村のあちこちをめぐり歩くとき、私の心に強く留まるいくつかの風景があります。
そのうちの一つが、はるか昔に田んぼへ水を引くためつくられ、今は使われなくなってしまい崩れた堰(用水路)の跡です。
写真の一枚目は椿川のウムシノ橋からのぞめる成瀬川沿いの断崖につくられた堰。二枚目は岩井川のやはり成瀬川河川敷南方の黒滝地区(通称・むげ)につくられた崖沿いの堰。
いずれも、崖を削ってつくられながら現在は廃れてしまった堰です。これを見れば、米づくりに尽くした昔の人々の苦労がひしひしと感じられ、当時の「お米の価値」のありがたさ大きさをうかがうことができます。
ウムシノの堰は、写真部分よりすぐ上流の崖が崩れるなどで廃れたものの、それより下流は別の引水方式(ポンプアップ)に切り替えられ今も手倉西地区の田んぼをうるおしています。一方、岩井川黒滝の堰は完全に崩れ、もちろんそこから水を引いた田んぼもかなり以前から耕されず、今では農地であったことがやっとわかるほどに80㌃ほどの地は廃れてしまいました。
二つの堰とも廃れ崩れてしまいましたが、岩を削ってつくられた箇所には堰の跡がはっきりと遺ります。それは、主食の米を得るために人々が糊の汗を流した苦労を知る遺跡であり、この国や村の歴史を動かすうえで大きな役割を果たし続けた稲作の歴史がうかがえる遺跡でもあります。