緑を増してきた早苗

初夏らしいお天気が少し続くようになり、早苗田は緑をどんどん濃くし始めました。

水がたっぷりと張られている田んぼには、いつの間にかオタマジャクシがいっぱいとなり、それまで取水口にうようよしていたイモリと合わさって生きものたちが存分に棲める環境となりました。

その田んぼ、もう少し時が進めば、カエルたちの大合唱が聞こえる田園ミュージカル公演のような場に様変わりするでしょう。

集落の要望で会議

きのうは恒例の部落長・自治会長会議が役場で行われました。

集落ごとにまとめられた村と議会への新たな要望を協議しあう会議で、それぞれの集落の代表から要望内容の説明が行われ、それにたいして現段階での村の考え、対応策が関係する課長から説明されました。

要望のうち現地の調査が必要と思われる内容については、後に村と議会による視察が行われる予定です。例年と同じで、村だけでなく県が関係する要望が今年も一定箇所ありました。

車庫のスクナギ(キセキレイ)孵化

わが家車庫の中に巣をかけ4つの卵を産んでいたスクナギ(キセキレイ)。

その卵が10日に2個、11日に遅れて2個とすべてヒナとなりました。

巣のまわりには2羽のスクナギがいますから、おそらくつがいなのでしょう。親鳥がエサを探しに巣をはなれたとき、孵化した直後のヒナを眺めたらこんな姿です。何日で巣立つのかその日が楽しみです。

▼20日に広域市町村圏組合の臨時議会が開かれる予定で、きのうはその会議や全員協議会に提案、報告される案件の説明を受けました。

議案は災害対応特殊消防ポンプ自動車の購入契約案、報告は消防署羽後分署建設事業の用地選定についてです。

濃霧の中、遭難者無事救助

9日に発生したタケノコ採り遭難(山形県新庄市の女性63歳)は、10日午前10時過ぎに無事救助されました。

遭難者発見に大きな役割を果たすヘリコプターでの捜索も朝に一時行われましたが、だんだんと天気が悪くなり濃霧に加えて時々雷鳴も。現場の須川高原一帯は濃霧の海となり空からの捜索は次第に困難となりました。

ヘリ到着に先駆けて地上からの捜索隊(警察、消防、消防団、山岳遭難救助隊)が3組に編成されそれぞれの担当箇所を捜索、幸い、遭難者は元気な状態で発見されました。遭難の女性は自力で歩ける状態で、発見地点から国道までは距離もそれほどないことからヘリによる吊り上げ救助なしで済みました。それでも捜索隊のすべての組が沢や笹藪から出て活動を終えたのは午後1時半近くになりました。

あいにくのお天気で、全員、朝から雨具をつけての捜索・救助活動でしたが、雨は予想したよりも少なく助かりました。ただ、沢の水は多く、沢を遡上するいくつかの箇所で渕や瀬を越えるのに手間取る所もありました。また、転落すれば命の危険がともなう滝を巻き崖を横切る2箇所ほどでは、足場が悪く「落ちれば終わりだぞ!つかまる柴木に体重をかけすぎるな!足下をよく確保して!焦らずゆっくり!」などのかけ声を出し合いながらの活動となりました。

須川高原は村内でもタケノコ採り遭難が最も多発する所。しかもその沢も山もタケノコ採り遭難救助活動では困難を極めるところです。捜索隊による二次遭難の危険や、沢沿いの捜索では前述したように転落の危険がともなう滝と崖の箇所もいくつかあります。平地の笹藪では、たとえ霧がなくても方角がわからなくなるホワイトアウトと同様の「笹藪アウト」にもなりやすく、こうした場所で円滑に救助活動ができるよう、日頃からの現場把握や現地踏査などの訓練がとても重要になります。

「山と沢を熟知した、またはある程度知った隊員の育成・発掘」も須川高原地区の捜索ではとくに急がれており、村、警察、消防、消防団、遭難救助隊の喫緊の課題と思われます。単独でも沢と国道までの林内を往復できる程度に山を知る後継の人々を数人から10人ほどは育て確保しなければ、これからの救助活動は円滑にできなくなります。捜索隊で須川高原の山に詳しく脚力の強い方の一定数はもう70歳前後なのです。

常備消防などにおいても、あの地区の現場を熟知するためのなんらかの心構えや対策が必要と思われます。

また、ジャングルのような厚い群生の笹藪では、遭難者を視認するうえで地上からの捜索活動は一定の限界がありむずかしい課題があります。なので、私はこれまでいろんな機会に述べてきましたが、ヘリが飛べない間、あるいはヘリが飛ばない間のドローン活用による空からの捜索をもっと強める必要も今回あらためて痛感しました。

この日の活動では、隊員が個別に持参した専用のGPS通信機器や、いまはほとんどが所持となっているスマホなどによる地図情報もとても役立ちました。現場の踏査研修、これらの機器と地図、磁石の持参と活用がこれからの捜索活動では隊員全員のごくあたりまえのこととしなければならない時代です。捜索に関係するそれぞれの機関におけるドローンもふくめたそれら専用機器・装備(転落防止のザイルなど)への新たな心構えと訓練も必要でしょう。捜索時にすでに個々の隊員が携行されるようになったトランシーバーと同じようにです。(今回は危険箇所の多い捜索現場をおわかりいただきたく、それら沢と滝の箇所の写真をあえて多く載せました。二次遭難を防ぐためにです。)

▼遭難者捜索の翌日(土曜日)、村なるせ保育園の「なるせっ子運動会」へラジオ体操までのプログラムに出席。

やはり新型コロナ禍で2年間できなかった運動会。3年ぶりの開催です。前日までの悪天も遠のいて、この日は風も無しで暖かな絶好の運動会日和となりました。園児も職員のみなさんも保護者家族も久しぶりの運動会。会場は笑顔がいっぱいの日となりました。

備前新村長も、村長としては初の運動会あいさつ(村の大きな公行事の初挨拶だったでしょうか)です。

アカショウビンの初鳴き

きのうの朝4時少し前、寝ていた妻が「アカショウビンの鳴き声が聞こえた!」とよろこびの声で語りました。わが家すぐそばの沢と小高い森、杉林の中からその声は家の中まで届いたようです。

今朝もちょうど同じ時刻、同じ場所でこんどは私の耳にも何度も何度もキョロロロロロローンの美声が届きました。

そこは、ほぼ毎年のようにアカショウビンが鳴く場所です。もしかしたら同じ個体が続けて南のくにから渡って来ているのかもしれません。これからは、毎朝、目覚めの床の中で、あるいは田んぼへの水回りの時と、「キョロロロロローン」と美しく響く鳴き声を聴くことができるでしょう。真っ赤な火の鳥アカショウビンのオスがメスにうったえるその姿を「いつかカメラに」と思っていますが、なかなかその余裕ある時間と機会はやってきません。

▼農作物への低温注意報が出るなど6月に入って気温の低い日が続きます。

わが家では、薪ストーブこそ焚かなくなったものの夜朝はもちろんのこと、日中でも時々石油ストーブで暖をとる日々です。わが家だけかと思ったら、かなりの家々でもまだ暖房に頼るくらしとなっているようです。

お天気のそんな具合とともに山々の残雪も多いので、気のせいでしょうが成瀬川の水もいつもよりいくぶん冷たく感じるほどです。

気温が低いので、田んぼの早苗もやや生長が遅く、苗の色も濃い緑になるのが少し遅いような気もします。明日からはお日様マークが並んでいるので苗たちは生育遅れを挽回するでしょう。

▼きのう夕方近く、サイレンを鳴らさないパトカーが椿川方面へ向かいます。いつものパトロールのうごきとは雰囲気がちがうようにみえたので「タケノコ採りの遭難かな?」と妻と語り合っての夕刻、消防団から電話が入り「タケノコ採り遭難発生、明日遭難救助に出動を」の連絡です。

そういうことで、早速昨夜のうちに出動の準備を整え、おそらく救助隊のみなさんはみな同じでしょうが今朝は3時半頃に起きて田んぼにでかけ、6時に役場出発のマイクロバスで須川高原に向かい救助活動です。朝のうちの天気は晴れですが、午後には雨となるようで、活動には困難がともなうでしょう。それまでに発見・救助したいものです。

(6月10日、朝4時半に記す)

車庫の中にキセキレイ営巣・抱卵

わが家の車庫の中に小鳥のキセキレイが巣をつくり抱卵を続けています。

ツバメやスズメなどとともに人の出入りする暮らしのすぐそばに巣をつくるのがキセキレイ。

車庫入れする際に時々キセキレイを見かけましたが、まさか車庫の中に巣をつくっているとは思わずにしばらく過ごしていました。

それが、あるモノをほしくて車庫の壁に近づいたら隙間の中からキセキレイが飛びだしてきました。その跡をのぞき込んだら卵のならんだ巣があったのです。飛びだしたのは卵を抱いている最中の親鳥だったのです。

親鳥は今日も卵を抱き続けています。いつ孵化するのか、車を出し入れする時々、警戒の眼をらんらんと輝かせながら卵を抱き続ける親鳥を遠くから眺めています。

まわりはみんな天然の野菜畑

春以来、わが家の食卓には山菜が途切れることなく上がり続けています。

ちょうど今の季節はやはりワラビが主ですが、雪解けの遅い谷から採られてきたホンナやウド、アザミ、コゴミ、そして太くて軟らかくてかたちのいい旬のネマガリタケノコもどんと登場です。

それに加えてミズ(ウワバミソウ)もそろそろ食べ頃になりはじめたので、わが家では、住まいの軒下まわりや田んぼ脇に群生するなかから少しずつ抜き取って味噌汁の具としています。もう少し経てばフキも採り頃となります。

畑で採れる栽培ものの野菜が本格的に出るまでの間は、こうして家周りや田んぼ脇、すぐそばの里山で採れる山菜で食を保ち必要な栄養をとることができますから、山のくらしとはうれしいものです。

わが家ではこれからしばらく「おしる草(おしるぐさ・集落では味噌汁のことをおしると呼ぶ。草はそれに入れる菜のこと)、採ってしてけろ!(採ってきてください)」という妻の声がかかる度に、田んぼの水見回りついでに畦際でミズを抜き採り、残雪がある里の谷に10分ほど車を走らせてはアザミやコゴミを手にして山の菜をたっぷりと利用します。ここではまるで、野と山がたくさんの菜を育てる天然の共同利用畑のようでもあるのです。

写真は、6月6日のわが家の山菜食。サバ缶で味噌煮したネマガリタケノコ、コゴミのごま和え、ホンナとワラビのおひたし、ウルイとミズの入った味噌汁です。

2回目の畦草刈り

おとといそして昨日と、2回目の畦草刈りに少しずつ動きました。いつもの年より少し早い2回目の草刈り作業入りですが、今後の会議・行事予定や所用の日程などをみて「やれるうちにやっておかねば」ということでのとりかかりです。

床屋さんに通った後のように、草を刈られた畦はきれいになりました。これからは、早苗が緑を増してぐんぐんと丈を増し株をひろげてくれますから、遠くから見ても田んぼの緑がいっきに濃くなるのにそれほど日数はかからないでしょう。

▼新型コロナ禍で2年以上もの間通常の動きができないできました。しかし5月からはいろんな会議や行事が入るようになり少しずつですが以前にもどろうとしています。

議会でも自宅でも予定を書き込むホワイトボードの日付欄にはコロナ禍前のように日程が記されるようになりました。ボードに空白の日がだんだんと少なくなってきたのを見て、事務局のみなさんと「ようやく、仕事をしているかたちがみえてきたかな」などと冗談をまじえて語り合ったところです。

田植えも終わりのころ

雪解けの遅かった豪雪の村でも、ようやく田植えが終わりの頃となっています。

すでに早苗がしっかりと根を張り生長の勢いをつけようとしているわが家の田んぼ脇には、花期を終えようとしているレンゲツツジにかわって真紅のヤマツツジが見頃の季節となりました。(1枚目の写真の上部がヤマツツジ、下部が遅咲きのレンゲツツジ)同じように畦際に咲くサラサドウダンツツジも花盛りです。

質の良い山菜が特産の村ではネマガリタケノコとワラビが真っ盛り。山形の方々は主にタケノコを求めて、宮城の方々は主にワラビを求めてと、例年のように県外ナンバーの山菜採り人がもっとも目につく季節がやってきました。

わが家の転作田のワラビも採り頃がずっと続いています。量が多く生では処理しきれないので、近年はゼンマイのように手もみ乾燥して貯蔵し、冬にいただくことにしています。ワラビの貯蔵といえば昔から塩漬けがごく普通の貯蔵方法でしたが、昨今は乾燥する方も多いようです。乾燥ワラビはゼンマイとちがった特有の歯ごたえ、おいしさがあるので、食通の間では干しての食材利用がじんわりとひろがっているようです。

ワラビは「ゼンマイとちがって手もみ無しで乾燥してもだいじょうぶ」というくらしの智慧をおもちの方のお話もこのほどお聞きしました。どんな分野にも、いろいろと研究されている方がおられるのですね。

ひと昔前なら、田植えが終われば「よで」と呼ぶさなぶりの宴が、結(ゆい)仲間同士で今日はこっちの家、明日はあっちの家でと行われ、その「よで」につきものの食材が、たとえばこちらの母の実家では新芽を出し始めたミョウガのおひたしや、ツブ(たにし)の味噌煮、ツブとニラをあわせたあえもの、酢ものでした。

また、家族や仲間で深山に鍋を持ち込み、焚き火の鍋にアザミの茎やウルイ、タケノコを手でもぎって放り込んでの豪快な山菜鍋もこの季節の楽しみ行事でした。が、いまの時代そんなことはほとんどなくなり、はるか遡った写真をアルバムでながめての「昔語り」になってしまいました。

そんな当時を想いながら里山の道路脇に車を止め、歩いて10秒ほどのすぐそばのまだ雪崩の塊が残っている谷に立ち寄ったら、雪解け直後の地面にホンナとアザミが群生していました。そこでサグ(エゾニュウ)の芯とホンナ、アザミの茎を採ってきました。

アザミとホンナは、これはうれしい「終わり初モノ」としておひたしや味噌汁でいただき、サグは冬におでんの具としてごちそうになるため漬け物にしました。

備前博和村長の船出

おととい午後、新潟から帰りコロナウィルスの検査で陰性をまず確かめ、時間がまだ退庁前だったので役場へ向かいました。

すぐに対応しなければならない件があったからで、それは村をおとずれるほかの議会からの行政視察の受け入れについてのことです。

先に記してあるようにほかの議会が行う村への行政視察については、コロナ禍を考慮ししばらくの間「お断り」していました。が、全国的に感染状況がほぼ固定化(安定化)にあり、医療体制やワクチン接種、治療薬の状況などを勘案したうえで訪問受け入れの再開をこのほど決め、その旨をこの1日から村のホームページでも表明していました。

それでまず何はさておきそのことを事務局一同とあらためて確認し合い、視察のご希望をすでにお伝えされていた湯沢町議会さんの方へ、その内容を事務局長から連絡していただきました。

それから一定の用務を済ませた後、この日の午前に村長として初登庁された備前博和村長が在庁のようだったのでご挨拶を申し上げに出ようとしていたら、村長がこちらの室に突然ごあいさつに見えられました。

新村長は、いつものように自然体で、みずからがかかげ主張してきた抱負や取りくむべき仕事の要諦について、坦々と笑顔で、時に真剣なまなざしでじっくりと語られました。何事も「はじめが肝心」ですので、私からも新村長に期待する当面のことと若干のあれこれについてを申し上げ、有意義な「はじめ」の語り合いのひとときを過ごしました。

こちらよりほぼ10年若いエネルギッシュな村長です。役場退職時の総務課長職前には議会事務局長を4年間つとめられた方でもあります。蓄積された経験を大いに活かされ「村民のくらし最優先を考える」政治姿勢を大切にされてのご奮闘を強く期待するものです。

▼NHK大河ドラマは頼朝や義経の時代を報じています。その義経の子を身ごもっていた静御前が、頼朝によってとらわれの身となった時に詠んだうたに出てくる「オダマキ」の花が田んぼ脇に咲き始めました。