今冬4度目の雪下ろし

10日の予報に時ならぬ雨マークが出たので、「こりゃあ、雨の前に雪下ろしだ」と判断。きのうはまず住み処の下ろしに汗をかきました。

 

年末30日に下ろしてからまだ9日間しか経っていないのに、屋根の雪は70㌢近くもあり「ほほう」とあきれるばかり。二人でたっぷり半日かかってしまいました。これにもし雨などを当てたら重量は3倍以上になるそうですから、作業はもっと大変だったでしょう。

まだ雪下ろしを一度もしていない住家なども村内には一部みられ心配されているようです。雨が予報どおり降ったらそういう箇所はいよいよ危険となります。雪を甘くみてはいけません。

作業をしながら妻は時々「あっ、鳥の鳴き声」と耳をすまします。そばにあるブナの小枝にとまっていたのはシジュウカラ。カラスやトビをのぞいて冬にここでよく見られる鳥といえば、セキレイ、シジュウカラが一番多く、次にはカケス、アカゲラやアオゲラ、ヒヨドリ?、スズメかな。

山の木々と川がすぐちかくなので、我が家の雪下ろしは、小鳥たちのうごきを目にしたり、景色を見渡したりと屋根の上での自然観察みたいなもの。そういう小さな楽しみを見つけて、ああだこうだと語り合えればしごとの難儀さもやわらぐものです。

積雪は田子内で150㌢越え、大柳で200㌢越えとなり、きのう、村には雪害警戒部が設けられました。議員のみなさんもすでに豪雪対応を念頭におき行動していますが、雪に関してお気づきのことや困ったことなどがありましたら、役場へいち早くご連絡願います。

豪雪のくらしをまもる水

正月三が日を過ぎたら、雪下ろし作業が毎日のように見られるようになった村内。

この降りようだと、「今週中に4度目の下ろしだな」と覚悟している我が家です。下ろした雪がたまっている窓際は、すでに二階から出入りできるほどの高さになっています。集落で2㍍の積雪が測られるのはもう時間の問題でしょう。

豪雪の村で、除雪や融雪で活躍する代表格は水。流雪溝はもちろんのこと、水は、家々のエド(井戸・池のこと)や、その流末などを利用して流れによる消雪もはかられます。地下水もほんの一部で利用されますが、村内集落へこれら大部分の水を供給するのはそれぞれのヘギ(堰)。

 

 

 

 

 

ヘギ(堰)の多くは、夏場は田んぼの農業用水や生活用水となり、冬場は流雪や消雪の役割にと四季を通じて大活躍です。このように雪国の用水路「堰」は、農家だけの「利益を産む水」ではなく、そこに暮らす人々全部のご利益となる命をまもる水路です。

わが集落の幹線水路の名は「遠藤堰(えんどうぜぎ)」。「1663年(寛文3年)から6年の歳月を要して完成した堰」と村の郷土誌は記します。それから幾度もの改修を経た堰は、成瀬川支流でいずれも県境を源流とする合居川、沼又沢、土倉沢の水を合わせて通し続け、350年以上も部落の人々のいのちをまもっています。

だんだんと豪雪らしい村に

積雪が1㍍50㌢を優に越え、すでに3回も本格的な雪下ろしをしている我が家。

役場庁舎のつららも、寒中を思わせるようないつもの大きさになり、集落も、山も、川も、家々も、いよいよ豪雪の村らしい風景になりつつあります。

雪降りはほぼ毎日のように続いていて、こうなると、住宅から作業小屋、農機具格納庫など棟数がごちゃごちゃと多い我が家は、どこかの建屋の雪下ろしにほぼ毎日少しずつ動くということになります。

きのうは、役場に出た後、田んぼ脇にある簡易物置小屋の雪下ろしにむかいました。農道はもちろん車は通れませんから、カンジキを履き、長い雪原のハデコギ(ハデは深い雪、コギは漕ぐが語源と思われる。深い雪原を漕ぐようにして歩くという意)の歩きです。

田んぼがある河岸段丘の高台はすでに2㍍近い積雪。そこからのぞむわが集落も、寒の入りとなり深い雪につつまれているので、いつもよりなお静けさを感じます。雪原にのこるカンジキ跡を見れば、いよいよ厳寒の季節がきたことを私の体は悟ります。

 

作業を終えての帰路は、雪が深いので往路につけた踏み跡の道を一歩も違えずたどります。その途中でガマズミの真っ赤な実を目にしました。今の時期になれば実は完熟しています。少し手折って口に含んだら、子どもの頃に食べて記憶に刻まれているあの甘酸っぱい味が蘇り、口中にほどよい刺激とおいしさをおぼえさせてくれました。

平成年代最後の1月招集会議開く

1月4日、今年の村議会定例会(1月招集会議)が開かれました。

平成年代最後の1月会議であり、また4月にいっせい地方選で改選されることから、当議会は現任期最後の招集会議ともなります。

2014年1月から通年議会制となり、「明けまして おめでとうございます」の言葉で今年の議会がはじまりました。年頭仕事始めの冒頭に開会される議会はこれで6回目ですが、前述2つの理由で、やはりいつもの議会とちがう独特の趣が議場にも、控え室でも感じられました。

今議会は議案提出なしで、4月29日の任期満了日までを会期とすることを決め休会としました。常任委員会などの活動は継続してどんなことでも必要に応じてとりくまれます。降雪、積雪状況が豪雪型を感じさせる模様となっていて、「雪関連対策」を念頭に置くことも運営委員会では話し合われました。

▼1月招集会議を終えた午後は村消防団の出初式。終了後は地元消防団の新年会へ。式典では概要次のようなご挨拶を申し上げました。

さきほど、それぞれの方々からものべられましたが、災害列島ともいわれる我が国では、西日本豪雨や北海道の地震など昨年も大きな自然災害が続出しました。村内でも、火災や除雪中のいたましい事故などもおきました。この時に、テレビ報道などでわれわれが目にしたのは、常備消防や警察の方々とともに災害現場で警戒や遭難者の救出にあたる消防団員の半纏姿でした。

国内各地を訪れることが私も時々ありますが、ビルが林立する大都会の片隅に、あるいは漁港のそばに、山深い町や村の集落に、平場の町にと、そこには地区の消防支部名を書いたポンプ置き場などが必ず見られます。それを目にする度に、私は、消防団という名を通じて、訪れた土地への親しみと愛着が湧き、わが村の消防団員の姿を思い起こします。ポンプ小屋と半纏は、人々が頼りにする消防の象徴でありまして、そのありがたい存在の皆さんへ重ねて深く感謝を申し上げます。

ところで、わが村に特徴的で備えなければならない大きな災害といえば、寒中の積雪期も強く意識した大地震、豪雨による土砂崩落と中小河川の土石流、それに栗駒山の噴火による登山者や宿泊施設などへの被害などが想定されます。これらの防災、減災、災害発生時の対応策については、みなさんも研修で学んでおられるでしょうが、「その時どうするか」「そのためにどんな備えが地域に必要なのか」という点で、どうか全国の大災害から教訓をいっそう学ばれて、村民の安心安全につとめていただきたいと思います。

また、個別に発生する火災対応や村に特徴的な山岳遭難捜索活動は、みなさんにとって常に気のぬけない任務で、ご苦労をおかけしております。火災については、死亡を伴うケースが、昨年、そして今年も年始めから全国的に多発しています。村や集落はそのために警報器設置を率先してとりくんできましたが、それとあわせて、屋外への避難がむずかしい構造になっている二階建て住宅からの避難方策などにも深い関心をはらい啓発していただければと思います。

なお、遭難捜索活動では、山に詳しい捜索隊員が年々高齢化しており、その確保・育成策とともに、大きな効果が期待されると思われるドローンの活用などにも、これは団だけのことではありませんが、いっそう目を注いでほしいと考えます。

▼5日は、村交通指導隊と防犯指導隊の合同「初出式」。終了後はやはり新年会へ。

▼6日は、年末31日に急逝された元議員佐々木朋文氏(90歳)の会葬に向かいました。
長い人生で培われた多くのことをわれわれは故人から学びました。ともに議会活動を過ごした当時を想いおこしながら先輩のご冥福をお祈り申し上げました。

▼きのうは部分日食の日。日本海側はほとんど雪降り予報でお日様の出番はないだろうと思っていたら、昼少し前に雲が途切れ空が明るくなり、流れる雲間からその日食がわずかの時間目に入りました。

寒中、雪が降るなかで、雲を天然フィルターがわりにしてながめる日食もまた風情があるものです。

おだやかな亥の年でありますように

あけましておめでとうございます。

豪雪の村の自然と、そこに生きる人々の様子をこの片隅からまたお伝えします。本年もよろしくお願いいたします。

まずは、新年にふさわしくご来光です。8年前の富士山登山で、頂上からながめた雲海からのぼる日の出です。初登山で、しかもこんな絶景に出会えたのは幸運でした。国内、海外からもふくめた多くの登山者でいっぱいの頂上。日がのぼったら、感動、どよめき、万歳の声が随所から聞こえました。

大晦日は、まず自宅裏の敷地に植えてあるヒメコマツの枝(キタゴヨウマツ)で門松を飾り、神棚と仏壇にお供えです。神棚には、年越しのお供えに欠かせぬ生のハタハタと赤い酢蛸も。さらに仏壇も神棚も、今年一年の山の幸、田畑の幸も供えられます。漁獲量がきわめて少なかった今年のハタハタは、やはりいつもの年より貴重に見えます。我が家は、林業として山にとりわけお世話になってきた家でもあり、斧を持った掛け軸を下げ、家を守る神と山をまもる神、2つへのお供えをするのが慣わしです。

 

 

 

 

 

 

元旦は、自宅脇の小高い森にある小さな神社にも初詣をしました。ここの森には2つの小さな社があります。いずれも、集落の由緒ある2軒の家々がまもってきたいわば内神の社のようですが、往時は、集落、村内だけでなく村外からも参詣の方々が訪れていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

今は、森の下方にあるひとつの社だけは集落のB家によってまもられ続けていて、今年も、家族の方々が大晦日に急斜面の参道に道をつけていました。雪深い急斜面なので、道つけも大変だったようです。社の中には、昭和三年五月三十日の木札が見られますから、およそ90年前に建てられた社ということになります。村の人口約5,000人ほどの当時のことです。

もう1つの社は、管理をしていた家が離村してからしばらく経ち、どなたにも管理されず棄てられたままが続いています。信教は人間の自由ですが、こうして人間が生み、人間に棄てられるつくりもの(宗教?)を目にしますと、もの寂しい気分になってしまいます。

元旦の雪の上にはまだ足跡が見えず参詣は私らが最初のよう。ワラシの頃の50数年前をしのびながら、諸々の安寧をお祈りしました。

小高い森の狭い範囲に10数㍍ほど離れて2つの社が上下2つの地点に建っていますから、そこはこちらが小学生の頃、ガキどもの格好の遊び場となりました。ガキどもは2つの「組」に別れて2つの社を根城にし、組と組との戦い(チャンバラごっこ)をよくやりました。

「東千代之介だ」、「月形龍之介だ」、「月形半平太だ」、「服部半蔵だ」、「猿飛佐助だ」、二刀流で「宮本武蔵だ」、長い刀をこさえて「佐々木小次郎だ」などと名乗り合い、戦いの度に、だれかが必ず刀(それぞれが柴木を切り削ってつくった木刀)で痛い目に遭い、その鳴き声が小さな境内に決まったように聴かれた頃を今も思い出します。

時には、「まぼろし探偵だ」、「月光仮面だ」、「怪傑ハリマオだ」と、正義の味方どうしの現代劇も演じられました。社の中には獅子舞に使われる獅子の面がいつも置いてあって、それににらめつけられた思い出や、みんながそれを手にして面の口をパカパカさせいたずらしたことなども思い出されます。ここは、そんな昔のワラシ(童)たちが遊んだ戦後の昭和を偲ぶ森でもあります。

▼30日、31日と、作業小屋や自宅の今冬3度目の雪下ろしをしていて、新年も2日から作業小屋の雪下ろしにとりかかりました。

二日、風と雪降りと晴れ間が刻々と変化するお天気の下、わずかの晴れ間をみて成瀬川の岸辺にも立ち寄りました。厳寒の季節にむかって流量もだんだん少なくなり、なおかつ雪も深くなりましたから、瀬の音も雪に吸い込まれてかずいぶん静かになりました。

一年で自宅の朝湯につかれるのは三箇日のうちの一日だけ。2日は時折の青空もありましたから、浴室の窓をあけ雪景色を眺めながら野天風呂風を楽しみました。

平成最後の年を振り返って(その3) 

10月も半ば過ぎ、それまで人々を惹きつけていた須川高原や焼石連峰の紅黄葉が終わり、紅葉前線はブナの森や里山へ下りてきます。

景勝の赤滝、天正の滝、合居川渓谷の断崖「いずくら」が紅や黄のオールカラーに染まるのはこの時です。

赤滝のまわりはかろうじて樹木が残っていますが、ダム堤体工事が本格化した外縁の一部は林がすべてなくなりました。沢に残った真新しいブナの伐り株が印象に残りましたので記録しておきました。四季を通じて沢歩きで楽しませていただいた近くの小沢も昔の面影はなくなりつつあります。それでも、この範囲で最も大きなブナの木は今年もまだ倒されずにデンと立ち続けています。周りの木々が無くなったせいでしょうか、堂々とした大木に変わりはありませんが、以前とちがい一抹のさみしさを感じます。

訪れる度に参詣する赤滝の古びた小さな社。どこのどなたかわかりませんが信心深い方なのでしょう、お酒、おまんじゅう、お餅が、賽銭と共に供えられておりました。


 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

里山が紅葉の盛りを終えようとする頃になれば、我が家前の小沢に成瀬川からイワナが遡上しはじめます。イワナの産卵を見る頃は晩秋のきのこたちの出番です。

里山ではヤマドリモダシ(クリタケ)、コナラ(シモフリシメジ)が人気の筆頭格で、深山ではナメラコ(ナメコ)、ムキタケが一番人気です。

我が家の周囲300㍍ほどの林もこの季節はキノコの宝庫。とくに草木の葉っぱが落ちて歩きやすい晩秋から初冬は、童といっしょに、ナメコ、ハタケシメジ、クリタケ、エノキタケ、ムキタケ採りなどを毎年いっしょに楽しめます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

落葉後の11月、積雪前のブナの森や里山は先にお知らせしたばかりです。葉っぱが散った森や沢は見通しが遠くまで利きやはり最も歩きやすい時。最上級のナメコをめざし初冬の森を歩きます。初雪後の天正の滝では、雪上に残されたクマの足跡のそばに、凍りついたナメコが成長を続けていました。


 

 

 

 

 

 

 

深山では根雪を見るようになった12月、里にも度々の降雪があります。雪の気配を感じたのか、ユギノシタキノゴ(エノキタケ)が発生の量を多くします。


 

 

 

今年は、久しぶりに県境の尾根近くへ初冬の雪上歩きに向かいました。その際、ツキノワグマの足跡をたくさん目にしましたが、そこは私も長年駆け回った狩猟現場でもあります。そこでなんと、捕獲された直後のクマが倒れている場面にも突然出くわしました。

メスのクマにしては大きく、推定80㎏ほどとか。村では今シーズン最初の狩猟によるクマ捕獲ということです。クマのほとんどは冬ごもりを終えましたが、やはり例外もいるらしく、25日、ビューポイント近くの国道を横切り東山方面へ向かった足跡も見られたそうです。

さて、こうして一年を振り返ってみたら、これはまるでキノコだよりのようなものです。国内有数の豪雪の村は世界有数の豪雪の村ということになります。その豪雪は、豊かな山の宝、里の宝を私たちに授けてくれます。その宝に恵まれ日々を楽しめるのはこの上ない幸せで、そういう宝の村を私はとても誇りに思います。

天恵の幸、私のキノコだよりが終わる頃になれば、例外のうごきをするクマもそろそろ完全な御用納めです。今日は公務の社会も仕事納めです。1年間のおつきあいに感謝を申し上げ、来年が安寧な年でありますことをお祈りいたしまして、今年のささやかな綴りを閉じます。ありがとうございました。

平成最後の年を振り返って(その2)

花の百名山として知られる焼石連峰。毎年、初夏の花々が盛りとなる6月10日頃に私は山をめざします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

村の直売所に春の山菜たちがそろそろ終わりを告げる頃、店のお客さんが「こんなキノコあったよ」と、普段は見かけないかたちのキノコを置いていったそうです。しらべてみたらそれは「チョレイマイタケ」というキノコ。マイタケほどではありませんが、立派な食茸です。めずらしいキノコなので、記録しておきました。

 

7月、春の山菜が顔をひそめたこの季節になると、山菜の主役はミズ(ウワバミソウ)にとって代わられます。味にクセがなく、しかも適度の粘りもあるミズはどんな料理にも向きのすぐれもの山菜。春から秋まで利用できて、しかも里山から深山とどこでも手軽に採取できる山菜なので、山ぐらしの人々にとってはとってもありがたい野の菜です。そのミズを背負うのは、88歳になる私の母です。

新じゃが芋が食べられるようになるのもこの頃。芋掘りは、農家の出身ならたいていの方々が子どもの頃の思い出をお持ちでしょう。我が家では、一年中食べるそのじゃが芋つくりも主に母の仕事です。

 

雪解け水も終わり、川の水もぬるむ季節となる7月は童と川辺を散策。カジカ捕りが始まるのもこの頃からです。夏の空にはカンゾウの花もお似合いです。

 

 

 

 

 

市町村の6月議会が終わる頃から、村への教育行政視察で各地の議会の方々がお越しになります。今年7月には、秋田の伝統ある地方出版社無明舎の代表、あんばいこう氏による「学力日本一の村」という著書も発行されました。売れ行きも好評のようです。それもあり、来年も多くの視察の方々が村をおとずれるでしょう。

 

春、初夏、夏、初秋と焼石連峰の花にはいくつものピークがあります。8月初めからお盆前頃は夏の花が盛り。大きなサグ(エゾニュウの仲間)と小さなミヤマリンドウ、それにハクサンフウロ、ハクサンシャジン、トウゲブキなどがこの山ではよく目立ちます。今年は、空高く舞う猛禽類も目に止まりました。羽の内側にある左右黒い2つの模様が特徴です。これはなんというタカの仲間でしょうね。

 

7月末から8月はじめ、稲田の緑がぐんと増した田んぼでボンアゲズ(盆秋津・アキアカネ)の羽化がはじまります。先に羽化したオニヤンマも動きを激しくしていて、飛び疲れた体を一休みさせていました。

 

盛夏は童たちとの川遊びの季節。年々、童たちが成長してゆきますから、こんなことがいっしょにできるのもあとわずかでしょう。

 

 

 

 

 

7月の暦をはがす頃になれば、キノコだよりのはじまりです。今年は、まず仙北街道の踏査で、栃川をのぼる途中にヒラタケ(ウスヒラタケ?)大群生のブナの立ち枯れと出会いました。群生が特徴のキノコですが、これだけの姿はなかなかお目にかかれないほどのお見事さでした。

8月も半ばとなれば、ピンク色のハギモダシ(ハナホウキタケ?それともベニホウキタケ?)が真っ盛り。このキノコは、食べられると記す図鑑がありながらも、結論はどのガイド本でも毒種、または食不適とされています。村のキノコ通の人々はごく普通の食茸として遠い昔から親しんできました。食べた方の体質や生育環境によって毒作用があらわれるともいわれますが、我が家の家系筋では一度もそういうことがありません。不思議といえば不思議なきのこです。ガイド本によって現物と名前が違って記されることの多いキノコでもあります。もっと科学的な統一された見解がほしいものです。

 

河岸段丘のわが田んぼが実り色に輝く頃の9月半ばには、ネズミハギモダシ(ウスムラサキホウキタケ)、ハタケシメジ、アガキノゴ(サクラシメジ)と、名を上げられる食茸の仲間が急に増え始めます。毒種?の真っ白なシロオニタケの芸術的な風貌とも出会いましたので記録しておきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

彼岸の入りからは、マイタケをはじめ、もうキノコずくめの便りが続きます。今年は、真っ白で柄の長いヒラタケや、自宅周りのクリの木やミズナラでマイタケと出会うなどめずらしいこともありました。童がかかえているのは栗の木に出ていたそのマイタケです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

深山ではオオワライタケ(毒種)の幼菌がいいかたちで出ていたので、しばらく眺め続けました。食べる楽しみのきのこ、採る楽しみのきのこ、見て楽しみのきのこ、それぞれの趣があってうれしいのも、キノコに私が惹かれる理由でしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昔から、狩猟、きのこ採りと私が通った明通の沢。ここには断崖絶壁の難所をきり砕いて通された間木集落の命をささえ続けた間木堰と呼ばれる水路があります。その取水口に立てば、大正のはじめ、前後5カ年を要して完成したという堰づくりに精を尽くした人々の苦労がしのばれます。

この地の開拓を提唱した高橋佐吉氏を讃え、集落には報徳碑が建立されています。村の郷土誌は、(高橋佐吉翁伝より)として、佐吉翁の風懐をあらわした「間木の野に 田畑ひらきて 家建てて 無くて叶わぬ 水の神様」「その昔 きつねの住みし 間木の野も 今朝は九軒の村となりけり」の歌を引用し紹介しています。

今年は、成瀬ダムの本体工事着工式で小学生を代表して高橋杏翼さんが期待の言葉をのべました。間木集落に住んでおられる高橋さんは「九軒の村」のうちの末裔のお一人です。その彼が先の「歌」にふれながら水不足解消に苦労した先人の努力に学ぶことの大切さを語りました。歴史の不思議な偶然でしょうが、一年を振り返りながら、そのときの様子を今私は思い浮かべております。

平成最後の年を振り返って(その1)

今年もあとわずかとなりました。お伝えした村の自然のその一年を、いくつかの場面を切りとりながら振り返ってみたいと思います。

1月、まずは親しんでいる成瀬川の岸辺へ。たんぼそばの里山では、タヌキの一家たちが暮らしている雪の下の土穴の様子を見学しました。裏の里山では、ヤマドリともご対面。1月初めで早くも3度目の雪下ろし。童たちも遊び半分で手伝ってもらいました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2月28日、滝ノ沢の採石場にシカがあらわれ、それを採石会社のTさんが写真にとらえました。その写真をお借りしてこの欄でみなさんにご紹介したのが3月でした。一瞬のことだったと思いますが、Tさんはほんとによくシャッターチャンスを逃さずに写してくれたものです。村に生息する生きたニホンジカを撮影されたのはこれがおそらく初でしょう。その後も、岩井川土倉地区でやはり「オスジカを見た」という報があります。イノシシの目撃情報も今年は春からありました。じわりじわりと、村にもシカ、イノシシの復活の兆しがみられた年でした。

 

三界山がとっても素敵な姿で満月とならんでいたのも2月でした。雪に月、これに花があればいうことなしですね。

 

県境の尾根は自然がつくった大きな壁。この壁には、平野部から強い北西の風がまともに吹きつけ、ブナの木々に「雪の花」を咲かせます。それは、寒気の下でつくられる、降雪と強風の合作による自然の芸術です。寒中には、そんな場面を歩く幸運もありました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いよいよ雪解けの春。芽吹いたバッケを摘みに童たちと川辺にたわむれます。春一番のユギノシタキノゴ(エノキタケ)にはいつも心がわくわくします。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

4月、陽射しが暖かくなったら生きものたちも恋の季節。鳥たちの巣作りもちらりほらりと見られるようになり、相方の羽づくろいでもしているしぐさでしょうか、睦まじいカラス2羽を見かけました。野にはチャワンバナコ(キクザキイチゲ)の可憐な花姿が、あっちにもこっちにも。


 

 

 

 

若き頃から老いまで、県南の人々に多くの思い出を刻んでくれた真人公園の花見桜。老木となった今も見事な花姿を見せています。

 

 

 

 

 

5月、次から次へと山菜が芽吹きます。山里では、ゼンマイを毎日のように採って、ゆでて、干しての作業に一心の日々が続きます。

 

除雪後の雪の回廊をめぐって車で楽に上がれる須川高原。そこは、手軽に雪上の春山歩きができる絶好のハイキングコースとなります。草木が萌える前のブナ林や高原歩きもよし、芽吹き直後のブナ林と高原歩きもよし。雪が堅くなって自由に歩けるこの限られた季節の雪上散策の愉快さ、痛快さを、もっと国内外の方々に知っていただきたいものです。ぜひ一度、スキーもカンジキもスノーシューも必要ない、靴だけでの雪山歩きの楽しさを体験してみてください。そこには、花や生きもの、鳥たちとの楽しい出会いもあります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ブナの森深山の名花トガクシショウマが咲くのもこの頃。赤滝も雪解けの濁流で一年でもっとも荒ぶる姿を見せます。轟音をあげる瀑のそばには、タムシバ、オオヤマザクラ、ムラサキヤシオツツジが遠慮がちに咲いています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

里にドグツヅジ(レンゲツツジ)の花が咲く頃、奥羽山脈の大きな群生地としてはほぼ北限に近い栗駒山麓の貴重なシロヤシオツツジ(ゴヨウツツジ)が見頃となります。毎年、妻とこの花を眺めに通います。今年は、数年に一度の花数の多い年でした。

 

田んぼの畦をクワによる手作業で削ったり、塗ったりしているのは地元集落では我が家をふくめほんのわずかの農家だけ。同じ部落のSさんご夫婦が、成瀬川に合流する合居川のそばで早朝のクロ塗り(畦塗り)仕事に励んでいました。タンポポの脇では我が家のクロ塗りも。


 

 

5月末はいよいよ田植え。猫の手も借りたいといいますが、ご覧の野良猫はゆったりしたもの。近年、ここらに住みつき、国道の歩道を東西往き来し、あっちの家、こっちの家と規則正しく渡り歩いているたくましい猫さんです。名前はわかりません。なんとなく可笑しさを感じさせる猫で、過去にもカメラをむけたことがあります。

 

田植え後、夕刻の早苗田に斜めの陽ざしを見る頃になれば、カエルがいっせいに鳴き始めます。ほんのひとときですが、春の一作業を終え、農家ならではの安堵の気分にひたれるのはカエルの合唱が聞こえるこんな時です。

山の主のような大マッカ(大カモシカ)

所用を果たした後にもお天気がよかった週末。金曜日の午後2時過ぎ、裏山へ2時間ほど入りました。

この冬はじめてのカンジキ履きでの雪上歩きです。雪が湿っていたのでそれほど足が沈まないだろうと思ったものの、カンジキをつけていてもズホッ、ズホッと膝近くまで足が雪に沈みます。湿っていても新雪でまだ底が固まっていないためでした。きのうまでの雨で、その雪もだいぶ締まりましたから、これからは遠出の単独雪山歩きもできるでしょう。

汗をかきながら、いつもめざすコースの半分ほどまでやっと上がりこの日は引き返しです。
帰り途中、尾根にいる大きなマッカ(アオシシとも呼ぶ、カモシカのこと)が目に入りました。マッカは朝から食事をして、胃袋に詰め込んだ食べ物を反すうしながらゆっくり座って休んでいたらしく、こちらを先に見つけて立ち上がりました。座っていた跡は雪が沈み固まっていてすぐにわかります。

冬の毛皮に替わった体はとってもあたたかそうで、体全体がふっくらと膨らんで見えます。子牛ほどの大きさに見えますから成長しきったオスでしょうか。顔のまわりの白く輝くヒゲ状の毛など森の翁のようで、なかなかの風格を漂わせる格好とお見受けしました。

近づくと、こんなに大きな体なのに、雪上に腹がつくほど足をぬからせながらも疾風のように林を走り下り、たちまち見えなくなってしまいました。野に生きるものたちの底知れぬ力を感ずるのはこういうときです。足のぬかる雪上を、蹄をもつ種ながらこれだけ大きな体でこれだけ早く走れるのはカモシカだけかな。ジングルベルのトナカイはどうかな。

同じウシ目でもシカやイノシシに雪深い野を駈けるような真似はできませんから、豪雪の土地では彼らは簡単に狩られてしまい村からは長い間絶えたのです。最近は、また、雪の少ない地方からじわりじわりと日本海側へ、そして豪雪の村にもシカとイノシシが生息域をひろげています。今年も村をふくむ県内各地で発見情報がたびたび寄せられましたが、以上のような理由で豪雪の村で彼らが生き抜くのはなかなかむずかしいでしょう。

▼3連休に今冬はじめての屋根の雪下ろしが各地で見られた村内。すでに一回目の雪下ろしを済ませていた我が家は、その後に積もった雪が雨で重くなり、「予想される年末寒波の前に下ろしていた方が得策」と、また屋根に上がりました。

案の定、屋根の雪は重く水分をたっぷり含んでいました。そのままにしておいて新雪が積もったら、積雪の上下で、湿った雪と軽い雪の質の違う層ができて、スノーダンプに雪がこびりつき作業がしにくくて大変だったでしょう。

▼年末の空に満月が輝き、まわりが雪なので灯りなしでも遠くが見えるほどの明るい夜となりました。こんな雪の月夜に野山を歩いたら、いろんな動物たちと会えるでしょうね。

 

今年最後の公務行事を終える

きのうは広域市町村圏組合議会の平成年代最後の12月定例会へ。めずらしく、報道記者さん以外の傍聴の方も見られた議会となりました。

この日で今年の行事予定表に書かれている公務はすべて終わり。広域行政のみなさんとは本年最後の集いとなりますので、議会後には「一年間お世話になりました。」と、ごあいさつを交わしあいました。

残された年末の日々は、1月の行事や各種発行物にむけた原稿準備、それに運動と写真を兼ねた久しぶりの雪山歩きに向かいたいと思っております。