「生活遺産」の間木堰

村内各集落のくらしをささえる用水路は、先達の苦労をしのぶうえで「生活遺産」とよびたいほどに貴重なものです。

それら数ある用水路のなかでも、椿川間木集落の開拓とむすびついた「間木堰」は、最も困難な山ひだと崖を堀り通してつくられた「堰(用水路)」で、村人の苦労を知る上で欠かせぬ歴史構造物です。

先年、機械力により大幅改良工事が施されていますが、堰そのもののコースはほとんどむかしと同じです。その間木堰を、去る11日に取水口まで訪れ、そばの滝にも下りてみました。深山でありながら里からすぐに行ける明通沢は、沢の景観も伐り残されたブナの森も素敵なところ。合居川、北ノ俣沢、赤川とならび魅力あふれる渓谷美がいっぱいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、間木堰が完成したのはいまから101年前。前後5年の歳月をかけて約3.6㌔㍍の堰が大正6年(1917年)5月26日に竣工したと村の郷土誌は記します。

明通沢から初の水が引かれたときの喜びはいかばかりだったでしょうか。もちろん当時は機械力はなし、ほとんど手掘りだけでの作業だったのでしょう。垂直どころか、逆にかぶさるような堅い崖をタガネで堀り、いくつもの小沢を横切りこれほどに見事な水路を掘削した当時の人々の、生きるための堅い意志にはただただ敬服するばかりです。

それは、困難の大小にかかわらず、ほかの村内各集落の用水路掘削の歴史にもいえることです。ただ、間木堰はやはり掘削の困難さでは特別だったことが、この水路を歩いてみればよくわかります。堰の延長と構造の条件をみれば、掘削後の維持管理にも想像をこえた難儀さがあったことを推し量ることができます。

こういう苦労を体験した方々ですから、その後の時代変化の荒波も「これぐれぇの難儀など、なったごどねェ(どうってことない)」と越えられることができたのでしょう。「若い時の苦労は、必ずためになる」といわれてきましたが、苦労の体験があるとないでは、人の器にも、地域の文化にもそうとうのちがいがでてくることは今も同じようです。

古代の歴史を探り知ることも大事です。同時に、水を引き田を拓いた近世の歴史もすぐそばに堰という「くらしの遺産」があり私たちは学べます。生きた証人が幾人もおられる戦争をはさんだ苦労の歴史も、今なら直接学ぶこともできます。ひろく先達の苦労の歴史をみんなで語り伝えていきたいものです。

花の百名山・8月半ばの焼石岳(その3)

横岳登山道で行き会ったこちらと同じ歳ほどの登山者は、「一関から来た。東成瀬コースをはじめて登ったが、案外近いし、楽。これから南本内岳(権四郎森)にも回る」と語られた。健脚な方のようだ。

姥石平の夏を彩ったトウゲブキやタチギボウシは完全にあるいはほとんど花が終わり、いま目につくのはキンコウカ、イワオトギリ、ミヤマアキノキリンソウやキオンかな。黄花たちなのでよけい目立つ。イワショウブやシロバナトウウチソウもいい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夏油コースから別れて9合目分岐に向かう途中の南本内川源流部のシゲイシ(スゲイシと記す方もいる)には残雪が見られる。ここから9合目までは、まもなく訪れる紅葉の時期には焼石で最も素敵とこちらは思う絶景が広がるところ。

分岐手前の雪田跡には、ここも雪解けが最も遅い所なのでタチギボウシをはじめ夏の花たちが登山道を覆うように咲いている。花盛りのときなら焼石連峰全体が花の道となるのだが、そこは遅くに咲いた花の道だ。道には、ハイマツの実だろうか何ものかの食べ跡も。

 

 

 

 

 

 

 

 

分岐で休んでいたら釣り竿を背に釣り用の長靴を履いた青年が登ってきた。「奥州・前沢から胆沢川(登山道6合目与治兵衛周辺)によく釣りに来る。今日は、せっかくだから頂上まで初めて登ってみようと。いやァ、きついですねェ」と汗を見せながら語ってくれた。

下りになったら、朝早くの登り時とちがい花の数が多いと感じた。とくにタカネナデシコなどは夜露、朝露で登り時は下向き加減が多かったのだが、陽に照らされると花の勢いをいくらか取り戻せるようだ。おかげで、なんとか花の道らしい焼石を歩くことができた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

タゲのすず(焼石岳の湧水)に浸した桃太郎トマトは見事に冷え切っていた。リュックに入れてきた大小の空ペットボトル3本にその清水を詰め家族へのお土産に。タゲのすずは、帰宅後に仏前へも供えられた。亡き父も、それは生前よく飲んだ清水だ。駐車場到着2:30分。朝露があり川に少し入ったりしたので、登山靴は濡れたままの一日となった。

帰路、車道の脇に赤い実をつけた植物が見える。止まって確かめたら完熟のモヂイチゴ(エビカライチゴ)がいっぱい。野いちごとしては最高級の夏の味を口にしたら、たまった疲れがややとれたような気分になった。

▼全国農業会議所と県農業会議の会長職を長年つとめておられる二田氏がきのう専務理事や職員、県職員とともに村役場を訪れました。農地の有効利用に関する農業委員会の新たな制度についてその趣旨への理解をすすめるために会長自らが市町村を訪問している活動の一環です。首長だけでなく議会にも理解をということでこちらにもご案内があったもの。本題前のよもやま話の中では、県立農業高校・金足のことがやはり話題となりました。
▼畦の草刈りに出て帰った昼、金農の決勝進出が決まっていました。願う、東北勢初優勝。

お盆も童たちと大川で

やや大雨となった16日の前日までは、夏らしい天気が続いた今年のお盆。おかげで、「お盆は川で遊ぶ」を心待ちにしていた童たちも15日、こぞって自宅前の大川(成瀬川)へ。

大川は、お盆前の雨天増水で淵や瀬の石に着いていた泥もきれいすっかりに洗い流され、成瀬川らしい流れをとりもどしていました。

童たちは、飛ぶ、止まるを繰り返しながらゆうゆうと動くオニヤンマを目にしたり、澄んだ流れに身をまかせて泳いだり、ウルミゴ(今年生まれたウグイの子)やおたまじゃくし、カジカ、水棲昆虫をつかまえたりに夢中でした。ただ、この時期はツナギ(小さなアブ)が多く、さすがの童たちも攻撃が執拗で刺されると痛いこの虫はにがてのよう。そのため川遊びも楽しさは半分ほどに減らされたようです。

川遊びが最も快適なのは、この虫がいなくなってから訪れてくれる暑い日です。でも、そんな人間にとってムシのいい日は、朝夕は肌寒くて日中は夏日ということですから、これからだと9月上旬頃の晴天の日を待つしかないでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

土曜日は、待望の安定した晴天がおとずれ、水稲の消毒作業へとりかかりました。田んぼでの害虫や病気防除の薬剤散布はこれ一回だけのわが家。穂首をかしげるようになった田んぼでは、この作業を終えた直後から今季4回目の畦の草刈りにとりかかりました。

農薬散布作業で畦を歩いていたら、突然マムシとご対面。そうです、これからの季節はたんぼの畦や畑の土手などにかれらがよく姿を見せるとき。子ども連れの時は気をつけねばと思ったところです。農薬散布器具のノズルを両手にしていてなので「武器」がなく、どうしようもありませんから、足で踏みつけ、マムシにはあの世にいっていただきました。草刈り途中では、たんぼの土手に顔を出したおいしいコムラサキシメジともご対面。

お盆を過ぎたら急に肌寒くなった村は、里も山も実りの季節にむかってまっしぐら。里山ではいつもの年より20日ほど遅れてキノコのハギモダシがようやくピンク色の顔を出し始めました。田んぼも9月末の収穫まであとひと月余です。

▼小学4年の童が、対横浜戦を視て「金足農業、すごいね」と、やや興奮ぎみに語っていました。童たちに希望をあたえ、われわれも様々な面から感動をいただいております。日頃の鍛錬からうまれるすぐれた技術と、決して「あきらめない野球」をみていると、学ばされることがたくさんあります。対近江戦も前日とは趣のちがったこれも名勝負でした。

スポーツ人らしからぬ行為が続出し社会を驚かせていた今年でしたが、甲子園球児たちのあの熱きたたかいと汗と涙のおかげで「スポーツ本来のすばらしさ」が取り戻させられたように感ずる夏です。全国の高校球児のみなさんありがとう。県立金足農業高校のみなさんありがとう。全国が注目する金足農業、今日もまたスポーツのすばらしさを全国へ。

 

 

花の百名山・8月半ばの焼石岳(その2)

8時、8合目の沼を発つ。頂上を仰ぐが見える範囲に人影はまだない。

願ってもない晴天だが、花が揺れて写真を撮りにくいほどの風もある。

まだ朝が早く花たちは閉じ状態もあり、朝露に濡れていて姿もしゃんとしていない。過ぎた花も多いので見ばえはそれほどよくない。頂上までのコースで夏にもっとも目立つタカネナデシコとハクサンフウロは花期が終わりに近く、花びらの多くはくたびれ状態。マルバダケブキやトウゲブキも雪解けの遅い箇所をのぞきほとんど花が終わっている。遅咲きのミヤマキンポウゲやソバナがちらほらと見える。

いま目立つのはエゾニュウやミヤマトウキの白花。それらに集まるミツバチたちがとにかく多い。秋の花ウメバチソウがもう咲き始めている。人は花を愛でるだけだが、焼石と同じように全国の花の名山を最もうれしがっているのは、生きる糧の花蜜をもらえるミツバチや昆虫たちだろう。なにしろ春から秋まで、高山は花✾花✾花なのだから。


9合目やまのがみ(山の神・焼石神社)で小一服し諸々の安寧無事を祈願。

ここから焼石の夏~初秋の名花ミヤマリンドウが目に入りはじめる。今年はいつもの時期より遅い夏山行だったので、この花が行く先々で真っ盛り。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

岩を渡り越え、頂上着が9:30分。秋田側コースからはようやく一人の登山者が9合目に見えた。頂上には岩手側から登られた女性の方が一人だけで、四方を眺めながら食事をとっておられる。その岩手側をながめたら、次から次へと頂上に向かう人たちの姿が続く。

10分ほど腰を下ろす。岩手山と早池峰が雲の上から頂だけを見せている。もしかしたら、日の出の刻に頂上にいたら雲海からのご来光が拝めたのかもしれない。

軽い食事をとっていたら、猛禽類の姿が視野に。そんなに大きな鳥ではないが腹部側が真っ白なのでタカの仲間のようだ。笹森山の向こうに連なる仙北街道筋の尾根もよく望める。

小休止している間に頂上の人数は少しずつ増えた。長居は無用と立つ。焼石連峰のなかで同じ種の花でも咲く期間が長く見られのは横岳方面。そちらをめざして岩手側へ下りる。

予想したように初夏の花ハクサンイチゲがまだ咲き、ハクサンフウロやハクサンシャジンも花盛り草株がほかより多い。ミヤマリンドウもここは植生が最も多いほうだろう。

横岳方面からは、焼石岳登山道と頂、それに残雪が筋のように伸びるとなりの南の森をいっしょにした山容がとても見ばえのするところ。秋の紅葉シーズンもそれは同じ。花も紅葉も、焼石に行くならぜひ足を延ばしたいところが横岳コースだ。


▼きのう16日は村農業振興地域整備促進協議会の会議が8時半から開かれ、議会代表として出席。

今回の案件は、いずれも農振地域整備計画地内の農用地区域の変更(除外)を求めるもの。内容は、田子内字小森(平良地区)地内への採石会社の資材置き場と、成瀬ダム事業などにともなう椿川立石地区への本体工事関連会社等の駐車場、現場事務所、宿舎棟敷地などとして用に供される目的。

▼村でも16日未明から特に強くなった雨。朝には成瀬川本流も支流の合居川も前日までの様子を一変させ小規模の濁流となりました。

71回目の成人式

きのうは村の成人式が「ゆるるん」で行われ、ご案内該当の方35名中、33名の新成人が出席されました。来賓の皆様を代表しておおよそ次のようなご挨拶を申し上げました。

▼私からもみなさんへどうしてもお伝えしておきたいことを二つ申し上げます。まず一つは、わが東成瀬村はほんとうにすばらしい村だということに誇りをもってほしいということであります。

一度自分の住む土地から外に出て暮らしてみると、自分の土地のすばらしさがよくわかる、よくそういうことがいわれます。

実はいま、村の様子を知りたいと全国から視察に訪れる方が多くなっています。その際、私は、村へお越しになるみなさんへ、まず真っ先にわが村の誇りを紹介します。栗駒国定公園、国内屈指の特徴ある温泉と花の百名山の焼石岳と栗駒山。知床や白神、屋久島などとならぶ国内有数の栗駒山・栃ヶ森山周辺森林生態系保護地域。そこのブナを主とする広大な林を貫く古の道・仙北街道。水道の水源はすべて自然の湧水。

日中と夜の大きな寒暖差と一定の高地だからこそ質の高いものを産する農業。食味評価の高いあきたこまち、とまと、菌床椎茸、いちごなどはその代表格で、農業では品質の高いりんどうの花も加わります。広大な牧野と林野を活用した肉用牛の飼育や林業にも村は適しています。産物と言うことでは市場で評価の高い村の山菜やきのこもあげられるでしょう。

自然や産物の誇りだけではありません。村はいま村政施行130年の歴史を刻んでいますが、これは昭和と平成の二つの市町村合併時に、各方面から強いはたらきかけがあったもののその流れに与せず、単独での自治を歩んだという大きな決断があったからで、これも誇りです。

自分たちのことは自分たちで決めるという地方自治のもっとも大切な柱を、勇気をもって大切にした村は、昭和、平成と自立のための村づくりに総力をあげてきました。教育や福祉をはじめとする先進的な子育て支援策、若者定住対策、農業、商工業への起業支援策、雇用確保策はそのひとつであり、これらのなかには全国から注目される政策もあります。

村道や用水路整備、その他の生活環境の整備でも、すみずみまでゆきわたった行政ということでの村の現状は、県内でもトップクラスといってよいでしょう。

みなさん、いまあげましたひとつの断片だけでみましても、わが村はこれだけ誇れるものをもっています。村内と、村から通勤可能な隣接する市や町には、世界の最先端を走る工場をはじめ一定の働き場所もあります。

私が、村の誇りをここであえて取り上げましたのは、国内においても、世界的な視野においても、人がくらす条件に恵まれたこの村を、もう一度みなさんにふりかえっていただきたいと思うからです。職業や居住地選択はそれぞれ自由ですから、これ以上のことは申し上げませんが、私は、67年間、村に暮らしてきて、そして全国の農山村を訪れ見つめてきて、東成瀬村は、「なんとなんとくらしやすい所ですよ」という一言をあえて成人となったみなさんへ申し上げたかったのです。

最後に、みなさんへもうひとつよびかけておきたいことがあります。みなさん、今日八月十五日は終戦記念日です。

村では戦没者への追悼式を毎年春五月に行い、役場庁舎には「平和な日本をめざす」宣言が掲げられています。尊い命を犠牲にして制定された平和憲法を大切にし、世界と日本の戦争の惨禍の歴史を学ばれて、成人としての使命のひとつといえる平和をまもりつづける役割を、どうか若いみなさんが引き継いでほしい、そのことを結びにお願いいたしまして、私のお祝いの言葉といたします。本日はまことにおめでとうございました。

花の百名山・8月半ばの焼石岳(その1)

ご来光は拝めぬものの、「なるべく朝早くの景色を見たい」と12日、朝4:46分に自宅を出発。歩き始めは5:10分。3合目「ンバシトゴロ(姥懐)」の駐車場には車が1台あり、窓を塞いでいる。夜中にでも到着したのか、まだ車中でお休みのようだ。

ということで、登山道にはどなたの足跡もない。前日の雨でそれまでにつけられた足跡はすべて流れ消えている。この日の東成瀬コースからでは、こちらが道へ足跡をつける最初の人ということになる。道を最初に踏むというのは、なんとなく気分がいいものである。

歩き始めてすぐ、雪解けの遅い沢で色鮮やかなエゾアジサイをながめ、県境際からわが集落の一部をのぞめる箇所に止まる。朝霧に覆われた集落をまずは写真に。
4合目胆沢川支流大森沢のブナ林は、いつも記すようにこちらが若い頃ブナ材の伐採・搬出(バチジョリや大ジョリの雪ソリで何カ所かに集材、それを集材架線で秋田側へ上げた)や、切り株へのナメコ栽培などで、雪の上、夏場、秋とはたらいたところ。いま残るブナの原生林はそのときに伐られなかったブナたち。みな、水沢営林署の旧胆沢町愛宕担当区管轄の国有林だ。その林、ブナの樹幹に朝日が差し込み始めた中を歩く。        6合目与治兵衛近くの川は、いつもの夏より水量が多い。奥羽山脈の東側に集中した先日の雨に続いて前日にも雨があったからだ。そういえば、大森沢の最源流部にもわずかの水流がみられた。登山道の随所で流水を気軽に飲めるのが焼石の特徴だが、この日はさらにどこでも流れる水が飲めるほどに水が豊か。
7合目柳瀞(やなぎとろ)手前の小さな湿地のミズバショウが倒され、茎が折られている。何ものかが座ったような跡もある。まちがいなくツキノワグマの仕業だ。湿地には、ミズギクだろうか6~7輪の花がみられる。                  8合目焼石沼手前「タゲのすず(岳の湧水)」の水枡に桃太郎トマトを冷やす。手を浸してみて数秒間しか耐えられぬほどに冷たい清水で喉をうるおす。こちらが小学生の頃は、ここに日本短角牛(あがべご)の自然放牧を監視する小屋があった。沼のそばにその小屋が移ったのはそれからずっと後で、今はもちろん自然放牧も、小屋の面影すらもない。
沼到着は7:40分。鳥海山がアザミの花のむこうに見える。朝飯を立ったままでとり、ゆうゆうと岸による大イワナたちを見つめる。昔も今も沼はイワナとニジマスの宝庫。近所のガキたちだけで夏休みに登り、泊り、自炊し、ここで泳ぎ魚を捕ったガキの頃を思う。沼の草原にいっぱいのエゾノクサイチゴはおいしい実の時期がほとんど過ぎている。残っている実のいくつかをつまみ懐かしい味を口にする。夏の草原に真っ白に映えるオニシモツケも大方は花が過ぎた。草原周囲でいま見ばえがするのはアザミと大型のサグ(エゾニュウ)、白装束のヤマハハコ、それに猛毒のトリカブト。

晴天に恵まれたお盆の入り

お盆13日は、地元集落恒例の夏祭りで花火の打ち上げも。

村内では、12日夜に滝ノ沢集落で花火打ち上げなどを含む夏祭り行事がありました。きのうは伝統の田子内盆踊りを軸にした田子内集落の夏祭りも永傅寺境内で行われ、この集落でも花火が打ち上げられたようです。大柳地区でも恒例の夏祭りがやはり13日夜に行われました。

花火でこちらが思いおこすのは、先日の焼石岳で見たサグ(エゾニュゥ)の花。焼石のサグは里山のそれよりはるかに背が高く、花はまるで花火のよう。青空を背景にして見上げれば、花火の季節によくお似合いの花だなぁと思わせられます。

きのうも今日も晴天に恵まれた今年のお盆。予想したように先日の大雨で増水し濁った成瀬川本流もほぼ濁りがなくなり、水位もだいぶ下がり川遊びには手頃となりました。

わが集落の合居川が成瀬川に合流するちょっと手前の「イワエドコ・岩井戸っこ」のすぐ上流は手頃な水遊びのできるところ。露出した岩があり、水量が多くなく、カジカやイワナもいて、そこは、昔から集落の子どもたちに人気のある水場でした。

昨日は、そこで水遊びを楽しむ家族連れがみられました。きっと、そこで昔遊んだ帰省の親御さんが、子ども(お孫さんかな)たちを連れ出したのでしょう。こういう川遊びの家族連れ姿がポツリポツリと見られるのもお盆ならではのことです。

 

 

共同作業。花の焼石山行

数字の区切りで1年の半分といえば6月でしょう。でも、雪国のくらしで感ずる一年の半分は、8月お盆までとお盆後という区切りがふさわしいような気がします。

そのひと区切りのお盆を前に、わが集落内の草刈り(国道や村道沿線、公園など)共同作業が11日に行われました。

村内ではすでにこの作業を済ませていた集落もあり、わが集落などが終わったことで村内全体の道路筋がきれいになりました。

7日には村内恒例の墓地掃除もほとんどの家々でされていて、きれいすっきりした環境のなかでお盆を迎える日が今年もやってきました。

▼きのうは、いつものことながら突然「タゲ(焼石)に行く」と告げ、早朝に出発。

実は、夏の花の盛りやご来光(オホーツク気団が雲海を生む頃)を拝もうと7月下旬から8月初めを計画。知人といっしょの夜山行を予定していたのですが、天候悪化でそれは断念。後も行事日程で今年の雲海ご来光詣は念願かなわずになっていました。

今回は、ご来光を拝めなくても、「花盛りの時期は過ぎただろうが、ええ花景色のいくらかは残っているはず」と即決しての日中山行。もちろん突然ですから一人歩き。

植生の多さ、目立つ姿ということでの夏の焼石の花をあげれば、アザミ、ハクサンシャジン、ハクサンフウロ、タカネナデシコ、トウゲブキ、マルバダケブキ、タチギボウシ、ミヤマリンドウ等々が夏を代表する花でしょうが、アザミ、ミヤマリンドウをのぞきそれらの花期は過ぎ具合でした。やはり、夏の花は7月下旬から8月はじめがよさそうです。

花の様子がそういうことなので、横岳方面など、いつも花が遅くまで残っている登山道をめざし、花盛りの草株をさがし歩きながら所々でカメラにおさめました。9合目分岐など雪解けの遅い湿地には遅れて咲いたタチギボウシが真っ盛りで、ちょっと時季外れの山行ではこういううれしいこともあるものです。岩手山や早池峰も頂上だけがのぞめました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

時期が少し遅くなったおかげで、ミヤマリンドウがこんなにいっぱいの焼石は久しぶりのこと。何度何度も「ええな、ええな」と立ち止まりながら可憐な花たちをながめ続けました。背高のっぽのエゾニュウも、焼石の花姿は夏空にお似合いでとりわけお見事です。

今日は、花景色のいくつかを切りとってご紹介です。最後の猛禽類の写真は、焼石頂上でみかけた鳥です。なんというタカでしょうね。後に山行の全体を記します。

 

政も商いも正道を

わらび座の新作ミュージカル「北前ザンブリコ」の招待公演があり、きのう午後は田沢湖のわらび劇場へむかいました。

新作ミュージカル公演のご案内をいただくのはいつも桜が咲き始める頃の春なのですが、今年の春公演はこれまでの作品の再演でした。新作が間に合わなかったためでしょうか、わらび劇場での今年の新作公演は夏からということになったようです。

今回の舞台は文字どおり北前船に焦点をあてたもの。わらび座のこれまでのミュージカル作品に通ずる骨格ともいえる「人はなぜ生きるのか、どのように生きるべきか」を問いかける内容なのだとうけとめながら観劇しました。

北前船は商いの荷を運ぶ船。商いイコール市場経済、イコール利益追求ということですが、利潤をめざす経済活動にも質のちがい、質の大切さがあることを舞台はうったえます。

現在の日本で顕著ないわゆるルールなき経済活動は、資本主義経済そのものをおびやかすほどのゆき過ぎた「格差構造」を、リスクとして社会に生み出しているとされます。

政府の総合規制改革会議の最も責任ある立場を長年つとめたほどの方が「そういう資本主義でいいのか」と発言し、また別の財界当事者からは、日本の「非正規労働者の増加」を改めねばという率直な声が出されてもいる昨今のようです。

真っ当な経済活動ならどなたも認めるでしょうが、ルールからはずれた商い、経済行動は卑怯な商い、卑怯な経営ともいえます。過労死も不払残業もそういう卑怯経営の下で生まれます。よく報道される諸々の経済不正、公的補助金の不正受給などもその一例でしょう。

ほんとうに優秀な経営、経営者とは、そういう「卑怯」と「姑息」な振る舞いのない、堂々と正道を歩んで真っ当な利益をあげられる方のことをいうのだと、こちらは思います。

ところで、経済と政治はきりはなされない関係にあります。

8月7日付の秋田魁紙は、その一面に、湯沢市出身のニューヨーク大名誉教授・佐藤隆三氏の「米国が異常と見る日本政治」と題する時評を載せました。それは、加計学園の獣医学部新設問題、森友問題と公文書改ざん、忖度政治、三権分立の在り方などをふくめ、ニューヨーク・タイムズ紙がそれらを論評した記事をとりあげての評論でした。

佐藤氏の評論は毎回読みます。佐藤氏はニューヨーク・タイムズ紙がとらえた「日本政治の異常」さ、「度の過ぎた違法行為」を我々に知らせます。その「日本政治」をそのまま「日本経済」の言葉に置き換えてもいいほどに、日本経済の中枢も劣化しているのでしょうか。わらび座「北前ザンブリコ」は、「日本よ、人よ、いま正道を」と問いかけているのかも。

新庄・最上地方のみなさんと高速道整備要望

新庄・湯沢間の高速道路整備促進で、きのうは山形のみなさんとともに湯沢河川国道事務所への要望に向かいました。副村長とともにです。

局地的な豪雨に先日おそわれた山形では、戸沢村で最上川が氾濫するなどいくつかの箇所で被災。

国道47号線も、この日まだ通行止め箇所があるということが山形のみなさんから語られました。関係する町や村ではそのためにこの日の要望に急きょ参加できなくなったところもあったようです。今回も湯沢それに新庄の商工会議所のみなさんも出席です。

▼湯沢へ出かける前には、成瀬ダム工事事務所の所長さんと総務課長さんがお見えになり、9月15日に行われる成瀬ダム本体工事着工式のご案内をいただきました。同じように、本体工事にあたる業者さんも来庁され、同日に行われる安全祈願祭へのご案内もありました。

▼午後はやりかけていた薪の嶋積み(屋外へ積み置くこと)作業をようやく終えました。我が家は、2年分の薪をたくわえるのがいわば「家風」。この5張(5㎥)の薪は今冬ではなく来年の秋から焚く燃料です。これで春からの、切る、割る、運ぶ、屋外に積むの一連作業は一区切りをつけたことになります。

薪を運ぶかたわらの野には餅イチゴ(エビカライチゴ)が熟れきっています。こぼれそうになったその実をいくつかつまんで口に。

特有の甘みでとってもおいしい木イチゴですが、ほかの木イチゴより極端に植生は少なく、わが集落でもこのイチゴを私がみかける箇所はたったの一箇所だけになってしまいました。村では「絶滅危惧種」扱いしてもよさそうになったイチゴです。

▼トビダゲ(トンビマイタケ)の幼菌を、集落の山菜採りセミプロのTさんからきのういただきました。こちらにとって幼菌は今年の初物。このキノコの幼菌だからこその軟らかな「きのこ肉」の歯ごたえ、味覚を、煮付けと一夜味噌漬けでごちそうになりました。

Tさんは「まだ、若いのがいっぱいあった」と語っていたそうです。このキノコ、今が真っ盛りのよう。今年は数年ぶりといえる大量発生、当たり年のようで、品質も申し分のないかたちをしています。ブナ大木の根元を囲んで大量に発生する真っ白サンゴのような幼菌を、写真におさめたいですね。

▼今日は長崎への原爆投下から73年目の日。6日の広島とあわせ「6.9」の日として忘れられない夏の日です。覇権をめざす侵略のための戦争、核兵器、生物化学兵器、みな支配強欲の最も醜悪な、国家という名をかむった暴力のひとつの姿です。戦争許すまじ。