県内最深積雪の集落へ

豪雪対策本部が設置されたということもあり、きのうは成瀬川最上流部集落の菅ノ台まで雪状況を視に向かいました。

今は仁郷や桧山台の集落はなくなったので、大柳地区が村の最深積雪の集落。その菅ノ台集落は県内で最も雪の深い人里のうちのひとつということになります。

椿台橋より向こうの路線は昨年までと同じように国道除雪もよく行き届いています。ロータリー除雪車(吹き飛ばし)が適宜出動したすぐ後にローダー除雪車もすかさず対処されていて、路上に残った雪がすばやく処理され、機能的な除雪がなされていました。写真は菅の台に向かう県道です。

 

先日の豪雪対策本部の会議で発言のあった椿台橋より下流部の国道路線については、その実情が関係当局に伝えられたでしょうから、改善されつつあると思われますがどうでしょうか。その箇所は路線延長が長く、さらに障害物などもあって作業に手間取るのに、その割にしては「除雪態勢」が弱いのではないかという声もこちらに寄せられています。要するに必要な態勢が確保できなくて「手薄」ということなのか、そうであればそれにふさわしい対応策が求められるでしょう。「手薄」であれば作業にあたる労働者のみなさんが一番大変ということにもなります。

夏秋トマトが栽培される大柳・谷地地区のビニルハウスは、雪害を防ぐための農家の懸命な除雪作業の跡がうかがえます。ハウスは雪国対応の骨組みですが、雪に埋没させればそれでもたちまちのうちに雪の圧力で折り曲げられてしまいます。なので、損傷させないための努力が必死になされている様子です。

菅ノ台集落は冬期間に空き家となった家が増え、現在ここに年中暮らしている方はたしか3世帯となってしまったようです。積雪ほぼ3㍍近いと推測される小さな台地にも、この寒波でさらに激しく雪は降り重なっています。

川の様子は、厳寒の草ノ台橋近くの成瀬川です。これからは本流、支流ともに1年間で最も流水量が少なくなる時です。これから一月は豪雪との向き合いが続きます。お互い様の心で水をみんなで有効に使い合うよう協力がもとめられるでしょう。

今冬五回目の本格雪下ろし

きのうはこの冬五回目の本格雪下ろし。「本格」というのは、マブ(雪庇)落としには幾度か屋根に上がり、そのついでに雪のたまる風下部分は何度も下ろしているからです。

早暁は予想もしなかった快晴。満月から少し欠けはじめたお月さんが西の空に、東の空にもひときわ目立つ2つの星が輝いています。それは大接近の金星と木星ということです。近いために大きく見える方が金星、遠いために小さく見える方が木星ということのようです。星2つにも手持ちのカメラをむけましたが、やはり三脚なしではムリ。2つの星の面影だけはわかるブレた光を載せておきます。

金星なら肉眼でもよく見えるので身近な星ですが、木星が肉眼で見えるということをこちらは知りませんでした。晴れの少ない雪国の寒中に、肉眼ですぐにわかる姿で2つの惑星が並んで見られて、きのうは除雪をしながら素敵な朝のひとときを過ごしました。雪下ろし後には、屋根からながめた景色に惚れてまたおなじみの成瀬川のほとりにも立ちました。

夜6時からは、22日午前9時に設置された村豪雪対策本部の初会議が急きょ開かれました。質疑のなかで出席の方からは「国道の除雪の行き届きが、昨年までより良くない」旨の発言もありました。技術的なことなら習熟すれば済むことですが、システムや体制の上で何か変化があってのことなのかということもありましたので、こちらも「道幅が常に確保されるという前提でいろんなことが成り立っているので、そのためにもしっかりした除雪対応が必要」の旨をのべました。

議会事務局提供

国道除雪では、ほかにも昨年に比べて「おかしいな?」と交通安全上気になっていることもあったので、今日、そのこともお伝えしておきました。事故などが起きてから、「あのとき、こうしておけばよかった」を極力避けるためにも、気づいていることはお互い出し合って、「雪害」を防ぎたいものです。

会議をしている間も重い雪が降り初め、強い冬型の気圧配置にまたなりました。会議では、関係機関のみなさんから「雪の壁が高くなって、交差点の見通しが悪いのでとくに注意を。国道の車の走行について、雪道なのでスピードには要注意を」、「灯油のホームタンク(配管)、ガスボンベ(配管)などの損傷も予想されるので注意を。(万が一の)火災時などの一般住宅の避難経路について、なるべく複数手段の確保を。消火栓の除排雪について、分署員、消防団員が行っているが、みなさんもご協力を。」などを旨とする発言がありました。

ところで、きのう積雪情報とアメダスのことを記しましたが、書き方が不十分でした。気象庁のアメダスが村には設置されていて、降雨量は観測されています。しかし、降雪量、積雪量が観測されていない(観測装置がない?)というのが実情のようです。

22日、村豪雪対策本部を設置

きのう田子内の役場そばで雪下ろしをしていたら、マナーモードを解除していた携帯電話に着信音が響きます。防寒着から手間をかけて電話を取り出し耳に当てたら、発信元は議会事務局長で「総務課長から連絡があった。内容は、積雪が役場所在地の田子内で2㍍を越えたので、雪害警戒部を豪雪対策本部に移行した」という連絡でした。

予想したとおりです。吹雪にしては意外に湿り気の多い雪がどんどん重なり、屋根の上で役場近くの家々を見渡せば、落雪構造の住宅以外は、多くの屋根に雪が厚く重なって見えます。吹雪と降り積もりの勢いが強いために、「いったん落ち着いてから作業を」と雪下ろしをひかえている方が多いからでしょう。

我が家前の背の高いビニルハウスの骨組みも雪で一部しか見えなくなっています。軒先に下ろした雪は小山状態。村内大柳地区では3㍍到達もまもなくでしょう。

田子内で2㍍越え、わが集落の積雪は218㌢。村と同じように国内有数の豪雪地帯で、われわれも幾度か訪れたり通り過ぎている長野の栄村役場で196㌢、隣り合わせる新潟の津南町役場で166㌢、十日町市の松之山支所で230㌢。

1月末になって、豪雪の地はいずこも2㍍前後の雪に囲まれてくらしていることになります。これを見ても、役場所在地で2㍍越えのわが村の積雪はやはり豪雪筆頭格。同じ特別豪雪地帯としてくくられていてもこの規模ですから、豪雪対応には村も住民も、企業体も多くの出費を強いられます。特別交付税が必要とされる所以です。

ところで、県内の積雪情報は気象庁の発表によるためか、その最高数値は湯沢市の秋ノ宮湯ノ岱地区がよくとりあげられます。しかし、役場所在地で2㍍を越えても「県内最高積雪」として「田子内」が報道されることは常なるお天気情報にはありません。積雪情報はアメダスがあるかないかの違いでこうなのか、多くのみなさんが「おかしいな?」と不思議に思っている「情報」のひとつです。

吹くは積もるは、たまげだ

厳冬の季節の村では、きのうと今日のような吹雪と猛烈雪降りに幾度か襲いかかられます

吹雪で道路は霞んで見えないか、時には視界ゼロで立ち止まり。役場の氷柱もまた急成長。家屋は吹雪にまぶれ、まるでブリザード荒れ狂う極地の基地建家みたいな姿になってしまいます。

今朝も重い雪がまたドッと重なりました。さすが寒中。こういうときは、できる限り外出をひかえ、荒れが収まるのをジッと待つのが賢明です。

大寒の日につくられた我が家の凍み大根。厳しい寒気は、村内の家々につるされた凍み大根を今年も甘くおいしい伝統食に仕上げてくれるでしょう。

凍み大根のことはさておき、雪国では、降るべき時に一定の雪が降らなければ困ります。寒の季節に最も厳しい寒気が流れ、降雪があるという前提ですべての暮らしや経営が成り立っているからです。「吹雪があってあたりまえ。なければ困る」と思えば、寒さでブルブルの気も少しは和らぐものです。

この一週間は寒気が続く模様です。今朝もグンと積雪がかさみましたから、雪害警戒部から豪雪対策本部の設置へも視野におかれるでしょう。一定量の積雪は必要だが、度が過ぎればその雪は「災害」へと連なります。雪のくに本番はこれから、警戒を怠りなく。

商工会の新春懇談会

18日は村商工会の新春懇談会へ。

商工業者が仕事を安定して確保するということ、給与をふくめ月々の支払いをきちんと行い、かつ雇用を安定して確保するということがどんなに大変なことか。私は父親が小さな事業を営んでいたこともあり、また今も身内に小さな経営をきりもりしている者もいることから、事業者のみなさんのご苦労が身に染みてよくわかります。

われわれ議会で仕事をしている人間は、議案への議決や、歴史的に大きな市町村合併時の判断など、様々な面で的確な判断、決断を求められることが多くあります。業者さんの場合は経営の大中小を問わず、そういう判断、決断を求められることが常にあり、時にはそのたった1つの判断が経営を左右、判断が悪ければ傾くことさえありうると思われます。

そういう意味で、事業を築き上げて、あるいは事業を引き継がれて今日の位置に立たれているみなさんは、「親方日の丸」とは無縁の厳しい民間の競争世界で多くの修羅場をくぐり抜けた体験をもたれています。それには、政治を主な務めとする我々もいろんな意味で学ぶことが多く、私は常日頃からその体験と積極姿勢を参考にさせていただいております。

堤体工事が始まった村の中ではダム事業が大きな特徴でありますから、当然村の商工業者のみなさんがすでにとりくみあるいは考えておられるように、この機会を最大限に活かすということがひとつの経営方針と思われます。それとともに、ダム事業が終わった後の経営展開をどうするかも、みなさんの大事な戦略と思われます。これは、村政についても同じようなことがいえます。

昨年11月、本体工事にあたられるJVの事務所開きでも少し触れましたが、今から100年前の昔、同和ホールデングスや藤田観光の前身でありました藤田組が、田子内鉱山(県内有数の金鉱山)を営業していた当時、肴沢の地域には最高時で約600人の労働者がいたと村郷土誌は記します。

そこから村の人々との人的つながりが深まり、私が知る範囲でも後に様々な側面で村の振興にプラスとなる事例がうまれ、それは今も続いています。ダム工事はあと数年で終わりますが、今は今の時代にふさわしく、村には商工会もあり、事業体も多くあります。なので、商工業と村の発展に結びつく人と人のつながりが、このダム事業からもうまれることを切に願っております。

そうしたことを視野におき、今の機会を大切に活かしながら、この先の展望をもしっかりともった商工業振興、村の発展にお互いに努力してゆきたいものです。

この日は以上のようなことを念頭におきご挨拶を申し上げました。集いでは、沼館の辻田与五郎さんによる「選挙漫談」(写真)などがあり、ナマの初笑い口演を楽しませていただきました。沼館のこちらの知人(故人)だった方と同じ名字でしたのでおたずねしたら、「その家とは、本家~別家の間柄」ということ。与五郎というのは代々の本家屋号だそうです。

ところで2部の懇談の席では次のようなことも。ダムの話題から宮ヶ瀬ダムからそんなに遠くない相模原市のことへと話がすすみ。そこの農家にこちらが47年前1年間くらしていた「田名」という土地のことをお話ししたら、「私も、子どもの頃その田名の小学校に2年間おりました」という方がおられて、三菱重工業、キャタピラー三菱、相模川と水郷田名などなど彼の地のいろんな固有名を述べあいながら、何かしらの「縁」というものを感じた語り合いのひとときもありました。もしかしたら、こちらがあそこにいた47年前、その方は田名の小学校に通われていたのかもしれませんね。偶然か必然か、世間はいろんな不思議な糸でつなぎ合わされているものです。

▼大寒のきのうは寒気が緩み、雪が解けやすく小川への排雪に適したお天気となりました。「この機会を逃さず」と、車庫や農機具格納庫などの雪下ろしと排雪作業に汗をかきました。

いよいよ最も厳しい季節入りです。寒気と雪がしばらく続きそうです。あと一月、この厳しいヤマ場を乗り越えれば春が見えてきます。雪とむきあう作業は、焦らず、じっくりと落ち着いてよく考えて、事故なきようにとりくみましょう。道路での転倒例も多く聞きます。靴へも含め転倒防止も欠かせません。

ただものでないカラスの賢さを知る季節

村農業再生協議会の総会がきのう開かれました。平成31年(2019年)の米作付け面積と生産数量の目安を決めるのが主な目的の集まりで、それぞれ221㌶、1166㌧の生産目安数値を確認し合いました。

米の生産では、昨年から減反(転作)の目標数値がなくなり自由に作れる環境となりました。それにともない、減反政策時よりも主食用のお米生産を増やす結果となったのが秋田県などや県内市町村。目安の数字は昨年よりも若干減となっていますが、果たして今年の作付け動向はどうなるか、主食生産を市場経済にゆだねたもとでは、需給に連動する米価の行く末が何よりも気にかかります。

農業委員会の新年会もきのう開かれ出席。国連が今年から10年間とくに重視している家族農業の大切さ、専業だけでなく兼業農家の存在も山村農業をささえる柱であることにふれごあいさつを一言のべました。農業委員会はともに活動していた方々が多く、古巣にもどった気分で久しぶりに農政と農作業技術など農業談話のひとときを過ごしました。

▼役場で所用を済ませての帰り、国道の真ん中にカラスがいて、何かをくわえながら飛び立ち雪の上に飛び降りました。

よく見たら、咥えていたのはクルミ。道路に落としておき、通る車のタイヤで実を割らせて中身を食べるという、ごく普通に見られる姿です。その仕草を見ただけでも、「カラスとは、なんて賢い鳥なんだろう」と思います。

実は、私がその賢さに感心するのはそれだけではありません。1㍍~2㍍、時には3㍍にも達する豪雪の人里で、「カラスは、いったい、このクルミを、どこから取り出してくるのか」ということです。

考えられるのは、リスやネズミのように雪が積もる前にクルミをどこかに貯えておいて、食の最も欠く季節に掘り出して食べているのではないかということです。

その賢さにたまげてしまうのはまだ続きます。村の冬は、クルミの木の下も含めまわりはほとんどすべてが厚い雪。貯えのクルミを取り出すには、厚い雪が積もっていない場所でないとできません。もし貯えているのだとしたら、雪の積もらない場所を選んでいることになり、カラスの賢さに向ける私の想像はさらにふくらみます。

貯えないで、たまたま急斜面にあるクルミの木の下など雪の少ない場所から拾ってきたのかもしれません。それにしては、路上のクルミ割り姿があまりにも頻繁に目に入るカラス。豪雪最中に、クルミをどこから咥えてくるのか、おたずねしたいものですね。「カラスさん、あの、クルミは、どこから咥えてくるの?」と。

貯蔵モノ山の幸たちの本格出番

季節はまもなく大寒。豪雪のむらの1月半ばから2月は暦どおりに冬の厳しさをもっとも体感するとき。そしてこの季節は、鉛色の雲と深い雪のため青空と草木の緑が一年でいちばん少ないときでもあります。

そんな季節に好んで食べられるのが、昨年春から秋までに採られ貯えられていた山菜やきのこたち。

緑がほしければ、毎朝の味噌汁には塩蔵していたワラビが用いられ、おでんなどにはサグ(エゾニュウ・シシウドの仲間)やウドが登場です。煮物などには、まるで山のアワビのような肉厚塊の塩蔵ネズミハギモダシ(ウスムラサキホウキタケ)もいよいよ食卓の仲間入りです。

塩蔵でも、びん詰めでも、山菜やキノコの貯蔵モノは、野や畑からの緑や食を夏のように採ることができない厳寒の季節にぴったりの食材です。このように豪雪の村の冬だからこそ、貯蔵モノだからこそ味がひきたつ食材もあるのですね。

農地をまもり続ける尊い力

豪雪の村の寒中にしてはめずらしいほどの穏やか日和と晴天が続いた連休からの日々。積雪もだいぶ締まって厚さをグンと下げました。

除雪作業なしの日がこれだけ続けば、心も体も一息つけます。道行く先でのあいさつも「びゃっこ、しと休みでけで、ええな(少し、一休みできて、いいですね)」の言葉がよく交わされました。

わが家裏手の八卦沢で、畑とたんぼを長年作り続けてきたKさん(83歳)も、「雪ぃ、深ふて、えちども、けねで。今日が、この冬はじめでのゆぎおろしだ。(雪が深くて、一度も、来れないでいた。今日が、この冬、はじめての雪下ろしだ)」と、背丈ほどの堅く締まった積雪がある屋根に上がろうとしていました。

カンジキを履いてここまで来るだけでも大変なのに、厚く固まったこの雪を下ろすのは若者でも大変です。それをKさんはスコップだけで(雪が堅いので)すっかりと下ろし終えて帰りました。狩猟をしていた当時の先輩であり、もちろんカンジキ履きでの遠出でノウサギ狩りもともにしたKさん。元営林署作業員でもあり、山で体を鍛えられただけあって、まだまだ若者と劣らないすばらしい脚力と体力を保たれておられるようです。

 

 

 

 

 

 

 

 

今はお米作りは止めましたが、田んぼには野菜を作り続け、作付けしない田んぼと畑も荒らさずにしっかりと管理しているKさん。苦労して冬も作業小屋にこうして通い続け、夏場も農地や農道の草刈りなどに勤しみ、奥さんと二人で自給野菜作りに励んでおられます。

夏と冬、こういう作業姿を目にしますと、「先祖伝来の農地、体力のある限り耕し続ける」という先輩の意気込みが私にはズンと伝わってきます。それに夏の鍬を持つとき、冬にこうしてスコップを手にした時の作業姿も、難儀だけでなくどこやら楽しそうにも見えます。

▼過ぎた連休には、正月に来られなかった童たちがスキー場に来ての帰りに寄り、共に過ごしました。

童たちとのこちらのおつきあいは自宅前の河川敷。冬なら、なじみのクルミの木にいつものように臨時のブランコをつくり、堤防斜面ではソリ乗りです。

 

 

 

 

そばに下がっているヤマブドウの蔦につかまって、まだ残っている実を揺すり落として口に含んだり、実をつぶして紫色の果汁で雪遊びも。バタバタバタの羽音をさせてカモが飛び立った湧水に育つノゼリとクレソン(オランダガラシ)摘みも楽しみました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

▼きのうは、議会広報編集委員会の議会だより1月号の最終編集会議が開かれていました。9月議会以後の議会の主な活動と、12月議会、1月招集会議の内容が載せられます。

今冬初めての雪山歩き

12日、今冬はじめて、山内境との尾根まで上がる雪山歩きに半日向かってみました。

晴天を見込んでいたのですが、厚い雲はなかなかとれず、期待していた岩手山など遠くの山々はついに眺めることができませんでした。

曇り空の割には気温が上がらず、杉やブナについた雪も一日中落ちずにそのまま。岩手との県境尾根筋にあるブナや杉への雪化粧が、遠目ではとっても美しく見えました。

雪原は予想に反して雪に足が二段階で深く沈みます。雪上の狩りをした者たちは、こういう雪状態での歩きを「二段ぬがりする」といい、最もきらいます。一度雪を踏んだ足が、体重をかけるとさらにもう一度下に沈むからです。こういう雪質は、深くて軽い雪よりも体力を消耗します。この日も、山内の集落が見える郡境まであがるのに3時間近くかかりました。普段より1時間は多く要したことになります。

木々への着雪が落ちずに重くなっているためでしょう、杉林の中では、その重みに耐えきれず幹折れした雪害木の無残な姿がかなり見られます。樹齢を重ねてこれほど大きくなった木がボンボン折れてしまえば価値はたちまちゼロ。それだけに、その重みに耐えて生き残り伐期をむかえた雪国の杉は、とっても強靱な材ということでもあります。

上がりの8合目ほどにあるブナ大木の根元では、いつものように小休止。更に境の尾根にあるクマの爪跡がとくに多いブナでも一息。このブナは見晴らしがよいためか、ここを歩くクマたちが100年以上も前からつけたのでしょう、代々のクマたちが生きた証を記した爪跡が見られます。昨年につけられたかなり大きな爪跡も真新しく刻まれています。そばのブナでは、実を食べようと枝を折り重ねた跡も見られます。


 

 

 

 

 

 

木々の根元には、ノウサギ、テン、ヤマドリ、カモシカ、キツネなどの足跡がいっぱい。でもこの日は、それらの生きものたちを直接目にする機会はありませんでした。


 

 

 

 

 

 

ここの尾根に上がれば、南にまっすぐ伸びた成瀬川に沿ってひらけた大字椿川方面から桧山台、仁郷のダム現場方面が真っ正面にのぞめます。

上りは八卦沢からで、下りは岩井沢へ下りるのがこの歩きでのほぼ決まったコース。途中、用水路取水口のゴミをのぞきに沢へ寄り道。この日は大きな生きものには出会えませんでしたが、その時、雪原に二種の昆虫が目に入りました。

一種はユキムシと我々が呼ぶセッケイカワゲラですが、もう一種はあまり見かけない昆虫です。さわろうとしたら、警戒してでしょう、動きを止めて手足を縮めてしまいました。厳寒に生きる小さな昆虫たち。そのたくましさに、なんだか元気をいただいたような気になりました。ユキムシは俳句では春の季語だそうです。そのせいか、厳寒なのにユキムシを見ると、寒さで縮んでいた心と体がほっこりと暖かくなるような気になります。ユキムシに感ずる春、不思議なものです。

晴天でも、気温がそれほど上がらない高山では、木々に着いた雪がやはり落ちずにそのままでした。きのう夕方など、焼石連峰の名峰三界山や県境尾根のブナ、杉などに着いたその雪景色全体が夕日を受けて輝きました。尾根でこんな景色を眺めてみたいものですね。

4回目の雪下ろし一巡

予報どおりの小雨もあったきのう、4度目の雪下ろしもまずは一巡です。

これまで自然落下方式の小屋は下ろさなくてもよかったのですが、そろそろそこも落下した雪が軒につかえはじめています。今後5回目の下ろしを要するようになれば、それらも人手が必要になり、一巡の日数はもう一日ほど増えることになります

作業していたきのうも、頭上の電線にたくさんのすずめが止まりました。妻が数えたらそれは100羽近くの集団。最近としてはめずらしいほどの群れでした。寒すずめのこの群れは、主にどこでどんな食べ物を摂って命をつないでいるのでしょうね。