ブナの実大豊作の年となるか

1995年前後の頃、山からひろってきたブナの実を蒔いて、実生から苗木を育てたわが家のブナは、樹齢25年ほどになったおととしあたりから初めてぽつんぽつんと実をつけはじめました。

ここ2年ほどは村のブナは実が不作でしたが、この春をむかえたら多くの枝に花芽がいっせいに膨らんでいます。わが家前の城下公園に植えられているブナも同じように花芽がいっぱい。このままこの花芽が実を結んでくれれば今年は数年ぶりのブナの実の大豊作の年となりそうです。

この秋の県南の森は久しぶりにブナの実が豊かとなり、生きものたちが食べきれないほどにうれしい秋となるかもしれません。

先月、雪の上のブナの枝に「新芽が大きく膨らんでいる」ことを記し、早すぎる膨らみには何かの「異常」の現れのようなことを書きましたが、その「早い膨らみ」は花芽だったようです。花芽はほかの新芽より早く芽吹くようで、そういえばそうだったかなぁなどと今頃思い返しているところです。

▼県内でもソメイヨシノの開花宣言が由利本荘市や秋田市などの沿岸部から聞こえてくるようになりました。ちょうどその頃、村の里山ではチヂザグラ(土桜・イワウチワ)が満開の頃をむかえます。

小鳥たちの姿が増えて

先日のこと、昼の食卓についていたら台所の窓越しに2~3羽の小鳥たちが見えます。

スズメかな?と確かめたら、スズメよりほんのちょっぴり小型の小鳥です。ホオジロかツグミに似ていますが、盛んにオミナエシの実を啄んでいます。草の実を食べるようなので野鳥に詳しい方ならホオジロと同定するでしょうか。

春の野は、留鳥、渡り鳥もふくめ小鳥たちでにぎやかになる時。そろそろ、私が心待ちにしているオオルリの群れやキビタキたちがはるか南のくにから渡来し姿を見せる頃です。私の目にはまだ入りませんが、もしかしたらもう村にも来ているのかな。

里近いブナの森にイワウチワ咲く

過ぎた休日、晴天に誘われ1時間ほど沼ノ又の清流に向かいました。目的はブナの森に咲くチヂザグラ(土桜・イワウチワ)の花。

「そろそろ咲いただろう」と思った通りで、沢沿いの急斜面、雪解けの最も早い箇所に少しの群落が花開いていました。

地面が比較的平らな所はまだ雪解けが遅く、森全体の群生がいっせいに花開く様子はもう少し先となりそうでした。今日辺りなら花の範囲がもっと広がっているでしょう。

この日向かったのは、午後3時頃ですが、清流はまだ本格的な雪解けとならず、沢の水量は午後になっても濁らずまだそれほど増えていません。なので、この日はどこでも簡単に沢を越えられます。そのおとなしい沢も、きのう、おとといあたりからの夏日でいっきに雪解けが進み、午後の沢渡りはだんだん危なくなりました。4月の下旬近くなれば深山も雪解けが本格化し、これらの沢も荒ぶる濁流となり簡単に渡渉はできなくなります。

沢には、はるか昔からヒラ(全層雪崩)が発生する危険箇所がいくつかあります。ヒラは斜面の土を巻き込んで崩れ落ちるため(写真)、下方にはたくさんの土が溜まります。そこは肥えた土が厚く積もるので品質のよい山菜がよく生えます。「山菜を採るなら、ヒラ落ちに向かえ」はハギミ(山菜採りを生業とする人々)の方々の常識なのです。

この沢には、村内ではめずらしい国有林に咲くフクジュソウが見られる所。雪解けが遅い今年、それでもフクジュソウが好む陽当たり斜面は雪の消えるのが早く、ポツリポツリと咲く花が観られました。ここにはカタクリもいっしょに咲くのですが、さすがにカタクリはまだ地面から芽のひとつも出していません。

冬囲いを解き、また来る冬の準備

週末から昨日は、雪の消えた箇所の住まいや農機具格納庫、農作業小屋などの冬囲いを解きました。

雪が消えないととりくめない所もあり、これからの外働きは農作業もふくめてすべて雪解けの進み具合にあわせての動きとなります。

きのうは、整枝やせんていなどで切られ(伐られ)たりんごの木の運搬にも動きました。木は身内のりんご農家からいただいたもので、すべて来シーズンの冬を越すための薪材となります。春が来たと思ったら、もう今度来る冬にそなえるしごとのはじまりです。今はとりあえず運搬だけ。切る、割る、積むの作業はもう少し先となります。

緑菜、青菜がどんどん増えて

こちらの同級生や同窓生たちには、花卉栽培や野菜栽培、法人経営などずいぶんと篤農家が多く、夏秋トマト栽培に専念しているSさんもそのお一人。

そのSさんは、冬の農閑期に「少しでも何かを作る」とトマト栽培用のハウスでホウレンソウを栽培しています。春まだ寒い村でつくられるホウレンソウは甘みがあってとってもおいしく、しかもその菜は安心安全の無農薬栽培です。

一方の野では、雪解けとともに家周りの土手に芽をだしたヒロッコ(あさつき)。妻は早速摘み取ってカヤギ(貝焼き)汁にしてくれました。むかしのヒロッコカヤギの出汁魚には旬のカド(ニシン)がつきものでした。しかし、味は良いものの小骨のあるカドはどうしても敬遠され、いまわが家のヒロッコカヤギの出汁魚はサバ缶詰に切り替わっています。

無農薬で作られる新鮮なホウレンソウ、野のヒロッコのカヤギと、食卓には春の緑菜、青菜(山菜)がどんどん増えてきて、それを取り入れた体はなんとなく元気さを増してくるように感ずるこの頃です。

▼晴天でやや風があると、杉の花粉がいっせいに放散されます。漂う杉花粉があまりに濃い時など、景色がかすんでしまうほどの春の村です。雪解けの季節は、雪のくにに住む者にとっては歓喜の春なのですが、花粉症アレルギーの方たちにとっては、きっと「つら過ぎる春」「来てほしくない春」なのでしょう。

▼県南高規格道路(高速道路)に関する期成同盟会の監査をきのう行いました。どこの同盟会も同じでしょうが、新型コロナ禍に入ってからは恒例のかたちと規模での活動が制約され、動きは極端に縮小されています。こういう事態をひとつの転機にして、それぞれの組織はあらゆる活動の見直しをすることが求められている気もいたします。とくに必要な行動は何か、変えるべきことはないかについてです。

入学お祝いに添え3つの花

きのうは小、中学校の入学式でした。

新しい1年生は小学校が12名、中学校が10名。新入生はもちろん、迎える側のみなさんもそれぞれ新鮮な雰囲気がいっぱいの体育館で式典が行われました。

新年度がはじまり、先生方も子供たちも新たな気持ちでのスタートです。教えに働く教職員のみなさんにとっても、学ぶ子たちにとっても、ひきつづき素敵な学校生活が過ごせることを願いながらお祝いの場を過ごしました。

そんなうれしい日、我が家のフクジュソウも満開。それに土手のチヂザグラ(土桜・)イワウチワ)も、チャワンバナコ(キクザキイチゲ)も「おめでとう!」の日にふさわしく蕾を開き始めました。

国家による殺人、弾圧がなぜ繰り返されるのか

ずっと以前に読み、棚に並べてあった本を取り出して再読することが多いのは、3月~4月にかけての季節だということを先に記していた。

夜がそんなに冷えなくなった今は、棚をながめて図書選びをし、寝床でのそんな愛読書の読み返しの日々が続いている。

昨日は、1991年7月に発行された「ヒトは狩人だった」(福島章著・青土社)に目がとまりふたたび手がのびた。

東大医学部卒で精神医学を専攻する著者は、犯罪者の精神分析の識者として著名な方である。なぜこの著書をまた読もうとしたかということだが、それは、日々生々しく報道されるロシアプーチン政権によるウクライナ侵略と市民への無差別殺戮行為と無縁ではない。

一般社会では、どこの国でも発生する個別の殺人犯罪も絶えない。一方で、戦争という行為、とりわけ侵攻・侵略戦争は言い換えれば「国家による、国家の名を借りた大量殺人行為」だが、その国家による殺人(はじめと最終の行為判断は個人)もいま現にみるように世界の歴史では絶えない。

人間をそのような「戦争犯罪」と呼ばれる残虐な行為にまでさせるのは何か。あるいはこれまで世界の歴史でおきた「粛清」や「弾圧」による大量殺戮行為や国民への抑圧が専制政治の手によってなぜ繰り返しおきるのか、これは、民主主義の有無や社会体制論だけでない分野でももっと研究が進められてよいことではないかと思うからである。
その点で、「ヒトは狩人だった」は多くの示唆をそこから学ぶことができる著書のひとつと思っている。福島氏は、この著書を序章の「人間の由来」から書き始め、第1章の「殺人者の攻撃性」から終章の「人類の行方」までを述べ、著者はそのあとがきで、

「………。しかし、私は、場合によっては大いに『倒錯的』ともなりうる人類が、この倒錯の能力の故に、将来この攻撃性の適応を誤って自らを絶滅させることがないことだけを祈って、この小考察を終わることにしたい。ヒトは、生き延びているかぎり、環境のいかなる変化にも適応する力がついてきていると思うのだが、もし核兵器などによって絶滅してしまえば、数百万年のヒトの進化の歴史も、すべては無に帰するであろうから。」

の言葉でこの著書を結ばれている。

1991年、今から30年ほど前に記された言葉だが、さらなる残虐性が証明されつつあるロシア・プーチン政権の戦争犯罪性を濃く帯びた行為を知る度に、殺人とヒトの攻撃性ということで、この著書に含まれる内容は人間社会への重い問いかけをもつ言葉ととらえている。

転入教職員の方々の合同あいさつ会

新しく村の学校に転入された小中教職員のみなさんの合同あいさつ会がきのう開かれ、村長、各課長、教育長、教育委員のみなさんとともに出席。

村恒例のあいさつ会ですが、新型コロナの感染症防止に考慮しここ2年は開催を見送りにしていましたから、久方ぶりの開催です。しかし、今年も転出の先生方の挨拶会は計画されなかったようで、転入の方々についても急きょの開催となったものでした。

転入されたみなさんへ私からは、「村の歴史にふれてほしく、そのための身近な手段として『村の郷土誌』と『4つの小学校の閉校記念誌』をお読みねがいたい」と申し上げました。教育もふくめ、村の自治を知っていただくためにはそれが最適の図書と思ったからです。2つの図書には、村の自治全体のカオが凝縮されて詰められているからです。

▼4月は、雪原一帯の積雪が締まる堅雪(かたゆき)のシーズン。そうなれば堅雪歩きができるようになり、カンジキなしでどこにでも気楽に向かえますからうれしいもの。

過ぎた休日も絶好の晴天堅雪で、訪れた孫たちとともに例の河川敷でたっぷりの散策をしました。

いつものように、湧水に育つクレソンやノゼリを摘んだり、川辺に立ち寄って半年ぶりになじみの川原の石に腰掛けたり、キツツキが虫を捕らえようと柳の幹に嘴で空けた穴を観察したりです。

童心に帰れるこの季節の堅雪渡りは、気分をスカッとさせるのにまことによし。今年は里の残雪が多く農作業遅れへの心配はありますが、この先に計画している深山ブナの森歩きでは、平年より山に雪が多いので楽しみです。

渓流にも春

堅雪で雪上歩きが楽になった様子をみて、2日朝、沼又沢へ少し入りました。

雪がゆるめば帰りは難儀だろうと念のためカンジキを持ったものの、それは使わないで済みました。

この日の目的は渓流沿いに芽を出したバッケ(ふきのとう)と、もし咲いていればのチヂザグラ(土桜・イワウチワ)を眺めること。

バッケと渓流はほどよい状態で見られましたが、今年は雪解けの進みが遅く、なんぼなんでもイワウチワの花はまだ早くて花芽が堅く閉じたままでした。蕾の様子をみればもう4~5日ほどしたら咲き始めるでしょうか。

渓流沿いでは花序や実をつけたハンノキが、雪を背景によく目立ちます。まだ自然がにぎやかな世界とならない雪のむらでは、さりげないこんな景色も素敵に思えてきます。

沢はヒラ落ち(底雪崩)の真っ最中です。渓流釣りや道路の春山除雪、栗駒山荘や須川高原温泉の開業準備に向かう方々などもふくめ、雪の多い今年の沢歩き、道路通行はヒラに要注意です。

味にほれぼれ横手りんご

「♪♪赤いりんごに くちびる よせて♪♪」のリンゴの唄は、戦後すぐの大ヒット映画「そよかぜ」の挿入歌として女優の並木路子が唄い、その後、日本史に刻まれる大歌手・美空ひばりのカバーなどでも広く知られた名歌です。

その映画のロケ地がわが村となりの横手市増田町であったことはひろく知られていることです。横手、平鹿地方は県内のりんご生産のはじまりの地で、横手市の旧平鹿町には県の果樹試験場もあり、多くの篤農家が今もおいしいりんごの生産に励んでいます。

この横手平鹿地方は、わが村ほどではありませんが県内有数の豪雪地帯です。なので、私がよく記すように「世界で最も豪雪の土地にあるリンゴ産地」といってよいのかもしれません。

豪雪からリンゴの木をまもるのは並大抵のことではなく、雪のない地方の世界や国内の農家が秋田県南地方の栽培の様子をみたらおそらく驚いてしまうでしょう。そんな中でつくられるリンゴは味が抜群で、それが産地の名を確かなものにする大きなささえになっていると思われます。

過ぎた冬も、2年続きの豪雪で栽培農家の苦労がよく報道されましたが、今はようやく雪の上での整枝やせん定作業も終わり、農家は切り落とした枝や折れた幹の後片付け真っ最中です。

産地と隣り合わせなので、横手平鹿地方と村には多くの親類縁者のつながりがあり、また県立増田高校には昔から村の高校入学者が多いこともあって友人知人の間柄も多く、頂いたり買い求めたりで村内の家々には冬の間に食べるリンゴがたくさん貯蔵されています。

我が家も冬の果物はもちろんリンゴ。何箱も積み置かれたりんごは田植えの頃までにほぼ食べ尽くされます。こちらは山歩きでリンゴをよくリュックに詰めます。

リンゴは長時間の荒いうごきをしていても堅くていたまず、若い頃の雪上春山歩きや春のクマ狩りでも最適の携行食。わざと粒の小さなリンゴを買い求めてリュックに詰め、帰路、空きっ腹とのどの乾きを癒やし、疲れをほぐしてくれるのにそれは最適の果物でした。