。屋根に積もっている雪が少ない時はこういうジョサネブシ(安易・雑な手法)でもいいが、多いときは禁じ手だから、みなさんご注意を。

65歳になる3月を前に年金の通知がきて、きのう返信を投函。まだ仕事ではどれも現役第一線だが、社会では「高齢者」とくくられる年齢にいよいよ達したことをあらためて悟った。そういうこともあって、屋根の雪が滑り落ちてきたとき、「今は、よげれるが、もっと齢、えったら、よげれだべが(避けられるだろうか)」などと本気、冗談半々の言葉を交わしながら妻と二人の作業を終えた。

ビックニュース・村の大型磨製石斧の素材は北海道産

村に関係する記事が新聞のトップに、しかもこんなに多くの段で載るというのはめずらしいこと、「上掵遺跡(東成瀬村)出土4点 石斧素材は北海道産」の文字が見出しに踊った今朝の秋田魁新報を何度も読み返した。

CIMG9964-1CIMG0688-1CIMG0689-1CIMG0687-1CIMG0686-1CIMG0685-1CIMG0681-1上掵(うわはば)遺跡は、現在も村の教育委員会の主要事業として遺跡発掘がすすめられ、年を追う毎に貴重な発見が続いている。国内最大級の縄文集落跡・三内丸山遺跡や国内に数ある遺跡群ではなく、なぜ東成瀬の上掵台地で国内最大級とされる磨製石斧が出土したのかは、研究者ではない一般人のわたしたちにとっても大きな不思議だった。遺跡発掘がすすめば、その方面からも「なぜ?」の解明につながる発見があるかもしれない。

この大型磨製石斧は、それがこの界隈に産する緑色凝灰岩でつくられたと言われつづけてきただけに、「北海道産」の石でつくられたという記事には、縄文歴史と上掵遺跡への新たなロマンをかきたてられる。ある方が私に「あの石斧は国宝級だよ」と言ったが、それはともかくとして、すごい遺跡が村にはあったもの。

写真は、昨年の上掵遺跡の発掘現場、これまで発掘された遺跡の一部と大型磨製石斧のレプリカが展示されていた村のまるごと自然館を昨年訪れた際のもの。

▼今日の村議会臨時会議を前に、運営委員会と全員協議会が昨日ひらかれた。

冬期交通対策費や臨時福祉給付金などで11,754千円の増額補正となり、27年度一般会計の予算総額は4,258,456千円となる予算案が説明された。

繰越明許費として事業がすすめられている椿川ウル井地区畜舎棟の山側に工事中の雪崩れ防護壁工事とさく井工事の状況説明や、新たな雪崩防止対策に関連する県への要望箇所や用地取得などについても説明があった。

雪国に水のありがたさ

先月、九州、四国、中国地方を異例の寒波が襲い、水道管破裂による断水がひん発。「水のありがたさをつくづく感じた」との声がニュースで流れました。

水の豊かな村にくらす我々も、岩手宮城内陸地震の際に地盤の揺れが水脈に影響をあたえ、水は出るが水源が濁るという日々が続きました。村の場合は、水源がそばに豊富にあるのですばやい補給ができましたが、あれが冬期だったらもっと困難を極めたかもしれません。

水をとりあげたのは、飲料水と同じように雪国のくらしにとって今では「欠かせない」流雪、消雪用の水の便の大切さを日々感ずるからです。

CIMG2007-1CIMG2008-1CIMG2009-1CIMG2010-1わが集落の遠藤堰、入道堰(土倉堰)、川通野堰は、夏は農業・生活用水、冬は集落の多くの家庭の流・消雪用水路として要の役割を果たしつづけています。

水路から分かれた水は、流雪溝へ、エド(池)へ、道路上へと引かれ、この水がなければ冬期のくらしが成り立たないほどになっています。今年はおだやかな冬のためか、「水でこまった」という声がいつもの年よりは少ないようです。わが集落では積雪2㍍にもかかわらずです。

CIMG2144-1CIMG2145-1真冬日もあり気温が低いからでしょう、わが家の雪消しエドをながめれば、4度目の屋根から下ろした密度の大きい重い雪が解けきれず盛り上がったままです。

今冬はじめて裏山へ

CIMG2135-1立春を前に、きのう4度目の雪下ろしで住家に上がりました。重い雪だったので、終わったら自分の背中の荷を下ろしたような気分に。これで今シーズンの作業終わりとしたいのですが、思惑どおりになるでしょうか。

▼土曜日、裏山にあがった時の雪景色です。

CIMG2013-1CIMG2019-1CIMG2018-1CIMG2021-1CIMG2033-1いつもの大ブナの根元で休憩をとり、山内・三又集落をのぞむ境の尾根へ。尾根で岩手山などをながめられればと思いましたが、厚い雲でムリ。村側は成瀬川筋やスキー場がかろうじて目にはいり、眼下数百㍍先の尾根にはカモシカが食事でもしているのでしょう、ゆっくりとした動きが肉眼で確認できました。体はあちこちガタガタですが、遠望や生きものに注ぐ眼力はまだ健在のようです。

一昨年あたりからここらを広く棲息範囲にしているそのクマタカでしょう、私を見つけて遠くの樹上から飛び立ち、林の間を悠然と旋回して視界から消えました。カメラをむける余裕などまったくなしですが、いつか、ノウサギなどをとらえている瞬間に出会える時があるかもしれません。

境の尾根には、きっとクマの大好きな木なのでしょう、いろんなクマが何年にもわたって上る大きなブナがあります。ブナの実が大豊作だった昨年でしたからこの幹には新しい爪跡がいっぱい。実を食べようと枝を大量に折ったクマ棚も随所でみられます。

CIMG2034-1CIMG2041-1たんぼのあるところまで下りて来たら青空がいっきに広がりました。ここ八卦沢もかつては沢奧深くまでたんぼが耕されていたのですが、今この沢でお米や野菜づくりで本格的に土とむきあっているのは元猟友会先輩のKさんのお家だけ。

80歳になるKさんは、猟や山の仕事で足腰を鍛えた方だけにカンジキ歩きもまだまだ軽快。たんぼそばにある小屋の雪下ろしで、一冬に何度も写真のように雪をこぎ通います。