民俗を学ぶ者やそれに興味をもつ者にとって、遠く江戸時代に菅江真澄が著した「真澄遊覧記」はあらゆる意味で貴重な文献とされているようだ。
わが村の「郷土誌」が編纂される時もこの遊覧記の訳著書、「菅江真澄遊覧記」(平凡社・東洋文庫刊)は欠かせぬ参考文献のひとつとして引用もされている。菅江真澄が村を訪れ遊覧記に村の様子をとりあげているからだ。
遊覧記は単なる旅日記ではなく、訪れた土地の自然と人々の営みの背景を文と絵でとても細やかに記していて、天明(1780年代)から文政(1820年代後半)までの今から230年ほど前の人々の暮らしの様子が手にとるように偲べる。とりわけ生涯を閉じた第二の故郷ともいえる秋田については、藩主との結びつきが濃いためもあって、各郡を詳細に記した地誌としての内容をもつ書物ともなっている。それら花の出羽路、月の出羽路、雪の出羽路などは今でも遊覧記に関連する著書が県内でも度々刊行されている。
平凡社・東洋文庫刊の「菅江真澄遊覧記」は、我が国の秀でた民俗学者、内田武志氏(1909-1980、秋田県生まれ)と宮本常一氏(1907-1981、山口県生まれ)の共訳著として昭和40年(1965年)に全5巻として発行されている。
実は、数年前からほしいほしいと思っていたその書籍全5巻を、このほど思わぬ偶然で入手する機会に恵まれたのである。
古書が並んでいたのは都内八重洲のブックセンター。新幹線の待ち時間にここにはよく立ち寄る。たまたまその日は、センター地下の一画で神田神保町のある古書店が催している出前の古書市が開かれていたのだ。
「古書の老舗が多く並ぶ神保町まで行かなくても、もしかしたら、菅江真澄遊覧記があるかも?」と階段を下りいっぱいの古書をながめはじめてすぐ、なんと見上げる所の棚にその遊覧記5巻がきれいに並んでいるではないか。それは今から56年前、昭和40年発行の初版本で、当時の定価は1巻450円、5巻セットだと2,250円。当時、わが村の山仕事賃金が一日およそ750円の時代に、3日分の賃金に相当する値の本だったわけである。
東洋文庫と名は文庫だが、本の大きさは今の新書版ほどで函入り、しかも表紙の装丁もわが村の郷土誌なみで立派なもの。それが発行から56年経った2021年7月、古書として並んだ時の値は1,500円。それを見てマルを一つ読み間違いしたのではと思ったが、間違いなく値は1,500円。こちらにとってはなかなか手に入れる機会がなく宝のような本だが、古書商いの世界ではそんなに数の少ない書籍ではないのかもしれない。
でも、こちらにしてみれば、格安の1,500円で宝モノのようなこんなに貴重な書籍を偶然と幸運が重なって入手でき、「えがった、えがった!」と一人で喜んだところである。
いま56年前に世に出たその訳書遊覧記を日々読みつつ、併せて自宅の書棚から、数年前に求め読んでいた赤坂憲雄氏が著した「東北学/忘れられた東北」(2009年講談社発行の文庫。原本は1996年に作品社より刊行)を再び取り出した。そこで赤坂氏が柳田国男や菅江真澄に触れた部分も読みながら、菅江真澄の遺してくれたものへの感謝と偉大さとともに、それを我々もわかりやすく読めるよう現代文に訳し、全5巻の著書に結びつないだ編訳者の内田氏と宮本氏のお仕事の大きさにも深い敬意を抱いたところである。