保育園の入園式

6日は保育園の入園式へ。昨年の途中で入園している子どもさんも新入園児、0歳児や1歳児のみなさんも多く、いつものように思わず笑いに包まれるような子どもたちの自由奔放なうごきもあり、いかにも保育園らしい愉快な式運びのひとときとなりました。

これで、新しい方々をお迎えする年度初めの村のすべての式典が終わりました。

この日の午後、所用で村内をまわる途中に目にしたチャワンバナコ(キクザキイチゲの仲間)は、小雨の中ですから花びらを閉じてみんな下向きに。同じ花なのに、開いている時よりも可憐に見えるのは、いかにもうちひしがれているような姿だからでしょうか。

 

初々しさいっぱい

小学校16名、中学校第74期生19名の入学式が午前と午後に分かれてきのう行われました。

どちらでも、国歌と校歌に続いて「ふるさとの歌~悠久の風にのせて~ 」の合唱が会場に響きわたり、入学、進級、転入、年度初めと、どれもこれも初々しさにあふれた様子を前にして式典の時を過ごしました。

新入生も、それをむかえる側も、この日は自分の過去と今とを軸にしながらほかを見て、人というものの成長の階段を強く意識する時でしょう。「自分もああいうふうになるんだ。自分もああいう時があったのだ」と。

小学校の新入生は保育園を卒園したばかり、中学校も小学校を卒業したばかりで、あれからわずかの時しか経っていませんが、卒園、卒業のときよりも、一人一人またひとつ成長した姿になってこちらの目には映りました。環境が変われば子供たちも変わるものですね。

 

 

 

 

 

中学校は例年のように在校生全員による吹奏楽演奏での新入生入場です。これも、村ならではの規模だからできること。学校でも、社会でも、おかれた条件は地域によってみんなちがいます。その条件を前向きにとらえて活かせるかどうかで私たちの進歩の度合いが決まるといってもよいでしょう。その点で村の学校教育は、吹奏楽の全員演奏もふくめ、おかれた環境・条件を活かす創意に満ちていると思います。

新入生、在校生、転入の先生、在職の先生、これでみんな新たなスタートをきりました。初心忘れず、お互い、楽しく、ご活躍を期待いたします。

▼きのうは陽射しがあったものの寒い一日でした。いくら晴天でも気温が高くないと、すでに咲いていたフクジュソウもチャワンバナコ(キクザキイチゲの仲間)もこの日は花びらを一日中閉じたままでした。お日様がみえていても、こういう寒い日には虫が飛んでこないということを、花たちはちゃんと知っているのですね。

 

新たな出会いの始まり

昨日は小中学校の始業式があり、それを終えた午後、転入された小中教職員のみなさんとの合同挨拶会が役場庁舎で行われました。

議会事務局提供

3月は別れの季節でしたが、一転して4月は多くの方々との新たな出会いの日々がはじまるとき。挨拶会では、昨年と同じように、まもなく130年の歴史を刻む村の誇りとして、ここは自立(自治)の意識の強い村であること、その土台は人づくりであり、教育であること。その歴史を、村の節目節目の様々な記録文献をお読みになって知っていただきたい旨を込め、歓迎の一言といたしました。

きのうは、その挨拶会の後に、定期異動にともない新たに赴任されました成瀬ダム工事事務所長さんと副所長さんが総務課長とともにお見えになり、ごあいさつを申し上げました。工事事務所様には、県南3ヵ町村議会の研修会で今年お世話になる計画でいて、こちらが先にお願いにあがる予定でおりましたが、こういう次第で順序が逆になってしまいました。

新たな出会いが昨日は二つ。草木も萌えはじめの春ですが、人々のくらしにも「さあ、やるぞ」の意欲に満ちた新鮮な出会い、ほどよい緊張がそちこちに漂う4月です。

渓流釣り解禁

1日から渓流釣りが解禁。村でも、成瀬川の各支流などで雪の上に太公望の姿をみかけるようになりました。

前々から「釣りをしたい」と声をかけられていた春休みの童と連れだち、こちらも、家そばの小川で童に釣り糸を垂れさせました。長年の漁協会員であるのに竿を手にしたのは久しぶりのこと。子供の頃からこちらの魚捕りは、網を使うか、手でつかまえるか、ヤスで突くかのやり方が多く、釣りは手馴れずあまり童への教えにはならずです。

家近くの成瀬川本流や支流の沢なら、ヤマメとイワナ、それにウグイとアブラハヤたちが今の時期確実に棲み潜んでいる渕がどこかということはわかっていますが、この日竿がしなったのは、淵に沈む流木の小枝に針がひっかかった時だけ。

こちらのような腕のにぶい釣り人を喜ばせてくれるような釣果があるのは、もうちょっとだけ後の頃かもしれません。

先日、成瀬ダムの転流にともない捕獲されたイワナや大カジカたちのごく一部を目にしました。あのわずかの区間でもあれだけ豊富に魚が棲んでいた様子を拝見し、昔も今も、成瀬川とその大小の支流は渓流魚たちの宝庫であることを改めて知らされ、また想像もしました。

3月に開かれた成瀬川漁協の総会資料には、きわめて評判の高い成瀬川の鮎とともに、大ヤマメ(30㌢以上)も太公望たちから高い評価のあることが記されています。要のイワナもふくめ、その道の達人たちがこのように「モノがちがう」というほどに味とかたちのよい渓流魚の宝庫のわが村です。

国道の冬季閉鎖が岩手側まで完全解除される5月半ばの村からは、岩手奥州市胆沢川上流やその支流の前川、小出川、尿前川にも通えます。少し遠回りで西和賀町の南本内川にもむかえます。全国のみなさん、ぜひ、春、夏、秋の村へお越しください。

大日向山へ(その2)

鞍部からの斜面は、少々きつい雪上歩きなのでジクザグのひじを折って上をめざします。

頂上近くまで上がってから、南郷岳や三又集落がよく望める場所をめざし、武道落ち合いの金山沢カッチと、三又落ち合いの桑の沢カッチの境の尾根までまた北へ下がりました。

滝ノ沢から三又に通ずる越え道がむかしあったといいます(秋に滝ノ沢山の最奥部で、古い山道を目にしています)。それは大日向山の頂上から東に尾根を下ったところにある一番低い鞍部から三又桑の沢へ越え、その出口は、今の三又製材のある所だったのでしょう。そんなことを思いおこしながら、桑の沢と三又集落をながめました。わたしが集材架線技士のしごとをしていた当時の桑の沢には、こんな立派な林道はなかったと思うのですが、いつ頃できたのでしょう、金山沢方面にのびるまことに立派な林道筋も目にはいります。

ここではじめて和賀岳や八幡平方面をながめますが、期待していた岩手山は鳥海山よりもなお霞んでいて、やっと輪郭がわかるだけです。雪の中でネズモヂの緑がいきいきです。

 

このカッチ(沢筋の最上流部)境の尾根が最も雪深く、吹きだまりの雪は5㍍以上はあるでしょう。その上を渡って登り、めざしてきた大日向山の頂上到着は10時30分。

役場のある田子内の一部と下田集落がここからは目に入ります。その背後には、高松岳や虎毛山、神室山などでしょう湯沢雄勝の山々の白さが見えますし、さらに遠くには鳥海山のはるか南にこちらも霞んでいますがかろうじて「あれは、月山だろう」と確認できます。焼石連峰は近いのでくっきりです。「ここの頂に来ることは、もうないかも」と、ゆっくり展望を楽しみ、帰りは往きのコースとは別に平良境の不動沢本流筋を下山です。


 

 

 

尾根を歩いても、斜面を歩いても、ブナの森を歩いても、この日クマの足跡はひとつもなし。期待していた冬眠穴のそばにも少々警戒しながら立ち寄ってみましたが、出遊び(冬眠を終えたクマが、しばらく穴のそばから離れず日向ぼっこや運動をしている様子。これをマタギは出遊びという)の土をつけた足跡もありません。ここの冬眠穴は最上級ですから、きっとまだ穴の中でクマ公は休んでいるのでしょう。

早春の名花チヂザグラ(土桜・イワウチワ)はほとんどが蕾ですが、日向の一部で咲き始めが3~4株見られました。帰りの林道沿いにあるウドザグ(ハナウドの仲間)も、やっと芽をだしたばかりですから、やはり豪雪の村のクマの冬眠明けはもう少し先のようです。


 

 

 

 

 

 

 

帰りに歩いた不動沢はヒラ(底雪崩)の多発地帯です。昭和42年(1967)のちょうど3月31日、この日に、私の定時制高校時代の女性の同級生を含む3人の方が雪崩で命を奪われています。沢は今も雪崩の真っ最中。警戒しながら所々で沢を越え遠回りしたりして、車到着は11時50分。不正確ですが、約2万歩ほどの歩きでした。帰りに田子内大橋で車を止め、あとは登ることがないかもしれない大日向山頂を眺め返しました。

大日向山へ(その1)

30日の夕、ほぼ満ちた月が県境サンサゲェ(三界山)の南にのぼりました。

澄んだその空を見て、なおかつ予報は翌日も晴れそうでしたので、「明日は、久しぶりに大日向山にのぼる」と決めました。クマとの出会いが一番の目的ですから、もう一週間ほど経てばそのチャンスは高くなるのですが、日向の雪解けが早いので「もしかしたら、越冬穴の入り口あたりで日向ぼっこをしているかも」と、少々の期待ももったのです。

開けた31日(土)は予報通りの快晴。車道終点から歩き開始が7時20分。堅雪ながらまだ雪がゆるむ帰りのことを考え、カンジキを背にして山内・武道に通ずる林道沿いをしばらく歩き、途中からは沢沿いに最短距離をとって郡境の尾根に到着は8時20分。

関東などは桜の花見でしょうが、こちらは雪上に咲くマンサクの花見をしながら行き先を今度は東に変え、左は山内武道に至る金山沢、右は滝ノ沢の入会林野となる分水境の尾根を大日向山の方向に進みます。


途中、朝の食事を終えて反すうでもしていたのでしょう、カモシカが雪上に腰を落ち着け足まで伸ばしゆっくり休んでいて、あわてる様子をひとつもみせずにこちらをジッと見つめていました。こちらの姿を遠くから視野にいれていてです。

尾根の東成瀬側は村有地で滝ノ沢集落のブナの入会林野が見事に続きます。薪炭林の伐採を止めてからしばらくの年数が経っているように思われ、村のほかの集落の入会地のブナ山と同じで、ここも見事な美林が成長中です。

金山沢のカッチ(最上流部)には、里山にはめずらしくごくわずかのアカマツと深山に多いヒメマツ(キタゴヨウマツ)が混じって植生する中規模のクラ(崖)があります。ここは日向で斜面がきついため雪解けが早く、冬眠明けのクマをもっとも早く目にできる箇所のひとつですが、双眼鏡にクマの姿は映りません。ただ、昨年秋もめずらしく実のついたらしいブナの幹には、新旧のクマの爪跡が無数についた木がありました。近くには、木材・木工関係者なら思わず見ほれてしまうだろう見事な太さの山桐の木もあります。

金山沢のカッチは、名の通り、昔は鉱山のあったところで、このクラの下方には手掘りで開けられた古い坑口跡があるのを何十年か前、沢に下りて目にしたことがあります。

 

クラがよく見える尾根からは、特徴的な平鹿病院などをはじめ横手盆地の建物群と平野がよく望まれます。ここからの眺望がすばらしい鳥海山は、この日は霞んでいて残念。

 

大日向の頂上手前までたどり着くと、尾根はいったん100㍍ほど鞍部へどんと下り、今度は逆にいっきの登りです。周辺の特徴的なブナの根元でまずは一息。頂上まではもうひとふんばりです。

転出教職員あいさつ会、村表彰式

きのう午前、転出される小中教職員のみなさんの合同あいさつ会が教育委員会主催で行われ出席。

学校からは、年間を通じて議会や議員へ諸行事へのご案内をいただきます。また議会常任委員会の学校訪問や、全国の市町村議会から村の教育行政視察で訪れるみなさんへの応対で学校へ足を運ぶ機会も幾度かあります。また、月々の広報やホームページで学校情報も発信されております。子供たちの文集なども届けていただいており、授業風景や子供たちの成長の様子をそれらすべてを通じて目にする機会が多くあり「村の子たちを、よく育てていただいている」と、常々、学校のみなさんには感謝しています。

社会の仕事は、職種を問わずどんな仕事も大切なものです。しかし、人間の人格形成に大きな影響を与える教職という専門職は、やはり昔も今もほかの仕事と同列にはあつかえない特有の崇高さをもっていることは否めないと私は思っています。

先生方の教えや学校生活のなかでの貴重な言葉は、子供たちの記憶のひだの中にしっかりと刻まれていて、今後の人生のいろいろな局面で、その教えが記憶から引き出されて、生きる力にされてゆくものと思います。

そういう大事なありがたいしごとをしていただいたみなさんへ心からの感謝をこめ、村で尽力いただいたことへのお礼のご挨拶をほんの一言のべさせていただきました。新たな任地でも、村での体験を糧にされましていっそうのご活躍を願いたいものです。

▼挨拶会の後には、29年度の村の表彰式へ。今年度は、交通指導隊の自治功労2名、食品衛生指導員の保健衛生功労1名、そして各種スポーツ賞(栄光賞6名2チーム、奨励賞19名3チーム)と芸術文化賞(栄光賞5名1団体、奨励賞8名)への授賞となりました。

表彰はたゆまぬ努力の結晶です。受賞されたみなさんおめでとうございます。

まだ雪の白が支配していても、春です

まわりがみんな山々の村で、成瀬川がほぼ直角に折れ曲がるところに位置している我が集落。川は集落を貫流しここでほぼ真西へむかうため、お日様が沈む方向と川の流れが重なるようになります。

春の今は、その重なりがいちばんぴったりしている時。村の西方入り口のごくわずかの範囲だけは山がありませんから川筋にUの字の空間ができ、そこに春の陽が沈みます。ですから、わが集落からだと今の季節がもっとも夕日が遅くまで見られる時といえます。

連日のうららかな陽射しは雪解けをどんどん進ませています。雪解け水が増える夕方になると成瀬川も笹濁りの色から濁流に少し近い色へと川面が変わるようになっています。まもなく3月も終わり。冬の眠りから覚めていた川は、これから本格的な堅雪シーズンが始まれば午前は笹濁り、午後は暴れる濁流へと動きを激しくします。

濁流の岸辺、石の下では、もうカジカたちが卵をもっておなかを膨らませはじめている頃でしょうか。

見渡すまわりはまだ雪の白い世界が支配していますが、カラスやトビも、枯れ枝や枯れ草を咥えて飛ぶ姿を見かけるようになりました。川でも空でも、みんな命をつなぐ準備がはじまる春です。

しなり強さで豪雪をしのぐ

雪解けの進みにあわせて、土の見える範囲が日ごとに増えている村です。

春一番咲の野の花フクジュソウやバッケにつづいて、チャワンバナコ(キクザキイチゲの仲間)もようやく見られるようになりました。

雪崩跡の渓流沿いの急斜面では、厚い雪に押さえつけられていたモミジが、しなり強い樹勢をみせて半年ぶりに樹幹を上に向けています。長く厳しい豪雪の冬に耐えるには、人々の意思にもしなり強さがもとめられるのですが、同じように雪国の木々たちも、ただの強固さではなく、しなり強さがなければ冬を越して生きることができないのです。

 

ヒメマツ(キタゴヨウマツ)やブナなどもそれは同じです。雪の下になっている枝も、果樹や庭木などとちがって雪解けにともなっての枝折れはほとんどなく、雪で下にひっぱられる強い圧力にもこのように頑と耐え続けることができています。その力もみんな「しなり強さ」なのです。

成瀬ダムの転流式

成瀬ダムの本体工事が今年夏に着工となる運びで、それにさきがけて行われる成瀬川(北ノ俣沢と赤川)の流れをトンネル(上下段2本とも平成24年度完成)に仮排水する転流式がきのう26日に行われました。

転流式は当初、旧国道の橋の上で行われる予定でしたが、当日の橋上は晴天ながら風やや強し。テント設営などの安全確保を考えたのでしょう、このため式典は急きょ上段仮排水トンネル(洪水時の流水用トンネル)内で行われることに。

式典では、本体工事中に通常時の流水が通るもうひとつの下段仮排水トンネルにむけて最初の転流が行われました。太古から続いたであろう河川の流れが約1.3㌔㍍にわたって数年間切りかえられ、ダムの堤体工事は夏頃から始まる予定とされています。

ここの河道筋は、昔からイワナとカジカが多く、砂防堰堤までのあいだには多くのウグイも共生していた魚のとっても豊かな渓流で、私も若い頃から魚獲りによく通いました。トンネル近くのひとつひとつの淵と瀬は、私にとって村内外の多くの方々と魚獲りや水浴びで戯れた、いっぱいの忘れられない思い出がある所でした。

魚たちの様子は今も同じだったようで、1.3㌔㍍区間に棲息していた大小のイワナやカジカなどは、転流とともに捕獲され、また川に「引っ越し放流」されます。この日の転流式でも、村の保育園児たちによってその一部の魚が放流されました。

こちらの予想どおり、ずいぶん大きなイワナや最大級のカジカ(メスはおなかに卵をもっている頃かな)も見られました。越冬明けの魚たちは、これまで経験したことのない変化に「これは、何事ぞ?」と感じたでしょう。