圧政に未来はない

去る5月17日の秋田魁新報紙は、フリージャーナリスト北角裕樹氏への取材内容(共同通信の配信記事)を報じた。ミャンマーで逮捕、収監された後、26日ぶりに解放となり帰国したあの北角氏のことだ。

記事の見出しは「政治犯に過酷な尋問」とある。北角さんが収監中の政治犯と話した内容が記され、その政治犯は「目隠しされて殴る蹴るの暴行を加えられたり、食事を数日与えられなかったりし、命に関わる拷問を受けたと明かされた。」と北角氏に語ったようだ。拘束された北角氏自身に暴行などはなかったらしい。

私はこの記事をみて、政治という行為で人類が民主主義や基本的人権を侵す誤りからぬけ出せないでいる国がまだまだ世界に一定数あることを残念に思い、「政治犯」として市民を抑圧している勢力に強い憤りを感じた。

こうした抑圧にわたしはとりわけ敏感になる。それは、あの第二次世界大戦下の日本の暗黒政治やドイツなどのファシズムの歴史に敏感になるのと同じである。戦争は、民主主義と人権の抑圧からはじまり、ファシズムに抵抗する者のみにとどまらず、圧政に迎合しないというだけでも市民が弾圧の標的とされ、さらには「政治犯」として抑圧の対象とされた歴史を知るからである。弾圧には通報もふくめて時には市民も利用される。

あれから76年、軍政下のミャンマーで同じようなことがおこっているようだが、それだけではない。アジアの大国でも、民主化を求める勢力への弾圧強化と人権侵害があり、少数民族への抑圧、甚だしい人権侵害の強制収容などが続いているようだ。国際人権規約や国際法に合致しないとされるこの大国の行為には、国連総会第3委員会でも昨年10月、ドイツなどEU加盟国のほとんどが加わる39カ国が重大な懸念の共同声明を発表した。民主主義が原点の国際法に基づけばそれは当然の声明といえる。

民主主義とあいいれないミャンマーや隣りの大国のこのような非道で強権な政治は、前述したように76年前までの我が国にも存在した。しかし、我が国がたどった歴史のように、民主主義に背く行いをする者、人権を侵す行いをする国は、いつか必ず、歴史の審判でその大罪が裁かれる時がくると思われる。

人権抑圧がまかりとおるこれらの国の事案が報道されるなか、治安維持法下にあったわが国の暗黒政治の一端を物語風に記した著書が出版された。それは『アンブレイカブル』(柳広司著・角川書店)である。作中に登場する人物を扱った小説は、たとえば三浦綾子の最晩年の著書である『母』(角川書店)などがあるが、『アンブレイカブル』は圧政を進める側の人物を主人公に据えてその視点から物語を展開するという異色の作である。

地球上に未だに存在する強権政治の暴走・圧政ではどんなことが行われるか。それらはほぼ共通している。『アンブレイカブル』はそれを考えることのできる著書と思う。『アンブレイカブル』の訳語はそれとしてあるが、作者は「敗れざる者たち」という意をこの言葉に込めているようである。