大雨警報のお盆

県内は北から南まで大雨警報のなかでのお盆入りとなりました。北部や由利本荘市では大小河川の氾濫が連日のように報道されています。

村内では、3年ぶりに帰省された方々もおられたようで、迎え盆の13日、わが菩提寺境内もここ2年ほどとはちがったにぎやかさに見えました。

14日の村は、一時の雨はあったものの比較的おだやか。このお天気をいちばん喜んだのは花火遊びを楽しみにしていた童たち。「火」と「花」には童はもちろんのこと人の心が寄せられるもの。これを考えた方の商才には感心してしまいます。

きのうは運動がてら、合居川渓谷入り口に咲くこちらは本物の花ソバナをながめにブナ林の斜面へ1時間ほど入りました。

歩く途中、足下にマムシがいるのを目に。急斜面で柴木に手を伸ばす所だったので、気がつくのが遅ければ「危ない!」と少々緊張した場面もありました。

暦は立秋を過ぎ「残暑」の季節。ヤマブドウの実もやや紫色を帯び始めた粒も混じるようになっています。

斜面には、この谷で太さでは5本の指に入ると思われるブナの大樹があります。何百年もの間、林の変化を見続けてきた森の主のような幹ですが、まだ外見には朽ちた様子が見られず木肌はつやつや。同じブナでも健康長寿が保たれている老樹なのでしょう。そのそばにいると、何㍍もの豪雪に耐えすっくと枝を広げている幹から「元気の素」をいただけるような気になります。

 

稲穂出そろい傾ぎはじめ

明日はお盆。お正月を迎える時の「待つ」気分と少しちがい、お盆は「今年も早お盆が来たか」と一年の大きな節目が過ぎることへのさみしさをおぼえるほうが深いのは私だけでしょうか。

コロナ禍ではありながら、今年はお盆の帰省客も一定数はみられると思われます。しかし、わが地元集落の恒例の「夏祭り」は感染症拡大の状況を考慮し今年も中止となりました。
感染症への「慣れ」と「疲れ」がいわれますが、体調によっては命にかかわるウィルスに変わりはなく油断は禁物。大勢での屋内飲食をともなう祭りの内容を考えれば、感染防止のうえから中止は賢明な策といえるでしょう。

そうして迎えるお盆。異例の前線停滞で県北部や青森などで豪雨被害が続いています。被災されたみなさんへ心からのお見舞いを申し上げます。

田植えが比較的早かったわが家では、稲穂が出そろい傾ぎ初めました。この先も雨天が続くようなので、万全の適期防除とはいえませんがきのう午後ムリして病害虫防除の薬剤散布に繰り出しました。稲作農家は降水確率の高いどんよりの曇り空をながめながら、最大の敵カメムシが悪さをしないうちの防除に「さて、いつとりかかるか」と思案の日々となります。

盆ばなこ盛り

村で「盆花こ」(ぼんばなこ)と呼ぶオミナエシの花がわが家周りで真っ盛りです。

このオミナエシは野生種ではなく栽培種。妻が花卉園芸産地の千葉・館山や由利本荘市の花栽培先進地農家で研修後にこちらと結婚。今から40年ほど前の何年間か、リンドウやオミナエシ、キキョウを栽培、市販していました。その当時の種が家周りに増え、いまでは隣家の庭先にまで群生範囲をひろげているものです。

村では、以前なら赤土の見える裸地の多い原野などに生えていた薬草のセンブリ、それに花の美しいオキナグサ(毒草)と同じようにオミナエシもよく見られました。しかし今では3種の野草が生えるような条件の原野が少なくなり、まったくといってよいほど野生種の花は目にできなくなりました。

そんなこともあって、わが家では、田んぼの畦周りや土手などにもオミナエシの株を植え、花を愛でるようにしています。オミナエシは花期が長く、これから稲穂が稔る頃、そして稲刈りの後までもと、ずう~と花を楽しむことができます。

民間の力活用の定住促進住宅建設

PFI的手法による借り上げ型賃貸住宅建設の地鎮祭がきのう行われました。

この新しい定住促進住宅建設は、村が民間事業者に土地を無償貸付し、その民間業者が事業資金を調達して建設を行うとともに維持管理もし、村が30年間一括してそれを借上し料金を支払うシステムです。

この手法による村の事業は初めてで、今回は、1LDK(45㎡程度)の集合型住宅(2階建て)を10戸建設します。場所は若者定住促進住宅に隣接する田子内天神林地内で、約1500㎡の敷地面積となります。

村の住宅建設は国の補助金や過疎債などを財源として平成13年度から30年度までに28戸が建設され、ほかに定・移住対策として平成27年度から令和2年度まで6戸の空き家活用住宅も運用されています。

今回の新たな手法となる事業により、移住される方々の住宅確保はもちろんのこと、住宅事情を理由に村から離れる方をなくすことへの効果も期待されています。

県南3ヵ町村議会議員の集い

予定通り5日は羽後町の盆踊り会館を会場に県南3ヵ町村議会議員連絡協議会(羽後町、美郷町、東成瀬村)の研修交流会を開催。

講演をお願いした安藤豊羽後町長さんからは、年間売り上げ5億円に達しようとしている「道の駅」建設の経緯と現状、抱負について語って頂きました。

安藤町長さんは講演の締めくくりに「お互いに善政を競い合いたいもの」という旨を語られました。県南3ヵ町村議会議員連絡協議会は、平成の市町村合併を経て、県南で自治を進めることになった3つの町村がよびかけあって設立したもの。

3町村の交流を通じ「互いに切磋琢磨しあって住民のためになる自治を」が設立の趣旨でした。閉会にあたり私からも、「切磋琢磨を大切にしたい。善政の競い合いにはまったく同感」との思いをこめてお礼のごあいさつを申し上げました。

コロナ禍で準備にいろいろと気苦労をおかけした阿部養助議長さんや事務局をはじめ羽後町議会のみなさん、そしてご多忙のなか講師をお引き受けくださった安藤町長さんへ、あらためてお礼を申し上げます。ありがとうございました。

3年ぶりの研修交流会の開催でしたが、前にも記しましたように2部の意見交換会はコロナ禍拡大のなかにあり中止としました。来年はわが村が当番地。来年こそ「4年ぶりで全日程が通常どおりできるように」とのぞみをかけ「それぞれより旺盛な議会活動につとめよう」と誓い合いました。

▼きのう7日は集落の共同作業へ。道路(国道、村道)や公園の草刈りで、集落全体をきれいにしてお盆を迎えようとする恒例の作業です。

機械的に1年を半分に分ければ6月で半年ですが、雪国の村に生きる私にとっては「お盆8月が季節分けの大きな節目」。いつもこの欄で記すように昔から村人は「盆過ぎれば秋風吹く(あぎがぜふぐ)」といいました。8月半ばには夏の終わりを感ずるからです。そういえば暦もきのう7日が立秋でした。

二十四節気は古来の中国で生み出された季節分けということですが、その多くは村の季節の移ろいにもよく見合っています。

出穂はじまる

集落でやや田植えの早かったわが家の田んぼは、1日あたりから水稲の「はしりっ穂(ぽ)」(出始めの穂)が見え始めました。集落の水稲、今年はならして出穂がやや遅れているようです。

農作業小屋軒先のタマゴタケは次から次へとカオを出し続けています。相変わらずその紅色の美しさに魅入られ時々カメラを向けます。

盛夏に映えるのは農道沿いや田んぼ土手に咲くカンゾウの花。この花が終わりに近くなる頃、村はお盆を迎えます。相変わらず新型コロナの感染記録全国最多が続くなかです。村への今年の帰省客の動向ははたしてどうなるか気になるところです。

今日午後は羽後町で県南3町村議会(羽後町、美郷町、東成瀬村)の3年ぶりの交流研修会が行われます。講師に安藤豊羽後町長さんをお願いしての研修会です。残念ながら第2部の懇親会は、コロナ禍を考慮し相談のうえ中止となりました。

花の百名山、盛夏の焼石岳山行(その2)

花の百名山を世に知らしめた高原の広き花園・姥石平を迂回し、夏の花の代表格タカネツリガネニンジンの花ロードを進む。一休み予定のスゲイシ(南本内川最上流域)まできたら、なんと雲海から頭を出した岩手山、早池峰山が遠望できた。

これにご来光があれば今回の山行の願いは果たせたのだが、陽はもう高く昇り、時すでに遅し。「もしかしたら頂上まで行かずここで待てば、ガスがなく目的のご来光が望めたかも?」などと語り合ったが、今となってはなんともならず。雲海はやはり今朝もあったのだと思うと、一時消えかけていた悔しさがまた募ってきた。「あ~あ、残念無念」である。

ただ、雪渓上部からの雲海とご来光を望めるこの場所は撮影にはなかなかよいポイントであることを確認できた。これは今後に向けてひとつの収穫となった。雪渓-雲海-岩手山-早池峰山-ご来光、ここはそんな写真を撮れるまたとない絶景地点となるかも。

花が終わり伸びた花柱が羽毛のように美しいチングルマ。キンコウカやタチギボウシの群落を過ぎ、9合目南本内分岐でまたゆっくりと休む。焼石神社へ参拝しながら咲き始めのミヤマリンドウを撮る。

今年とりわけ残雪の多い鳥海山を真西にのぞみ、タカネナデシコなどを愛でつつ下る。途中、人の背丈をはるかに越す迫力のサグ(ミヤマシシウド)が、まるで花火のような花をつける中を過ぎ、イワテトウキの高貴な香りと花、チシマフウロ、トウゲブキ、キオン、マルバダケブキなどを左右にながめて再び焼石沼の岸辺へ。

ここの草原には南限種ともいわれるエゾクサイチゴの実が熟し始めていて、高原のイチゴをゆっくりとごちそうになり沼岸で一服。サンカヨウのほんわかと甘い実も口に含む。沼では大きなイワナが岸辺近くを悠々と泳いでいる。

登る時タゲ(岳)のすゞ(湧水)に浸しておいた桃太郎トマトと一夜漬けのキュウリは、手を3秒間以上は浸していられぬほど冷たい清水に冷やされている。それを囓り活力をつけてあとは一路黙々と下山のみ。

途中、登山道のぬかるみ整備のために上ってきた作業の方々と出会い、「ご苦労さん」とご挨拶。そのご一行のうちのSさんは、今回の夜行登山にお誘いしたうちのお一人。行き会ったSさんからの開口一番は「ご来光、えがったべ」であったが、あいにくの残念無念を告げた。なので、またの機会を暗黙のうちに確かめ合ったような気分にこちらはなった。

車到着11:35分。駐車場は関東ナンバーも含めほぼ満杯。花の百名山はやはり人気がある。単独、男女のお二人連れ、あるいは家族らしい3人連れなどの人々と復路ではすれ違った。タクシーで登山道まで来られたというやや高齢の東京の方もおられた。こちらは術後の体調をやや心配したがだいじょうぶ。健康体を再確認できた貴重な山行でもあった。

花の百名山、盛夏の焼石岳(その1)

29日、自宅前から夜10時少し過ぎに出て、秋田側登山道始点の駐車場に着き歩き始めが午後10:37分頃。車道では獣の姿は目に入らず。月光はほとんどなく満天の星空だ。

クマや最近出没するようになったイノシシのこともあり、お互い突然の出会いを避けるために時々「オーッ、ホーッ」などの声を上げながら歩く。こちらは、術後の体調にほんのちょっぴり心配もあり歩きはややゆっくりとする。

林を明るくしてくれるような月光はないので、ヘッドランプと懐中電灯の明かりを頼りに、時に語り、時に黙々と歩く。ブナの樹間からこれから向かう東方面の空に星が光る。いちばん大きく輝くやや赤い星は「惑星だろうか」などと思いながら歩く。

8合目手前の「タゲのすゞ」(すゞは湧き水の意)に桃太郎トマトとキュウリの一夜漬けを浸す。いつもの山行のように帰りの元気づけとしていただくための活力材だ。

沼に到着深夜12:55分。星空がとっても素敵。岸辺で少し休み、頂上に向かう。登山道はつい先日に草木が刈り払われたばかりで歩きやすい。9合目分岐に午前1:33分着。

やはり星空を満喫する。ここからは東焼石岳・夏油コース方面に入るため姥石平に向かう。いつもとは逆のコースどりをしたのは、夜の岩越えが危ないことを何度も体験していて、もうこちらは高齢者なので「危ない夜の岩道は避ける」こととしたため。その分歩く時間を多く要するが、ご来光までの時間をたっぷりとっていたので急がず登る。

9合目からの迂回コース登山道は刈り払いがされておらず、道に草が覆い被さり足下のよく見えない箇所が多い。夜だとなおさら見えず危ない。それに草木の夜露でズボンも靴も靴下も濡れてびっしょり。初めから雨具をつければよかったが、「気温がそれほど低くないので」と油断してしまった。こちら側登山道の刈り払いも早くとりかかってほしいもの。

頂上着は翌30日、午前2:43分。まずは靴をぬいで靴下の濡れをしぼり、肌着を着替える。これまでの夜行登山時とちがい気温はそれほど低くない。しかし、そうしているうちに空模様がだんだんおかしくなり、星がひとつも見えなくなった。西からの風に流された濃いガス(霧)にまわりはすべて覆われてしまう。「さあ残念、4:30分の日の出までにガスがなくなればいいが」と、祈るような心で待つ。しかしガスは晴れない。だが「写せる準備だけはしておこう」と、二人とも、早池峰山方面のやや南から出るご来光に向けて三脚にカメラをセット。待つ、待つ、待つ。真っ暗闇の花ふたつはその時の写真。

結局、ガスはまったく晴れず、ご来光は望めずに終わり。それでも、雲海などを期待して頂上で2時間ほど粘ったがダメ。仕方なく頂上夜明けの花々をながめ、朝食を軽くとり、やむなく来た道を下山だ。あとは姥石平の花々をながめる楽しみに気持ちを切り換え、花の百名山の夏を写し、スゲイシ(南本内川最上流域の雪渓のそば)でゆっくりと一服だ。

電算システム議会、町村長と議会議長の政策研究会

きのうは県町村電算システム共同事業組合議会が開かれ、後には、町村長と議会議長の政策研究会も行われました。

午前には、県町村議会議長会の令和3年度決算の監査を行った監事会にも立ち会いました。

恒例の政策研究会は、コロナ禍で中止が続き3年ぶりの開催。今回は、秋田県立大学の谷口吉光教授を講師にお迎えし、「有機農業を地域活性化に結びつける」と題する講演を拝聴しました。

谷口氏は、持続可能な農山漁村モデルとして「地域に豊かにある資源を使って、孫子の代まで安心して暮らせる仕組みをつくる」という発想に立つことなどを強調、そのひとつの活動例として自治体主導による「有機農業」とそれと結びついた移住の実績などが紹介されました。

県内ですすめられている風力発電や大手木材関連の企業進出を例にあげ、そうした従来型の外の力に頼る産業振興ではなく、自らの力で地域にある資源を宝として活かす方策をもっと探るべきではないかという提起であり、共感する内容の多いお話でした。

郡市消防訓練大会、村第3分団優勝県大会へ

29日の金曜日は「東成瀬テックソリューションズ(株)」(略称・なるテック)の成果報告会、同日夜遅くから30日にかけては焼石岳山行、31日は郡市の消防訓練大会と、暑いなか変化の激しい3日間でした。

「なるテック」は、東京で会社経営をしている近藤純光(村の地域おこし協力隊員)さんが昨年10月に新しく村に起こしたIT関連の会社で、村も出資する第三セクターとして設立。

設立後の第1回目の成果報告を行い、会社の姿を村民や地域全体に広く理解してもらうという目的の集いでした。

会社の従業員は村の地域おこし協力隊員でもあり、社長をふくめ現在の従業員は16人。なかにはご夫婦で着任の方もおられます。

メンバーの方3氏によるスピーチもお聞きしました。近藤社長のご挨拶にもありましたが、素直さや新しいことに挑む心にあふれる方々が多いと感じました。人間、とりわけ若い時には「新たなことに挑む」という生き方がとても大切と、私も自分の経験から強く感じます。

とにかく、会社に集う人々が、スピーチなどにあらわされた新鮮な決意、素直さ、実直な姿勢を保たれ、村でしっかりと頑張れるよう、我々も最大限のささえをしなければと思ったところです。

▼きのうは県消防協会湯沢市雄勝郡支部の消防訓練大会へ。

コロナ禍で3年ぶりの大会開催です。村の消防団は、郡市の関係者みなさんの予想のとおり、小型ポンプ操法の部で第3分団第3部(大柳地区)が令和元年度に続き優勝の誉れに輝きました。

礼式の部でも村の第2分団が3位となり、総合成績では村の団が2位の栄誉に。小型ポンプ操法は8月末の県大会への唯一の出場となります。この部では、最優秀選手賞を指揮者の高橋峰さんと佐藤勝也さんが受賞。佐藤さんは横浜から村に移住されて長く、その受賞には多くの注目があつまりました。

礼式の部の優勝は湯沢市消防団川連分団、総合優勝も同分団が獲得しました。暑いなかでの大会でした。出場のすべてのみなさん、その活動をささえるご家族のみなさん、ほんとうにご苦労様でした。第3分団のみなさん、県大会をめざしてまた練習の日々となるでしょうが、体調管理に気をつけられ、県大会でも村の過去の成績を上回れるよう頑張ってください。

▼29日夜10時半に出発した焼石岳行は、地域おこし協力隊の青西靖夫さんと二人の山行でした。青西さんは、栗駒や焼石をはじめとする自然と人々のくらしを主にして村を発信する職務に携わっておられます。

ムリして夜に向かったのは、頂上からのご来光を撮るのが目的。天気予報と行事予定から「この日しか行けない」ということで急きょ山行を決定。そのため、以前から「ご来光登山をいっしょに」と計画していた多くの方々へは連絡をしないままでの山行となってしまいました。それでもごく一部の方々には「急でもよければ」とお誘いしましたが、栗駒登山のガイド予定や焼石登山道路の修復などでその方々もダメとなり、結局、二人での徹夜登山となりました。

満天に輝く星空をながめつつの往路でしたが、「が」の文字がつくように、その星空が、ちょうど日の出の時刻の2時間ほど前から隠れはじめ、日の出の頃はあたりの視界が遮られる状態に。そうです。空は満天の星でしょうが、焼石岳周辺に奥羽山脈特有の濃い霧が発生し、連峰の頂上周辺をすべて覆いつづけたのです。

霧は、日の出が終わり我々が「残念無念」の重い心で頂上を下る頃にすっかりとなくなりました。自然とは人の思いのとおりにはならぬもの。「ご来光」しかも「ありったけすばらしい雲海から登る日の出」をしかも岩手山と早池峰山を背景に撮れる機会というものは、なかなかやってこないものです。秋田側には避難小屋がありませんから、テントをどこかに張って連泊でもしたらむずかしいことではありませんが、今はそんな余裕はなし。たまに行ける時の、お天気とこちらの都合の「運」にまかせるよりほかありません。今回は「運」が我々に味方してくれなかったということです。

「ご来光」の撮影は出来ませんでしたが、夏の花はいずこでも真っ盛り。とりわけ姥石平の花群落は見事の一語でした。「まあ、それだけでも、十分としよう」ということで、ご来光を望めなかった無念を散らそうとしましたが、それこそ徹夜で13時間ほどもかけての歩きでしたので、「残念無念」の思いが今もまだ解けないで少し残っています。なんと、翌日朝の日の出時間、田んぼ見回りに出かけながら焼石連峰方面をながめたら、山々はみんなガス(霧)がひとつもなくくっきり。自然は、我々によほどのいたずらをしたかったようです。それにしてもまたまた強く思ったことがあります。それは、「秋田側登山道の8合目に避難小屋がほしい」です。関係者へのはたらきかけをしようと思います。

事の始終は以上です。ご来光への「無念」の思いをもちながら花や風景に目を注ぎ、時には「ああ、こうして花盛りの景色をながめられるのだから、やっぱり来て良かった」と自分をなぐさめつつ写した山の様子を幾度かに分けてお知らせいたします。今回は、そのダイジェスト版です。