大日向山へ(その2)

鞍部からの斜面は、少々きつい雪上歩きなのでジクザグのひじを折って上をめざします。

頂上近くまで上がってから、南郷岳や三又集落がよく望める場所をめざし、武道落ち合いの金山沢カッチと、三又落ち合いの桑の沢カッチの境の尾根までまた北へ下がりました。

滝ノ沢から三又に通ずる越え道がむかしあったといいます(秋に滝ノ沢山の最奥部で、古い山道を目にしています)。それは大日向山の頂上から東に尾根を下ったところにある一番低い鞍部から三又桑の沢へ越え、その出口は、今の三又製材のある所だったのでしょう。そんなことを思いおこしながら、桑の沢と三又集落をながめました。わたしが集材架線技士のしごとをしていた当時の桑の沢には、こんな立派な林道はなかったと思うのですが、いつ頃できたのでしょう、金山沢方面にのびるまことに立派な林道筋も目にはいります。

ここではじめて和賀岳や八幡平方面をながめますが、期待していた岩手山は鳥海山よりもなお霞んでいて、やっと輪郭がわかるだけです。雪の中でネズモヂの緑がいきいきです。

 

このカッチ(沢筋の最上流部)境の尾根が最も雪深く、吹きだまりの雪は5㍍以上はあるでしょう。その上を渡って登り、めざしてきた大日向山の頂上到着は10時30分。

役場のある田子内の一部と下田集落がここからは目に入ります。その背後には、高松岳や虎毛山、神室山などでしょう湯沢雄勝の山々の白さが見えますし、さらに遠くには鳥海山のはるか南にこちらも霞んでいますがかろうじて「あれは、月山だろう」と確認できます。焼石連峰は近いのでくっきりです。「ここの頂に来ることは、もうないかも」と、ゆっくり展望を楽しみ、帰りは往きのコースとは別に平良境の不動沢本流筋を下山です。


 

 

 

尾根を歩いても、斜面を歩いても、ブナの森を歩いても、この日クマの足跡はひとつもなし。期待していた冬眠穴のそばにも少々警戒しながら立ち寄ってみましたが、出遊び(冬眠を終えたクマが、しばらく穴のそばから離れず日向ぼっこや運動をしている様子。これをマタギは出遊びという)の土をつけた足跡もありません。ここの冬眠穴は最上級ですから、きっとまだ穴の中でクマ公は休んでいるのでしょう。

早春の名花チヂザグラ(土桜・イワウチワ)はほとんどが蕾ですが、日向の一部で咲き始めが3~4株見られました。帰りの林道沿いにあるウドザグ(ハナウドの仲間)も、やっと芽をだしたばかりですから、やはり豪雪の村のクマの冬眠明けはもう少し先のようです。


 

 

 

 

 

 

 

帰りに歩いた不動沢はヒラ(底雪崩)の多発地帯です。昭和42年(1967)のちょうど3月31日、この日に、私の定時制高校時代の女性の同級生を含む3人の方が雪崩で命を奪われています。沢は今も雪崩の真っ最中。警戒しながら所々で沢を越え遠回りしたりして、車到着は11時50分。不正確ですが、約2万歩ほどの歩きでした。帰りに田子内大橋で車を止め、あとは登ることがないかもしれない大日向山頂を眺め返しました。