予算案が内示、ネコヤナギ冬衣を脱ぐ

22日に開かれた議会の全員協議会で、平成31年度村会計予算案の概要が説明されました。よくいわれる「予算の内示」です。

明日も全員協議会が開かれる予定で、ここでは3月定例会議に提出される議案の説明が、予算案もふくめ詳しく行われます。一般会計の当初予算案総額は歳入歳出それぞれ32億9千万円。国保、介護、簡易水道、下水道など特別会計を含む全体の額は約45億9千万円となります。

▼週末から休日と朝の除雪なし日が続き、きのうは今年に入って最もおだやかな日和の一日でした。道で行き会う方々は「春だ」の言葉を交わし合える陽射しがつづきました。ひなたぼっこを兼ねながら雪寄せなど外仕事をしている人々の姿も見られました。

積雪の深さも日毎に下がっていて、家周りも雪のない範囲が少しずつひろがっています。集落前後の里山ではヒラ(底雪崩)の割れ目が何処にもあり、すでに雪崩落ちた斜面も各地に見られます。3月半ば過ぎまでまだ雪降りは時々あるでしょうが、豪雪のむらも春の扉が少しずつ開き始めています。

自宅前、なじみの川岸ではネコヤナギも冬の衣を脱ぎ始めています。私が学童の頃のむかし、ちょうど今頃から冬の川でのカジカ捕りに夢中になったことを思い出します。

川岸の石を起こしたり、一年でもっとも水量の少ない岸辺の流れを少しの幅でせき止め、小さな「川干し」をしてのカジカ捕りに心を躍らせたのです。雪深い川辺に見るネコヤナギ。それは、50数年ほどの遠い昔に私を誘ってくれる思い出のアルバムを開いた時のような風景です。

確定申告

きのうは村の税務課による岩井川地区の申告相談の日。予定より一日早めて確定申告を済ませました。

いつものことながら、相談にあたる職員のみなさんの懇切丁寧な対応とテキパキとした仕事ぶりは気持ちがよいものです。

申告の季節になると、毎年考えさせられるのは「こんなに出費増の農業経営がいつまで続けられるか」ということ。

こちらの職業は「農業」ということになっていますが、わずかのお米づくりのために、ウン百万円のトラクターやコンバイン、乾燥調整機械一式、田植機、運搬機、病害虫防除器具をそろえ、機械格納庫を建て、水稲の苗代だけでも11万円余、肥料、農薬費だけで13万円余もかかり、ほかに農業にはみなさん必需の軽トラックも。一回にウン万円、時にはウン十万円もかかるコンバインなどの高額修理費も頭が痛し。これがごく普通の小規模稲作農家の姿です。

大型機械を購入して、あるいは機械作業を委託しての小規模の稲作では赤字経営はどなたにもほとんど共通しているようで、その結論は「作るより、買って食べたほうがよい」を大方は選択する時代です。なので、農業生産法人や個別の担い手などに多くの方々が農地をあずけるようになっているのでしょう。

「コンバインなど高価な機械の替え時が、米作りをやめるとき」という声をよく聴きます。私の体験からしても、それには「なるほどな」とうなづいてしまいます。それほどに、「機械は高過ぎ」るのです。

我が家も、「今あるコンバインが動けるうちのお米づくり」となるかもしれません。それまでは、申告書をみながら大赤字覚悟の「小農業」をいましばらくは続けていこうと思っています。先祖伝来のたんぼをまもり、お米をつくる喜びと自分でつくったお米をおいしく食べるうれしさをできるならなくしたくないので。

陳情の方々が議会へ

村議会3月定例会議を前にして、陳情がいくつか寄せられています。きのうはその陳情を提出されている団体の方々から内容説明を総務教育民生常任委員長とともにお聴きしました。

説明を受けた陳情は、全国一律の最低賃金の実現を求めることと、消費税10㌫引き上げの中止を求める2つの内容です。

昨年も村議会は消費税10㌫引き上げ中止を求める意見書を政府に提出しています。また最低賃金についても、やはり同じ趣旨の意見書を政府に毎年提出し続けています。

都市部のほうが家計支出が多いから地方との賃金格差があってもやむをえない、という論は成り立たたなくなっていることを、われわれは家計支出のデータでも日々の暮らしでも強く感じています。

たとえば公共交通網の発達していない地方では自家用車が必需品であり、また特別豪雪地帯のくらしには除雪や暖房経費など、雪や寒さ対策に関わる多額の出費が家計を大きく圧迫しています。これらひとつをみても、支出の規模は大都市部も地方もほとんど同じであり、我々は「むしろ、地方、雪の地帯こそ支出が多い」という実感で一年を過ごしています。支出はそういう内容をはらんでいるのに、収入のカナメ最低賃金に大きな格差があるのはまったく理不尽であり、村議会はその是正をもとめて意見書を提出し続けてきたものです。

賃金格差をなくすことは、大都市部への人口一極集中の是正を止めるためにも欠かせないことは、識者の間でもひろく指摘されています。政権与党内でもその意見はひろがっているようです。若者たちが都市部へ就職先を求める大きな理由のひとつに「地方は賃金が低いから」をよくあげるそうで、私もそういう声を時々耳にします。

地方の人口減少くい止めを本気で考えるなら、中小企業への支援を強めつつ、全国一律の最低賃金実現は欠かせぬ施策のひとつであることを政府にはしっかりととらえていただきたいものです。

ノウサギのうごきにも春が

18日の午後、生活用水路取水口のゴミを取り除くついでに裏手の里山中腹まで2時間ほど雪の上を歩きました。

途中、冬でも沢水が注ぐたんぼ跡の湿地にはバッケ(フキノトウ)が。まわりが2㍍50㌢ほどの積雪なのにそこだけ雪がなく根が水に浸かっているため、バッケが早くも新芽を膨らませているのです。脇にそれますが、バッケといえば、先日宮城方面の道の駅には店頭にたくさん並んでいて、1パック20粒ほどが250円で売られていました。栽培モノでしょうか、たらの芽、こごみ、ぎょうじゃにんにくなどもありました。店にも春のカオたちがごく普通にみられる2月です。

さて本題にもどります。沢の上流部では、何百㍍もの上方斜面から沢の上を落ちてきたワス(表層雪崩)の塊が堆積している厚い雪の層も見られます。見えないところから猛スピードで落ちてくるこういうワスもありますから、冬山歩きは油断なりません。雪崩の沢は、こちらがよく通る冬山歩きコースの一部でもあり、なおさらワスへの用心を強くしました。

雪原もブナの林も、眼下にのぞむ大字椿川地区を主にする成瀬川とその流域の集落も、積雪が落ち着いてきたからでしょうか、厳しい冬はもうピークを過ぎつつあることを感じさせます。遠くにのぞむ焼石連峰はまだまだ真冬の様相ですが。

この日は、途中の杉林の中で、思わぬノウサギとの今冬初の出会いがありました。

「思わぬ」というのには訳があります。当日午後はやや強い風の下、曇り空に時折陽射しのあるお天気で、木々の枝に残っていた雪が風に揺すられていっせいに落ちていました。そのために林の中も雪原斜面も生きものたちの足跡が落ちるボダ(杉の枝に着いた雪の塊)で消されてしまい、とくに足跡の浅いノウサギは林の中では跳ねた跡がまったくわかりません。

それに、ノウサギは「ボダの落ちる時は杉林の中にいない」と村の狩人(マタギ)たちはよく言い伝えてきていて、この日はそのボダも激しく落ちている最中でした。ボダの落ちる音や雪の塊をたいていのノウサギは警戒するからです。しかし、そんな日でも杉林の中に稀に伏せ隠れしている個体もいますから、いつでもどこでも例外はあります。

この日はそんな例外日だったのでしょう、大きな杉林で盛んにボダの落ちる中を通っていたら、過去何十年もよくノウサギの伏せている斜面に、なんとその「例外」の個体がひたりと雪に伏せていました。

ウサギはこちらをとっくに発見していて、いつでも跳び出せる状態でスタート前の「位置について」の姿勢をとり、私の動きに全神経を集中させています。一㍍、2㍍とウサギに近づくにつれ、シャッターを押す私の指感覚と呼吸、そしてウサギの方はいつスタートをきるか、双方の緊張感が極まります。ついにそれが頂点に達したとき、見事な瞬発力で相手は跳びだしました。

山へ愛用している一眼レフカメラが故障修理中で、写真は別のコンパクトカメラで撮ったものです。伏せ穴から飛び出す瞬間に私の体がうごき、とび跳ねる様子(写真の左下部)は一枚しか写すことができず、それもぼやけです。でも逃げる様子はうかがえるでしょう。

足跡が消されない雪原には、夜にノウサギたちが遊び跳ねた跡があり、その足跡からも春を感じ取りました。ノウサギは、春になると今年第一回目の繁殖行動をはじめ、オスとメスが夜にいっしょの動きをし、それが足跡として雪上に残ります。最後の写真2枚の足跡もそのひとつで、エサを求めて跳ねとぶ通常の跡とは異なります。そろいとび跳ねしたり、円を描いたりなど、いかにもじゃれ合っているような2匹の連れ合い跡がくっきりです。

 

それに、足跡の脇には、繁殖期特有の濃い黄褐色の「おしっこ」跡もみられます。狩人は、この時期になると「ノウサギは、ほぼ同じ箇所にオスとメスがいる」と判断して猟を行ってきました。このように私たちは、ノウサギの動きからも春がきたことを感じています。

▼きのうは、県町村電算システム共同事業組合議会の定例会が開かれました。平成31年度一般会計の歳入歳出それぞれ645,894千円の総額となる当初予算案や30年度補正予算案、専決処分案などが審議され、可決、承認されました。

凍み大根も干し上がりへ

きのうは久しぶりに一時の陽射しもあり、今日は一年を二十四の節気に分けたうちのひとつ雨水の日です。実際のお天気も暦も春模様なので、きのうも記しましたように、私の心と体も厳寒へ備えるコートを脱いでいささか春の趣に傾きはじめています。

軒下に吊されている凍み大根もようやく仕上がりに近づいたようで軽くなり、陽射しの下、そよと吹く風でもたやすく揺れ動くようになっています。

一冬の間、雪との格闘でわが集落の人々を助けた命の用水路「おおへぎ・大堰(遠藤堰)」も、冬の最も大きな役割を終える頃が近づいています。

用水路のごみを取り除きにあがった我が家裏手の里山では、斜面から落ちた雪が「ゆぎだんごろ・雪だんごろ」となっています。降る雪、積もった雪が湿ってくるとよく見られる雪がつくる春の兆しです。これからは、豪雪の村らしい「春」のおとずれを感じられる人と自然の動きが日毎に増えてくるでしょう。

なるせ芸術文化祭

今週からはそれほど強い寒波の襲来が予報されず、それに県内の主な雪まつり行事も終わる2月下旬入りです。「雪は、かまくら、ぼんでんまで」が、季節の流れを知るわれわれの口ぐせなので、冬らしいきびしい雪降りはこれで終わりかな?と思い込みはじめています。爆弾低気圧がもたらす地吹雪はこれからも来るでしょうが。

そんな中、恒例のなるせ芸術文化祭がきのう開かれ、前段には村の方言「さあ・シャベローゼ大会」もおこなわれました。

シャベローゼ大会も芸術文化祭も、会場のみなさんに自分の発表、歌、踊り、演技、芸、技、たしなみを披露するということですから、それはすべて「自分を観ていただく」という点である意味の勇気がいることです。毎年のことながら、すばらしい作品、演技などを発表、出品してくださるその心意気、文化の尊さを教えてくれるみなさんに感謝、です。

その発表、芸術によって自分も楽しみ、観る人々をも楽しませることができる。いつも記しますが、芸術って、ほんとにありがたいものですね。

 

▼16日は、所用で仙台、塩釜方面に向かいました。村の集落は今冬のほぼ最深積雪を保っている状態でその日の雪は2~2.5㍍前後だったでしょうが、太平洋の沿岸部はもちろん積雪ゼロ。立ち寄った塩釜神社では、梅の花が早くも咲き始めていました。

豪雪の村から脊梁山脈をひとつ越え、雪ゼロの町々をながめ通り、おだやかな松島湾を見下ろす土の丘に立ち梅の花をみながら「ほうっ、たまげだ」とため息。帰りに雪ゼロのところからわずかの時間でまた山脈の中心部で吹雪と豪雪の山中に入った時に「ほほうっ、タマゲダ」とまたため息。

豪雪の土地で生きるには、やはり、心にそうとうの「しなり強さ」がなければできないことだと思ったりもした、2㍍台の積雪の村と、別世界、雪のない町への往き来でした。

▼その前日は、屋根の雪おろし。通常なら50㌢近く積もっていれば「7回目の本格的雪下ろし」ということになりますが、今回はマブ(雪庇)のある風下と軒の部分だけの下ろしで済ませました。「もう、これ以上積雪が増えることはないだろう」と考えたからです。

集中して雪が下ろされる風下のマブの下は、二階の窓よりも雪が高くなりました。この雪の小山が4月末にはほとんどなくなります。明日は暦で「雨水」の候。昔の人々はよく自然を観察していたものです。降る雪にも、風にも、水の流れにも、どことなく冬の厳しさが薄れ初めているように感じてきましたからね。こうなれば、雪の下の土も少しずつ温かくなりはじめているでしょう。

ありがたい地元のお店

戸数200戸余りのわが集落。そこにくらす人々が日々のくらしで頼りにしているのは地元集落にある3つの商店と、お隣集落からおとずれる移動販売の魚屋さん1つの計4つのお店です。いずれも代々にわたって商いを続けている方々です。

そのうちのひとつは谷養鮮魚店さん。お店の通称は「よぎめへ・よぎ店」。文字通り魚やそうざい、雑貨等を扱う集落の総合食料品店です。仕出し業も営んでおり、それは村外にも根強い人気があるようです。鮮魚、食肉、野菜はもちろん、たいがいの食料品はそろっていて「主な食べ物なら、ここでほとんど間に合う」といわれるお店です。地元をはじめ大字椿川地区への長年の移動販売車による商いも続けられています。

もうひとつは佐々由商店さん。その通称は「よしめへ・よし店」。お米の集荷業、米穀や肥料、農薬、燃料、ガソリンスタンド、お酒やタバコ、雑貨などを扱う幅広経営のお店です。国道バイパス沿いにお店が移ったので、車で立ち寄る村内や集落の人々だけでなく、村をおとずれる方々の利用も近年は目立ちます。

もう一つの老舗は佐藤小吉商店さん。その通称は「べっけめへ・別家店」。米穀や雑貨、塩、たばこ、ガラスを使った戸の設備や修理を主にするお店です。今のように農業法人や担い手に農地の集積や作業委託が集中する数年前までは、秋のお米の乾燥調整で村内多くの農家に頼りにされ大きな役割を果たしました。その仕事も今なお続けられています。

さらにもう一つ、IZUMIというハイカラ文字がシンボルの移動販売車で長年わが集落を訪れる方は、お隣肴沢の魚屋さん「和泉商店のケイスケさん」。昭和、平成と自宅の店舗と移動販売で長年村の人々の食をささえてこられた方で、わが集落の方々にも根強い固定のお客さんをお持ちです。

こうしたお店をここであえて個別に取り上げたのは、それは、集落にお店があるということは「ほんとにありがたい」とみなさんが感じているからです。

商いはある意味では社会奉仕を内包しているしごといわれます。信頼、信用されるお仕事というのはすべて需給のお互い同士が「ありがたい」という気持ちでむすばれるものです。人口減少、商店大型化、働き方や家族構成の変化で、日用品や食品を商う方々が村内でもやむなくお店を閉めました。そんな中がんばりつづけているわが集落の3つのお店とお隣集落の1つの移動販売車は、人々の食とくらしの大切な拠り所です。

それは村内ほかの集落で商いを続けておられる「田子内の豆腐屋さん」、「ゴロめへ・五郎店さん」、「平良のショウゴめへ・菊地商店さん」「手倉のアズギめへ・管原商店さん」、「椿台のダイガグめへ・大学店さん」、「ホンマめへ・本間店さん」などもみんな同じです。

こうしたお店がいつまでも営まれるような適度な人口があって、経済循環が成り立つ地域の存在こそが、わが国の本来めざすべき国づくりのはずです。村政、あるいは県政、国政のそれが大事な柱であることを、みんなであらためて見つめ直したいものです。

自治功労の表彰式

今冬の最深積雪を記録し真冬日が続いたきのう、県町村議会議長会の自治功労者表彰式と理事会があり秋田市へ向かいました。

議会事務局提供

表彰式で、当議会からは副議長とわたしが23年以上の議員在職ということで授賞の席に並びました。二人ともおなじ年に議員につき、副議長、議長の職務についたのも同じ年で、それから足かけ16年間ともにその任をつとめてきています。そうしたこともあり、きのうは当事者として、いろんな場面での活動や出来事などを振りかえる表彰式となりました。

毎年この日の集まりでは、県内の議長さんたちから村の雪のことがたずねられますので、きのうはこちらから先に「役場前で2.2㍍、わたしの集落で2.5㍍、最も多い集落で2.8㍍です。」と、この日に最も深い積雪を刻んだおおよその数値をお知らせしました。
きのうからまた積雪は少し増えたのかな。

みなさん「ホォーッ」の声をあげていましたが、同じ特別豪雪地帯でも、特別の字の前に「超」の字がほしいほどに村の雪は桁違いに多いことを今年も知っていただきました。同じ雪国といわれる県内でも、雪の規模はまるで村は「別世界、異国」のような所。ここは集落で毎年2㍍~3㍍も積もってくれる世界ですからね。

会議のあった県庁裏手の市町村会館玄関は写真のように10㌢前後とみられる雪状態です。もっと海辺近くやにかほ市沿岸南部などと比べたら、村をみる「別世界感」はいっそう強くなるにちがいありません。

ムゲ山(向山)

日曜の朝、思わぬ陽射しがあったので成瀬川の岸辺に立ち寄りました。

その日の朝は除雪車出動なし。真冬日が続いていたので2日ほどまた降り積もった新雪も軽く雪原は歩きやすい状態です。その歩きやすさと陽射しについ誘われ、急きょ9時過ぎ、自宅前の「ムゲ山」に上がりました。

歩き始めてすぐに杉林の中で目にしたのは、何かの鳥がタカの仲間の猛禽類に襲われた跡。雪上に小羽がちらばっています。今々襲われた様子で、羽には新しい血と肉片の着いているのもあります。羽の大きさや様子からして狙われたのはカケスでしょうか。

ムゲ山の稜線は北西の風当たりが強く、ここにはいつも大きなダシ(雪庇)ができます。そのダシは、自重に耐えきれず崩れ落ちるまで塊となって膨らみ続けます。最短距離で稜線に上がるにはダシの切れ目を選んで通ります。ダシにおさえられている樹木をみれば、雪の厚さは4㍍以上。ダシの越え所はどこか?その時に役に立つのは動物の足跡。この日はノウサギが上り越えた足跡を見つけ、それを目印にたどってダシの上に上がりました。

ムゲ山のうち大きなヒラ(底雪崩)が毎年落ちるキノギッピラは、樹木が少なくわが集落を眼下にのぞむのに都合のよい所。ここまで上がればキノギッピラの頂部に行き、そこからまたダシの切れ目を選んで斜面に下り、集落の一部を望むのがお定まりのコースです。

ここのヒラ(底雪崩)は今年はまだ落ちていなくて、ひび割れができはじめています。昨年春は例年より大きなヒラが落ちた大斜面です。ひび割れの1㍍ほど上まで刺激しないよう静かに下りて止まり、まずは冬の集落をながめ、朝に立ち寄った川筋も見下ろしました。(13日の集落は積雪2.5㍍前後、今年もそれと同じような大雪崩が落ちるでしょう。)

ダシの上では手のとどく高さにあるヤドリギの緑と、小鳥たちの食べ残したその木の実が目に入ります。雪の世界の生きものたちと人にとっては、わずかな緑も、わずかな木の実もありがたしです。ノウサギが好物のコサバラ(コシアブラ)の樹皮を食べた跡も随所に。


集落をながめた後にはまた稜線に上がり、ダシの根元で危なくない箇所を選んで椿川方面がのぞめる尾根に向かいます。一部には崩落したり落ちる寸前のダシもあります。稜線の一箇所だけ、積雪ゼロ、ダシ(雪庇)もできずに土肌が見えます。ここは強烈な風の通り道で雪がすべてとばされてしまう所。こういう所は、数ある冬山歩きの中でもめったに見られません。常に風の強い地形が、こういう積雪ゼロのめずらしい様をつくるのでしょう。

期待した陽射しはすぐに隠されてしまい、手がかじかむほどに真冬日の雪が舞うお天気になりました。今年の私の冬山歩きはどうもお天気にあまり恵まれません。椿川方面の真冬の集落の様子を眼下に、連休の滑りを楽しむスキー場方面の人々を真正面に眺めて、すたこらさっさと下りへ。こんな歩きやすい雪の里山でも2時間ほどを要しました。

真冬の大森山へ(その2)

下山は、雪状態がよいので少し遠回りですが大森沢経由にすることを頂上で決めシャガヂアゲに下りました。ブナの林の中で「生きものたちと出会えるかも」と思ってそのコースをとったのですが、出会いはありませんでした。沼又も大森沢もノウサギの足跡はほんとに少なし。昔とは生きものたちの様子が違います。とくにノウサギは極端に少ない。

下り初めて登山道を越え大森沢支流のサガサ川かっち(最上流部)で大森山を振り返ったら、さっきまでこちらがいた頂上に人の姿が見えます。二人です。もう20分ほどこちらが頂上にいれば「冬山を楽しむ者同士」のご挨拶ができたはずです。彼らはおそらくスキー場から上がり県境尾根沿いに大森山を目指してきたのでしょう。こちらが大森沢と胆沢川本流境の林を歩いている間に県境尾根をスキーで滑り下る姿が垣間見られました。そのスキーの跡は目にしませんでしたから、またスキー場方面に下りたのでしょう。

大森沢は、まだ大森山トンネルのなかった昔、村の愛林組合が岩手の旧水沢営林署(愛宕担当区)から国有林のブナ材払い下げ(全山皆伐ではなく選択伐採)を受け、材の搬出とナメコ栽培をした山の一部。岩井川馬場の畜舎から歩いて県境の尾根(ハッピャクヤアゴ)を越え、バヂゾリや大じょり(しらしめ油を滑り面に塗った木製で幅広の大きなソリ)で雪上の般出を行った山です。男たちは歩いて現場に着き、深い雪を掘って根元を出し時には直径1㍍を越すブナ大木を伐倒、重労働の極みともいえる大きな丸太を運ぶソリ仕事、また夕には県境の尾根を上がり越え馬場まで歩く。そんな毎日を過ごした若い当時を思い出しながら、当時伐り残されたブナの林を下りました。

昨年はブナグリ(ブナの実)が一部の木では結実しました。林の中には実を食べようと木に登り下りしたクマの新しい爪跡や実のついた枝を折った跡がいっぱいの幹もあります。

緑の苔がびっしりの枯れ幹や、不食ですが眺める楽しみの真っ白なキノコが生えている枯れ木、それに晩生のムギダゲ(ムキタケ)が凍ったままで生えている枯れ幹もあります。程度のよいムギダゲを少し摘みポケットに入れ、後日、味噌汁でいただきました。

下り尾根の左方は胆沢川本流の上流部。今は流れがすべて雪で覆い尽くされ、その雪の厚さは5メートルほどはあるでしょうか、瀬音のまったく聞こえない川はその下を流れています。

一方、右方の県境尾根を見上げれば、そこは厚いダシ(雪庇)の塊が積み重なっているところ。横手盆地からわが村を吹き抜けてきた北西の強い風が運ぶ雪が、尾根に溜まり続けてできる最大級のダシです。そのダシが自重で欠けドーンドーンと大きな音をたてて底雪崩とともに落ちる場面も、スロモーション映像のように偶然目に入りました。

県境の壁尾根直下にある大森沢の橋は、雪のほとんど積もらない国道342号夢仙人大橋とはちがいこんなに雪がかぶさった状態です。橋を渡る前にまずどこが橋の中心部かを見定めます。渡り初めても、時々右を確かめ、左を確かめ、橋の基部からはずれて落下しないようなるべく真ん中(雪上の真ん中ではなく橋そのものの真ん中)を歩くのが肝心。橋上の雪は沢の下流(南)側に大きく偏り被さっているからです。この日は吹雪でなくてよかったのですが、それでも真冬の橋上歩きはいつものように緊張します。真冬、とくに風が強く視界が悪い吹雪時の橋渡りは危険で、そういう時は橋を渡らずにやむなく川筋に下りて林を上りトンネルに向かうこともあります。欄干が見えない真冬の雪の橋歩きはなるべく避けるべきです。

国道342号の夢仙人トンネルができた直後、冬の赤滝を眺めにあのトンネルを二度ほど真冬に歩いたことがあります。それに比べればこちら国道397号大森山トンネルは約半分にも満たない長さ。しかも直線で出口が見えますから、灯りのまったくなかった真冬当時の夢仙人トンネルほどの不気味さはありません。大森山は長年歩き慣れているからということもあります。

東側半分以上は舗装路面が出ているトンネル内部。カターンカターンとカンジキの爪音が響く中を進みます。北西の風がまともに入るトンネルは冷たく寒~いですが、それだけに村側に抜け出たらほっこりとあたたかな空気が体をつつみました。あとは一直線に最短距離を下るのみです。

途中、ヤマドリの新しく大きな足跡を発見。足跡は小沢に向かっていたので「食事中のオスヤマドリだな」とその方向に進んで立ち止まったら、2㍍ほど前の雪のカゲ(土肌が出ている沢の一部で食を摂っていた)から見事な尾羽のオスヤマドリがドドドドドーッと羽音を鳴らし一瞬で飛び去りました。いいかげんなシャッターを押したら、飛ぶ鳥の姿がなんとかわかる状態で写されていました。画像は別にして、目にすることができたので、それだけでも満足の観察山行となりました。

久しぶりの遠出なので、ほとんど歩き続けの7時間。車に到着は2時50分。歩きやすかったからでしょう翌日に疲れはのこりませんでしたから、まだ体力はだいじょうぶのようです。それでも、真冬の雪山単独遠出歩きはそろそろムリになったのかなと思い始めた山行でした。通常はもっと雪が深くて一人ではハデ漕ぎ(ハデは深い雪のこと。漕ぐはラッセルの意)が難儀。若い時のように長い距離のハデ漕ぎは出来ませんからね。

この日の朝、クォークォーと聞き慣れた声がします。空を見上げたら、雁の群れが北へむかい初めています。暦は春、生きものたちの五感も「春近し」をとらえているようです。しかしそれから一週間、村は寒中と同じような天気がぶり返し、連休明けの今日から明日も真冬日、いったん下がった積雪がまたグンと増えそうです。