タヌキの、はてな?

部落の家々をのぞめるたんぼわきの高台にあがったついでに、この日もまた、生きものの冬ごもり穴に近づいてみました。

予想したように、穴のそばには生きものが出入りした足跡が深い雪のなかにありますが、どうもその跡が今回はおかしいのです。

そばにある杉の木の枝葉を折ったり、皮をむいたりして、その葉っぱと皮を穴に運んだらしく、穴にむかう雪の上の窪みは、咥えひきずられた枝葉で足跡が消されています。

 

この様子を目にしたこちらは「あれ、なんで、今時、杉の葉っぱや皮を穴にひきずりこんだのだろう?」と不思議に思いました。

いまこの穴に出入りしているのはムジナ(タヌキ)と、足跡を確認してわかりました。穴の出入り口は今は二つ、雪がとければ5つ以上はあります。おそらく、穴を掘ったアナグマ(こちらは冬眠中)と地中で棲み分けしているのでしょうが、地下のなかみはよくわかりません。アナグマのつくった住宅をタヌキが借りていることは確かで、もしかしたら穴の掘り主はもう別に越してしまい、「ひさし(母屋)を貸して母屋をとられた」類いになっているのかもしれません。

繰り返しますが、それにしても、何の目的があって今どき杉の葉っぱや皮を穴に運んだのか、これはわかりません。穴は土中に幾筋も掘り巡らされ、しかも2㍍近い厚い積雪で寒気はすべて遮断されていて冬は温かいはず。暖房目的は考えられませんから、こちらに想像されるのは、寝床のいごこちをよくするためぐらいのことにしか思案がおよびません。

「死んだふり」をするタヌキの生態は何度も直にみています。が、寒中に杉の葉と皮を穴に運ぶタヌキの不思議を目にしたのははじめてのこと。童謡の証誠寺のたぬきばやし、昔語りの分福茶釜に登場するタヌキのように、タヌキとは、なんとも不思議で、愉快で、私をゆったりした心にさせてくれる生きものです。

帰路、タヌキが雪上に残した彫りの深い跡を思い、また先日みた核兵器の報道番組を振り返り、たんぼの雪原をキャンジギ(カンジキ)で踏み、平和の字を記してみました。芸術性すぐれた方なら、たんぼアートならぬ見事な雪原絵画や雪原書道が描けるかもしれませんね。