成瀬ダム建設促進期成同盟会の総会

きのうは朝の8時半から村農業振興地域整備協議会へ。平良発電所への取水施設や建設会社資材置き場への転用を目的とした農地について、農業振興地域に指定されている区域からの除外申請を審議する案件の会議でした。

午後は成瀬ダム建設促進期成同盟会の総会と研修会、終わっては村商工会総会と懇親会へ出席。村のダム振興事業協同組合の総会には途中からの出席予定でしたが、時間が中途半端過ぎてこちらは欠席。

商工会の総会では、人口減少への対応策をあらためて重視し挨拶といたしました。ダム事業が終わるおよそ5年後を見据えた村の発展策、産業振興策の基盤をつくるのが、今に生きる我々の責任であるととらえ、政治と商工業発展の分野でお互いに努力を尽くしあおうという旨をよびかけお祝いの言葉といたしました。

商工会もダム事業協同組合も役員改選があり、商工会長も事業協同組合の理事長も現職が勇退となり新会長が決まりました。商工会長は鈴木國男氏から大橋建設の古谷秀克氏へ、ダム事業組合理事長は佐々木芳隆氏から鈴木國男氏へと会長職のバトンが渡されました。

▼先日の須川高原の写真、汚れがついていたらしくおかしな黒点模様がありました。せっかくの景色ですので、別のカメラで同じように撮っておいた場面などをまた載せました。

林では、残雪そばのブナ枯れ木にユキノシタキノゴ(エノキタケ)も見られ、まだ雪に押さえつけられているマンサクは、高原の温泉入り口近くでみられるタカネザクラと同じように今が開花の季節です。


 

 

 

 

 

 

こだわりの農

20日の早朝、畦塗り作業に精を出すSさんご夫婦です。


我が家と同じように人の手での畦塗り作業にこだわる同じ集落の先輩Sさん。ほかにも田んぼへは堆肥をすき込み、収穫時はハサ架け乾燥と、昔から伝わる作業の一貫ぶりには感心します。

村農業委員会の会長でもあり、現役の菌床しいたけ栽培篤農家でもあるSさん。忙しい身ながら手作業を離さない考えの底には、農にかける独特の「哲学」みたいなものがあるのかもしれませんね。

▼21日はこちらも朝の4時半から妻と二人で代掻き作業へ。

転作としておよそ25㌃のたんぼに植えたワラビがいよいよ盛りの季節。たんぼ作業の休憩時など、妻はワラビ採りで気分転換も。

きのうは早朝の気温が3℃。おととい朝もそうでしたが、たんぼの見回りでちょっとした作業をしただけでも手袋がなければ手がかじかむほどでした。

そんな具合ですから我が家ではまだ朝晩の寒さをしのぐのに暖房は欠かせず、「これで今シーズンは終わりだな」と、きのうは薪ストーブの最終の煙突掃除も。もうひと月近くは、煙突から煙が上がり続ける模様の山里のくらしです。

明日からの田植えを予定している我が家。きのうは「シロヤシオツツジに会いに行こう」と妻と二人で須川高原へ。ゴヨウツツジとも呼ばれるこの花の盛りは少し過ぎていましたが、今年はやはり何年かに一度の花着きの多い年で、ここに通って20数年ほどになるのか、同じ群生でこれだけ花数の多いのは久しぶりのことです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

萌えたばかりの高原の絶景、雪渓の鳥海山や焼石連峰をながめ「秋もええのも、自然がみんな躍動の春の輝きは、もっとええな」などと語り合いながらの往き来となりました。

 

 

 

 

途中、県道仁郷大湯線の高原入り口で埼玉からの2台の乗用車が止まっていて、声をかけられました。一関方面から上がってこられたのでしょう、「小安温泉に行きたいが、この道路が通行止めで困った。どう行けば一番近いでしょうか」というおたずねです。25日は開通予定の旨をお知らせしながら、道筋をご案内しました。

この春もこれまでと同じように、この県道が通行できなくて残念という方や、問い合わせの声が各方面へ数多くあったようです。これだけの観光資源をもちながらのこういう閉鎖状態。一年でも早く、国道342号と同時の冬季閉鎖解除ができるよう、観光立国、観光立県として関係される方々のご尽力をねがいたいものです。

新緑、深緑、残雪、花々

須川温泉のある標高1000㍍ラインの須川高原では、まだ樹林帯にも所々に雪があります。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こういう所では、雪消の時期の日数差によって木々の芽吹きにも早い遅いがあり、同じブナの木でも深い緑と萌葱の緑のわずかな色違いがみられます。

湿原の池塘周辺にはミズバショウやショウジョウバカマ、タムシバが花盛りで、コバイケイソウは芽をだしたばかり。排水のよい日向地面にはイワナシもいい花形を見せてくれます。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

朝、所用で横堀にでかけた後に向かった20日の須川高原は残雪の上に新たに降った雪もみるほどに低温となり空気が澄んでいましたから、残雪や若葉の背景には雪にたっぷりと覆われている鳥海山がひときわ目立ちます。これは、青葉の時をむかえた平野部の田園地帯からの眺望も同じで、一年でもっとも鳥海山がくっきりと浮かび立つ季節到来です。

25日には、国道342号と国道398号を連絡する県道仁郷大湯線(旧有料道路)が開通予定のようです。ぜひ、絶景の須川高原と温泉へお出でください。ほんとに見事な景観ひろがっていますよ。露天風呂からの景色も、紅葉の秋と優劣つけがたい景色を堪能できるはずです。

雨天の屋内運動会

18日、激しい雨のなか雄物川の改修整備促進期成同盟会の総会で大仙市へ向かいました。

その雄物川は、昨年の豪雨氾濫被害で記憶に新しいところ。議案の事業報告のなかでも、被害発生の大きな要因となった堤防未整備区間の改修のための緊急要望活動が被災後幾度か行われたことがのべられました。そうしたこともあってこれまでにないほどの整備促進計画が具体化され、19日にはその着工式が計画されてもおりました。

ところが、あの大雨です。総会冒頭のあいさつで会長の老松大仙市長さんは、明日の式典は中止になるだろうの旨をのべられました。雨脚はその後も強く、雄物川や支流のいくつかが氾濫危険水位を超えるか一部で氾濫もあり、住宅や農地などへの浸水被害が報道されました。被災のみなさんには心からのお見舞いを申し上げます。

わが成瀬川も今年いちばんの洪水となりましたが、この川としては中規模の増水です。

 

 

 

 

▼雨天はその日の夜中も続き、19日の小学校運動会は体育館での開催となりました。せっかく練習したのですから、ほんのり温かな陽射しのもと、グラウンドで児童たちや保護者たちの躍動を拝見したかったのですがお天道様には勝てません。グラウンドでかけっこの晴れ姿をみてもらいたかった子たちは「残念無念」のおもいだったかもしれませんね。

でも、「高い山では雪も」という予報もあった肌寒いお天気でしたので、雨も寒さも心配ない屋内運動会はかえってよかったかもしれません。これはこれで運動する児童とそれを応援する保護者や家族たちとの距離感が近く、またひと目で全体が視野にはいるので「なかなかいいもの」とも感じました。


 

 

 

 

 

 

 

▼その雨の週末、自宅周りの笹藪では笹子(ささご・ネマガリタケノコ)が盛りの季節となりました。深山のチシマザサのような太いタケノコはありませんが、旨味では人里のタケノコもひけをとりません。


 

 

 

 

そのタケノコをはじめ、ウド、アザミ、ウルイ、セリ、クレソン、ミズ、ワラビ、タラノメ、コシアブラ、ゼンマイ、コゴミ、ワサビ、アエコ、ミツバ等々、みんな歩いてすぐ近く自宅から300㍍まわりほどの距離で必要な時にいつでも必要な量の山菜を手にすることができるのですから、これは「幸せなくらし」という範疇にはいるのでしょうか。

時々妻から、夕餉のお吸い物などを熱くしている途中で「あっ、三つ葉、ねえ、採ってしてけろ(あっ、ミツバがない、採ってきてください)」といわれ、軒下近くからミツバを摘むこともあります。また味噌汁の具が不足した時など、妻はやはり軒下近くからすばやくミズを引き抜いてきて当座をしのいだりもします。山里のくらしはこんなものです。

その山里で、たんぼに転作栽培しているワラビも、いよいよ採り盛りの頃となりました。

田植予定日を決める

非常勤特別職の公務員である身とともに、提出書類の職業欄には「農業」という肩書きを記すこちら。

春と秋は、経営規模の大小を問わず待ったなしの欠かせぬ農作業があり、一方では半分常勤なみの非常勤特別職としてほぼ毎日役場へ通い、会議や行事への出席も当然あります。なので、農繁の5月は時間や日程のやりくりで手帳とにらみあいの時となります。

日本社会の常として、人事異動が終わり新年度の活動が本格化する5月にはあらゆる団体や組織の行事がくまれはじめます。そんな折には、なるべく農家でない議員各位のご協力をいただき、会議などにも時に代理の出席をお願いしたりでしのいできました。それでもなお、非常勤特別職・兼業農家にとってはなかなか気の休まるいとまのない春です。

そういうことで、5月の残り公務としていま出席が決まっている行事予定をみれば、今日は大仙市で雄物川の改修整備促進に関する期成同盟会の総会、明日は小学校の運動会、23日は村農業振興地域整備協議会の会議、成瀬ダム建設促進期成同盟会の総会(横手市)、村ダム振興組合の総会、村商工会の総会、28日は全国の町村議会議長・副議長研修で29日まで都内滞在、30日は国道342号整備促進期成同盟会の監査で事務局の岩手一関市の職員さん来村への応対などがあります。これから加わる行事がほかにあるかもしれません。

さあ、5月後半はそれらの間をみての田植えです。田植えまでには、畦削り、肥料・土壌改良材散布、耕起、一度目の代掻き(荒代)、畦塗り、一度目の畦草刈り、代掻き(植え代)、育苗農家からの苗運び、の主に8つの前段作業があります。主だけでなく副もいれたら作業の数はさらに増えます。今の我が家は苗をつくっていませんが、以前はこれにもっと多くの作業が加わる育苗とそれに要する数多の段取りしごともありました。

稲作はとかく田植えと稲刈りに報道や世間の目は集中しますが、植えるまで、刈り取るまでの段取りと目立たぬ作業こそカナメの仕事。昔から「苗半作」などの言葉もあります。苗作り作業の良し悪しひとつが収穫の半分を占めるほどに大事との意味で言い伝えられてきたのです。なんの仕事でもそうでしょうが、成果(収穫)を生むためには、地道な日々の努力・過程こそが大事というわけです。

さて田植えまでの8つの前段作業のうち5つまでは済ませた我が家。手帳の行事日程をみながら一つずつ作業の段階をすすめ、きのうは6つ目のしごととなる植え代掻き前の畦草刈りに動きました。予定通りに事が順調にはこべば、田植えは24日あたりに始めたいと思っています。あとはその日前後が最悪のお天気でないことを祈るばかりです。

畦塗り

過ぎた日曜日は、深山の花たちを愛でながら山菜も少し手にしました。

この日は集落の春祭り。祭りの食卓には欠かせぬ山の幸、一級品のシドケ(モミジガサ)やウドが深山でもいよいよ盛りの季節をむかえました。


 

 

 

 

 

 

 

きのうは妻と二人で畦塗り作業にびっしり一日を費やしました。普段使わない筋肉や、腕と腰にかなりの力がかかるので、これは今時の農作業のなかでは「難儀」の部類に入るでしょうか。今は機械での畦塗りがほとんどで、わが集落でもクワを手にしてのこんな塗り仕事を続けているのはほんの数戸でしょう。

腕も痛い、腰も痛いの作業ですが、仕事を終えた後のきれいな畦を見ればそんなつらさはどこかに飛んでいってしまいます。それはきっと、手仕事というものへの達成感があるからなのでしょう。

村長選挙、無投票で佐々木氏6選

村長選挙がきのう告示され、佐々木哲男氏が連続4回の無投票という結果で6選を決めました。

平成の市町村合併という大激動のなか、単独での自治方針を決めた村は、小さいからこそできる隅々にまでゆきとどいた政治の実現につとめてきました。いくつかの先進的な政策は自治体関係者、とりわけ市町村や地方議員からも注目されていて、私のもとにも県内外から問い合わせが時々あります。

成果として積み上げられた全国に誇るべき政策の継続とともに、子や孫たちの世代も安心してくらすことのできる安定した行財政運営のために、諸策の評価・検証、今後にむけた緻密な計画、そして到達目標を明確にした行財政改革にもいっそう心がけられることを期待するものです。

▼赤滝に向かった13日の日曜日は、ブナの森深山へトガクシショウマの花を拝みにも足を運びました。

今年は、十数年に一度ともいえる花の開き具合の見事な年で、花群落がいつもの年よりはるかに広く地面を占めています。何かと、野の花のよく咲いた年なのでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そばにはシラネアオイや、どなたにも手折られることなくゼンマイもいっぱいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ブナの森の日向斜面にはキジムシロとみられる花やオオバキスミレの黄花が小さな群生を見せ、木漏れ日が差す新緑の林内にはムラサキヤシオツツジやタムシバが彩りを添え、地にはイワウチワがシーズン最後の花姿をかろうじて残していました。

 

 

 

 

 

 

 

 

谷に滑り落ちた雪崩の量はやはりこの山でも今年は多く、雪崩上には雪とともに滑り落ちた木々が横たわり、岩石がころがっています。こういう状態からの落石もよくありますから、山歩きは油断できないのです。どこから石が落ちてくるかわかりませんからね。

今年初の赤滝詣で

13日、今年初の赤滝詣でに向かいました。

もう少し早め、萌葱はじめの頃に訪れようとしていて、その機会はなくしていました。予定より半月遅れでしたが、それでも滝周囲の雰囲気はまだ新春。ムラサキヤシオツツジやタムシバが咲き、ショウジョウバカマもかろうじて花が残っていました。

この日お目当てのイワナシは、滝壺のそばでは花が過ぎています。あきらめかけていたら、赤滝神社裏手にかろうじて花形の残る株がありましたので、ありがたく拝ませてもらいました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

▼きのう午後は、奥羽・羽越新幹線整備促進期成同盟会の総会とシンポジウムで秋田市へ。

戦傷病没者追悼式、そして集落の春祭り

戦後73年目の春、村の戦傷病没者追悼式が11日に行われました。

議会事務局提供

私は戦後の昭和26年3月生まれなので戦争そのものの体験はありません。したがって、昭和20年8月15日の終戦で日本の支配層が、これまで主張してきたことをぐるっと180度転換、きのうまで国民に徹底して悪と教え唱えたものがいきなり翌日は善となった歴史の激動も知りません。

一方、戦争で命をうばわれた人々をはじめあの終戦当時を過ごした人々なら、昭和天皇のことは骨の髄にしみるまで詳しく教えられたであろうことを想い、73年前の8月15日にラジオで放送された終戦詔書(玉音放送)の一部を引かせていただき御霊にもお知らせいたしました。

この終戦詔書とラジオ放送の実現にいたるまでは、当時の支配層の間ですさまじい「たたかい」のあったことが歴史の事実として記されております。それだけに、歴史を振り返り詔書を読むこと、玉音放送を聴いてみることは、戦争の過ちと終戦時の激動を知るうえでとても大事なことだと思います。

そのために私は、終戦詔書を知ることなく命を奪われた無念の御霊へ、詔書の一行だけでもお伝えしておきたいと思い、詔書にある戦陣に倒れた方々への叙述部分を追悼の言葉に引かせていただいたものです。

朝鮮半島をはじめとするアジア情勢の直近の激動が平和の方向への道をよりひろくきり拓く転回になれば、武力対武力ではなく、対話という人類の叡智こそがあらゆる争いの唯一の解決策であることがあらためて証明されるでしょう。

アジア諸国がたどってきた大戦時の歴史にも想いを寄せる、そういう面からも、詔書は私たちもよく知っておくべきと思います。放送はインターネットですぐに聴くことができます。若い方々は是非一度お聴きになってほしいものです。

▼4月末からはじまる村内各集落の春祭り。わが部落の祭りはきのう行われました。降らず照らずの絶好の祭り日となり、山神社へ奉納の親子会の神輿や青年会の恵比寿俵の練り歩きも快適な運びの様子。まことに気分よしとお見受けしました。

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

我が家でも久しぶりに子供たちがそろい、あざみの茎鍋や、竹の子、あいこ、うど、しどげ、ほんな、うるい、こしあぶら、たらのめ、みつば、それに天然キノコのヒラタケなど、旬の山菜で祭りの夕餉を楽しみました。


祭り日にあわせるかのように、岩手の方から10数年前にいただいていたシロヤシオツツジが数年ぶりに花を見せてくれました。こちらではなかなか咲いてくれなかったのです。

議員の辞職願いで急きょ臨時会議

現村議会の任期は来春の改選までおよそ1年ほどを残すのみとなっています。そうした折、佐々木正夫議員から「一身上の都合」を理由とする議員辞職願いが7日に提出され、昨日の臨時会議で辞職を許可することを全会一致で決めました。

村政の一翼を担うべく選挙によって託された大事な議席ですので、特別の事情がないかぎり任期いっぱいつとめるのは議員の責務ともいえることです。今回のようなかたちでの任期途中の辞職については議会人のひとりとして残念至極の思いであります。おそらく、同僚議員のみなさんもほぼ同じ思いであると推察されます。

佐々木議員は5期連続で就任、現村議会のなかでは2番目に年齢の若い議員として活動してこられました。これまでの氏の活動を労うとともに、今後もなんらかのかたちで村の発展振興にご尽力いただくことを願いたいものです。長い間の活動ご苦労様でした。

臨時会議は、補正予算の専決処分報告などもほかに審議されました。

▼今朝は5時から、たんぼ用水路掃除の「堰普請」へ。村内の主な用水路がそうであるようにここの水路延長のすべても側溝で整備され、土砂や木の枝がかぶさる箇所には蓋もされていますから、掃除に要する時間も労力も昔とは段違いの少なさで済みます。

この掃除が終わると台地の各たんぼへは新しい用水が次々と注がれ、代掻きの準備がいよいよはじまります。