常任委員会による雪状況視察など

きのうは村議会常任委員会の新規起業に関する調査活動が午前に、午後は村内の雪状況視察がそれぞれ行われ同席、同行しました。

雪状況の視察では、雪と関わる生活道路の改良、ほぼ管理放棄とみられる空き家や雪下ろしがまったく不十分で危険な住家、道路の落雪危険箇所や見通し不良箇所、道が凍って車両が滑り危険な箇所、雪の重みでゆがんだ菌床しいたけハウス、ウルイ畜舎の屋根雪による軒の損壊箇所や雪崩危険箇所などを視察しました。

雪下ろしや当面の落雪防止策など、早急に行動をおこさなければならない課題もあり、それらは視察後の講評で議員各位から「対策を急ぐべき」旨の発言がありました。

会議を終え帰宅途中に携帯電話が鳴ります。なんと、いましがた視察し「早急な対策をとるべき」と話し合った国道の落雪危険箇所に「今、雪が落ちている。危なかった」と同僚議員からの連絡です。

早速現場に向かい確認。走行車線直下への落雪で「小さい車なら危なかった」とその落雪の上を通ったばかりの同僚議員が語った言葉通りの様子です。写真(最後から3枚目が雪が落ちる前の午後2時42分の視察時の様子。最後から1枚目と2枚目が同じ現場の落雪した後の午後5時21分の様子)のように現場を見れば危険は瞭然で、車への直撃でなくて幸いでした。こういうことが過日にも起きていたので「関係機関による早急の策を」ということがこの日も語られたばかりだったのです。

2月半ばまでは積雪深が最大にむけて更新される年が少なくなく、今日からしばらく厳寒の戻りも予報されています。気のついたことは早くお互いに伝え合い、今後は事故なく春を迎えたいもの。警戒と備えをゆるめずにもうしばらく気をつけあいましょう。

▼夜は、先に全家庭に配布された村のハザードマップ(案)について、調査を行った県と関係事業会社、村による説明会があり出席。ご説明をお聴きし、土砂災害の危険箇所について「地質上の特徴をよく調べて、一律でない注意喚起の方策」などを、地元の過去の山地土砂崩落の事例を引きながら求めました。

真冬の大森山へ(その1)

きのうは久しぶりに真冬の大森山まで向かい、ほぼ7時間ほどの山歩きで体を鍛えました。

国道397号冬季通行止め地点からの歩き始めは7時45分。朝の降雪がなくカンジキを履けばほとんど足が沈まないほどの雪状態なので歩きははかどります。途中の雪上には、リス、キツネ、テン、ノウサギ、カモシカ、ヤマドリなど生きものたちの足跡がよく目立つ雪状態です。テンとヤマドリの足跡が交叉している場面などを見ると、捕る、捕られるものたちの厳しい自然界の様子を連想してしまいます。

この季節のヤマドリが好んで食べるウメボドゲ(ツルウメモドキ)の実がゆっさりの蔦もあります。雪の上に落ちた実はノウサギもよく食べます。

国道沿いの雪崩は前日あたりに一度落ちたばかり、土肌が見えます。日当たりもよいので春には山菜がいち早く芽を出す斜面なので、生きものたちも私もシーズンのはしりをいただきに向かう急斜面です。雨が降ったせいか沼又沢は2月初めにしては水量が多いようです。

国道歩きは途中まで。村の簡易水道取水口付近で国道と分かれ、林の中の最短距離をほぼ直線で焼石登山道入口方向へ上ります。60年ほど前でしょうか、雪上の春山で木材搬出をした当時に山小屋のあった「すすこや(今はすずこやと呼ばれているが、むかしの山人や狩人らはすすこやと呼んだ)」の手前で新しいノウサギの足跡を目に。

その足跡は、夜の活動を終えたウサギが柴木の下に伏せる時みせる「隠れの技」の跡。その技とは、まずはジグザグの曲がりを繰り返し、いったん踏んだ道を途中で引き返します。狩人はこの動きを「戻りを踏む」と言います。戻りを踏み始めると、その直後に今度は大きく横に2㍍以上ほぼ直角に大きく跳ねて追跡者の目をくらまします。狩人はこの横飛びを「とっぱね」と呼びます。「とっぱね」は隠れ技の最終段階で、この足跡を見つければウサギはその界隈すぐに伏せています。

警戒心がとくに強い個体などは、稀にとっぱねを2回、あるいは3回も見せることがあります。きのうは、その隠れ技の足跡と、ウサギがブナの若木下に伏せていた跡を写しておきましたので、やや詳しく記しました。ノウサギそのものは私をとっくの先に見つけて脱兎のごとく逃げた跡で、姿を目にすることはできませんでした。

焼石登山の林道終点着は10時半。歩き始めからおよそ3時間。「足が重くなったから、ここから1時間はかかるな」と、頂上方面を見上げここで立ったまま初めて小休止。午後は晴れの天気予報を期待しての山行だったのに空は曇りのままで残念。ここまで上がったら寒くなったのでヤッケを着て頂上をめざします。

県境稜線では、ブナに着いた雪が白い輝きで目を引きます。陽射しがあればもっと美しい景色が見られたはずです。頂上近くになったら雪が堅くなり、木製のカンジキの爪では雪(氷状態)に爪がよく刺さらず滑るほど。北西の風がまともに当たり続ける西側頂部だからです。雪原の一部は雪というより一部は氷状態です。冬の富士登山や日本アルプスなどでの滑落なども、雪庇の踏み抜きとともにこれよりもはるかに厚く堅い氷面で足を滑らしておきるのでしょうか。なるべく雪の柔らかなところを選んで頂上に到着です。

頂上到着は11時45分。写真を撮りながらでも歩き始めから約4時間で上がったことになります。歩きやすい雪状態だったので、冬山としてはめったにないほど早く着いたことになります。

「ここまでの真冬の単独行は、これが最後かな?」とまずは記念の写真を撮り、360度の視界がひらける景色ながめをじっくり。この山の頂上は標高(1149.5)の割には視界がよくひらけ、それで雪山歩きの方には人気があります。

空は曇りながら鳥海山もまずまずの姿で見え、東には、権四郎(南本内岳)、サンサゲェ(三界山)、南の森などの焼石連峰。南には、仙北街道の尾根筋の向こうに東山、栗駒、秣があり、山の形はわかりませんが高松、神室や虎毛なども視界の中に入っているのでしょう。それらの背後には月山の一部らしい真っ白な稜線も薄く見えます。北には眼下に私がクマ猟やキノコ、山菜採りで入った合居川渓谷の嶮しく大きな谷がドーンとひかえ、岩手西和賀町南本内川渓谷境の尾根の向こうには薄く真昼岳や和賀岳方面が。それらの東寄りにかすかに岩手山の輪郭も確認できます。「晴天だったらなァ」とため息をつきながら眺めは終了。寒いので頂上での昼食は止めにしてすぐに下山開始です。

約半世紀前のソリ仕事を思う雪の沢

明日7日、議会常任委員会による雪状況調査が行われます。

そのためもあって、きのうは村全体の雪の様子を事前に視てまわりました。すでに議会として昨年夏に視察している地区要望箇所も雪と関わる課題がいくつかあり、それらの箇所も再び視察予定です。豪雪時の現場をみれば要望内容がさらによく理解できますから。

菌床しいたけのハウスも、村内では写真のように一部で雪による損壊が発生しています。

豪雪の地では、菌床しいたけハウス、トマトハウス、水稲育苗ハウスなどを雪の重圧からまもる作業はまさに「雪との格闘」です。ビニールをはずした骨組みだけのハウスでも、2㍍50㌢前後をすでに記録した大柳谷地地区では、骨組みの損壊を防ぐための懸命の除雪が行われていることは先にお知らせしたとおりです。

▼きのうは自宅裏手の沢にも少し入りました。雪消し用に引いている生活用水の取水口にゴミが詰まるので、時々取り除きに向かうためです。

沢の取水口までは1㎞ほどあるでしょうか。カンジキで踏み歩くこの沢の雪道は、昔の女たちと混じって雪の上をソリ(鉄じょり・カナジョリと呼ぶ、滑り面に薄い鉄を打ったソリ)で杉の丸太引きをした道。それはこちらが20歳前の頃です。

この沢とは別に雪上の仕事で忘れないのは、バヂゾリというソリ引きでの「ユギ(薪材を運ぶバヂゾリに使う長さ4㍍ほどの長木2本)担ぎ」という作業の難儀でした。滑り下りて薪をおろした後に、薪を積むそのユギを担いで上るのはなんともきつい作業でした。

ユギ担ぎはバヂゾリ作業の助手の仕事ですが、それとは違いバヂゾリに乗ってソリを操るバヂ乗り(勾配が緩いと時には引きもある)仕事はその難儀に「危険」がつきまといます。助手ではなく「乗り」の方は、定時制高校に学んでいた頃、沼又オドリ山国有林でのわずかの操作体験しか私にはありませんが、おそらくそれは、山林労働のなかでは最も危険「怖い仕事」といってよいでしょう。村内ではこのバヂゾリで命を奪われた方もおります。私もそのオドリ山でブナ材を搬出したバヂ乗りの時、難に遭い、怖い目に遭っています。運良く命も助かりケガもしませんでしたが。

 

バヂゾリ作業は、材を運んで滑り下りる時は「怖々」、材をおろしての上りは重いバヂゾリ全体を肩に乗せてのバヂ担ぎですから、「ユギ担ぎ」と同じで「苦役」以外にふさわしい言葉はみつかりません。「恐怖と苦役」それほどにバヂゾリ作業はきつい労働でした。

おかしいもので、難儀をしたことは記憶のひだに細やかに刻まれていて、毎年、春が近くなれば50年ほど前のカナジョリとバヂゾリ、2つのソリでの木引き(丸太搬出)の当時を思いだします。(写真は、40年ほど前の胆沢川国有林内、バヂゾリのブナ材搬出作業)

黄砂が目立つ立春

節分の日の暦を妻が剥いだ立春の昨日。早暁から午前中の雨で積雪深はずいぶん下がり、落雪構造の屋根にあって落ちきれないでいた雪もほとんどが滑り落ちました。

雨は雪をズンといったん締めてくれましたので、除雪作業は大きく一息つけることに。今後の降雪(最終段階の積雪増)に向け、雪国の人々はいわば鉢巻きの締め直しをして雪と格闘する最終章の月を過ごすことになります。

我が家のたんぼがある河岸段丘の地は、雨で積雪が下がってもまだ2㍍は越えているでしょう。風下で雪がたまる窪地などは、大きな段差がほとんど均されていますから、その倍以上の積雪深があるはずです。

雨の中、簡易物置小屋の雪下ろしでその雪原を歩いたら、きのうもふれましたが雪に土色が目立つようになりました。やや早めながらおそらく黄砂でしょう。雪の季節はまだふた月も続くものの、遠い大陸から運ばれたこの土の色を視れば、「ほう、春近しだな」と、冬構えでいた心と体が少しゆるみます。

人は6回目の雪下ろし、鳥は食の確保に懸命

同じ秋田でも31日現在の積雪が沿岸部の県庁界隈では10㌢以下、積雪はほとんど無し状態(写真)なのに、同じ日のわが集落の積雪は2㍍越え。

村の積雪は下がったり増えたりを繰り返しながら2日にはまた新雪がドッと重なりました。後の週間予報では3日~4日に雨マークもみられましたので、「雨をあてないうちに下ろそう」と2日は今冬6回目の雪下ろし。

1月を過ぎた村。そのいずこでも柿の実は鳥たちにほとんどをたべられ残りはごくわずか。柿がなくなったのを知った鳥たちは予想したようにナナカマドやウルシの実に集まり始めています。

週末の所用を果たしに村内をめぐっていたら、残りの柿の実やナナカマドを啄む鳥(ムクドリの仲間?)たちが群れで、あるいは数羽で、寒中の食の確保に懸命の姿が見られました。

▼きのうは、村と議会の地元要望などでお世話になっているみのり川信英代議士の新春のつどいが湯沢で開かれ出席。

挨拶の最後に立たれた長老格後援会長さんの言葉は、重鎮らしく深い意味が込められていると受け止めました。仕事柄、様々な集いに参加していますが、久しぶりに重みのある言葉に触れる機会となりました。

私は折にふれて政治家の言葉を引くことがあります。たとえば印象に濃く残っているそれら政治家の一人として元衆議院議長をつとめられたI氏の言葉があります。それは確かあるテレビ番組で語られたのをお聴きしたのですが、「多数(意見・意思)がまちがっていたという歴史もある。だから、少数意見も尊重しなければいけない」という旨の言葉でした。「多数意思が誤ることもある」歴史を謙虚に見据えるこういう姿勢に私は注目し共感をもちます

与野党問わず、国政を担う政治家のみなさんは文字通り国を率いる最前線に立っているわけですから、内外の歴史の教訓(とりわけ二度の世界大戦)をよく学ばれ、この国の発展と平和を守る旗手として、的確で誤りなき道を拓き率いてほしいものです。

思想信条は人それぞれ、それで社会は成り立ちます。ですが、人間的な懐の深さというものはその「人それぞれ」の異なりをも超える共感を抱かせるものです。「まずは人間性」それに人は惹かれるのでしょう。

▼きのう昼時、つかの間の陽射しがあった雪の村。キツネの足跡、川岸の雪でひなたぼっこのカモ、成瀬川、そして「黄砂も混じり始めたかな?」と思われる雪原です。

FMラジオの設備などで議会臨時会議

村議会の臨時会議がきのう開かれました。

議会事務局提供
議会事務局提供

議案は、FMラジオ放送中継局(エフエム秋田)の新設にともなう設備の工事請負契約や補正予算案など。

契約は、落札の電気興業(株)仙台支店と7,776万円で結ぶものです。難聴だったNHK第1放送がすでにNHKのFMで聴かれるようになっていて、さらに今度の工事でFM秋田の放送が聴けるようになれば、ラジオ放送を楽しみにしている人々は大きなよろこびです。ラジオ人気は高いですからね。それに、なんといっても災害時にこの放送は大きな役割を果たしてくれるでしょう。

▼午後は主要地方道横手東成瀬線の整備要望へ。両市村長、議長、議会常任委員長、三又、岩井川地区住民代表のみなさんとともに県議会と県庁を訪問しました。

横手、湯沢雄勝選出の県議会議員のみなさんも同席していただき、助言も受けました。建設部当局からも、ひとつひとつ物事を前進させてゆく上で積極的な見解もしめしていただきましたので、今後も課題を具体的に整理しながらの粘り強い運動が求められます。

県当局からは、国道342号と県道仁郷大湯線(昔の有料道路)、国道398号の冬季閉鎖同時解除にむけた課題についても触れられ、そのために必要なとりくみでも前向きな見解がのべられました。

おいしいと評判の「かゆ餅」

凍み大根、干し餅、凍み豆腐など、凍みを生かした村の伝統食に加え、「これはおいしい」といま評判なのが「かゆ餅」。

村の母さん方で構成される「なるせ加工研究グループ」でも、この「かゆ餅」づくりにとりくみ、研究を重ねてたどりついたその味の良さがとっても好評を得ています。

かゆ餅の原料はおかゆと米粉。寒中、それを練って餅状にし、写真のように吊して凍み上げます。干し餅をつくるのと似ています。干しあがったら油で揚げ、後に味をつけて出来上がりという工程です。途中には、ほかにカナメとなる作業もありますが、それは(企業秘密?)かな。その味はすばらしく、グループが春から秋に運営する直売所では売れ筋のお菓子ということです。

今日からまたしばらく厳寒が続きそうです。凍みを生かした雪国の「食」づくりは、この寒気のおかげで水分を適度に蒸発させてしまう仕上げの時にはいるのでしょう。

三又~岩井川を結ぶ道の整備で要望

山内三又集落と連絡する主要地方道横手東成瀬線の整備要望活動がきのう行われました。

きのうは横手平鹿、湯沢雄勝の両地域振興局へ要望し、31日は県建設部と県議会へうかがう予定です。

市と村、市議会と村議会、三又、岩井川両地区代表がそろっての行動で、路線の通年通行実現を最終目的として掲げながら、当面は冬季閉鎖期間の短縮と改良整備を求める要望です。

国道、県道とも我々の道路改良要望のほとんどは「冬期閉鎖期間の短縮」、「そのための防雪設備の充実」、そしてトンネル化による「通年通行の実現」で、柱は雪対策です。毎年積雪2㍍を越す特別豪雪地帯のくらしでは、雪の障害をとりのぞいて道路交通を確保することが最大課題のひとつです。

雪の様子を巡り歩いて

雪状況を視ながら村内をめぐっていてよく目につくのは、自宅まわりに消雪用の水利が施されている家庭や、沢や用水路へ直接排雪できる家庭の多さです。

その水源は、すぐ近くに湧き出る清水であったり、ポンプによる地下水のくみ上げであったり、夏場には農業用水路となる兼用の水路からだったりと様々。成瀬川すぐ脇に位置する家々では、大きな本流そのものが流雪の役割を果たす地区もあります。

豪雪の村では、流雪溝だけでなく様々なかたちで水が雪対策で大きな役割を果たしているのです。夏も、そして冬も、まさに「水さまさま」ということでしょう。雪との本格むきあい(たたかい)はあとおよそ半月。水が頼りの日々がつづきます。

さて、巡り歩いて時々目にし気になるのは、やはり空き家やほとんど雪下ろしをしていないように見受けられる家屋。全国的に空き家対策が大きな課題となっていますが、同じ空き家問題でも豪雪の土地のそれはかかえる状況が深刻です。

なぜ深刻なのか、それは雪を下ろさなければ家屋が部分的に損壊し景観上好ましくないというだけではありません。なによりも危惧されるのは、その空き家などがほかの家屋や道路に隣接していれば雪の重みによる倒壊や強風時、ほかの住宅や住人、通行人などへの被害が想定されるからです。そういう空き家などに管理責任のある方々は、こういうこともよくよく考えられて対処してほしいもの。雪の重みは、管理不十分、管理放棄の空き家をたちまち壊してしまいます。

昨夜から今朝にかけて降った雪も重く、除雪作業にいつもより多くの時間を要しました。
雪下ろしのされていない屋根の荷重はさらに増したはずで、注意が必要です。

▼わが集落でもっとも樹齢が長く大きな渋柿の木が立つSさん宅。幹が大きく実の数が多いこの柿は人にもぎ取られなくなってから久しく、今では厳しい寒中に野鳥たちが命をつなぐ「お助けの柿の木」となっています。

先日は、これはムクドリの仲間でしょうか、熟れた実を二羽でさかんについばんでいました。人にもぎとられない柿の実が、テンやカラス、小鳥たちによって食べ尽くされるのはいつの年も節分前後の頃でしょうか。そうなればカラスや鳥たちはナナカマドやウルシの実にもよく集まるようになります。「食の確保」をかれらはよく知っているのですね。

農業を語るつどい

25日は、県南3ヵ町村議会連絡協議会の会議。美郷町、羽後町の議長、事務局長さんたちと平成31年度の活動計画を協議。今年は美郷町さんが協議会の開催当番地となります。

今冬の雪のことが話題になり、わが村の積雪状況をお知らせすると美郷のみなさんは少々驚いておりました。同じ内陸県南でも、向こうでは、まだ一度も雪を下ろしていない方が結構おられるようです。同じ特別豪雪地帯でも、今年の雪は「山型」なのか、村の2㍍規模の積雪に比べて平野部の雪はまだ「平幕クラス」に見えます。

▼26日は村の農業担い手組織「田畑会」主催による恒例の「農業を語るつどい」へ出席。

今年はつどいの趣向が変わって、めずらしく村内篤農家のみなさん3氏による事例発表がおこなわれました。発表されたのは、柳一雄さん(トマト栽培農家で、農業生産法人滝ノ沢ファームの代表でもある)、古谷実さん(規模の比較的大きいリンドウ栽培農家)、佐々木省吾さん(菌床しいたけ農家)。

 

柳さんは私の一年先輩。トマト栽培歴約40年の体験を語り、栽培はむずかしいが味のすぐれている桃太郎トマト(桃太郎8)を作りつづけている最大の理由を、お客さんに「桃太郎トマトがおいしいといわれるから」と、農家としての誇りをとつとつと語りました。

古谷さんは私と定時制高校時代の同級生。建設会社を退職してからリンドウ栽培を本格化させ、村の自然条件に最も適した花卉のりんどう栽培を定着させた方の代表格です。市場でも村のリンドウは高評価が続いていて、「それだけに、悪い花は出せない」と語ります。彼は、ほかの野菜栽培でも栽培技術が優れていて、村の産業文化祭の出品部門でも常にトップクラスの賞を獲得しています。代々の篤農家で知られる家筋です。

佐々木さんは私の2年先輩。やはり定時制高校の先輩でもあり、私が務めた後の村農業委員会の会長を現職として活動中です。「農協の合併を節にJA職員を54歳で中途退職して菌床しいたけ栽培にとりくんだ」という体験を語り、「ハウスをまもるための豪雪とのたたかい」の覚悟も強調され、夫婦二人で真剣にとりくめば、農業でしっかりと所得を確保できる展望をも語りました。

3氏とも、短い時間のなかで様々なエピソードや所感、体験(とくに失敗談や肥培管理などへの留意点)を盛り込み、会場からの質問にも答えながら語りました。共通して語られたのは、栽培技術の向上に向けた研究・努力の大切さ、そして「農業への支援策(補助金制度などの政策)があったので経営の大きな助けになった」という旨の言葉でした。ナマの実践例ですから、そういう語りは聴く人々を強くひきつけます。会場では、真剣にメモをとる方々がたくさんおられました。これこそまさしく「農業を語るつどい」そのもの。

積雪が毎年2㍍から3㍍を記録する特別豪雪の土地で、極端な人口減少(過疎)をくい止め、なおかつ産業振興策の軸として「農業」をしっかり振興するのは並の努力ではできるものでありません。「これをしっかりやり、子や孫の世代、後継者にバトンタッチするのが、政治の分野でも農業の分野でもわれわれの最大のしごと」ということが私の胸中にも強くあったものですから、「国内・世界有数の豪雪の土地で村という自治と農業を発展させよう」という思いを込め懇親会での乾杯の音頭をとらせていただきました。

▼家屋などがあってロータリー除雪車での排雪ができなかった国道箇所や、暫時に雪を寄せていた場所などからの排雪作業が土曜~日曜にかけ集中して行われていました。おかげで道路の道幅はよく確保されています。3日続けて除雪車出動なしの朝が続いたこともあって、豪雪の村も久しぶりに朝の雪寄せ作業から一時の解放です。こうして一息つくことができれば、雪とむきあう心と体が休まるので助かります。

▼26日は父の月命日。妻は、寒中を意識したのか納豆汁を沿えて鐘(鈴)を打ちました。