34名の見事な巣立ち

きのうは、村としては久しぶりに34名という多人数の小学校卒業生を送りお祝いする日となりました。

CIMG2592-1式典でも、祝賀会でも、自分の意志をしっかりとのべる卒業生の姿がとても印象的でした。自発性のある子たちとききますので、これまでの卒業生と同じように中学校でもすばらしい学校生活をおくれるだろうと私は確信しました。

CIMG2597-1CIMG2598-1式典の最後、卒業生と在校生が別れを告げる歌と言葉の終わりの章のとき、在校生のみなさんの表情が変わりました。きっと「みんなをひっぱってくれたやさしく頼りがいある6年生と別れたくない」と思う心が胸にせまってきたのでしょう。とくに5年生はスポーツや文化活動などで6年生ともっとも身近にいたからでしょう、男の子の涙も光りました。それだけ卒業生が下学年のめんどうをみてささえてあげたということであり、こういう心の結びあいがある光景を前に、私も胸と眼に熱いものが迫ってきました。

卒業生のみなさんおめでとう、そしてありがとう。こんなに立派に子たちを育ててくれた先生方、ご家族のみなさんにも感謝、感謝です。多くの感動をありがとうございました。

またとない快適日和の巻き狩り

この国が大陸から分かれて島となり、こんなに雪の多いくにに我々の祖先が暮らすようになったとき、列島有数の豪雪の地成瀬川流域の森に生きる人々は、たとえば食肉系統では主にどんなものを食べたかを思うことが時々あります。

私の勝手な推測ですが、魚なら、渓流魚はすべてを口にし保存もしたでしょうが、大きな滝もなく魚止めの堰堤もない時代には、鮭やサクラマス、鮎も大量に遡上したはずで、いまの人々には考えられないほどに川は魚の宝庫だったのでしょう。当時、海で育った魚たちはどこまで成瀬川をのぼったのか、そういうむかしに思いを寄せることが時々あります。

そして鳥獣の肉。狩猟といえばマタギとクマの関係がよくクローズアップされます。が、豪雪の地で肉として最もひろく価値の大きかったのはこれもやはり大量に捕れるノウサギだったはずです。ノウサギは、雪国の人々にとって、冬を生きるに欠かせない貴重な資源だからです。とくに多雪の成瀬川流域は、生息数が圧倒的に多いノウサギが冬には捕獲しやすく、原始、古代、封建、近代と貴重な食の対象となったのでしょう。そう考えれば、豪雪の地に人々がすみついた一つの理由もわかるような気がします。要は食ですから。

いま、生業や暮らしに欠かせぬ食材としての狩猟に依存する生活はなくなりましたが、狩の伝統や技は村の猟友会員たちが代々受け継いできました。それが5年前の大震災の年に村の文化保存事業としてノウサギとクマの狩猟現場などを撮影収録しDVDとして編集され、記録としてのこされました。その時にも、「マタギ文化なら、クマより前に、まずノウサギ猟」ということを私は重視しました。ノウサギが野生食肉として最も価値が大きかったということと、巻き狩りの猟法でもノウサギ狩がまずは基本となるからです。

おとといは有害駆除のその最大の巻き狩り日。天気も快適、狩り場は狼沢と豊ガ沢の岩手県境付近までを範囲とする広大な範囲で、この時期にはめずらしくほとんどカンジキ必要なし(念のために皆さんカンジキを履いていますが)というほどに雪が締まり、しかも県境近くには新雪が薄くあってノウサギの足跡がよく見えました。「こんな条件はめったにない」という、会員にとってはうれしい一日となりました。

CIMG2491-1CIMG2493-1CIMG2496-1CIMG2501-1CIMG2508-1CIMG2511-1CIMG2513-1CIMG2517-1CIMG2521-1CIMG2524-1CIMG2528-1CIMG2529-1この日は、奥羽の山々がはるか遠くまで望まれ、焼石連峰、下り坂のお天気を知らせる雲を少しまとった鳥海山、それに横手盆地の多くが眼前に広がります。気持ちよかったですね、こういう景色の日は。

DSC_0005-1CSC_0001-1CSC_0002-1CIMG2559-1CIMG2537-1CIMG2542-1CIMG2543-1CIMG2547-1CIMG2556-1CIMG2570-1CIMG2571-1CIMG2572-1巻きは4回ほど行われたでしょうか。林の中を時速70~80㌔近くで走るノウサギ(姿がわかるかな)、カモシカ遠望、朝からのみなさんの動きや風景を切りとりましたのでごらんになってください。写真にもありますが豪雪の村のノウサギが真冬に最も大きく頼る食べ物はブナやコシアブラ、タラノキなどの芽と枝の皮です。人の与えた餌でない、まったく自然の餌を食べて育ったノウサギは、それこそ100㌫安心安全の優れもの食肉。それだけに、この狩りと食の伝統は、なくしたくないものですね。
▼きのうは農業委員会の3月総会。広域圏組合定例議会の運営で事前説明も受けました。

議会を終え、卒業式、巻き狩り

村議会3月定例会議は11日に終了し休会。当初予算案や過疎地域自立促進計画案など提出議案はすべて全会一致で可決されました。また審議された陳情3件のうち、2件は採択となり関連する意見書が発議され可決。平和安全保障関連法の廃止を求める陳情は趣旨採択となりました。

CIMG2481-1CIMG2486-1CIMG2487-1▼ひとりひとりの人生に大きな影響をおよぼすであろう義務教育、その課程をすべて終えたわが村の中学生たち25人の卒業式が12日に行われました。

在校生の席に並ぶ1年生の姿を目にして、わずか3年間、あっという間にこれほどたくましく成長された卒業生のみなさんには、毎年のことながらほんとびっくりです。

毎年の卒業式で感ずるのは、それぞれのクラスの特徴というか、個性というか。クラスの人数や男女比などの関係もおそらくあるでしょうが、卒業式は、「クラスの顔」みたいなものを強く感ずる日でもあります。その特徴は、私の言葉では簡単には言い表せないものですが、祝賀会もふくめみなさんのすてきな笑顔がとっても印象に残っています。

卒業生のみなさんは、昔ならおおかた元服の年齢。これまでなら20歳が大人でしたが、彼らも18歳になれば高校生で選挙権を有し、いわば大人の最大権利のうちの一つを得ることになります。子供をどうみるかということでは、人類が築き上げた気高い理想をかかげる「子供の権利条約」は、子供の定義を18歳未満のすべての者としていますが、もう3年たてば自分の意思で政治参加できる参政権をかれらはもつ大人となるのです。

大人と子供の表情が入りまじった独特の15の春の姿。わたしらの当時は、この15歳で1人の労働者としてクラスの大半が世の中に出ていきましたが、若さというものはいつの時代もはじけるような輝きにあふれているものですね。

CIMG2582-1CIMG2583-1CIMG2585-1▼きのうは村猟友会恒例のノウサギ巻き狩りに招かれました。今年は、ノウサギ料理を囲む懇親会だけでなく、久しぶりに写真と運動をかねて狩りの山行きにも同行させていただきました。

狩りを終えてのノウサギ鍋。この鍋の味は会員の経営する村の宿でなければ出せない究極のジビエ料理。「ノウサギ鍋と雪国のジビエ料理ではおそらく日本で最もおいしい味」と村の猟友会員が誇りをもっておすすめできる、骨付き肉鍋、ロースと肝臓の刺身、腸の塩辛、その美味しさを、申し訳ありませんが視覚だけでごちそうになってください。巻き狩りの様子は後にご紹介いたします。

大震災は5年前も議会最終日

きのうは本会議を開催の後に予算関連議案の委員会審議へと移り、付託された案件すべてを可決とする報告が予算特別委員会委員長から今日の本会議で行われます。

CIMG0002-1CIMG0004-1DSCF0005-1DSCF0006-1DSCF0007-1DSCF0015-1DSCF0016-1DSCF0017-15年前のちょうど今日も3月定例議会の最終日でした。午前に議会を終え、午後の所用で車を走らせていて地震に気づかず、下田で車から降りたときにはじめて大地震を知りました。ちょうどこのブログを12月末までということでやめていたときで、大震災もふくめ、5年前当時のことがありありと浮かびます。

写真は、震災3日後の14日、仙台に暮らす身内と友人を見舞いながらかけつけた私の家族が、その足で石巻に向かったときの市内の様子(最初の2枚)と、その翌月4月2日に今度は大船渡の親戚筋の安否確認で私らがむかったときの大船渡市内と陸前高田市内の様子です。

きのうは1夜(わずか2時間といいます)だけで死者10万人以上という東京大空襲の日。そして今日は戦後未曾有の東日本大震災。大震災は、自然災害の震災と原発事故という人類が経験したことのない人間の怠りによるいわば人災が重なったともいえる惨事。人類最大の人災「昭和の戦争」を常に心に置き、5年前の大震災も、いまなお避難をされ、あるいは原発被災地のようにふるさとをうばわれ帰られない方々へ励ましの心を寄せ続けたいと思います。

今日は、開会冒頭に、なくなられた方々のご冥福をお祈りし黙祷をささげます。

▼午後は、中央病院の運営委員会へ村長や管内の首長、議長さんなどとともに出席。医師確保という苦労の多い課題をかかえながら懸命に努力されている院長を先頭にした病院のみなさんの姿がよく理解できる会議でした。他県でいうなら「県立病院的役割を果たしているのが厚生連の各病院」というのが私の持論ですので、他県と客観的な比較ができる資料で医療分野への財政投下がどうなっているかを自分でしらべなければと思いました。

CIMG2479-1▼雪消の早い春となっています。役場庁舎からのぞむ南向きの日向斜面は並の年よりも早くどんどん土肌がひろがっています。今朝はまた淡雪で少し土色が隠れましたが、この様子だと、クマたちをはじめとする生きものたちの冬眠あけが今年はいつもより早くなるかも。

予算案の委員会審議

CIMG2478-13月も半ば入りとなれば、村のあちこちで雪解け本番のヒラ(底雪崩)がいよいよ本格化。わが集落も、前に後ろにと、ガンクラ(岩だらけの急斜面・倉)の雪崩多発箇所でヒラが頻発し始めました。

 

議会事務局提供
議会事務局提供
議会事務局提供
議会事務局提供

きのうの議会は予算特別委員会の審議。今日も委員会審議がつづきます。

予算案とともに議員に配布される主な事業内容の説明書は、私が議員のしごとについた当時とは比較にならないほど詳細に記載されていて、審議の充実と効率化におおいに役立っています。

しかし、それでも質疑応答にはいれば「もっとていねいな説明が先になされていれば」と思われることがあります。議会は「案」の中身全体をよく理解したうえで議決という大きな責任をはたさなければならないわけですから、吟味精査され提出される議案は、「案」をわかってもらうための説明になおつとめるという姿勢は持ち続けなければと考えます。よく理解するためにこそ質疑があるという考えも成りたちますが、それはここでは脇におきます。

CIMG2427-1CIMG2426-1CIMG2424-1CIMG2425-1▼土曜日にのぼった裏の山。ブナの実の豊作だった昨年秋は、これまで見られなかったブナの木にもクマが爪痕をみせる木がありました。

クマは尾根筋分水嶺など見晴らしのよい木に上がりたがるのもひとつの特徴です。爪痕でとくに目立つのはほとんどが木から下りる時にできるものですが、大小様々の爪痕をみれば、これは子連れの母熊があがった跡でしょうか。それにしても折った枝を積み重ねたクマ棚、かれらもよくやるものです。

もうひとつ。これは雪上にムジナ(タヌキ)らしい足跡があり、おまけに糞も。我々の便の分析が病気予防や発見に大きな役割を果たすのと似ていて、糞はいきものの生態を知る上でも大切な材料です。私にとって、今の時期にムジナが何を食べているかは大いに関心があります。

CIMG2437-1CIMG2438-1糞のほとんどは完全消化された後の塊ですが、その中に消化されないままの何かの木の実が混じっています。雪消の土の上に落ちているなにかの実をたべたのでしょう。雪の中で自然冷凍していたブドウの実とかでしょうか、種だけをみては、何の実だかは私にはわかりませんでした。糞を少しほどこした写真も載せましたので、興味がおありの方は拡大して種の正体をさぐって見てください。

ほれぼれするヤマドリの羽色美

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過ぎた5日と6日、わが家裏手の土手で、ヤマドリが食事をしながら動いている瞬間を偶然目にしました。しかも、前日は雌、翌日は雄です。

尾羽が見事で、首筋の輝きをはじめ羽毛全体もまことに美しいオスヤマドリは、「いきもの姿を写真に」と思っている当方にとっては、とってもうれしいお相手。

雪消が進み土肌が少しあらわれた斜面は、彼らが雪の季節の絶好のえさ場として近づきます。土が出ていればヤマドリの羽毛は保護色のようになりなかなか目につきにくいのですが、こちらの生き物をとらえる眼力はまだ健在のようで、車を走らせていて木の根元に「ん、何かいる」と止めてよく見つめたらヤマドリです。

6日は、それが念願かなってのオスヤマドリ。ほんとうはもっと近づいての写真を撮りたいのですが、なかなかそんな偶然はやってきません。今回は遠目ながらも、藪などに邪魔されないほんの瞬間、わずかの枚数ですがカメラにおさめることができました。警戒心の強いヤマドリ、素人の「撮り」はむずかしい。ヤマドリは「村の鳥」偶然の出会いでおさめた雪の上のオスの美をどうぞ。

このオスとメス、同じ場所で生息していますから、春にはきっと新しい命を産み出してくれるご夫婦となるのでしょう。

早くもフクジュソウ開花

3月定例会議本会議二日目のきのうは、3議員による一般質問と陳情、議案の一部審議が行われました。

当議会の一般質問は、質問答弁ともすべて一括なので、質問項目が多めのときなどは再質問、再々質問になると、問う側と答える側の整理量が双方で多くなり、それに意見ふくみ発言なども時々混じりますから議論の「交通整理」の範囲が広がってしまい、かみ合わなくなることも時々あります。

これは以前から検討しなければならない課題としてかかげられていたもの。議会運営委員会で改革策の案をなるべく早く検討することにしており、お互いよく協議して議論がより効果的に交わされるようにしければと思っているところです。

CIMG2467-1CIMG2468-1CIMG2470-1CIMG2471-1▼雪のくにに春をつげてくれるネコヤナギ、バッケ、マンサク。それに続いて人気の高いのがフクジュソウ。

私の住む集落で最も早くフクジュソウが花を見せるのが、わが家近くBさん方の土手。私の「フクジュソウ便り」は、毎年ここの日向土手から発信が始まります。

今年の開花はここ数年では最も早いでしょう、写真は6日の花びらですが、どうやらそれより2~3日前に咲き始めていたようです。また寒のもどりみたいな天気もやってきそうですが、この調子だと今年は雪消えの早い春となるのでしょうか。

3月議会はじまる

村議会の3月定例会議が4日に開会。施政方針・行政報告、議案説明が午後までかかり、本会議を終えては、陳情の常任委員会審議が行われました。

CIMG2399-1CIMG2400-1土曜~日曜はジュネスキー場において恒例のジュネスカップスキー大会があり、5日朝の開会式に出席。降水確率ゼロ㌫のもとでの初日の大会は久しぶりのことで、二日間ともまったくの穏やか天気というのはめずらしいこと。全県から参加した選手たちは、晴れ空の下で気分よく全力を尽くすことができたでしょう。

開会式のあと、自家用水道の取水口を点検ついでに裏山へ運動散策。この日は地元集落のコミュニティ文化祭(羽後町出身の歌手・岩本公水さんの歌謡ショーもある)の準備作業が3時に予定されていました。幸い雪原は朝のうちなら雪が締まっていてカンジキをつければほとんど足は沈まず歩きやすし。ただ帰りになったら雪がゆるみズブズブと足がとられ「決まった時間までに戻る」という焦り歩きはあまり愉快なものではありません。

CIMG2402-1CIMG2440-1のぼる途中、冬でも常に水の流れる箇所にはバッケ(フキノトウ)が顔を出し始めています。これは予想していなかったことで、テンプラの大好きな妻への初物お土産ができました。雪消の早い水辺や日向では村内でもあちこちでバッケがみられます。

CIMG2405-1CIMG2408-1自家用水道の湧水口付近は雪が消え、岩からわき出る水に勢いがあります。啓蟄ともなったからでしょうか、トトトトトトトトッと流れる水音も春を告げる拍子のように聞こえます。

しばらく上って雪崩に気をつけながらシロデ(立木のない急斜面)に足を向けました。そこからはスキー場や東山山塊、成瀬川筋に開ける村の約半分の集落、手倉から大柳方面までが真正面にのぞめるからです。スキー大会開催中のアナウンスもよく聞こえ、コースを下る選手が豆粒のように見えます。

CIMG2416-1CIMG2433-1DSC_0004-1CIMG2434-1CIMG2429-1CIMG2436-1いつもの大ブナの根元で決まったように一服をし、山内境の尾根まであがり岩手山方面の眺望を期待しましたが、大気がもやっとして遠望がきかず残念。尾根には、この間には目にしなかったブナにも昨年秋にクマが枝を折って実を食べた跡がほかの木にもありました。彼らは、尾根筋の見晴らしのよい木をえらんでよくのぼります。

県内でも沿岸部などはマンサクの開花が伝えられて久しいのですが、標高の高いところのマンサクはまだ堅いつぼみのままです。

CIMG2448-1CIMG2447-1CIMG2449-1CIMG2452-1CIMG2458-1CIMG2456-1きのうは、地元の文化祭があったり、村がいろいろとお世話になっている国会議員の国政報告会が湯沢であったりで少しあちこちへ動きました。今日の一般質問・議案審議の本会議をひかえての日曜でしたので、休日という気分にはなれない一日でした。

農に長けた方が逝く

地元集落のIさん(80歳)が急逝されきのう葬儀がおこなわれた。

篤農家として知られたIさんは、長年の牛飼いとともに村特産のトマト栽培でも第一人者の方であり、両部門での技術に長けた方であった。

Iさんの印象が私としてとくに強いのは、村で赤べご(日本短角牛)の飼育が盛んで焼石岳の山塊まで自然放牧をしていた頃、放牧牛の監視人としてつとめていた姿である。

いつの頃だったかIさんに「監視人当時の思い出話をお聞きしたいので」とお願いしたことがあったが、Iさんは誰もがみとめる忙しい方で、体調がすぐれなくなるまでついにその機会をみることがなく旅立たれてしまわれた。今頃は、監視人を代々やられた故人の方々と懐かしい山語りをしているのかもしれない。典型的な村の農業人として尽くされ、そして山菜やキノコ採りと山の大好きだったIさん。心からのご冥福をお祈りいたします。

▼きのうはおよそ4年ぶりに歯医者へ。全体を診てもらいながら歯石などをとっていただこうと予約していての通院。村内に歯医者さんがあり、気楽に通えるのでほんとに助かる。1年に2回ぐらいは通うべきだろうが、つい延ばしのばしにしてしまい4年も経った。

歯の管理ではていねいな指導もしていただき参考になった。他の病気と同じでなにごとも予防が大事。歯の健康を損ねれば万病の元といわれるだけに、半年後の予約はお粗末にせず実行しなければと、汚れを落とすあの機械やカリカリの音などを聞きながら反省した。

▼午後は湯沢雄勝農業委員会連絡協議会へ。お互い来年7月までの任期なので、公選制のもとではなかみ的には今年がいわば最後のフル活動年度となる。

県内でも特徴的な活動とされる連絡協議会の全農業委員研修会はわが村が開催地当番ともなり、それに種苗交換会にあわせて行われる全県の農業委員大会も今年は湯沢が会場となる。委員の新たな選出などに関する情報交換をし合い、「公選制のもとでの終をしっかり」と誓い合って会議を終えた。

議案説明の全員協議会

議会事務局提供
議会事務局提供
議会事務局提供
議会事務局提供

4日に始まる3月村議会定例会議を前に、議会の日程などを決める運営委員会と提出される議案や関連事業などの説明をうける全員協議会がきのう開かれました。

予算案、そして今後5年間の主要事業と関わる過疎地域自立促進計画(案)などもあり、説明は9時半から午後2時過ぎまでを要しました。新年度一般会計予算案の内示会でおおよその説明はうけていましたが、さらに詳しい説明が加わり、また予算案以外の議案も重要な内容をふくむものが多く、予想したように時間がかかりました。

議会は4日に行政報告と施政方針、議案説明、7日に一般質問となり、それらの後に議案審議や予算特別委員会などが行われ、11日の本会議日程で休会となるはこびです。

CIMG2394-1CIMG2397-1▼雷を「かだぢ、おがだち様」とよぶ私らは、きのうや今朝のような変化の激しいかだぢ空から雪が時折激しく降る様子を「おぢ荒れ」などといいます。雷雲たなびき、猛烈な雪が降ってくるかと思えば、たちまちのうちに青空が見えたり、2月末から3月半ばにかけてのお天気は変わり身がまことに早い。

辞書は、秋の日和と異性の心は一日のうちに7回も変わるということで「女心と秋の空」などというのだそうですが、初春の日和は秋以上に変わることありなので、こちらは「男心と春の空」としておけばつりあいがとれるかもしれません。

きのうの空はその七変化。雪が舞う合間に見えた突然の晴れ空。役場庁舎はるか向かいの旧山内村境・大日向山のブナ林が新雪をまとってまぶしく輝いていました。ここには私らの知るクマの冬眠穴がいくつかあり、そのうちの一つは私がこれまで目にした冬眠穴では最上級の邸宅。今年もきっと、4月末までの長期休暇をとっているクマ公が、残り2ヶ月余の快適な眠りを深~い穴の中で過ごしているでしょう。