広域議会の議長に渡部正明氏を選出

湯沢雄勝広域市町村圏組合議会の臨時議会がきのう開かれました。

前年度組合会計の決算審議を行う臨時議会ですが、きのうはその審議の前段で湯沢市議会の改選により空席となっていた議長選出が行われました。

新議長には、湯沢市議会の渡部正明議長が指名推選で選出されました。決算議案はすべて認定です。職員の期末勤勉手当の引き下げを旨とする条例改正案も可決されました。これによる令和3年度の影響額は約715万円となる試算がされています。

湯沢市議会から広域の議員に選出されたみなさんは5人。その全員が広域議会は初めてというのはおそらくこれまでにないこと。若い方々から超ベテランの方までおられるので、広域議会もまた多様な構成となりました。今後のみなさんのご活躍をご期待したいと思います。

議長会の全国大会などへ

24日から26日まで、全国町村議会議長会の全国大会や関係する会議、政党、国会への要望と懇談会などがあり都内で過ごしました。

まず24日には、砂防会館で開かれた「多様な議員で構成された活力ある地方議会を目指す全国大会」へ出席。全国都道府県議会議長会、全国市議会議長会、全国町村議会議長会の3団体共催による大会です。

大会は、地方議会の位置づけと議員の職務を法律上明確化することや、兼業禁止の規制緩和、厚生年金への加入、小規模議会の議員報酬の適正水準引き上げに必要な国の財政支援、政治分野への男女共同参画推進の取り組みに対する支援、議会デジタル化への支援などをかかげる決議を採択しました。これらは、3議長会一丸となっての今後の重点的なとりくみとなります。

議事進行後には、谷口尚子慶応大学教授による講演と、佐賀・伊万里市議会の盛泰子副議長(平成27年には議長職にも就任)、群馬・榛東村議会の南千晴議員(やはり平成29年に議長にも就任)、神奈川・小田原市議会議員の武松忠議員、そして富山県議会の瀬川侑希議員(東大卒で会社員から市議を経て県議へ)の4氏によるディスカッションがあり、谷口氏がコーデネーターをつとめました。

パネルディスカッションの主な論点は、「多様な議員で構成された………」という大会の名称や、議長経験者の女性お二人がパネリストということもあってか「地方議会への女性参画の重要性」と、その促進をはかるうえでの課題のとりくみに発言が集中しました。

大会の閉会挨拶は、今年、全国都道府県議会議長会の会長に就任されているわが秋田県議会の柴田正敏議長が行いました。こういう場面があるとうれしいものです。

25日正午には、全国豪雪地帯町村議会議長会による恒例の6政党との懇談会へ出席。この日出席していただいた各政党の皆様は別掲の写真のとおりです。国政6政党がそろって地方政治団体の全国組織とこうして毎年懇談の場をもつのはあまりないようで、私にとっても貴重な体験の時となりました。

懇談会では、翌日に開かれる全国大会(豪雪部門)の内容を軸にした挨拶に酒元会長(石川県会長)がまず立たれ、次に私からは要望説明、続いてそれらもふくめた豪雪対策についての考えについて各政党の皆様からご発言をいただきました。それぞれ、豪雪地の実情把握に詳しいことを、先生方の力強いご発言の中から察することができました。

会議は、各政党代表皆様のご発言につづき、さらに加えて豪雪地域の具体的な実情を添えながらの要望発言の時間もとられました。会議の時間はそれほど多くはありません。そこで私からは、昨年も含めたこれまでの村の豪雪とそれに向き合ってきた対策課題の経緯を踏まえ、必要交付税額の安定確保と道路と雪に関わる安全確保対策の二つにしぼって十分な財政支援へのお願いを再度させていただきました。要望を受け止めていただいた各政党の先生方には、あらためて心からの感謝を申し上げる次第です。

この要望説明にあたっては、豪雪対策の課題についてのたくさんの資料や過去の報道資料をふくめ、事前に村の実情を把握するうえで一定の準備に時間を要しました。その際に、副村長や豪雪対策に関係する課長、職員のみなさんにはいろいろご協力をいただきご苦労をおかけしました。これについても厚くお礼を申し上げます。

同じ25日の夕刻5時には自由民主党本部へ。翌日に開かれる全国大会の宣言や決議、特別決議などについて、全国の町村議会議長会の都道府県会長たちによる政府与党自民党への要望活動です。

党側からは、茂木幹事長をはじめ関係する党役職にある議員の皆様からのご挨拶をはじめ多くの国会議員に出席していただき、要望を積極的に受け止めていただきました。

翌26日は、午前中にまず県出身の衆参両院議員の議員会館事務所を訪れる行動へ。全国大会の要望書を届けるのが務めです。大会を正午に控えているので朝早くからの行動となりましたが、金田勝年先生、冨樫博之先生とはご本人と面談できる時間をとっていただきました。御法川信英先生や石井浩郎先生、進藤金日子先生などほかの事務所でもあたたかい励ましをいただきました。

そして正午、いよいよ町村議会議長全国大会と豪雪地帯町村議会議長会の合同全国大会が明治記念館で始まりました。

今大会の主要スローガンは会場に掲げられた別掲写真の通りです。大会では新しく就任されたばかりの岸田文雄内閣総理大臣、同じく総選挙後就任された細田博之衆院議長、山東昭子参議院議長、総務大臣、デジタル田園都市国家構想担当大臣、内閣府特命担当大臣(地方創生)、与党代表として茂木自民党幹事長、全国町村会会長各位の祝辞があり、宣言、特別決議、決議、特別要望、要望、豪雪対策の推進などを採択しました。

大会後には恒例の特別講演があり、今年は、元総務大臣・片山善博氏による「住民から信頼され、頼りがいのある町村議会となるには」と題する講演でした。中央官庁、秋田の能代税務署長をはじめとする地方の現場、鳥取県知事、そして総務大臣を経た方だけに、片山氏の説く「議会の役割発揮の大切さ」は説得力にあふれるものでした。

大会が開かれる直前には、北海道で一日に80㌢前後という一気の積雪をみた地域もあり、大会最中にはそれが1㍍近くになったという報道もありました。折からの冬型気圧配置で日本海側は雪、一方の太平洋側は晴れという対照的な天気となり、ホテルそば皇居のお堀・千鳥ヶ淵の公園は絶好の散策日和。議員会館を移動する時には、青空と黄葉のいちょう並木の下、議事堂の裏側を歩く修学旅行生らしい子供たちの列もみられました。

厳しいコロナ禍がかなり緩んだからでしょうか、往き来した新幹線も乗客がやや持ち直し、都内のホテルもお客さんが以前よりはかなり多くなっています。

その新型コロナ。村の役場職員も特別職の我々も、他県や都内へ出張などの際には、出張から帰って役場へ出勤前にウィルスに感染しているかどうかの検査を行っています。そういうこともあって、今回の帰りは公用車ではなく家族の運転する車としました。検査前に車中でいっしょになれば、もし後に陽性となった場合は役場職員の運転手さんにも感染の恐れがあるからです。「検査前は油断できない」が常識ということなのでしょう。

帰ったら村の道路には除雪車の出動跡と10㌢ほどの積雪でした。きのうは初めて除雪用のトラクターを動かしました。この様子だと、初雪が根雪となる可能性大でしょうか。

土曜日27日には村の社会福祉大会へ。前夜遅くに帰り、この日の朝には事前に診療所から説明を受け手元にあった抗原検査キットで検査をしたら無事「陰性」でした。朝は、コロナの検査キット使用や、出張中に届いていた臨時会や定例会など議会資料のことなどに思案を集中。とりあえずキットに「陰性」のマークが出たことでまずはホッとひと安心。そこまではよかったのですが、ご案内をいただいていながら、この日の社協大会のことはまるで失念。会長さんから突然電話をいただき、「アッ」の声を出した時は開会2分前。急きょかけつけましたが、雪道で急ぎもできずもちろん遅刻でした。記憶にあるところでは、別の団体の行事での時も含めこんな「失念」は、20年ほど前に続きこれが2度目。

社協のみなさんや大会ご出席の各位には、遅刻したことお詫び申し上げます。帰って、この失敗、失礼のいきさつを妻へ語りながら、自分の失念はとりあえず棚にあげて妻に向かい「秘書の役割を、なんじが、ちゃんとタノム!」などと頭を下げ、ささやきました。

さて肝心の大会です。コロナ禍なので規模が縮小され村役場防災情報センターでの異例開催となった今年の大会。しかし法人設立50周年であり、永年の社会福祉活動への表彰もふくめ節目をお祝いする記念すべき大会となりました。新型コロナ感染症予防対策から、会場の大きさと人数の関係でせっかくの講演を来賓などは傾聴できなくなりました。まだまだ「コロナ」要警戒だからそれは当然です。

きのう日曜日は、村のホタル研究会(佐々木國夫会長)の集いへ。今年行ったゲンジボタルの発生状況の調査を報告しあいながら活動の内容を話し合う会議です。ホタルの生息環境をととのえるためにカワニナの飼育や放流の活動を試みるなど、新たなとりくみの結果も報告されました。今年の村のホタルは、全域でまずまずの発生をみたようです。

▼5日間溜めていたのをいっきに出しましたので長くなってしまいました。お許しを。

村出身の方々のこと

村内滝ノ沢ご出身で、今は都内に住んでおられる佐藤清助さんが、今年の「あきたの文芸」の詩部門で入選されました。

入選されたのは「ホテルの最上階で」という詩で、感慨深いすばらしい作品ですのでご参考のために別掲として載せました。

佐藤さんは、昨年も「あきたの文芸」のエッセイ部門で最優秀賞に輝いており、その幅広い文芸活動に心からの拍手をおくりたいと思います。佐藤さんは、生徒数何千人もの首都圏の予備校で校長をふくめて長年働かれた経歴があり、村出身の方として、学校の「ふるさと教育」で先生としてお招きし村の子供達に教えていただいたこともあります。増田高校定時制課程東成瀬分校では私の先輩にあたります。

もう一人の村ご出身の方は、我が家隣に昔住んでおられた岡山ミサ子さん。彼女についても先年、旺盛な活動をふくめご紹介しておりますが、また新たな著書を上梓されたようで、その作品が身内の方を通じて私の手元に届きました。(写真)

村ご出身の方では、漫画家で国内はもとより米国、韓国、ハンガリー、北欧諸国、とりわけフィンランドなどでの大人気をふくめ、世界的な広さで名を知られ、今年画業50周年がお祝いされた高橋よしひろさん(横手市増田まんが美術館の名誉館長)をはじめ、村出身の方々がこうして活躍されておられることはほんとうにうれしいものです。

ちなみに、釣りキチ三平などで有名な漫画界の巨匠・故矢口高雄さんも、成瀬川支流の旧西成瀬狙半内川流域の集落ご出身。矢口さんの御母堂も、高橋よしひろさんと同じ我が集落のご出身です。我が成瀬の山間流域には、優れた画業、文芸活動を産み育む何か源があるのでしょうか。

とまれ、今後とも皆様のいっそうのご健筆、ご活躍を願うところであります。

カヤ、ヨシ、オギの区別

昔から人々の暮らしをささえる用具の材とされたススキの仲間の野草たち。

それらのなかでも、カヤ(ススキ)やヨシ(アシ)ならごく身近でよく使われていたのですぐに区別がつきますが、同じ仲間のオギも加わるとその違いを知るのが少しややこしくなります。

カヤ(ススキ)は、屋根の葺き材や編んで炭俵、冬囲い材や畜産などにも使われ、最も用途が広く多く使われてきましたからよくご承知の野草です。ヨシ(アシ)は、すだれやお盆の供物を載せる台などにも使われ、やはり身近な野草でした。

それらに比べオギは、植生が比較的限られることもあってでしょうか、我が家のむかしの暮らしではあまり使われてこなかった野草です。ところが、このオギ、カヤやヨシとちがい草ながらも茎のつくりが堅いために魚を焼く串にはあつらえむきの材となるようです。

毎年、須川高原の温泉で焼きたてのイワナを販売する村内椿川のTさんは、「魚焼きの串なら、オギが最良」と、毎年この季節になるとオギの刈り取りを行います。人によっては、ゼンマイをモミ干す時に敷く用具として、オギで編んだ堅いすだれは最適という方もおられるようです。

3種の野草を生えている状態で見れば、写真の3枚目がカヤ(ススキ)、次がヨシ(アシ)、5枚目がオギです。

刈り取って道路に並べた姿では、向かって左がカヤ(ススキ)、真ん中がヨシ(アシ)、右がオギです。膝にのせ重ねて茎の状態を見ても違いは明瞭で、重ねてある上3本がオギ、中3本がカヤ(ススキ)、下3本がヨシ(アシ)です。オギとカヤは茎が充実していますが、ヨシは茎が中空です。

これを見てわかるように、刈り取りやすく、茎の部分の葉が少なくて削りやすく、草でありながらも茎が丈夫なオギは串材に最適の野草とされたわけです。

カヤは茎がやや丈夫で葉も落ちず多く残り、しかも柔らかさがあるのでそれらに適した材として、片やヨシはやや堅く茎が中空なので軽く、その特徴を活かして日除けのすだれ用にと、むかしの人々は草の違いの良さをよくみて暮らしに用いたようです。私たちは、先人の知恵を、こうしてあらゆるところから学ぶことができます。

知事との行政懇談会

佐竹県知事と市町村議会議長による行政懇談会が22日午後に開催されました。

年に一度の恒例の行事で、以前は市議会議長会、町村議会議長会がれぞれ単独で行っていた懇談会でした。しかし、平成の市町村合併後、幾年か経ってからは二つの議長会が合同で開催する懇談会となりました。

懇談会は、あらかじめそれぞれの議長会から堤出されていた要望について県側が現状の対応策や考えを説明、その後に意見交換というかたちで進められました。最後に、知事が、県政もふくめ総括的な発言をして会は終わりました。

知事は、IT教育の重視や人口減対策にも言及、とりわけ社会減を防ぐうえでの地方と首都圏などの給与格差改善も重要な課題であることなどに触れました。

▼22日の朝には、広域市町村圏組合議会に提出される議案の説明を受けました。新しい組合議会の議長を決めるまでの議会運営を副議長として進める役割があり、議案説明の全員協議会、臨時会議の冒頭部分の進行をいつものようにおこなうこととなります。改選となった湯沢市議会で広域議会議員となられた方々は、議長さんも含めてすべて広域議会は初めての方々です。これも、めずらしいことです。

県境ブナの森へ

過ぎた休日、隣接の岩手県西和賀町の川尻へぬける南本内川上流域、県境をまたぐ土倉林道へ車を向けました。深山の落葉後のブナ林を眺めるのが目的で、初冬になれば一度は決まって通う道です。

すでに県境や郡境へ通る村の国道、県道、市町村道は冬季閉鎖されていますが、この土倉林道は県境までならまだ通れます。この時期になれば閉鎖されなくてもすでに積雪で通れなくなることもあるのですが、今年はまだ積雪ゼロで大丈夫。

おかげで一年ぶりに、南本内川流域の初冬の山々を目にすることができました。県境で車から降り、川尻へ通ずる嶺越し林道とは別の、木材を搬出した岩手側の旧作業道跡を歩きます。この道跡は、界隈では、最も危険な箇所に開設したと思われる旧営林署建設・管理の林道跡で、一般には考えられないような切り立つ崖を削り開設された林道跡です。林道が横断する斜面は雪崩の発生箇所で、近くでは、この林道開設のずっと前の昭和38年3月初めの夜半、冬山伐採搬出の人々の宿舎が大規模なワス(表層雪崩)に襲われ、わが集落の3人(我が家の縁者も)をふくむ5人のいたましい犠牲者を出した過去があります。

見通しのよい所をさがして落葉を終えたブナの森をまずは眺めます。そこは、蟻巣山から左へ、つまり東へ連なる林や嶺、沢、それに南本内川(和賀川の支流・湯田ダムに注ぎ、やがて北上川に合流)の左右もふくめ、若い頃に冬山や春山でよく雪上を歩いたところ。

「あそこでは、こんなことがあった。むこうでは、こんなこともあった。川沿いの崖の木にはクマタカの大きな巣もあったなァ。」などと、ここでの歩きは決まって40数年ほど前の山行の諸々を思いおこしながらの、昔をしのぶ歩きとなります。

南本内川流域のカッチ(最上流部)にそびえる権四郎森(南本内岳)は、雪がうっすらと積もり、すでに完全な冬山。いつも自宅側からながめる三界山や南本内岳とは、立つ位置、見る方角がちがうので山々も形が別になって見えます。

40年を過ぎるほど前に歩いて以来、こちら側からの雪上三界山方面行きは体験していないので、「来年こそ、こちら側から三界山をまわり胆沢川流域への山行をしたいもの」と、山の地形を確認するための写真も撮りました。でも、実行に至らなかった昨年と同じように、お天気と行事などでどうなるかはわかりません。

ブナの森の道跡では、昨年もいただいたナメコが大きな倒木に食べ頃で出ていました。同じ倒木にはカノガ(ブナハリタケ)も。年々、幹の腐朽がすすむので、ナメコは昨年よりは発生量が少ないようです。

▼休日には、河川敷も散策。発生量が今年はきわめて少ないユギノシタキノゴ(雪の下きのこ・エノキタケ)や、流木などに出たナメコが所々でまだ見られます。今年のナメコはまずまずの豊作で、それもそろそろ盛りを終えようとしています。

ガマズミの実もいよいよ完熟。熟れて蔦から落ち始めたヤマブドウとあわせて、野の実の甘酸っぱさを味わえるのはそろそろ終わり。秋田でも「24日には平地に雪」の予報が出され初めましたので、地肌が見えるうちの野山散策はこれで終わりとなるかもしれません。女性たちが運営する村の直売所も、きのうで今年の営業を終え半年間の冬ごもりです。

成瀬ダム工事事務所と行政懇談会

毎年開催している成瀬ダム工事事務所のみなさんをお招きしての行政懇談会をきのう開きました。

村議会が長きにわたって行ってきた懇談会で、議会としてダム事業全体をとらえるうえで欠かせない行事となっています。また、年度毎の事業状況等にともなって生ずる関心事項や、村民から寄せられる事業に関する様々な声などについて、質問や意見を申し上げ、それに対する説明をいただくうえでも懇談会は貴重な機会となっています。

今回も、議会側からお届けしてある質問事項などへもふくめ詳しい説明をしていただき、事業への理解が深まったものと思われます。

会には、ダム事業に関わる懇談会ということもあり、糯田副村長と古谷成瀬ダム課長にも出席していただきました。

貴重な時間を割いていただいた工事事務所の花篭所長をはじめ両副所長、建設専門官、建設監督官、各課長のみなさん、各位に心からのお礼を申し上げます。

大根、白菜収穫

これから春までに食す自家用の大根、白菜等の収穫にやっと手をかけました。

晩秋から初冬にかけて農家の交わす挨拶には「でぇご、取ったが?(大根、取り終えましたか?)」の言葉がよく入ります。およそ半年の間に食べる野菜の収穫は、雪国人にとってもっとも大切な冬支度のひとつ。

今年の我が家は「もう少し野菜を生長させてから」と作業を日延べしていたために、いつもの年よりやや遅めの収穫時期となりました。

大根はごく普通の各種漬け物用として2品種、それにたくあん用を1種つくり、白菜もふくめてまずまずの出来で収穫できました。

昔から「でぇご、ねば、冬、越されねぇ(大根がないと、雪国では、冬を越されない)」とやや大げさにいうほど、豪雪の村の住人にとって大根はとても大切な野菜です。しろな(白菜)や夏に収穫したジャガイモもそれに並ぶ大切な越冬用野菜となります。

大根を畝から抜いていたら、ネズミが3匹ほど跳びだしました。大根の一部を食べた跡がありますから、ちょうど今はそれで命をつないでいる様子です。今年は暖かくてなのか、白菜や取り残しのキャベツにはまだたくさんのアオムシさんが活動しています。もし雪が降ったら、このアオムシさんはどうなるのでしょうか。

湯沢市議会、新しい構成に

わが村と隣接し、昔からいろんな分野で関係の深い湯沢市と横手市。

その二つの市で今年秋に市議会が改選され、新しい議会構成となっています。

湯沢市と羽後町、それにわが村も加わる湯沢雄勝広域市町村圏組合も、それぞれ3つの市町村議会による組合議会を構成していて、一部事務組合の行政組織としても湯沢市とは深い関係にあります。

その湯沢市議会で改選後に新しく就任された渡部正明議長さん、沓澤正雄副議長さんが、後藤克利事務局長さんとともにきのう就任の挨拶でお見えになりました。

広域議会も湯沢の議員さんたち全員が新しい方々であり、29日に開会予定の臨時議会で議長選出を行い、新たな体制で議案審議(令和2年度決算審議)にのぞむこととなります。

杉の葉ひろい

初冬に晴天となれば、根雪の前の我が家の冬支度のひとつに「杉の枯れ葉拾い」があります。

「杉の枯れ葉」は、薪ストーブの絶好の焚き点け材。家周りや田んぼ農道に落ちた枯れ葉を掃除がてらに拾い集めるのです。

いま拾い集めている枯れ葉は来年秋から使う焚き点け材です。枯れ葉を袋に詰めてなお1年間置くと乾燥が極限まで進み、焚き点けには最良の材になるというワケです。

おそらく全国の山間で薪ストーブで暖をとる方々の中には、スギやヒノキ、あすなろなどの枯れ葉を焚き点け材として利用している方が一定数おられると思われます。このすばらしい枯れ葉を使わない手はありませんからね。

我が家も、毎週少しずつ、休日に訪れた童たちともいっしょになって初冬の枯れ葉集めをしています。雪解けの春にも、冬の間に道路へ落ちた枯れ葉をもう一度掃除ついでに拾い集めます。

そんな作業をするたんぼ脇では、葉を落とし倒れる寸前の茎にナルコユリの仲間の実が連なり、やはり葉っぱをすべて落としたヤマブドウの蔦が完熟した実をいっぱいつけています。この実をめざして集まるのは、ブドウが大好きなテンが先かな、それともヤマドリかな、はたまたクマかな。そばには、オッと足を止めてしまうほどにやや不気味な赤のマムシグサの実も。

落葉が終わる頃、河川敷の柳の枯れ木に目立ち始めるのがユギノシタキノゴ(エノキタケ)。流木には晩生のナメコとナラタケもシーズン終わりの姿で見えます。

これからは、根雪になるまでのほんの少しの間、きのこシーズンの終わりを告げるエノキタケとの出会いで私の野の歩きはひとまず中断となります。新雪が降り積もったら、今度は冬山歩きの楽しみが待っています。