これぞ高嶺の花・コマクサ

先月24日、宮城・蔵王で目にしたコマクサの花姿です。

火山で礫が多い裸地に植生するコマクサ。数が少なく、それに特有の華麗さをもつからでしょうか、よく「高山植物の女王」と呼ばれる花です。ほかの植物がほとんど根を張れない場所にぽつんぽつんと生き続けるコマクサは、乾燥や厳しい土壌環境に耐えられる植物なのでしょう。

花も素敵なのですが、特有の植生環境の中で根を張り生き続けるその生命力の強さに私は関心を注ぎます。

最強の水田雑草退治

きのう、おとといは、久しぶりに田んぼの泥の中を歩き雑草除去に集中しました。

退治に向かった雑草は、初・中期の除草剤散布ではほとんど除草効果のない「ビッキ(カエル)の鼻通し」と地元で呼ぶクログワイ。

我が家の田んぼでは、ほかの雑草は一本も無いといってよいほどですが、このクログワイだけは一部の圃場で勢いが強く、毎年、手作業での抜き取りを繰り返しています。

7月に入り、分けつ(稲の茎数が増えること)が終わって中干し(田んぼの水をいったん抜く)をする頃に除草剤で退治する方もおりますが、我が家は除草剤は2度目限りで、後は手作業という訳です。

たんぼの中には、体半分がカエルの姿になったオタマジャクシやミズカマキリ、イモリ、ドジョウがいっぱいです。羽化し始めたボンアゲズ(アカネトンボ)も、まだ軟らかな羽を弱々しく動かして稲の株に止まっていました。ゲンジボタルが羽化する頃、アカネトンボの仲間たちも羽化が始まるのですね。

粘土質で深い田んぼの土は、この時期になると土が締まっていて足を抜くのになかなか大変。これはとてもよい運動にもなります。ただし、足と腰の痛む仕事なので時々休憩をします。田んぼそばの土手にはカンゴの実(クワの実)が熟れ初めています。いくつかの粒を口に入れたら、童の頃の懐かしい日々を思い出しました。

甘~くおいしい実は、食べ始めたらやめられなくなります。これからは、このクワの実をめざしてクマたちが人里により近づきます。横手公園に出没し先日駆除されたという3頭の親子グマも、もしかしたらクワの実を食べに下りて来たのかもしれません。早朝や夕方、道路そばを散歩する方や、田んぼの水回りをする方、山菜採りの方なども、クワの実のある所は要注意です。

田んぼそばではモミジイチゴも熟れ始めています。みかん色の実が連なって熟す様子を見られるのはもう4~5日か、一週間ほど先かな。

湧き水の沼も夏模様濃く

過ぎた休日にながめた、湧き水が注ぐ沼のほとりに咲くトキソウの花と沼で育つジュンサイです。

岸辺の樹木にはモリアオガエルの卵が産みつけられています。

ヒツジグサの花を目当てにしたのですが、それはなんぼなんでも早すぎ。花をながめられるのはまだまだ先になりそうです。

湧き水で育つ天然のじゅんさいはようやく摘み取りがはじめられるほどになったばかり。ほんのわずかを摘み取り、これも今年の初モノいただきです。

湿地の多い沼の岸辺にはいろんなトンボがいっぱい。沼の妖精のような小さな水色のトンボ(イトトンボの仲間?)にはとくに目がひかれます。

部落要望箇所を視察

25日、村議会常任委員会による村内視察が行われました。

各部落・自治会から村と議会に出されている地区要望について視察するもので、村と議会恒例の大切な活動です。

いつものように水路や取水門などの改修・新設、道路関連が要望の多くを占めますが、今年は、冬の豪雪の影響で破損した水路箇所の改修要望や、道路法面からの落雪防止対策もひとつの特徴としてあげられます。

各要望は、村として検討・あるいは具体策が必要な内容についてはその考えが各部落にすでに伝達されており、県やほかの機関に関係する要望についてはそれらの当局へ村から内容が伝えられ検討されています。

▼休日には残していた薪割をやっと終えました。購入した6張(6立法㍍)のナラ材と果樹農家からいただいたリンゴ廃材(豪雪などで倒伏・雪折れ)2張(立法㍍)ほどを、今度は積む作業に入ります。

▼週末には、相模原の台地で獲れた甘~いトウモロコシが初夏の定期便として届きました。若い頃農業研修で1年間お世話になったSさん宅からの贈り物で、我が家では、毎年これが初モノのトウキビとなります。同じように昨日は、妻が若い頃農業研修でお世話になった千葉・館山のSさん宅から、こちらは素敵なトルコギキョウが送られてきました。大規模花卉栽培農家のSさん宅には、村の農業委員会一同も数年前に研修視察で訪れ、お忙しいなかお世話になっています。私も妻もまだ20歳の頃にお世話になった方々であり、農業経営だけでなく様々なことを学んだ恩師御夫妻です。あれから50年、こうして今も土地の農産物を年に何度も贈っていただけること、まことにありがたいものです。

▼日曜日の朝、「ほら、わえ(我が家)のウリだ!」と、妻が駕籠から取り出したキュウリ。我が家の畑のキュウリもこれが初モノです。食卓にあがる山菜の種類がグンと減るようになる初夏、それに代わってシュンギク、キュウリ、もう少し経てばナスと、夏の野菜が食卓の主となります。もちろん、山菜も、ワラビ、ミズ、フキはまだまだ毎日の食卓に上がり続けますが。

初夏の味覚といえば、県南地方の代表格はやはりサクランボ。産地として名高い湯沢市三関地区や横手市十文字地区、後発ながらリンゴ栽培農家の取り組みで栽培面積がいっきょに増えた増田地区と、湯沢と横手のサクランボは県を代表する特産物。

ダイヤのように輝く美しい果粒を目にすると、なんだか食べるのに少し気がひけるようにすらなります。

北海道、東北町村議会議長会の会議で宮城へ

23日から24日にかけ、北海道、東北町村議会議長会の会長・局長会議で宮城県蔵王町に出かけていました。

会議の目的は、令和2年度の決算審議や活動報告を確認し合い、今年の国に対する要望内容の決定、会の役員改選がひとつ。それに7月に行われる全国町村議会議長会などの役員改選にむけた北海道、東北からの候補者決定などです。

北海道、東北地区の町村議会議長会はこの日まで2年間、もちまわりで秋田が会長職を務めていました。前任の会長が任期満了で5月に退任され私がその職務についたことから前任会長の役割をそのまま引き継ぎ、この日の会議運営が終わるまで秋田が職責を果たすこととなっていました。そういうことで、急きょ暫時の会長として会議運営の議長役を仰せつかり貴重な初体験をさせていただきました。

会議の開催地も持ち回りできめられていて今年の当番は宮城県。宮城県の菊池修一会長さん(伊具郡丸森町議会議長)と村上恵造県町村議会事務局長をはじめ事務局のみなさんには、会議の準備や当日の運営のために大変なご難儀をおかけしました。また開催地蔵王町の方々からもいろいろとお気遣いをしていただきました。ここにあらためてお礼を申し上げる次第です。

今年は、北海道をのぞき東北の各町村議会議長会の役員も任期満了で改選のところが多く、各会長さんたちも多くが私と同じように新任での会議参加となりました。

ちなみに、北海道の渡部孝樹会長さんは勇払郡厚真町、青森県の佐藤洋治会長さんは北津軽郡板柳町、岩手県の伊藤雅章会長さんはおとなり胆沢郡金ケ崎町、山形県の鈴木君徳会長さんは最上郡大蔵村、福島県の小椋眞会長さんは耶麻郡北塩原村の議会議長さんです。

北海道、東北町村議会議長会の新しい会長には青森県の佐藤会長が、同副会長には岩手県の伊藤会長が就任となりました。任期は2年間です。

会議などを通じて、北海道や東北各県の要望、あるいは各道県や町、村の情報、各議長さんたちのそれぞれの物事に取り組む考えや為されている(為されてきた)職業などをお聞きすることができ、学ぶことの多いとても意義ある二日間となりました。

梅雨時の象徴ふたつ

夏至も過ぎ、今年も梅雨入りの季節となりました。

朝夕の水を見回る田んぼの土手にはエゾアジサイが咲き、まだ朝露のあるうちの草木の上にはカタツムリの姿も。

二つとも梅雨時の季節によく似合う自然からの贈りものみたいなもの。

エゾアジサイの花言葉は「元気な女性」とか?どなたがつけた花言葉かわかりませんが、私は「元気」よりも、むしろ「落ち着いた00」のほうがふさわしいような気がします。カタツムリももちろん落ち着きの象徴のような生きもの。梅雨時は、自然も人もようやく春の慌ただしさを過ぎ、落ち着く時ですからね。

草刈り共同作業はじまる

日曜日は早朝5時から田んぼ用水路の草刈り共同作業へ。

この季節になると、部落の基幹用水路やそれに次ぐ用水路、夏の間だけ田んぼに引かれる用水路などの草刈り共同作業が村内いっせいに始まります。

いくつかの水路を重ねて利用している家では、今週はこっちの水路、来週はあっちの水路、その次は部落全体の基幹水路へと、草刈り作業が連続する方も。

年々高齢化が増し、住む人も減ってゆきますから、共同作業に出られる方も次第に少なくなり、山村の暮らしに欠かせない水路をまもる仕事は、ひとつの世帯にかかる負担がぐんと重くなります。加えて耕作されない農地が増え続けると、いろんなところへ負の連鎖がさらに及んでゆくのです。

▼日曜日には、集落の親子会の若い父さんたち4人が城下公園の草刈りをボランティアで行ってくれました。会の毎年の行事としてくみ込まれている奉仕活動で、休日の貴重な時間にありがたいものです。

ここは村が管理する施設ですが、こういう奉仕活動のおかげで公園はきれいすっきりとなりました。こちらも少子化で人数が極めて少なくなっていますが、そんななかでがんばっていただいた親子会のみなさんご苦労様でした。

▼日曜日の朝、わが集落で「キョロロロロローン」のアカショウビンの鳴き声を初めて耳にしました。「おっ、今年も忘れずに渡ってきたな!」と、声のする方向の林を見上げました。里山のマタタビの葉っぱが白くなり始めました。ちょうどその頃にアカショウビンは南のくにから渡ってくるのです。

タケノコ採り遭難の捜索

栗駒山麓・須川高原で金曜日にタケノコ採り遭難が発生、翌日の遭難救助活動に加わりました。

夕方、国道342号ですれ違った警察駐在所さんの車が、いつもの走る雰囲気と少しちがうおもむきで椿川方面へ上ります。それをみて「もしかしたら、タケノコ採り遭難発生かな?」と夕飯時に妻と語りました。

案の定、それからしばらくしての夜に電話が入り「須川湖のそばでタケノコ採り遭難発生。明日の捜索活動に出ることができるか?」との連絡が遭難救助隊の先輩幹部から入りました。やはり遭難発生だったのです。

遭難したのは宮城県大崎市の方で82歳の男性。男性と二人でタケノコ採りに入山し、「正午になっても待ち合わせ場所に帰らず」というものでした。同じ場所へのタケノコ採り体験が過去にもある方のようです。

捜索は18日夕刻に県警のヘリ「やまどり」によってまず空から行われ、いつものように夜から朝にかけては警察のパトカーが現場に常駐、捜索・救助につながる夜間特有の対応策がとられたようです。19日にも県消防の防災ヘリ「なまはげ」(写真)によって空からの捜索が行われました。同じ日の地上捜索隊は3班15名で編成され、さらに各班には横手警察署と広域消防署からも現場入りの捜索要員としてそれぞれの職員が加わります。

捜索は、入山地点の須川湖西南方面から小仁郷沢方面にかけてのブナ林内と笹藪で一度目の活動が行われ、その活動途中にいったん小仁郷沢で各班が合流しました。ちょうどその時、捜索していたヘリが「遭難者らしき人を発見」したようで、その知らせが現地捜索本部から我々の無線に入り、追ってすぐに「遭難者救助・搬送」の報も届きました。

我々の合流した沢のかなり下流域(約5㌔)で遭難の方は火を焚き煙りをあげていたらしく、それをヘリの隊員が発見したようです。

朝の須川湖畔周辺は、湖面がかなり激しく波立つほどに秣岳から吹き下ろす肌寒い東南風があり、濃い霧が山麓を早い速度で西に流れます。この日は、昼から午後にかけて雨も予報されていました。「ガス(霧)がブナ林と笹藪にもっと下がり、それに強い雨に風となれば、林内歩きも沢歩きも条件が最悪だな」と思っていたので、「無事発見・救助」の無線に一同「よかった!」と声を出し合いました。運良く、ガス(霧)が濃くならないうちに空から発見でき、捜索活動も予想より早めに切り上げることができホッとしました。

タケノコ採りは最終盤にさしかかっていますが、須川高原を始め村の県境の山々には山形ナンバーを含む県外、村外の方々の車が見られました。捜索の関係者一同、もう少しの間、緊張を緩められない日々が続きます。

虫たちも懸命に

山沿いにあって旧い造りの我が家は、クモたちにとってとても棲みよい環境らしく、虫たちの動きが活発になるこの季節になると軒下のあちこちに大きなクモが巣網を張ります。

このクモの巣は丈夫な造りで、大きな虫がしょっちゅうからめとられます。この間など、蝶が巣網にかかったかと思ったら、たちまちのうちにクモがそばにより巣網でがんじがらめにしてしまいました。

大きなセミや昆虫界の王者ともいえるオニヤンマさえも、このクモの巣に触れてしまったら、やはりこの蝶のようにすぐさま巣網でしばりつけられ動きが止められてしまいます。恐るべし、クモの力です。

▼虫といえば、きのう薪割りをしていたら、そばの草むらにオニヤンマの半分ほどの大きさのトンボが止まっていました。そばにはシオカラトンボも見えます。

蜂の巣作り開始をはじめ虫たちの動きが活発になる今の季節、水辺ではゲンジボタルが羽化し姿を見せ始める頃です。村のホタルの会の会員たちは、いま村内の定点観測地でホタルの生息数調査を手分けして行っています。私の観測地ではまだ見られません。今年の生息数動向が注目されます。

 

薪づくりの再開

きのうから薪づくりの再開です。

薪の切りはすでに終わっていて、今度は割の作業です。以前のようにマサカリを持っての薪割ではないので体にはあまりにも楽。逆に単調過ぎる作業のくりかえしなので、今度は「飽き」との根比べのような仕事となります。

休憩していると、青葉の中からデデッポッポーとヤマバトの鳴き声が聞こえます。鳥といえば、この頃になるとキョロロロロローンと山間によく響くアカショウビンの鳴き声が今年はまだ私と妻の耳には聞こえていません。

村のほかの集落では聞こえ初めているのでしょうか。