新潟へ移動して一連の会議

31日は、日本海側唯一の政令指定都市である新潟市で全国町村議会議長会の都道府県会長会、共済会代議員会、互助会代議員会、それに都内半蔵門に建つ町村議員会館の運営に関する評議員会が開かれた。

前日都内で行われた研修会に出席の各都道府県町村議会議長会の会長一同が新潟市内に移動しての会議である。全国会の会長ご出身の地で一度は開かれることが慣例となっているようで、新潟県湯沢町議会の南雲正議長さんが会長なので今回は新潟開催となったわけである。

信濃川の河口部、港すぐ脇に建つ会場の朱鷺メッセメインホールで行われた会議には、再選が決まったばかりの新潟県知事花角英世氏、新潟県議会副議長の小島隆氏、新潟県町村会長で出雲崎町長の小林則幸氏の三氏が来賓としてご出席、ご挨拶を賜った。

会場の朱鷺メッセと連絡通路で結ばれるホテル日航新潟に宿泊したのだが、同ホテルは市内で最も高層のビルなのだろう、まわりに視界を遮る高層建築のない港すぐそばなので、その31階展望室や客室からの海や夜景の眺めはすばらしいものであった。

都道府県会長会の会議では、通常の議案採決や報告とともに、すでに地方6団体で表明している「ロシアによるウクライナ侵攻に対する声明」の報告も受けた。また「地方議会の位置付けを明確に規定する地方自治法の改正等の早期実現を求める決議」も可決された。

会場では、新潟市内の万代太鼓神龍会のみなさんによる見事な太鼓演奏を観賞できるという貴重なひとときも設けていただいた。

帰りは久しぶりに特急いなほで日本海側を新潟、山形と経て羽後本荘駅へ。日本海の波濤の先に見える新潟の粟島浦村(人口500人以下)と酒田市の飛島などをながめ、小さい島の単位でも自治や地域をまもっている人々のくらしを思いながら帰路についた。

長岡や津南などは幾度も訪れていたが新潟市内泊りははじめてのことです。南雲会長をはじめ開催地新潟の関係者の皆様には、何から何までお世話になりました。ここに心からのお礼を申し上げる次第です。30日夜から1日朝までの短い滞在でしたが、いろんな意味で、新潟のスケールの大きさを感じさせられたひとときでした。

町村議会議長・副議長研修会

全国町村議会議長会の恒例事業の一つとなっている議長・副議長研修会が30日に開催され副議長とともに出席。

いつものように研修の講演は講師3氏によってすすめられた。

初めに「町村議会のあるべき姿」と題して東大教授の大森彌氏が演題に立たれ、次に「町村議会議員報酬について」として大正大学教授の江藤俊昭氏、そして最後に「地方議会とハラスメント」と題して上智大学教授の三浦まり氏が語られた。

いずれも、町村議会固有の、あるいは地方議会や国会までもふくめ課題がなげかけられている演題であり、出席者各位は真剣に講演を拝聴した。

開会挨拶に立たれた南雲正会長さん(新潟県湯沢町議会議長)とは、当日、東京駅を出て会場となっていた東京国際フォーラムに歩いて向かう途中路上で偶然いっしょになり、ご挨拶を申し上げた。その際もそして翌日の会長会の場でも「湯沢町議会として行政視察でわが村を訪れたい」旨のお話を同行されていた議会事務局長さんからとともに告げられた。

実は以前にも、南雲会長さんからその旨をお聞きしていたのだったが、あの通りこの通りのコロナ禍だったので県外からの行政視察を当議会としては残念ながら「お断りするしかない」という判断に至り、その内容をホームページでもしめしていた。それを目にされた湯沢町の事務局長さんはあきらめておられたのかもしれないが、互いに対面できるこの日にあらためて可か不可かについてこちらの確認をしたいご意向でおられたようだった。

わが国ではワクチン接種が一定程度進み、一定の治療薬もあり、医療体制も一定程度安定化の状況になりつつあるとされている。そういう現況なので、今後は、コロナウィルスがある下でも社会活動全体を前進させなければならず、あらゆる側面の活動が予防対策を万全にしながら正常なかたちにもどすという方向で進みつつあるようだ。

議会の行政視察をふくめた様々な活動も同じであり、今回の研修会も、そして31日に新潟で開催された都道府県会長会も、「コロナ禍で失われた活動をもとに戻す」という議長会のひとつの意思のあらわれとみてもよいだろう。

そういうことで、当村議会としても、当局側とも相談し、この6月からは議会のホームページからコロナを理由とした「行政視察お断り」の旨の言葉を除くことにした。

湯沢町議会のみなさんはもちろんですが、これまでどおり全国のみなさんがわが村へお越しいただければと思っておりますので、どうかよろしくお願いいたします。

村三役退任の日にあたって

今日は村の政治史の大きな節目のひとつとなる日です。

6期24年間つとめられた佐々木哲男村長の退任、それにあわせて糯田正宏副村長と鶴飼孝教育長も退任をすでに表明されていて、三氏とも今日が最後の登庁の日となります。過ぎた議会では、三方から退任にあたってのご挨拶をいただいております。

三氏とは、こちらが議員として、あるいは議長としての仕事をするなかで、執行当局とそれにむきあう議会というそれぞれの立場のちがいがあり、それらをわきまえながらも、私としては教えられることが実に多く、議員活動でも議会運営のうえでも大変お世話になりました。

三氏は村の政治の場からは去られることになりますが、今後とも様々な面で村政発展のためのご助言をいただきたく、長年のご功労に感謝しつつあらためてご指導ご鞭撻のほどをおねがい申し上げる次第です。

本来であれば今日三方にお会いしてお礼と労いのご挨拶を申し上げるべき所ですが、30日から副議長とともに全国研修会で都内に出張し、そのまま今日は新潟で全国の町村議会議長会の都道府県会長会があり今日のご挨拶はかないません。ここからで失礼ですが、みなさん、長い間ほんとうにご難儀をおかけしました。ご苦労様でした。

▼野のムラサキヤシオやレンゲツツジに続いて、わが家の庭木でも各種つつじの花が見頃に入っています。

里山ではこれから一足遅れて花の仲間入りをするヤマツツジが、標高の高い高原ではタムシバがいよいよ花盛りの季節をむかえます。須川高原のタムシバ大群生も見事な花季節に入りますからみなさんぜひお出でください。栗駒山荘の露天風呂につかりながら花群落をながめたら究極の「癒やし」となりますよ。

残雪多い中タケノコ採りシーズン入り

28日(土曜)、かねてから約束していたAさんとともに山のご案内をしながらブナの森に入りました。

目的はタケノコです。風雨が強く濃いガスのため山入にはもっとも注意をはらわなければならない最悪の天気でしたが、歩く時間のごく短いすぐ近くの村内のブナの森ですし、夏冬と通い慣れた庭のような山なので決行です。

山入りして少々驚いたのは残雪の量の多さ。半世紀以上この山に入っていますが、今の時期にこれほど残雪があるのはめずらしいこと。鳥海山もふくめおそらく今年の東北の山々は残雪が多いでしょうから、登山の方々は道を間違えないようよく注意をはらう必要がありそうです。日帰り登山なら、午後には雪解け水で川や沢が増水しますから、今年の春山登山では渡渉などにも備えがとりわけ必要と思われます。

県境部にあるわが村内のブナの森ではタケノコが出始めたばかり。これからは多くのクマたちが主食のタケノコを求めてネマガリタケ(チチマザサ)の森に寄ってくるはず。この日も、ほんの少しですがクマの食べた跡も見られました。それなので、ラジオを鳴らし、二人でひっきりなしに大声をあげながらの採りとしました。

出始めのタケノコは軟らかく、私は「タケノコを採るなら出始め」を狙って山入りします。この日は初めてなので足慣らし体慣らし。採るところ正味1時間ほどで背中に軽い荷(通常採取量の半分)となるほどの収穫で帰路につきました。早速初モノをいただきましたが、予想したように軟らかで、やはり「出始め」の質の高さを再確認したところです。

山のアスパラガス2種

きのうはワラビでしたが、今日は野のアスパラガスと呼ばれるナルコユリの仲間とシオデの登場です。

同じ集落でも雪解けの遅いわが田んぼ土手は、これらの山菜がほかより遅れてカオを出します。

どちらも植生の箇所はごく限られ、それほど多くは採れない山菜です。二つとも甘みを特徴とする山菜で、とくにナルコユリは甘みとしては山菜でトップクラスでしょう。

ナルコユリの仲間は茎が太いので1~2本あれば数人分の食に必要な量を確保できます。が、わが集落でシュデコと呼ぶシオデやタチシオデは写真のように太いのに出会える機会は少なく採れる本数も限られています。太いシオデは山菜のなかでも貴重な種といえるでしょう。細いのなら、杉林の中などどこにもたくさんありますが。

ガザキ(タニウツギ)やミズキ、ヤマツツジの花が咲きはじめましたので、深山のタケノコもいよいよシーズン入り。今週末あたりからは、一年ぶりで県境ブナの森にタケノコ採り人の声がこだまするでしょう。ということは、遭難発生も心配されるシーズン入りになるということでもあります。タケノコ採りが集中する休日を主にして、警察、消防、村役場の気の抜けない日々がはじまります。

栽培ワラビ真っ盛り

ワラビを田んぼ25㌃ほどで栽培しているわが家。地元集落では最も雪解けの遅い場所にある転作田ですが、そこでもきのうお知らせしたようにワラビが採り頃の季節入りとなりました。

栽培といっても、もともと田んぼのあった所はワラビやゼンマイが自然に生える原野を開墾した農地。ワラビたちは同じ土に根を張り育っているので栽培モノも自然モノとほとんど同じワラビというわけです。

この開墾組合が拓いた田んぼも、生産者米価の暴落や後継者不足、栽培条件不利などで年々耕作されない農地が増え続けています。わが家も、ワラビがつくられているうちは草木などを取り除いて農地としてなんとか保っていますが、行く末がどうなるかはわかりません。

田んぼそばの高台には開墾組合の記念石碑があります。田んぼにワラビが植えられていたり、作物が作られない田んぼ、荒れた田んぼを開墾当時の人々がもし見ることができたなら「えっ、なんで?」と驚きの声をあげるでしょう。

今も将来も何億人規模の飢えをはじめとする食糧危機が叫ばれ、ロシアのウクライナ侵略により世界の飢える民はさらに急増するとされています。国内でもその日の食に困っている人々がいて、ボランティアによる支援では「日持ちするお米の支給はありがたい」と、お米の無料配給は今も人気があるそうです。そんな現実がある下で、水豊か、土豊か、気候温暖なこの国で、お米がつくられずに広大な農地が荒れてゆく。

政治とは、こういう理不尽をなくすためにあるのでしょうが、その矛盾を解決する一定の方策はたてられてきたものの、「生産費をはるかに下回る生産者米価」の現実が長年続き、その米価低落による所得を外国のように手厚い国の補助でささえるという根本策はたてられずに時は経ちます。市場経済にゆだねるだけという低米価が続けば、村も国内も田んぼの荒廃はさらに急加速するでしょう。

田んぼでワラビをつくりながら、年々、集落単位で耕作されない田んぼが増える村の状況と、集落を見下ろし続けてきた「郷土安全」「組合隆昌」の文字が刻まれた開墾記念碑をみて、世界の食糧危機にまでこちらの思案は及びます。

道路関係4つの同盟会総会

県南の高速道路建設促進や国道398号、国道108号、そして須川高原の県道仁郷大湯線などをふくむ西栗駒広域縦断道路など道路関係4つの同盟会の総会がきのう湯沢市で開かれました。

宮城県や大崎市、由利本荘市などが関係する路線もあり、総会は該当自治体の出席時間を配慮してくまれ順繰りにすすめられました。

村からは副村長と私が出席しましたが、今月末で退任となる糯田副村長とはこれが最後となるいっしょの行動でした。副村長が就任はじめのすぐに、道路関係の会議で岩手県奥州市に向かった時のことを想いおこし、ある感慨が胸にせまりました。

▼田んぼ脇でも家の植木もレンゲツツジが花盛りです。フジの花やガザキ(タニウツギ)の花も加わり、春の小花たちにかわり樹木の花が鮮やかになった田植え時の村です。

わが田んぼ脇の栽培ワラビも真っ盛りの季節となり、これから2ヶ月半ほど、食卓には毎日ワラビが並べられます。

ブナの花が実の形へ

今年は何年かに一度おとずれるブナの花数がゆたかな年(最初の写真)とお知らせしてきました。

花の季節を終えたブナは、いずこでも予想したように実をいっぱいにつけた姿でみられます。この殻のなかにしっかりと実が結ばれるよう願いたいものです。

わが家が実生から育てたブナ(2枚目の写真)も樹齢25年ほどで実を着け始め、それから3年ほど経った今年はほんとうにたくさんの実をつけました。

同じブナの実でも、秋に見比べれば、ほかの植物と同じように樹によって結実には早生や晩生があり、また粒の大きさにもかなりの違いがあります。わが家であちこちに植えている10本ほどのブナのうちでも写真のブナは最も大きな実を結ぶ樹ですので、実の多い今年は秋が楽しみです。

小学校運動会、田植え

21日の土曜日は小学校の運動会へ参加。コロナ禍のため実に3年ぶり開催となった運動会。お天気に恵まれ少々の暑さを感ずるなかでの半日となりました。

運動会名物の「飴食い・パン食い競争」はなく、コロナ前なら楽しいお昼をはさんで午後の日程もあったのですが、種目も減り内容もかなり変わった運動会となりました。おじいちゃん、おばあちゃんたちの観戦、応援も、密を考慮して「同居家族だけ」という範囲に限った運営であることも告げられました。議会もこちら一人だけの参加です。あれもこれもみなコロナ感染予防を考えてのことです。

ただし、終了後、密を避けての家族毎の昼食タイムは設けられたようです。運動会は、なんといっても野外でのこの昼食が楽しみですからね。

▼運動会を終えての午後ときのう日曜日は田植えでした。

もう少し後に植えたかったのですが、月末から来月初めにかけての行事があり、一連の作業のことを考え決行です。

畦際に雪が少し残っている5月はじめに畦削りをはじめ、それから耕起、水入れ、1回目の代掻き、畦塗り、仕上げの代掻き、そして田植え、1回目の除草剤散布と、わずか20日間ほどの間に一連の春作業をひとまず終えました。

妻は、昔からの「慣」が体にしみついているらしく、田植えが終わったら家の神棚に御神酒を献げました。田植えが無事終わったことへの感謝を込めつつ、穣作を願いました。

市場経済におけるお米の価値は以前とは比べものにならないほど低下していますが、主食としての稲作にむきあう人々の考えはやはり特別のものがあります。わたしはほとんどこだわりませんが、今も「田植えは『大安』の日を選ぶ」という方も結構おられことを、先日ある方からお聞きしました。お米作りにかける農家の思いというのはそれほど重いものなのですね。

きのうは久しぶりに小雨があり、カタツムリが田んぼ土手の草むらの中から出てきました。田植え後に水が満面に張られた田んぼでも、オタマジャクシやイモリ、アキアカネのやごなど、水を得た田んぼで過ごす生きものたちが、ようやく落ち着いた環境のなかで命をつなぐことができホッとしているでしょう。

村でもワラビの季節に

ほかの山菜より一足遅れてカオを出すのがワラビ。豪雪の村でも、その山菜2番手のワラビが採り頃をむかえ、わが家でも転作田25㌃ほどに植えているワラビが少しずつ食卓にあがりはじめています。

土深く根を張って勢いよく増える力をもつのがワラビ。なんど踏まれても刈られても田んぼの畦にまでどんどん新芽を出す姿を見ると「ワラビのように、たくましくありたいもの」とその都度思います。

▼今年も各地で山菜採りがクマに襲われるなどの報道がされています。先日入ったウドなど山菜の豊富なブナの森深山。雪崩の大きな塊が沢底に溜まっているそこの斜面は、サグ(エゾニュウ・シシウドの仲間)の芯(中心茎)を食べるクマたちが集中する場所です。

こちらが歩く先々のほぼ山全体で、今々、若芽の茎だけを選んで食べた跡と真っ黒い脱糞跡が見られました。どうやらこのクマはここをしばし幾日かの食事場所と定めたようです。深山のネマガリタケノコが大好きなクマは、タケノコが出る前の主食代わりにするのがこのサグの芯(中心茎)です。

山菜採りでクマとの出会いを防ぐためには、登山などと同じで自分の存在をクマに知らせることが鉄則。地声を出すのがまず最も効果があり、ラジオや鈴を鳴らしたりもクマを遠ざけるのには役立ちます。

もし母熊が若子連れ(今冬に生まれた子グマ連れ)で棲む山に入ったら、人間の存在がわかっても子グマの歩きが遅いので母熊は遠ざかるのに時間がかかります。そういう場合はほかのクマよりも危険度が増しますから、声や音を何度も何度もたてながら、クマが移動する時間を余裕をもって待つ必要もあるのです。