沢田づくりが消える時代

村のほとんどで、各集落の前後には成瀬川に注ぐ支流の小沢があります。

食糧難、あるいはお米の価値が最も高かった昭和の時代には、これら沢沿いの、ネコの額のような土地までがたんぼとして大切に耕され続けました。

減反政策が長く続き、お米の価値が当時では考えられないほどに低下、一方では農機具や農薬、肥料をはじめ生産コストの増加、それにともなう作業委託料金の高止まりなどもあり、村の沢沿いたんぼはおそらくことごとくといってよいほど稲作には終止符がうたれています。

わが集落もそれは同じで、横手市山内三又との境界に接する荒沢、八卦沢、岩井沢は、かっていずれも水が豊富なために春の早苗田、秋には豊かな稲穂がみられた土地でしたが、今はたんぼとしての水稲作付けはどこにもみられません。集落南側の川向かいのたんぼも、やはり数年前までかろうじて耕作していた方たちがいずれも水稲作をやめ、黄金色の稲穂を今はのぞめません。

そのうち、八卦沢では、一昨年まで82歳になるKさん一人が長年がんばって稲作を続けてきましたが、昨年ついに作付けを断念。それでも、転作として野菜づくりには励んでいますから、たんぼはこのとおりとてもよく保たれ、沢の農地は、Kさんの流す汗のおかげで人と自然がつくる景観がみごとに維持されています。ありがたいものです。

荒れる沢田、黄金色の稲穂景観、お米のことをこうして時々記すのは、「豊かな食ができる農地をこんなにして、わが国は、これでよいのか」という思いが湧くからです。

飽食とか、ご飯を食べる人が減っているとか、全体としてお米の消費量が下がっているとかの現実はあるでしょう。が、一方には、度を過ぎた格差社会進行のなかで、国内でも三食に事欠く方、ご飯をおなかいっぱい食べられない方の姿が報道されることもあります。それを世界規模でみたなら、国内の比でない「飢餓」にある人々が8億人近くもいる現実もあります。

先週の大河ドラマ「西郷どん」は、俵詰めのお米をありがたく見つめる場面をみせ、また、西郷家が借金をしてお米を求め、家族で久しぶりにご飯を食べられるうれしさを演じました。大正、昭和と生きてこられた年輩のみなさんなら、自分の体験とドラマのこの瞬間を重ねて、「ご飯が食べられる喜び」を振り返った方もおられたのではないでしょうか。

たとえばお米が獲れるところでお米がつくられず、8億人もの飢える人々がいる。一方では膨大な世界の軍事費。「地球より重い」とさえいわれる人命にかかわる大きな課題を人類は諸々背負っていますが、その矛盾を惑星地球号の住人はいつ解決できるのでしょうか。