6月定例会議の日程決まる

議会運営委員会が昨日開かれ、6月定例会議の日程が決まりました。ひきつづき議会全員協議会も開かれ提出議案などの説明が行われました。本会議は行政報告と議案提出の4日に始まり、11日に一般質問、最終日は15日となります。この間に予算特別委員会や陳情審査などの常任委員会が開かれます。議案などの内容は議会ブログを。

会議の前には新任の地域おこし協力隊の紹介や、村の食肉加工センターを新たに運営する会社側のあいさつの時間もとられました。

会議では、議会の先例(慶弔規定)一部見直しも協議・改定されました。

今会議では陳情2件も審議されます。

▼村の田植えもそろそろ大詰め。田植え時も田植え後も比較的おだやかな天気が続いていますので、一部ばか苗病におかされた苗以外は順調な生育をみせているようです。今後も気温は高めに推移するという予報ですので初期生育はまずまずで進む見込みです。

田植えが終わり田んぼに水が満面に貯められています。深山の雪解け水もそろそろ落ち着く頃と重なり、成瀬川の水量はぐんと下がり安定しています。

落ち着いたこの季節の川もまた素敵な景色として目に映ります。

薪切り作業

ストーブに焚く薪切り作業をきのうから始めました。

薪に切り込むチェンソーの刃音とエンジン音が響くと、若い頃の伐倒・造材作業の頃を思いだし、全身の血の流れが普段よりも勢いよくなるように感じます。直径50㌢~1㍍ほどの大きなブナの丸太にむかった昔のことを体がおぼえていて、チェンソーを持つと力と注意力が全身にみなぎるからです。伐る、倒す、切るというのはまことに爽快なもの。

まずは買い求めた6立方㍍のナラ材に手をかけ、後に、作業を中断していたリンゴの廃材(雪害で倒伏)も「切り」に入ります。切断が終われば「割り」の作業へと移ります。

豪雪の村では、春をむかえてすぐにまた冬を越す準備が始まります。薪切りしかり、山菜の漬け物しかり、頭のなかは、もう7か月後の冬のくらしのことを描いているのです。

今日は村議会6月定例会議の日程などを決める議会運営委員会と議案説明の全員協議会が開かれます。本会議は4日に開かれます。

今年は白花を多くつけたフジ

休日中に2回目の除草剤を田んぼに散布。これで6月半ば過ぎの畦草刈りまでは主な農作業から手が離れます。

ただし、水管理の大事な時ですので、早朝、夕刻の毎日の「水見(みずみ)」は欠かせませんが。

人里では、フジやトチ、ガザキ(タニウツギ)、ミズキの花々が真っ盛りです。

集落では「ガザキの花さげば(咲けば)、奥山さ(深山にも)、タゲノゴ出る」と言われ、タケノコシーズン入りの指標にされてきたガザキの花。花盛りに合わせてブナの森ではタケノコが本番の季節へといよいよ入ります。

森の中では、写真のようにタケノコやサグ(エゾニュウ)を食べたクマさんの新しい大きな糞も見られるようになっています。きのう、岩井川集落南向かいの大沢では、雪崩跡の雪の塊を掘りながらサグの茎を食べているクマが目撃され、目撃した山菜(サグ)採りの方が、「おっかなくて、採りを止め逃げてきた」と語ったそうです。タケノコ山、サグ山と、クマの食べ物のある所は里も深山もクマの集まり場です。くれぐれもご用心を。

さて、花のことにもどります。毎年ご紹介しているようにわが集落には白い花をつける大きなフジの蔦木があります。年によって花をつけなかったり極端に花数が少ないこともあるこのフジの蔦木。昨年は花をほとんど見せませんでしたが今年はとても多くの花房をつけました。でも、いつもの年のような純の白さにはやや足りない色です。

野の花たちとならんで家まわりのツツジたちも満開です。背景の緑が日毎に濃くなるなかですから、花たちもみんな色鮮やかに見えてきます。

魅力あふれるタケノコ

豪雪の村でタケノコといえば、それはモウソウチクではなくネマガリタケノコとも名がつくチシマザサのタケノコ。

タケノコは、集落の河川敷などをふくめ人里のまわりでもよく採れる山菜ですが、やはり品質上級ものは、腐葉土で肥沃なブナの森深山が発生の本場です。村の場合は、岩手との県境にあたる奥羽山脈の脊梁部が最大の群生地で、これからのシーズンともなれば、県南地方の方々や山形の新庄・最上地方の方々が夜も明けぬうちから大挙して採取に訪れます。

遠出をして、あるいは夜も明けぬうちから出かけ、しかも採取そのものもほかの山菜に比べれば体力を消耗し、笹竹で体を傷めたり目をつく危険もあるタケノコ採り。それにクマとの遭遇(タケノコ山はクマの最良の食事場)や、背丈を上回る厚い笹のジャングルで方角がわからず行き先を見失う危険も常につきまといます。

それほどの負荷や危険を多く含むタケノコ採りですが、一度魅力にとりつかれた人々は毎年のように山へ向かいます。タケノコには人々を虜にするそれほどの深い魅力があるからです。

タケノコ採りをプロとしている方々や、臨時の販売収入をめざすために山入りする方は別にして、我々のように毎年タケノコ山に向かう人が絶えないのはナゼでしょうか。それはタケノコのもつ格別のおいしさと、風格、上品さ、美観、さらに瓶詰めや缶詰に加工して冬でもおいしく食べられ、またいつでもすぐ使えるのでお土産などにも喜ばれる最適な山菜だからでしょう。

我が家でも、その瓶詰め作業が今年も妻の手で行われました。きれいに皮をむく、洗う、長さや太さを揃える、殺菌するなど、多くの手数を必要とする瓶詰めはほんとに大変な作業。店頭に並ぶ瓶詰め加工品がそんなに安値ではないのもこういう作業をみればうなずけます。加工業者さんは、人件費だけでなくそれに原料仕入れの高い費用もかかるわけですからね。

ともあれ、我が家は冬に食べる瓶詰めを今年も揃えることができました。同じタケノコでも、時期の早い出始めは軟らかく「瓶詰めするならシーズン最初のタケノコ!」が私の鉄則。写真はその瓶詰めができあがるまでのタケノコの様子です。

ところで、それほど人の心をとらえるタケノコですが、前述した条件がつきまとうように山菜採り遭難がもっとも多いのもこのタケノコ採りです。タケノコの魅力には命の危険がともなう魔力も潜んでいるということでもあります。いよいよシーズン入り、遭難がないことを切に願いながら、山岳遭難救助隊員の一人として、気がひきしまる季節ともなりました。

シュデコ(シオデ)も食べ頃

アスパラガスのような形と食感をもつ山菜といえばオオナルコユリの仲間とシュデコ(シオデ・タチシオデ)があげられます。

雪解けの遅い我が家の田んぼ周りでは、その二つとも今が食べ頃。

シュデコは、土地によってはヒデコなどとも呼ばれ、秋田民謡のひでこ節などにも登場します。よく山菜の本などでは、シュデコをヒデコ(秀子)、アエコ(アイコ・ミヤマイラクサ)をやはり愛子という女子の名を便宜上あてはめて紹介したりする例もありますが、それはあくまでも便宜で、当て字ともいえるようです。つまり、人の名をあてる確かな説はないということなのでしょう。ただ、二つとも秋田ではとても好まれる山菜です。昔人がアイコとヒデコに女子の名をあてた想いがわかるような気がします。

▼植え付けられて4日後の田んぼの早苗は、天候にも恵まれしっかりと根が着いたようで、空に向かってまっすぐな姿勢を保てるようになりました。

土手では、レンゲツツジに一足遅れて咲く紅色のヤマツツジが少しずつつぼみを開き始めました。童の頃を思いだし花を一つつまんで口に入れたら、しっとりとした甘酸っぱさが確かめられました。60年ほど前のこれからの季節、私らガキ共は、放課後や休日に仲間と連れだってツツジの花とモヂッコと呼んだ虫えい(虫こぶ)を摘み取り食べるのが日課でした。

ヤマツツジの花を想うと口が甘酸っぱさをおぼえていて条件反射し、唾液が分泌される方は、そういう思い出のある方々でしょう。同じツツジでも、ヤマツツジは食べられますが、同じ所に咲くこともあるレンゲツツジは毒で、昔の童たちはレンゲツツジなどとはいわずこちらはドグツツジ(毒つつじ)と呼んだもの。

▼きのう夜は皆既月食の日。太陽、地球、月が一直線上に並ぶのは度々ありそんなにめずらしい事ではないそうですが、きのうはそれにスーパームーンが重なったので、夜空を見上げカメラやスマホを向けた方も多かったと思われます。

こちらはあまり関心がなかったのですが、妻はそうではないらしく、月食が始まる頃になったら窓から南東をながめ「はじまったよ、月が赤くなった!」とやや大きな声で呼びかけました。

時折雲が流れ天体ショーを遮ったりしますが、スーパームーンの皆既月食と月を隠す地球の影を眺めることができました。我が家からながめた月食を、カメラ手持ちで写した写真で載せておきます。

ブナの森深山の幸も顔を出す

桜の開花が記録史上で最も早かったところが多かった今年。村も、豪雪だった割には春がいつもの年より早く訪れました。

桜やほかの樹木、野草の開花が早いのと同じで、植物は一様に芽を出すのが早い春となりました。ブナの森深山のネマガリタケノコも、雪が極端に少なかった昨年よりもなお早く顔を出し始めました。今年は3月以降の天候がひときわ暖かかったためのようです。

狩りや登山で奥羽脊梁の冬山や春山を歩き、ブナの森の中でも積雪がほかより少なく雪解けの早い箇所を知っている私たちは、タケノコが早く顔を出す地点もよくわかります。

私のタケノコ採りもそんな所をまず最初にめざします。今年は、タケノコが大好きな森のクマさんも私より出足が遅いようです。クマも気づきに間に合わないほどタケノコの出が早いらしく、彼らの食べ跡はまだどこにも見られませんでした。

でも、まもなくクマ公たちもタケノコ山に集中のはず。私の採り跡を覚ったクマ公は、「オレの食事場に、先に侵入した者がいる!」と今朝あたりは思っているでしょう。クマは生息数が増加傾向のようですので入山の方はくれぐれもご用心を。これからは、今年生まれた若子を連れた母熊も穴から離れタケノコ山へ入るはずです。若子連れの母熊は最も危険な存在であることにも注意を。

ということで、タケノコ採りの方々もそろそろ多くが山に入り出す季節。クマとのことだけでなく、毎年よく発生する、方向を見失う遭難事案がおきないよう願いたいものです。

今朝、父の月命日のお膳には、深山のタケノコと里のワラビ、ウルイなどの山菜が供えられました。歳をとると月日の経つのが早く感じられるもの。今年も、もうタケノコやワラビの季節になったのです。

合居川源流・鎧(よろい)の滝

この一週間のうちにブナの萌えは森林限界までのぼりつめ、奥羽の嶺は県境部分の頂まで新緑の山へと衣替えを終えました。

わが集落から東方真正面にのぞむ焼石連峰のサンサゲェ(三界山・1381㍍)や権四郎森(ごんしろうもり・南本内岳・1492㍍)も新緑の中に残る雪の範囲が日毎に小さくなっています。

むかし、秋田、南部、仙台と三つの藩境となり、今も秋田・東成瀬村、岩手・西和賀町、奥州市とを隔て県境に位置する三界山は、天正の滝上流部を含む合居川の源流となる山です。西和賀町側は南本内川、奥州市側は胆沢川の上流部となり、それらは北上川へ合流し太平洋へと注ぎます。

合居川は、南本内川上流部と接する三界山すぐ麓の通称「じしょうのてい」(時宗の平・時宗という山岳信仰との関わり深きらしい地名)と名のつく平坦で広大な県境域を源流とし、わが家前で成瀬川と合流、やがて日本海へと注ぎます。

その源流部すぐ下の高所には滝があります。滝は、「じしょうのてい」周辺から流れる湧水と雪解け水を落とし、水量が多い今の季節は山が緑となったので滝が遠くからもよく望めます。

村内の集落から最も高所にのぞめる滝のすぐ北側には、急峻で樹木の生い茂れない崖があり、集落の山人はその崖を「鎧の倉」(よろいのくら)と呼んできました。倉のそばにある滝なので鎧の滝(よろいのたき)というわけです。

10年ほど前まで、春熊狩りや春山登山で何度も何度も立ち寄り、滝の上や下で喉をうるおし集落方面を見下ろした鎧の滝。若い頃、時々の山行をともにした方々との日々をしのぶ、ここは私にとってとても思い出深い滝のひとつです。夏は登山道がないので、沢登りかヤブこぎを覚悟しなければ行けない滝です。

豪雪を経て田植え

豪雪の冬だったのに3月は降雪が極端に少なく雪解けが早く進みました。おかげで農作業は平年並みの速度でとりくむことができ、田植えも過ぎた週末から本格化してきました。

県南の内陸部は特別豪雪地帯に指定されている市町村が多いのですが、それら平野部の地域よりはるかに積雪のあるわが村でも田植えの始まり時期はほとんど同じです。ということは、村の場合は雪が解けてから極めて短期間のうちに田植え前の準備作業がすべて行われるということになります。また、雪の解ける速度がそれだけ速いということもいえます。今年は、村人がよくいう「ゆぎは、降るように、ける(雪は、降る時の規模もすごいが、消える時の早さも、すごい!)」の表現そのものの春です。

我が家も、援軍を頼りに休日を見込んでの田植えとなりました。

苗の生長は申し分ないものですが、種籾の殺菌消毒が効かなかったのかどうしたのか「ばか苗病」が多く、育苗センターに責任を負う組織からそれに関する連絡なども入りました。栽培を委託されている農家のハウスをみれば、その異常な多さがよくわかります。

田んぼそばの土手では、すでに咲いていたレンゲツツジを追ってフジの花も咲き始めました。農道沿いのモミジイチゴの花もまだみんな散らずに見られます。この白い花、1か月後にはオレンジに輝くおいしい実を熟してくれます。

およそ30㌃の転作田に植えたワラビもいっせいに採り頃となり、身内の一同がこぞってワラビ採りを楽しんでいました。

クマの棲むサグ山へ

5月も末の頃が近づくと、山菜のそれまでの主役であったウド、シドゲ(モミジガサ)、アエコ(ミヤマイラクサ)、ホンナ、ウルイ、アザミなどに代わり、主役の座はワラビやサグ(エゾニュウ・シシウド)の中心茎へと移ります。

サグは、昔から村人が好んで食べてきた山菜で、若くて軟らかな中心茎だけを切り取り、皮をむいてそのまま塩蔵。冬に塩出しして、鍋物の具として重宝されます。

我が家でも、おでん風大根鍋に欠かせぬ具で、量の多寡はありますが毎年一度はサグ採りに向かいます。サグは深山のネマガリタケノコが出るまでのこの季節のクマの主食であり、クマの食べ跡に気をつけ、声や音を出してクマを追い払いながらの採りというわけです。

サグのある渓谷の斜面には、雪崩の塊が今年はとくに多くあります。雪の上には雪崩の直撃を受け根こそぎ倒され落ちてきた大きなブナがあちこちで横倒しになっています。これを見れば、ブナの大木を倒してしまう雪崩の破壊力のすさまじさがよくわかります。斜面には雪がまだあり、その融雪にあわせておきる落石もありますから「よくよく気をつけねば!」です。

ところで、数ある野草や樹木のなかで、クマはなぜ春から初夏の季節、とくに選んでサグやタケノコを食べるのでしょうか不思議です。サグは別にシシウドなどとも呼ばれます。草丈が大きいから「シシ」の字をあてたのか、それともクマをシシとも呼びますから、シシが好んで食べることを指してそう呼んだのか私にはわかりません。いずれ、サグはタケノコとともにクマにとってとても大切な食べ物です。

我が国では最強の動物とされるクマ。あの想像を絶するクマの力の源となるのは、今の季節だとサグ。サグには、クマにとって何か特別の栄養源となるものがあるのでしょうか。

▼5月のはじめ、村内の柳沢地区に今年生まれた子グマを連れた母熊と、大きなオスグマ2頭の計4頭のクマが目撃されたことを記していました。その後、柳沢と隣接する馬場地区の通称カトリノの畑で、クマの足跡が確認されています。これは走った様子の足跡ですから、日中、人影か何かに反応して逃げようとした跡のようです。

このように、彼らは集落そばの里山にも「定住」しています。里山でも彼らの食べ物のサグがたくさんありますから、入山にはくれぐれも要注意です。

圧政に未来はない

去る5月17日の秋田魁新報紙は、フリージャーナリスト北角裕樹氏への取材内容(共同通信の配信記事)を報じた。ミャンマーで逮捕、収監された後、26日ぶりに解放となり帰国したあの北角氏のことだ。

記事の見出しは「政治犯に過酷な尋問」とある。北角さんが収監中の政治犯と話した内容が記され、その政治犯は「目隠しされて殴る蹴るの暴行を加えられたり、食事を数日与えられなかったりし、命に関わる拷問を受けたと明かされた。」と北角氏に語ったようだ。拘束された北角氏自身に暴行などはなかったらしい。

私はこの記事をみて、政治という行為で人類が民主主義や基本的人権を侵す誤りからぬけ出せないでいる国がまだまだ世界に一定数あることを残念に思い、「政治犯」として市民を抑圧している勢力に強い憤りを感じた。

こうした抑圧にわたしはとりわけ敏感になる。それは、あの第二次世界大戦下の日本の暗黒政治やドイツなどのファシズムの歴史に敏感になるのと同じである。戦争は、民主主義と人権の抑圧からはじまり、ファシズムに抵抗する者のみにとどまらず、圧政に迎合しないというだけでも市民が弾圧の標的とされ、さらには「政治犯」として抑圧の対象とされた歴史を知るからである。弾圧には通報もふくめて時には市民も利用される。

あれから76年、軍政下のミャンマーで同じようなことがおこっているようだが、それだけではない。アジアの大国でも、民主化を求める勢力への弾圧強化と人権侵害があり、少数民族への抑圧、甚だしい人権侵害の強制収容などが続いているようだ。国際人権規約や国際法に合致しないとされるこの大国の行為には、国連総会第3委員会でも昨年10月、ドイツなどEU加盟国のほとんどが加わる39カ国が重大な懸念の共同声明を発表した。民主主義が原点の国際法に基づけばそれは当然の声明といえる。

民主主義とあいいれないミャンマーや隣りの大国のこのような非道で強権な政治は、前述したように76年前までの我が国にも存在した。しかし、我が国がたどった歴史のように、民主主義に背く行いをする者、人権を侵す行いをする国は、いつか必ず、歴史の審判でその大罪が裁かれる時がくると思われる。

人権抑圧がまかりとおるこれらの国の事案が報道されるなか、治安維持法下にあったわが国の暗黒政治の一端を物語風に記した著書が出版された。それは『アンブレイカブル』(柳広司著・角川書店)である。作中に登場する人物を扱った小説は、たとえば三浦綾子の最晩年の著書である『母』(角川書店)などがあるが、『アンブレイカブル』は圧政を進める側の人物を主人公に据えてその視点から物語を展開するという異色の作である。

地球上に未だに存在する強権政治の暴走・圧政ではどんなことが行われるか。それらはほぼ共通している。『アンブレイカブル』はそれを考えることのできる著書と思う。『アンブレイカブル』の訳語はそれとしてあるが、作者は「敗れざる者たち」という意をこの言葉に込めているようである。