たんぼ堀を終える

途中で止めていたたんぼ耕起をきのう再開し、終えました。

集落でももっとも雪解けが遅い台地にあり、なおかつ粘土質のわがたんぼはまだ水たまりが少しあります。そのたまりでは、畦削りのときに見られたカエルの卵からオタマジャクシがぬけ出しています。そこに機械を入れるのはかわいそうでしたので、妻がすくいあげてほかの水たまりに移しました。

たんぼの水たまりはすぐに乾いてしまうのだということを、ここのカエルたちは知らずに卵を産みつけます。たんぼ地面が不均一で、カエルが卵を産めるほどの水たまりをつくるこちらがいけないのですが、命をつながなければならないこのカエルさんも、野の生きものらしくもっとよく思案して卵を産む場所をえらんでほしいものです。

たんぼ耕起にあわせて妻が「家庭菜園」なみにつくる畑も耕しました。畑の脇を流れるヤマメとカジカの棲む小川そばにはユキツバキが満開で、斜面にはヒトリシズカやキバナイカリソウが花盛りです。そこには、山のアスパラガスなどとも呼ばれるシュデコ(シオデ)も。シュデコは、さっそく夕餉で初物をいただきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

庭先では、何年か前に仲間からいただいた白花のシラネアオイが鉢で咲き始め、露地に植えられたトガクシショウマも固有種らしい花姿を見せています。同じように露地に植えられたヤマシャクヤクは、雪だまりが多くて雪消が遅く、やっと芽をだしたばかりです。

不思議な太い山梨の木

わが集落の山の中ではおそらくここにだけと思われる一本のめずらしい木があります。

 

 

 

 

それは胸高の幹周りおよそ1㍍70㌢ほど、樹高は15㍍近くの大きな山梨の木です。いつ、どこから、誰(何)によって運ばれてきてここに根を張ることになったのか、とにかくこれは有り様からして不思議な山の梨の木です。

その山の梨の木の花がいま満開。これだけ大きな梨の木ですが、杉林の中にあるので長年人目につくことはほとんどなく成長してきたのでしょう。天然の梨の木がこれだけの太さになるには相当の年数を必要とするのでしょうが、私らが子供の頃にも杉に囲まれていて見えなかったこの木の存在は知りませんでした。

秋にはきっと小さな実を着けるものと思いますが、これまでその実を確かめに近寄ったことがないので、今年は忘れずに訪れてみようと思っています。

その梨の木のある新緑の野ではニリンソウの花が地面を広く覆うようになり、木々ではイタヤの花やアケビも花盛り。我が家の池の庭木にからみついたアケビの花数も今年は結構多く見られますので、ブナの実と同じでアケビも豊作の予兆を察しているところです。

栽培もののゼンマイも盛りに

深山はブナの芽吹きが終わらず山菜もこれからが本番ですが、里山はその山菜が真っ盛り。

畑やたんぼの土手に栽培されている村のゼンマイもようやく採り時をむかえています。これからしばらくは、我が家でも88歳になる母ひとりで、採る、ゆでる、干す、揉むの手数を必要とするゼンマイとのつきあいの日々となります。

栽培ものといっても、もともとそこは自然のゼンマイがよく育っていた原野。今も、畑すぐそばの原野や林には天然もののゼンマイも豊富に見られます。

 

ただむかしとちがって、高齢化がすすみ、また食べられるまでの作業のめんどうさがつきまとい、山村の食生活そのものの変化もあるためか、自然のゼンマイを採る人々の姿もぐんと少なくなりました。そのため村の里山のいずこも、手折られずに育つゼンマイが以前とは比べものにならないほど豊かのようです。

また、昔のプロ山菜採りの生活をささえ大切な役割をはたした高品質ゼンマイが採れる深山でも、プロの方々のほとんどが引退するか鬼籍にはいっておられますから、里山よりもゼンマイ採りの姿はさらに少なくなっています。

長年の生業をささえたそのプロたちの採り場には、見事なゼンマイがまるで畑のようになっている所もたくさんあります。こちらも時々深山でそんな見事な天然の「ゼンマイ畑」を見かけることがありますが、わが家は栽培もので足りているので「うわーすごい」と思うだけで、深山から背負ってくることはありません。

わが家の周囲では細めのネマガリタケの笹子(タケノコ)も顔を見せ始めました。深山の太いタケノコとはちがい、細めは細めなりの食べやすさ、味の染みこみやすいおいしさがあり、私はもっとも好きなランクにあげる山菜のひとつです。

ブナの実が殻かたちに

ソメイヨシノが散り始めた連休後半には役場前のしだれ桜が満開となりました。栗駒須川高原に往き来する人々や帰省の方々も、山の新緑美とともにこのしだれ桜の華麗さにも目を注いだことでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

城下公園のブナがすべての葉っぱをひろげきり、冬の間に仕事部屋から眺めていた成瀬川も川面の多くが葉っぱで隠されるようになりました。花が散り始めたブナには緑の殻かたちの実が着いて見られます。

雪消の遅い村の里山でも山菜が真っ盛りとなりました。その頃になると、食卓から眺められるわが家の八重しだれ桜も満開となります。深山ではトガクシショウマも咲き始めた頃。妻が鉢植えしているトガクシショウマも、連休半ばにやっと花を見せてくれました。

 

 

 

 

こどもの日、生後半年になるいちばん年下の孫童が初節句をむかえました。それに先立つ3日は憲法記念日。11日には村の戦傷病没者追悼式が行われます。この童たちが大人になった時代も、憲法の平和条項が堅くまもられ続け、国際平和主義に基づき戦争しない日本国でありつづけるよう、国民の一人としてつとめねばとの思いを強くしたところです。

山菜シーズン本番入り

集落でも雪解けのいちばん遅いわがたんぼがある河岸段丘の台地。そこの畦に残っていた厚い雪の吹きだまりも連休はじめにはやっと消え終わりました。雪解けを待って咲きはじめたイチゲ花やエンゴサク、カタクリのそばで、今年最初のクワを持ち畦削りに汗を流しました。

 

 

 

 

連休には家向いの雪崩跡に上がり、これも今年最初の山菜たちとご対面。ゼンマイ、ホンナ、最高級のコゴミ、ウルイ、ウド、シロデホンナ(ソバナ)に加え、ワラビとナンブアザミの茎も少々手にしました。豪雪の冬でしたが、山の様子からして、わが集落でも山菜シーズン本番入りとみてよい頃となりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

高台の雪崩跡斜面からは、もえぎ色に包まれたわが集落のおよそ半分と、四季折々に私を楽しませてくれる成瀬川河川敷を眺望。帰り道の農道脇ではやっと芽をだしたカンゾウも目に。


 

 

 

 

 

 

 

コゴミをのぞいてわが家ではどれもみな初物。ウドとウルイとコゴミとアザミの茎をみんないっしょにし、サバ缶の出汁で今年最初の「山菜まとめ鍋」をいただきました。ホンナはもちろんおひたしで香りと歯ごたえを楽しみました。

ナンブアザミの茎は味噌汁にしても高級感あふれる甘い味と香りがお椀にひろがります。それだけに村人は昔から「アザミのトッコ(くき)」と呼び、最も親しみ深く利用してきた山菜のひとつ。我が家では、童たちにも人気がとっても高いトッコです。

でもこのトッコ、市場にはほとんど流通していない山菜ですから、都市部では食した体験のない方がほとんどでしょう。村の直売所にはすぐに食べられる皮むきの茎が時々ならぶようですから、ぜひ、お試しを。栗駒山荘やホテルブランでは、はたして食べられるのかな?

雪国の年始めは春4月?

27日には国道342号の冬季閉鎖解除で開通式へ。そのまま須川高原まで上がり今シーズンはじめの温泉周囲の景色をながめ、この日からオープンしたわが温泉ホテル栗駒山荘のレストランから眼下のイワカガミ湿原やブナ原生林の雪原、そして秣岳を展望しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

温泉の源からは、相変わらず勢いよく毎分6000㍑といわれる大量のお湯が湧き、源泉は小川と小滝になって流れていました。開通にあわせて山荘を訪れた方やスキーを楽しまれた方々は、人気の高い絶景の山荘露天風呂で「初湯」と雪景色を堪能できたでしょう。

 

 

20日以降の山里では、水稲の種まき作業が真っ盛り。27日も、村の育苗センターで出芽された苗が、農業法人の育苗ハウスにも運ばれ、総出での苗箱置きの初作業が行われていました。この日の夜は小中学校教職員の歓送迎会へも出席。

29日のダム工事現場周辺と北ノ俣沢の景色、それらのそばに咲くイワウチワです。今年はブナの芽吹きや桜の開花と同じようにいっきに春が進み、イワウチワも花はもう過ぎ模様です。東山とその麓の集落ではブナの萌葱とタネマギザクラが真っ盛り。村のいずこも、秋の黄紅葉が美しいところは新緑の彩りもひときわ目に映えます。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この日はわが部落の春の共同作業。いつものように区ごとに分かれて用水路や公園、神社などの泥あげと清掃、冬囲いほごしなどにみんなで汗を流しました。閉じていた道も開き、水路も掃除され、設備の冬囲いも解かれ、28日には集落にある村の直売所も営業を再開しました。

年度初めの春4月は、雪国に暮らすものにとっては、何から何まで「始め」と「初め」が多く、1月よりもなんだか「年始め」の気分が深いような気がしないでもありません。

国道342号の開通式へ向かいます

役場前のソメイヨシノも昨日で花満開に近くなり、開発センター玄関前に掲げられ最近塗り替えられた「非核平和宣言の村」看板が背景にくっきりです。

成瀬川を遡ること一集落ごとに標高も上がり、役場前で9分咲きほどとなったソメイヨシノもわが岩井川集落ではやっと開花はじめ。集落のまわりではそれに先立つタネマギザクラ(ベニヤマザクラ)が満開です。ブナの芽吹きもきのうで標高600~700㍍ラインまでいっきに上がりました。

 

いよいよ深山の雪解けも加わり、成瀬川は連日小規模洪水なみの勢いに変わってきました。

急速に進んだ雪消えですが、わが家のたんぼはまだ畦畔に吹きだまりの残雪があります。きのうはスコップを手にあちこちをまわり、まずはたんぼ初しごとの雪解け水切り作業です。水の多いたんぼ窪地には、毎年のことのようにカエルがいち早く卵を産みつけ、小さなオタマジャクシたちが卵の中で成長を続けています。

 

 

 

 

そばの土手はチャワンバナコとカタクリがちょうど花盛り。お天気も良さそうな連休は、人里近くでいっせいに開いたこれら春の野の花とともに、須川温泉栗駒山荘周辺の見事な雪景色、やや手前では雪原に映えるブナの芽吹き、イタヤやヤマザクラの花々、地にはイワウチワ、ショウジョウバカマ、エンゴサクの仲間などで、花と芽吹きの春黄紅葉がまことに美しい楽園のような山谷の村となるでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

今日は、その須川高原に通ずる国道342号の開通式に向かいます。式は11時50分に開かれる運びで、正午には、閉鎖されていた土ヨロゲート前で開通宣言のテープカットが行われます。

開通に合わせて、これも今日から営業再開の高原の栗駒山荘露天風呂などにつかっていただけたら、毎分6000㍑(春はもっと多いでしょう)の湧出といわれる源泉で、なんぼみなさんの心と体がよく休まるでしょうか。

今連休は久しぶりに好天続きの予報です。芽吹きと花の村、標高1000㍍を越える地での豪雪のわが村ならではの別世界の春の雪景色、広大な高原の雪渓歩きと雪上のブナの森散策もたっぷりと楽しめる絶景の須川温泉へ是非お出でください。

花と萌葱の緑をひろう

人里も野山も、お隣町の果樹地帯も、いずこを見ても今は花*花✾花、萌葱、緑、萌葱です。

中学校東側には体育館屋根から滑り落ちた残雪がまだ見られ、豪雪の村のそこに咲くソメイヨシノは雪のそばでの開花です。校舎背後の山にはタネマギザクラ(種まき桜・ベニヤマザクラ)が咲きはじめ、ブナや柳の緑と春景色の共演です。

 

 

 

 

野山は萌葱色のブナに続きそれよりもっと黄色みを帯びたイダヤ(イタヤカエデ)の花が真っ盛り。イタヤカエデは秋の黄葉もひときわ美しい樹ですが、春紅葉でもブナと同じように、やわらかい輝きを見せてくれます。

成瀬川の岸辺ではコブシも花開き、イタヤカエデの花と見頃の色対称を見せてくれています。

所用で下る途中の真人公園入り口のソメイヨシノ老樹も花満開です。この老樹は、昭和から平成の時代に生きたわが村人たちをふくめ、近隣一帯市町村の老若男女、多くの家庭や会社、団体、なかには恋人同士の人々を見つめ、彼らの「花見」を楽しませてくれた木々たちでしょう。


 

 

 

そばの果樹園では、開花の早いさくらんぼ、ももなど果樹の花々も開き始めています。もう少したったらこの地の名産りんごの花もいっせいに咲き始めます。

 

 

 

 

わが集落では、ショウジョウバカマも花が見られるようになり、残雪のそばでは野のヒロッコ(ノビル)が、旬の色合いであっちにもこっちにもと、真っ盛りです。

味噌仕込み

雪解けの春は、毎年のようにめぐってくる我が家の自家用味噌仕込みのとき。

昔は、屋外に据えた煮豆専用の黒い大釜で豆を煮る。手回しの豆つぶし機械で煮豆をつぶす。つぶした練り豆を手で持てる大きさ程度の塊(これを味噌玉という)にする。今度は大きなはんぞう(半挿・木をくりぬいて製造のタライ)にねりつぶした味噌玉を崩して入れる。それに塩と麹と、豆を煮た汁を混ぜて味噌の元をつくる。の作業を経て、最終の仕込み作業は大きな桶にその味噌の元を詰め込むという手順で味噌仕込みが行われました。

そういう当時に比べ、今は、食生活の変化(とくに冬期間)や自宅での各種宴会や慶弔催事などの減少もともない総じて味噌の使用量も少なくなりました。したがって仕込む味噌の量も激減。自家用味噌も麹屋さんなどプロのつくった味噌の元を購入し、自宅の桶に詰め込むだけという家庭がほとんどです。仕込みを止めて、味噌そのものを購入している家庭も今は少なくないようで、これも時代を反映したくらしの変化のひとつです。

わが家も、かっては毎年この大きな味噌桶いっぱいに仕込み、その桶を3つ備え順繰りに利用していましたが、今は大きな桶に3分の1ほど仕込めば足りるようになっています。ただ代々使われてきた3つの大桶はそのままで、量は少ないもののやはり昔と同じようにそれぞれの桶に味噌が仕込まれ中です。

よくここで記すように、山村の農家は、米も味噌も一年分以上の蓄えがあり、水もすぐそばに飲める湧水や沢水があり、少々の難事にも耐えられるというのはこういうことです。

わが家の場合は、仕込む味噌の量が少なくなったとはいえ平均の家庭よりやや多いかもしれません。それは、食べる味噌だけでなく、キノコを主にして、野菜や山菜の味噌漬もよくつくるからです。とくにキノコのノギウヂ(エゾハリタケ)とトビダゲ(トンビマイタケ)の味噌漬けはかなり大きな桶にぎっしりと漬け込みますから、漬け物用の味噌も「ほほう」と思うほど使えるのです。

▼きのうは広域消防分署職員の歓送迎会へ出席。広域管内のなかで居住圏域の多くが横手・平鹿に隣接、管内では半ば飛び地のように位置しているわが村です。雄勝管内でありながら警察の管轄は横手署、経済・生活圏もかなりの部分が横手平鹿とつながり、救急時もふくめた医療機関の利用も横手平鹿地域が相当数あります。

村は、このように管内ほかの地域とは様々な面で社会的な背景に異なりをもちます。さらに岩手県境と接する広大な栗駒山国定公園や全国有数の森林生態系保護地域の脊梁山脈、そして国直轄の成瀬ダム建設の本体工事着手など、特有の環境下にも村はおかれています。転出された方々へはそうした条件下で活動に励んでいただいたことへ感謝し、転入された方々へは、村の防災計画やハザードマップに基づいた現実対応にむけ啓発活動によく励んでいただきたい旨を思いながらあいさつとしました。

ブナの花が多し

今年はブナの実が豊作となる兆しがみられます。

わが家前、城下公園に植えられているブナの芽吹きも始まりました。近づいて萌え出た葉っぱを見つめたら、大方の樹に花がいっぱいついています。例年どおりこのまま花芽が受粉し結実したならば、花数の多さからして「これはブナの実が豊作」と予感したところです。

そうなればクマをはじめブナの森の生きものたちは、久しぶりに食べきれないほどのおいしく栄養源たっぷりの実をごちそうになることができるはず。それが食物連鎖に名のあがるすべての生きものたちの生態系に恩恵の役割を果たすことになるでしょう。

 

世の中の関心をあつめているクマも、ブナの実の栄養でこの秋には多くの子供が母の体に宿り、来年と再来年はまた子グマの多い年となることも今から予想されます。