この国が大陸から分かれて島となり、こんなに雪の多いくにに我々の祖先が暮らすようになったとき、列島有数の豪雪の地成瀬川流域の森に生きる人々は、たとえば食肉系統では主にどんなものを食べたかを思うことが時々あります。
私の勝手な推測ですが、魚なら、渓流魚はすべてを口にし保存もしたでしょうが、大きな滝もなく魚止めの堰堤もない時代には、鮭やサクラマス、鮎も大量に遡上したはずで、いまの人々には考えられないほどに川は魚の宝庫だったのでしょう。当時、海で育った魚たちはどこまで成瀬川をのぼったのか、そういうむかしに思いを寄せることが時々あります。
そして鳥獣の肉。狩猟といえばマタギとクマの関係がよくクローズアップされます。が、豪雪の地で肉として最もひろく価値の大きかったのはこれもやはり大量に捕れるノウサギだったはずです。ノウサギは、雪国の人々にとって、冬を生きるに欠かせない貴重な資源だからです。とくに多雪の成瀬川流域は、生息数が圧倒的に多いノウサギが冬には捕獲しやすく、原始、古代、封建、近代と貴重な食の対象となったのでしょう。そう考えれば、豪雪の地に人々がすみついた一つの理由もわかるような気がします。要は食ですから。
いま、生業や暮らしに欠かせぬ食材としての狩猟に依存する生活はなくなりましたが、狩の伝統や技は村の猟友会員たちが代々受け継いできました。それが5年前の大震災の年に村の文化保存事業としてノウサギとクマの狩猟現場などを撮影収録しDVDとして編集され、記録としてのこされました。その時にも、「マタギ文化なら、クマより前に、まずノウサギ猟」ということを私は重視しました。ノウサギが野生食肉として最も価値が大きかったということと、巻き狩りの猟法でもノウサギ狩がまずは基本となるからです。
おとといは有害駆除のその最大の巻き狩り日。天気も快適、狩り場は狼沢と豊ガ沢の岩手県境付近までを範囲とする広大な範囲で、この時期にはめずらしくほとんどカンジキ必要なし(念のために皆さんカンジキを履いていますが)というほどに雪が締まり、しかも県境近くには新雪が薄くあってノウサギの足跡がよく見えました。「こんな条件はめったにない」という、会員にとってはうれしい一日となりました。
この日は、奥羽の山々がはるか遠くまで望まれ、焼石連峰、下り坂のお天気を知らせる雲を少しまとった鳥海山、それに横手盆地の多くが眼前に広がります。気持ちよかったですね、こういう景色の日は。
巻きは4回ほど行われたでしょうか。林の中を時速70~80㌔近くで走るノウサギ(姿がわかるかな)、カモシカ遠望、朝からのみなさんの動きや風景を切りとりましたのでごらんになってください。写真にもありますが豪雪の村のノウサギが真冬に最も大きく頼る食べ物はブナやコシアブラ、タラノキなどの芽と枝の皮です。人の与えた餌でない、まったく自然の餌を食べて育ったノウサギは、それこそ100㌫安心安全の優れもの食肉。それだけに、この狩りと食の伝統は、なくしたくないものですね。
▼きのうは農業委員会の3月総会。広域圏組合定例議会の運営で事前説明も受けました。