きのうは本会議を開催の後に予算関連議案の委員会審議へと移り、付託された案件すべてを可決とする報告が予算特別委員会委員長から今日の本会議で行われます。
5年前のちょうど今日も3月定例議会の最終日でした。午前に議会を終え、午後の所用で車を走らせていて地震に気づかず、下田で車から降りたときにはじめて大地震を知りました。ちょうどこのブログを12月末までということでやめていたときで、大震災もふくめ、5年前当時のことがありありと浮かびます。
写真は、震災3日後の14日、仙台に暮らす身内と友人を見舞いながらかけつけた私の家族が、その足で石巻に向かったときの市内の様子(最初の2枚)と、その翌月4月2日に今度は大船渡の親戚筋の安否確認で私らがむかったときの大船渡市内と陸前高田市内の様子です。
きのうは1夜(わずか2時間といいます)だけで死者10万人以上という東京大空襲の日。そして今日は戦後未曾有の東日本大震災。大震災は、自然災害の震災と原発事故という人類が経験したことのない人間の怠りによるいわば人災が重なったともいえる惨事。人類最大の人災「昭和の戦争」を常に心に置き、5年前の大震災も、いまなお避難をされ、あるいは原発被災地のようにふるさとをうばわれ帰られない方々へ励ましの心を寄せ続けたいと思います。
今日は、開会冒頭に、なくなられた方々のご冥福をお祈りし黙祷をささげます。
▼午後は、中央病院の運営委員会へ村長や管内の首長、議長さんなどとともに出席。医師確保という苦労の多い課題をかかえながら懸命に努力されている院長を先頭にした病院のみなさんの姿がよく理解できる会議でした。他県でいうなら「県立病院的役割を果たしているのが厚生連の各病院」というのが私の持論ですので、他県と客観的な比較ができる資料で医療分野への財政投下がどうなっているかを自分でしらべなければと思いました。
▼雪消の早い春となっています。役場庁舎からのぞむ南向きの日向斜面は並の年よりも早くどんどん土肌がひろがっています。今朝はまた淡雪で少し土色が隠れましたが、この様子だと、クマたちをはじめとする生きものたちの冬眠あけが今年はいつもより早くなるかも。