成瀬ダム関連で二つの会議

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成瀬ダムの進捗状況などについて、建設にあたる国交省成瀬ダム工事事務所所長小松寿氏を招いての研修会がきのう横手市役所で行われた。同ダム建設促進期成同盟会の主催。

ダムの総事業費は変わらず1530億円。平成26年度末の執行見込みで375億8千万円で、進捗率は24.6㌫とされる。今年度は、本体工事用道路工事、付替道路工事(2号トンネル工事)、ひきつづきの水理水文調査、地質調査等が当初予算としては22億円の配分で実施される。

研修会後、同盟会の総会がおこなわれた。同盟会は、大仙、横手、湯沢の3市と東成瀬村の各市町村長と議長、雄物川筋土地改良区理事長によって構成される。わが村以外は、いずれも水道やかんがい用水の一部をダムに頼る自治体である。

国や県の政策として強力に推進されている飼料用米の作付け拡大などに関連して、かんがい用水確保とダム建設促進の重要性など、これまでの水需要予測の概念範囲をこえた政策課題など、関心を呼ぶ話題も会議では出された。

また、全国の国直轄ダム建設促進に係わる「同盟会」など、他の同盟組織がつくりあげてきた運動形態について、参考となるものもあるので情報をとりよせ検討をお願いする旨の発言もあった。今年は、本体工事を準備するための工事が集中的におこなわれる予定で、建設現場や村の国道筋は、検証以前のような人々の行き交いがみられるだろう。

しごとをしたという満足感

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おととい、たんぼのクロ塗り(畦への土塗り)を終えました。

作業の大半が機械化した列島の稲作農業。今では畦塗り仕事に鍬をもつ光景は村でもほんの数えるほどの農家だけ。わが家も、以前は畦塗りを機械に頼んだり、ビニルを張ったりしました。でも、どうもこれはわが性に合わずで、結局、元の手作業に戻しました。

准老体のわが夫婦にこの作業はややきつくなっていますが、仕上がったときの爽快感は、鍬を手にした本人だからこそあじわえるもの。「しごとをしたな」という満足さを得たくて、年を経るごとに増す腰の痛みをがまんしながら、時代遅れ、絶滅危惧の作業をつづけています。

道行く人々から、「ずいぶん早く荒代(1回目の代掻き)掻いだなぁ。クロ塗ったなぁ」と言われました。実はこちらもそんなに早くはやりたくなかったのですが、何しろ今週から会議会議の連続。とても合間の時間に泥まみれになっている余裕はなく、「やれる時にやっておかねば」でこういう始末あわせに。

取りかかりは早くても田植えは結局25日前後あたりになる見込み。極めて小規模ながら職業は農業と冠しているだけに、春と秋、半ば常勤みたいな非常勤特別職には、ややつらい日々が続きます。

IMG_0098-1▼きのうは、部落(自治会)長・行政協力員会議へ。この春になって提出されている各地区の要望をそれぞれの代表から説明してもらうとともに、それに対する現時点での村からの説明や各種情報などを伝える会議。今後、要望箇所の現地調査が議会と村の合同で行われるため、議会代表として出席です。

土も空も水もみんな命の躍動へ

雪が少なく、春の天気もよく、山菜の季節がめずらしいほど早くおとずれた村でしたが、こちらはまだ一度も山菜をめざしての本格的山入りをしていません。

CIMG9317-1CIMG9316-1写真のシャクは車道脇に、ウドはわが家が山採りの苗を栽培しているもの。いずれも先月の27日に写していたもので、今年は山ではなく里ものや栽培もので例年より一週間以上早く初物をごちそうになりました。

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これも観賞用に栽培しているトガクシショウマ、5月7日でもう花が過ぎ具合。

CIMG9662-1最近にはめずらしくゴールデンウィークでたんぼの耕起を済ませ、自家の用水路に今年はじめての水を流しました。濁った水が木の葉を集めてトーッと流れる様子を目にすると、「さあ、今年も始まったな」と、初通水には農の始まりを実感します。

CIMG9665-1たんぼ脇の土手や畑などに植えられているゼンマイは今が盛り。味噌汁をはじめわが家の冬の食卓に欠かせぬ食材だけに、大量貯蔵にむけ、手数と、気の長さを必要とする母の作業がつづきます。

CIMG9666-1過ぎた週末に1回目の代掻きを終えたわが家。水を張ったたんぼや通水された水路にはカエルやイモリがまさに「水を得た生きもの」のような姿に。たんぼをおとずれた童はそれを見逃さず早速彼らに遊んでもらっていました。草木みな萌え、花も順を追って咲き継ぎ、生きものたちもみな目覚め、雪国は、土も空も水もみんな命躍動の季節入りです。

▼きのうは村農業委員会の5月総会。終わってすぐに、村農業振興地域整備促進協議会が開かれ、農用地区域への編入2件、除外1件の案件を協議しました。

戦後70年目の村戦傷病没者追悼式

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8日、戦後70年をむかえる年の戦傷病没者追悼式が役場開発センターで行われました。

人類史未曾有の大きな誤りによって尊い命を奪われたすべての人々への鎮魂の思いを込め、追悼の言葉を申し上げました。以下は、その概要です。
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春うららかとなった村は、ここ数年ではめずらしく雪消えが早くすすみ、幼少、あるいは青年の頃、御霊が家族とともに過ごされたふるさとの山は、そのときと同じように芽吹き、母なる川は、そのときと同じように深山の雪解け水がとうとうと流れ下り、育苗ハウスでは、村の農業振興をささえる早苗が緑を濃くしすくすくと育っています。

村の追悼式が、このように命みな萌える躍動豊かな春に執り行われるだけに、先の大戦で尊い命を奪われた御霊をしのびますと、毎年のように無念の思いがこの5月はさらにつのるのであります。

今年は、戦後70年を刻む大きな節目の時であり、「戦争の誤りを決して繰り返してはならない」の世論がこれまで以上に列島にこだましています。

その中でも、あの大戦を体験された方々の言葉は、70年を経た今日も、まるで今今のような臨場をもって私たち戦後に生まれた者の心に響きます。それは、御霊と同じように戦場を体験された方、引き揚げされた方、あるいは国内での原爆や空襲、沖縄上陸時の悲惨などを体験された方の生きた言葉であります。

私が触れましたそれらの言葉の多くでは、戦の地にあって命果てる際(きわ)に多くの方が、家族の名を、とりわけ「母」の言葉を声にしたといいますが、私は、その戦争体験者の言葉を、村の御霊がおかれました当時の心境に重ねてしのびます。そして、最愛の夫を、息子を、兄弟を、子と家族をうばった「あの戦争許すまじ」の決心をさらに深くします。

平和を希求するわたしたちの最大のよりどころは、御霊の尊い犠牲の上につくられた日本国憲法の平和精神でありますが、いま、その憲法に反する政治のうごきが加速しています。私たち村議会は、非核平和宣言を唱える村としてこの動きに瞬時に対応し、12月とこの3月議会において、集団的自衛権の行使を容認する閣議決定撤回を求める意見書を全会一致で可決し国会と政府あてに送りました。今後も、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないよう、憲法の精神を堅くまもり、戦争参加への道を許さないためにあらゆる努力を傾けることをここに誓います。
平成二十七年五月八日
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昨日は集落山神社の春の祭典。わが家は喪中のため、昨年に続きお祭りはご遠慮の春となりました。寒い一日で、神輿や恵比寿俵奉納での練り歩き、御神酒をのめない方や子供さん方にとってはなかなか大変な祭りであったでしょう。

わが家の小さな歴史の記録

CIMG0587-1CIMG0588-1▼農作業しかり、山仕事しかり、人々のはたらく姿は、その時代の標として私たちはとらえてきた。そして、時代ごとの標であるだけに、それらの仕事風景は今ではほとんど見られなくなってしまったものが多い。田んぼのコエ引きしかり、山での女たちの木引きしかり。

そのうちの一つである、冬のバチ橇(ばちぞり)運材も、もちろん絶えてしまった作業のうちの一つ。この欄でも何度か記しているが、バヂ乗りは、山林労働のなかでも最も危険なしごと。やまこ(山子?・山林労働者)で「バヂに乗れたら一人前」と昔は言った。

CIMG0589-1CIMG0585-1同じバヂゾリでも、「乗る度に命をかける」とまで言われたのが、長さ12尺の細いスギ材を縦真っ二つに割って丸い面を雪面と一部接触させるようにした「ユギ」と呼ぶ長木を左右に二本並べ、その上に長さ三尺の薪材をおよそ0.5㎥ほど積んだ「薪バヂ」であった。

「薪バヂ」でも、そうでないスギの12尺ものや、直径1㍍ほどのブナ材などを運ぶ「用材バヂ」でも、前日のソリ跡がカチンカチンに凍っている朝一番のソリを下ろす役目や、雪解けが急速に進んで、ソリが陥没する日も、命の覚悟を迫られるバヂ乗りであった。

5月10日前、ちょうど今頃は、奥羽の脊梁、北上川支流の胆沢川上流大森沢界隈などで春山バヂ引きが「岩井川のお祭りまでに山を終える」と、最後をむかえる頃だった。

写真は、わが家がまだ山林の仕事を盛んに行っていたおよそ40年前頃のもの。岩手の奥州市(旧水沢営林署)管内から払い下げられた国有林のブナを、春山雪上のバチゾリ運材で1箇所に集め、それを林業架線(集材機・空中ケーブル)で搬出した時の模様である。

CIMG0575-1大きなブナ材の端に「ガンタ」と呼ぶ道具をかけて、三人で長さ約2㍍材のブナの片方を浮かし、その下にバチを入れる作業、積み込んで後、急なソリ道を自重で下るバチと人と材、そして荷を下ろした後、下ってきた急なソリ道を今度はソリを担いで(胆沢の山ではそれはなかったが、薪バチは「長さ12尺の二本のユギをかつぐ役目も」)上る姿である。

自宅から歩いて毎朝県境の尾根を越え、雪の春山、真っ黒に日焼けしながら上りのバヂを担いだ20歳前後の当時を、この季節になると私は決まって思い出す。

CIMG0581-1写真は、私が横手に勤めはじめていた頃、写真を趣味とするMさんと、山仕事の現場視察をのぞむ労組関係のSさんの二人をご案内し、胆沢川、通称ハヂベェテイ(八兵平)の作業現場で撮った写真。(今は亡きMさんの撮った写真と、もしかしたら私の撮ったものがわずかに混じっているだろう)村の人々のバチ乗りは、この山でがおそらく最後であったろう。そういう意味で、わが家にとっては歴史のひとつの記録となる写真でもある。写真には、亡くなった伯父、父、近所の方もおれば、今も元気でがんばっておられる近所の元議員でもあり山仕事の先輩、叔父、友などが写っている。「お互い、当時は、糊の汗を流して、えぐ、がんばったんすな。時には命をかけて」と、思い出すのです、雪消の春は。

今年も仙北街道雪上歩きへ(その3)

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今回は始めから遠出は計画になかった。それでも丈ノ倉にリュックを置き、柏峠方面まで足を向け、途中から引き返した。

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昨年に親子グマたちと出会えたクラ(崖)で、穴口にある木に母グマが上ったブナには爪跡がいっぱい見られた。穴から3㍍ほどまでは近づいたが穴の確認はやめた。クマの居そうな気配はないが下は崖なので予断と油断は禁物。

CIMG0001-1CIMG0002-1「もしかして」と、少し離れて穴口をしばらく眺めていたら、クマではなくカモシカがお出まし。穴のそばのダシ(雪庇)から崖に下りて食事を摂りながらクラを歩いた。越冬穴のすぐそばでカモシカが何も警戒の姿を見せないということは、やはり、クマはもう穴から出て小出川下流か大深沢や明通の草木が萌えはじめたクラに移動したのかもしれない。

昨年もう一つのクマを目にした穴口にもクラにもクマの姿はない。こちらも、穴の中を確認したかったが、穴にいるかいないかまだ微妙な時期なので、これも崖下転落を怖れて止めにし、帰路についた。

CIMG1082-1CIMG1086-1CIMG1090-1CIMG1105-1CIMG1106-1CIMG1110-1CIMG1115-1CIMG1099-1今回は帰りも殆ど往路と同じコース。通称ゴンパの秋田側のブナ林を通り、いいかたちのネコヤナギを目にし、天敵に襲われ毛皮だけのこされたノウサギの骸跡をながめ、カントリーパークの除雪や国道へのガードロープ設置にうごく機械を遠目にしながら下る。下りの最後にはまたタゲマルギッパのクラで午後の陽に萌える春紅葉をながめ、車到着は2時。

CIMG1117-1CIMG1153-1時間があるので、そのまま帰宅せずに、この日正午に開通となったばかりの国道342号を上り、途中で、いま上がってきた仙北街道の尾根を明通沢越しに五里台から眺め、ビューポイント付近で、午前とはちがった方向からまた東山を眺める。車社会だから、午前に柏峠まで上がり、午後には下に戻って今度は国道から東山がのぞめるのだ。

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CIMG1148-1CIMG1149-1そのまま北俣沢まで進み、待ちかねていたイワウチワの群落に目をとめる。雪解けが早くて、いつもの群落は花が少ないが、まずまずと思える盛りの花群落を写真におさめ、この日の遠出をしめくくりとした。

 

以上が、先月24日の仙北街道行きと、同じ日に車で今度は下の国道から街道をながめつつ北俣沢まで上がった日の村の春景色です。

CIMG0001-130-1CIMG1307-1CIMG1320-1▼28日、雪解けが早いこともあって、わが集落ではもう「田のくろへずり(畦削り)」に精を出すSさんの姿が見られました。「なんぼがずづ、やっておがねば」と語る85歳のSさんの背景に、里山の春紅葉がひろがり、この日も、まんず、ええ空でした。

CIMG9621-1連休中は風邪がぬけず農作業はクロヘズリ(畦削り)など少々にし養生の日々。夏空のような下での畦削り。カタクリに囲まれ、残雪に腰掛けての一休み、その気持ちのいいこと。

改選後初の議会開かれる

※議会事務局提供
※議会事務局提供

改選後初の議会がきのう開かれた。初議会のおもな任務は議会人事を決めることと、議会に係わる関係機関の職務などにつく議員を決めること。

副議長と私は、ひき続き指名推薦というかたちで再任され、議会運営委員会の委員長には鈴木秋雄議員、副委員長には佐々木正夫議員。議長をのぞく全員構成の二つの常任委員会は、総務教育民生常任委員長が佐藤正次郎議員、副委員長に佐々木修議員。産業建設常任委員長が高橋健議員、副委員長は佐々木正利議員。予算特別委員会、災害対策特別委員会、議会広報対策特別委員会なども村の実情にあわせ設置、まずは活動のスタートがきられた。

他に、議会選出の監査委員には佐々木悦男議員が就き、湯沢雄勝広域市町村圏組合議会議員は佐々木正利議員、県後期高齢者医療広域連合議員には佐々木謙吉議員を選出した。

わが村のように議会事務局の員数がごく少なく限定されているところでは、人事異動にともない就任した新事務局長がまったく新しいことで初議会前の協議会から本会議とすべての議事運営関連事務をつかさどることになる。これは大変である。また一日で人事案件等のすべてをこなす初議会であり、さらにわが議会は昨年通年議会を施行し、加えて常任委員会の条例も改正したばかり。当然各種委員会構成に関する手続きや事務などにも変化が生じ、こうした諸々の会議文書に整合性をもたせて、しかもすべての会議を円滑におこなうというしごとは、事務局長も、自分のことをいうのはなんだが、議長も、各委員長もちょっと大変なのである。まあ、あれやこれや初議会によくあることが私もふくめ諸々あったが、ほぼ予定時間でまず決めるべきものをきちんと決めスタートをきることができた。
実は28日夜からせきをすると胸に響く風邪患い。議会前夜にはめずらしく氷枕をあてがってもらうほどの熱となり、体調すこぶる悪く、大事を前にしての不養生を反省した。我々は健康管理もしごとのうち、気をつけねば。以下は就任にあたっての私の挨拶骨子です。

〰〰〰〰〰〰〰〰〰〰〰〰〰〰〰〰〰〰〰〰〰〰〰〰〰〰〰〰〰まずもって、ご推挙を頂きましたことに対しまして厚くお礼申し上げます。改選後の議会は、年齢層、積み重ねてこられた職業、そしてまた各種の活動におきましても多彩な分野で活躍されてこられた各位によって構成されることとなりました。これ一つをとりましても、村づくりにおける議会の責務を大いに果たしてゆくことができるものと私は確信しております。

議会固有の任務であります二元代表の一方の側の役割につきましても、議員各位の蓄積された経験と、新たに加わりました新鮮さで、議会にもとめられる監視機能をしっかりと果たしながら、一方ではいっそうの創造力を発揮しまして政策提言活動の強化にさらにつとめることができると思います。
村の総合計画の着実な達成のためには、まさに車の両輪の一方が円滑なつとめを果たせることが常にもとめられております。議会の共同の力が十分に発揮できますよう、人心を大切にすることにとりわけ意を注ぎながら、公平無私の立場で議会運営につとめることに私は心を用います。どうか、ひきつづき、よろしくご助言、ご協力のほどお願い申し上げまして、甚だ簡単ではありますが、就任にあたりましてのご挨拶とさせていただきます。