ミズバショウとリュウキンカの焼石山麓行その1

過ぎた日曜の15日のこと。前日にやり残していた田の畦塗りに朝からとりかかり、クワをもつ今年の手作業大仕事をひとまず終えました。

作業が終わってもまだ午前中。この日の予報は終日降水確率ゼロの晴天つづき。「この好天はのがされない」と、バタバタと準備を整え、田仕事に履いた靴を山登り靴に替え、急きょ焼石山行を決め、途中県境から妻に電話しました。携帯はこういう時まことに便利。

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国道397号から入る林道は岩棚沢のすぐ近くで残雪が厚くなり車はそこでストップ。いつもの車道終点駐車場はほとんど雪がありませんが、そこまでの数カ所にも多少雪が残っていて、もうしばらく車での終点上がりは無理のようです。

CIMG3514-1CIMG3518-1CIMG3520-1CIMG3524-1CIMG3522-1CIMG3525-1CIMG3527-1CIMG3528-1CIMG3529-1CIMG3530-1CIMG3568-1CIMG3579-1百姓しごとをひとつ終えてですから、歩き始めは9時。「今日は頂上を目指さず8合目の焼石沼まで。目的はミズバショウとリュウキンカ」と決めていての俄山行です。

この季節、残雪で登山道の一部が隠れていて、しかも雪がないところは道にネマガリタケや柴木がかぶさっていて歩きにくいだろうと予測していきました。案の定、雪で道が所々隠れているのは合居川と胆沢川分水嶺の尾根(冬山や春山の悪天時には最も迷いやすい箇所のひとつ)と、7合目柳瀞から8合目までの、いずれも雪の厚い箇所。ただ、予測よりも登山道の雪消えは進んでいて歩きやすく助かりました。

乾燥した空気のためかこの日は山々の遠望がきき、登り始めに県境から鳥海山をまずは振り返り、なじみの大森沢カッチ(最上流部)通称ヨゴヅゲの登山道をたどります。往きは5合目のシャガヂアゲ経由をとりました。ここら一帯はまだカタクリやショウジョウバカマが満開で、南には東山や栗駒の稜線がくっきり。東には焼石連峰の山々がどっしりで、先月歩いた蟻巣山も合居川渓谷をはさんでブナの芽吹きをほぼ終えようとしています。

6合目与治兵衛~8合目焼石沼までのあいだには各所に湿地や小さな沼があり、一帯ではリュウキンカやミズバショウの群生をながめられます。湿地で気軽に花を楽しめるのは残雪のある今のうちで、まもなく雪がなくなれば藪をこいで目的をめざすしかなく、せっかくたどりついても花は終わりということもあります。

「さて、今年の花はどうかな?」と、まずは一番目的の湿地へ雪を渡ったら、遠くからミズバショウの白さが目に入り、さらに近づいたらリュウキンカの黄色もいっぱいです。
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CIMG3752-1CIMG3753-1▼きのうは、いつもの決済や事務局長との打ち合わせを終え役場を出て、たんぼの畦草刈りの準備をしての10時過ぎ、これも俄に妻と二人で奥羽山脈の大きな群落としては北限に近いというシロヤシオツツジ(ゴヨウツツジ)の観賞にむかいました。帰っては、二人で今年最初の畦草刈り。あっちに、こっちにと、あいかわらずうごきの忙しいきのうでした。シロヤシオの咲くブナとキタゴヨウマツの森は、焼石山行に続いてご紹介いたします。

手作業、田のクロ(畦)塗りの「同士」たち

週末から好天に恵まれ、村ではたんぼの耕起作業が真っ盛りでした。

CIMG3490-1CIMG3501-1CIMG3503-1CIMG3509-1一方、わが家など、畦ぬりを手作業で行う農家はひと足早く耕起を済ませていて、この休日には我が家も畦塗りに精を出しました。

近年は機械での畦塗り作業が圧倒的に多くなり、わが集落でクワを手にしての畦塗り作業はほんのわずかとなっています。今年86歳になるSさんもそのお一人。また私より2年先輩のSさんご夫妻も同じ「手作業」の同士。

Sさんたちも、一度は機械による畦塗りを試みたことがありますが、「難儀だけれども、やっぱり手作業が一番」というこだわり派。お話をお聞きしたら、クワでの畦塗りをつづける理由はわたしとほぼ同じのようでした。この作業、腰は痛いし、筋肉全体を結構つかいますから、なかなかきつい。でも、難儀したあとできれいに仕上がった畦をみると、なんともいえない達成感がわいてきます。苦労の後には充実感があるのです。

CIMG3703-1作業後には、泥と汗にまみれてやや疲れた体と心を浴槽でいっきにせんたく。わが家の浴槽は露天風呂みたいに外の景色をながめながら入浴できるので、若葉とつつじをながめながら「♪今日の業をなしおえて……♪」などという気分にひたりながら命のせんたくです。

CIMG3477-1CIMG3487-1わが家のつつじも咲きだし芝桜も満開。栽培のゼンマイも採り頃ピークで、わが家も集落のみなさんも庭先でゼンマイもみにはげむ姿がいずこにもみられた休日でした。

CIMG3485-1週末の所用で入道をまわる途中、青葉の山向こうに鳥海山の一部がのぞまれました。展望の効く高所に上がれば別ですが、人里集落から鳥海山をながめられるのは村では入道野頭地区のここからだけ。ここに来ると、かつて鳥海山の頂上から双眼鏡で入道地区を眺めた時のことをよく思い出します。村の方向は、焼石連峰や土倉採石場の山が目印になるのですぐにわかるのです。

ささやかな贅沢

今年は国道397号も近年ではめずらしく2日に開通。村を貫く二つの国道がゴールデンウィーク時には通れるようになり、宮城、岩手の車をはじめ、県内外の方々が、春爛漫の山里と奥羽山脈緑の回廊のブナと残雪の景色を堪能しているはずです。

こちらの連休は「やれるときに、やれることをやっておかねば」ということで、3日、まだぬかるみの残るたんぼを無理して耕しにかかりました。この時で、たんぼにトラクターを入れたのは集落でまだ2~3人ぐらいだったでしょうか。その日までは雨天が多く、たんぼが乾きませんでしたから、おおかたは「無理をしない」での様子見が多かったようです。

大字田子内地区は連休までに耕起がほとんど終わっていますが、岩井川や椿川、大柳地区は、今日、明日、あさってが耕起真っ盛りとなるでしょう。

過ぎた連休に我が家へやってきた身内一同へのもてなしは、山菜のごちそうでした。なかでもみんなが共通して好物なのは、アザミの茎を鯖缶詰とともに鍋にする「アザミ汁」やアザミの茎の味噌汁。

CIMG3337-1CIMG3339-1CIMG3340-1その具材をめざして山入りし、大好きなアザミの茎を食べる時の童たちの姿を思い浮かべながら、手頃なアザミをよいしょっと背にして谷を下る途中、おいしそうなシドゲ(モミジガサ)と、きのこのワゲ(ヒラタケ)も背に加わりました。

春のヒラタケはきのことしては極上もの。アザミの茎と極上ヒラタケの入った味噌汁、これは質素だけれども、春の山里に暮らしているからこそできる我が家のささやかな贅沢でもあります。

CIMG3465-1CIMG3466-1連休過ぎになったら、その贅沢にササゴ(笹子・人里近くに植生する細めのチシマザサのタケノコ)が加わり、わが集落でもまとめて食べられるほどに顔を出しはじめました。

CIMG0001-1CIMG0002-1CIMG0003-1里山でほとんどの山菜が真っ盛りの頃になったきのう、いつもの年のようにわが家はたんぼに水を通しました。まず一度目の代掻きにこれからトラクターを入れ、畦塗り作業を今週から来週初めにかけては行えるでしょう。

水路の脇には、モミジイチゴの花が散り際の美しさをみせていました。

成瀬ダム関連の会議へ

CIMG3461-1CIMG3464-1成瀬ダム建設促進期成同盟会の今年度総会がきのう開催されました。

会議の前段には、ダム建設や治水に関する研修会が例年のように行われ、これには国交省東北地方整備局河川部長の畑山愼一氏と成瀬ダム工事事務所長の町屋政蔵氏が講師として出席されました。

この4月には、当村田子内にダム事務所新庁舎(延べ床面積1,260㎡、鉄骨造2階建、敷地面積約5,500㎡)の建設工事が着手されています。

成瀬ダムの総事業費は1,530億円。平成27年度末の進捗率は25.9㌫の395億9千万円。平成28年度は約52億2千万円の予算で、事務所庁舎建設、国道付替2号トンネル工事(1,800㍍)、左岸上流工事用道路工事、左岸掘削工事、右岸下流工事用道路工事、光ケーブル敷設工事、施設整備工事(維持的工事)などの主要工事が行われる運びです。

史上最大の人災を繰り返さぬ決意で戦没者追悼式へ

※部落長会議(議会事務局提供)
※部落長会議(議会事務局提供)

農業委員会の5月総会、村戦傷病没者追悼式、各地区の要望を寄せていただき役場からの情報もお伝えする部落長・行政協力員会議と、行事日程がきのうも連続しました。

国際的にも、国内でも、人間社会を治めるには武力(戦争)が必然という論が根深く、また台頭しているときだけに、わが国憲法の平和条項をまもる重さが極めて大きくなっています。議会を代表し、歴史の誤りを繰り返さぬ誓いをこめて追悼の言葉を申し上げました。

※追悼式(議会事務局提供)
※追悼式(議会事務局提供)

今年は、追悼の辞のなかに、富谷太一氏が著したニューギニア最後の死闘(共和印刷出版企画部発行)の著書の中におさめられた兵士各位の歌と著者の言葉の一部を引用させていただきました。以下、その大要を載せておきます。
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戦後70年を経て、比較的雪の少ない冬を過ごした村は、いつもの年よりいくぶん早めの春をむかえております。すでに桜花爛漫の時も過ぎ、萌葱色に染め上げられた村は、半年ぶりに外での農作業が本格化しようとしています。

このようにものみな躍動の春をむかえる5月に村の追悼式が行われるだけに、人生の最も心華やぐ時に尊い命を奪われ、ふるさとの春の訪れをほんの短い間しか感ずることのできなかった御霊各位の無念が心に迫ります。

このほど私は、終戦時の南方戦線である兵士たちが詠んだ歌を集めた著書を手にしました。それには、「ふるさとに 吾待つ母は如何にあらん 喜びにつけ悲しみにつけ」「手を振りて 送りたまひし母はいま あの星の方に在しまさんや」「さえざえと 輝きわたる満月に 母の姿のうつりくればや」「ゆめになど 偲ふよすがのふるさとの われ待つ母の姿を思ふ」「戦場に三人送りて身寄り無く 如何在すか老ひし父母」 戦地にあっても、ふるさと、そして母や父はかけがえのない心のささえだったことが歌からは偲ばれ、御霊の当時おかれたでありましょう心境に重ねて、私はこれらの詠み言葉を何度も追い、あらためて戦争のむごさを感じとりました。

これを著したのは、御霊各位と同じように大陸、南方と激戦の地をたどった方で、著者はそのあとがきで「空腹のまま敵陣に突入し戦死した将兵を想うとき、私の瞼の中に、いつも悲しい顔の戦友の姿があらわれる。そして煮えかえるような断腸の気持ちになってしまうのである。戦争は悲惨の一語に尽きる。」こう述べておられます。

「このむごさを二度とくりかえしてはならない」これが、御霊の尊い犠牲の上で今に生きる私たちのつとめと思います。平和を希求するわたしたちの最大のよりどころは、日本国憲法の平和精神でありますが、戦後70年を過ぎ、戦争の直接体験者が少なくなるにつれ平和憲法に反する政治のうごきが加速しています。それだけに、村議会は今後も、我が国が戦争参加への道に向かわないよう、平和宣言の村としてあらゆる努力を傾けることをここに誓います。
結びに、今年一月末、天皇、皇后両陛下が、約51万8千人という海外では最大級の日本人戦争犠牲者を出したフィリピンを訪問され、先のサイパン、パラオに次いで犠牲となられた方々の慰霊を果たされたことをここにご報告し、御霊の安らかならんことを深くお祈りしながら、ご遺族の皆様のご健勝を心から願いまして、追悼の言葉とさせていただきます。
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稀少な花トガクシショウマ

CIMG3365-1CIMG3357-1CIMG3370-1CIMG3374-1写真のはじめはトガクシショウマの花々です。私はこの花を観たいがために、新緑のブナの森へ年に一度は向かいます。

連休中日で希少な花は真っ盛り。柴木につかまらなければ立っていられない通い慣れた谷の急斜面に、わずかの群生ですが今年も見事に咲いていてくれました。

CIMG3404-1CIMG3396-1CIMG3394-1CIMG3393-1CIMG3399-1若葉につつまれた同じブナの森にはシラネアオイやムラサキヤシオツツジ、タムシバ、遅咲きのイワウチワと見頃の花がいっぱい。秋にもよく訪れる林ですが、芽吹きの柔らかな緑と花の森も心安らぐ景色をみせてくれますから、ここは私の大好きな山のうちのひとつです。

CIMG3457-1CIMG3458-1▼きのうは、湯沢雄勝広域市町村圏組合議会の行政視察で宮城県登米市への日程に一日を費やしました。

視察の目的は、登米市の消防防災センター庁舎の建設概要などを学ぶこと。わが広域行政組合でも消防本部庁舎の改築が大きな課題です。今年度の当初予算には新庁舎建設の基本設計業務委託予算が置かれており、更新をすでに為していた登米市のとりくみから教訓をくみとることでした。

視察には、広域組合議会議員の一同とともに組合の管理者、副管理者である市町村長の3方とともに、広域組合の職員や各市町村の職員なども参加しました。

登米市の藤井副市長さんや沼倉市議会議長さん、鈴木消防長をはじめ消防本部のみなさんからは、多忙ななか日程を割いていただき、懇切な説明をお聞きすることができたこと、ここにあらためてお礼申し上げます。

山里の暮らしも春のうごきが本格開始

土曜日は早朝5時から、たんぼ用水路のヘギブシン(堰普請・共同掃除作業)に繰り出しました。

CIMG3408-1CIMG3412-1ここの水路は生活用水や道路消雪もふくめて一年中通水しています。各種事業で改良が繰り返されてきた水路でもあるために昔のような時間と労力を要さずに掃除作業を終えることができます。雪崩などの影響で破損している箇所もあり、そこは中山間地直接支払制度など、山間農地を保全する関係事業で対応してもらうことになります。

この普請が終われば、およそ一年ぶりにたんぼへ水が通され代掻きへ。山里は瑞穂のくにらしい水鏡の田園風景へといっきに姿を変えます。

用水路の作業を終え、今度は部落の神社へむかいました。この日は宵宮です。別当役一家、男も女も繰り出し、幟旗立てやしめ縄飾り付け、社殿の掃除、そして宵宮祭事と8日の本祭典、終わっての後仕舞いにあれこれと精を出しました。

CIMG3420-1CIMG3425-1CIMG3427-1CIMG3434-1みなさんまったくはじめての別当役として慣れない作業に終始。「ああだ、こうだ」とやり直しをなんども重ねながら、先日のしめ縄つくりと同じでなんとか祭りをむかえるかたちだけは整え当日をむかえました。

一同、「今度は、こういうモノを準備して、ここは、こうやればいい。女性の存在や意見をもっと考えた関連施設整備も早急に必要」などと、作業を重ねながら様々な教訓が語り合われました。

CIMG3437-1CIMG3438-1CIMG3443-1CIMG3447-1晴天強風の下、3つの親子会と青年会の計4つの恵比寿俵奉納や神輿の奉納も行われ、祭典はめでたく終了。強風から幟旗をまもる作業を幾度も繰り返すなど思わぬ天候の日となりましたが、別途役当番としてはもっとも柱となる祭事をまずは通過しました。村内はそれぞれの集落の春祭りがほぼ終わりに近づき、祭りが過ぎれば春の農作業もいよいよ本格化です。

食物連鎖の厳しい現場

先日、山菜採りでむかった里山でのことです。斜面を歩いていたら突然、完全に夏毛色にならないノウサギの成獣が目の前から跳び出しました。

まわりはほとんど雪が消えていますから、まだ体に白さが残る今の時期のノウサギにとっては「保護色」ではなく「危険色」の毛色ということになります。これは、夜なら天敵のキツネやテン、日中なら猛禽類にさぞ狙われやすいだろうなと、立ち止まったノウサギを見て一瞬思いました。

そのノウサギはカメラを取り出す前に林の中に消えましたが、直後に私の目にとび込んできたのは、またも成獣のノウサギ。しかもそれは場所を10㍍と離れないでの2匹の死体。いずれも獣か猛禽類に狙われたのでしょう。

CIMG3316-1一匹の死体のノウサギは、襲われてから1~2日しかたっていなくて、獣が最も欲する内臓がまだ全部食べられず残されています。捕獲者はさかんと肉か内臓を食べていた最中に私に近づかれ、急いで逃げたのかもしれません。

CIMG3318-1もう一匹のノウサギの死体は内臓が食べ尽くされていますが、まだ肉の一部は残っています。いずれも、おそらく夜に、待ち伏せしていたキツネかテンに狙われた確率99㌫でしょう。なぜなら、二つの死体のすぐそばには、襲った四つ足のいきものが寝て休んだ跡が明瞭だったからです。ただし、この日の頭上には、タカの仲間がつがいで飛んでいましたから、日中に猛禽類に襲われた可能性もゼロとはいえません。

夜でも、昼でも、雪がなくなったのにこんな灰白色ですから、狙われやすい。今の時期の生死3匹のノウサギを目にして、「ノウサギが保護色に変わる節目の春と秋は、食物連鎖、弱肉強食の厳しい季節なんだな」と感じた自然のひとコマでした。

4月末で山菜が本番突入

さあ、山菜本番のゴールデンウィークがやってきました。

近年では雪解けがもっとも早く進んだ村ですから、予想以上に山菜の芽出しが早く、連休初日29日に開業した村の直売所はもう山菜のオンパレードでした。

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CIMG3308-1こちらも、毎年早めに山菜が出そうなヒラ(底雪崩)の落ちた急斜面に向かった所、ウド、アザミ、ホンナ、ワラビ、ジェンメ(ゼンマイ)、オオナルコユリ、シュデコ(シオデ)などがもう採り頃。コゴミなどは過ぎ具合で、雪解けの遅い場所を選ばなければ手にできないほど。

村は集落によって標高がずいぶんちがうので所によってですが、例年になく山菜の春は早く進んでいます。こんな年は、おそらく過去にもそう多くはないでしょう。ただし、雪が少なくて雪崩が落ちにくかった斜面は雪解けが遅く、ここだけは雪の多い年よりも逆に山菜の発生が遅いという珍現象も見られます。

CIMG3296-1CIMG3309-1連休はじめは残念ながら雨。せっかく咲いたシラネアオイも、花びら(がく)を下向きにして雨をしのいでいました。気品ある名をもつヒトリシズカにもめずらしくカメラをむけてみました。

CIMG3314-1▼29日は、公園の冬囲いはずしや国道沿いのゴミ拾いなど部落恒例のクリーンアップ、生活・農業用水路掃除の共同作業に集落一同が繰り出しました。ゴミの不法投棄などよからぬ心の行いで汚された人里もとりあえずきれいになりました。「美しい村」の名に恥じない山里を保つためには、河川敷や山野の不法投棄ゴミ撤去でもうひとがんばり村をあげてのクリーンアップ大行動が必要のようです。

CIMG3332-1CIMG3333-1▼きのう1日は別当一同で神社のしめ縄つくりをおこないました。順番にまわってくる別当役で今年は我が伍長組もはじめての当番。別当の仕事始めはしめ縄つくりから。

わが家を会場にして別当役となった合居、上野、東村3部落のみんなで、慣れぬ手つきでのはじめてのしめ縄つくりです。氏子総代を長年つとめ終え、別当をも指導してきた合居の大先輩Sさんに手伝っていただき、なんとかかたちはできあがりました。祭典は5月の第2日曜と決めていて、今年は7日の宵宮、8日の祭り日となります。

春は豪快な赤滝

きのうは、朝に当面のことなどで事務局長と打ち合わせを済ませた後、早速春の赤滝に向かいました。

CIMG3258-1きのうまでの連日の好天で、村内集落のいずこも郡境付近までブナの萌えが進み、黄金色のイタヤカエデも華やか、ブナの芽吹きはもう赤滝のまわりまで進みました。大柳地区よりやや山懐深くまでベニヤマザクラの開花も高地へとのぼっています。

秋の紅葉と対をなす花々も加わる春の萌え紅葉、桜花爛漫の桃源郷が、田子内から桧山台までそれぞれの集落の特徴をもって通る人々の目をたのしませてくれます。その時に出るみなさんの感想はおそらく「なんて美しい、山と、川と、里」でしょう。

ただし、桧山台だけは、集落跡ですからそこは人の暮らしていない桃源郷ともいえます。ここの旧家だったT家跡の庭先に咲く桜を見ると、私にとっては父の家業(木材素材生産業)の代からここで暮らした人々との数十年前からの様々なおつきあい、語り合い、出会い、お世話になった過去が、土地の方々一人一人の顔を思い浮かべながらしのばれます。春爛漫の心華やぐ季節に、人家がなくなったさみしいこの地を通ると心模様は複雑になります。

CIMG3260-1CIMG3261-1CIMG3262-1CIMG3263-1CIMG3269-1CIMG3284-1CIMG3287-1CIMG3289-1赤滝の今は雪解け水が豊富で、洪水時を除けば一年でもっとも勇ましい姿を見せるときです。神社の近くまで寄らないうちから、ドドドドドーッの滝の音が聞こえてきます。

轟音をあげて瀑布が落ち込む淵の岸辺には、可憐なイワナシが咲き始め、周囲にはショウジョウバカマも所々で満開です。ここのタムシバも、淵尻の瀬に枝を伸ばす桜も開花はまだ。これからほぼ一週間ごとに、滝周囲の景色もいろんな彩りに変化する、春はそれがまた楽しみで私は赤滝に通います。

CIMG3292-1帰り、東山とその麓のブナの若緑と大山桜、それに大深沢と成瀬川がすてきでしたので立ち止まって少し眺めました。東山と柏峠を結ぶ尾根を見て「いつかきっと向かうぞ」と、なかなか果たせぬ山行を思いながら。