かた雪わたり

晴天が続いていての過ぎた9日は、この春一番の「かた雪」状態。

林の中や斜面など一部はまだ雪に足が沈みますが、平らな雪原はカンジキなしで自由に歩き回れるほどに雪が堅くなり始めました。

ちょうど日曜ということもあって、遊びに来ていた童らと犬もいっしょに歩き慣れた川辺の散策を久しぶりに楽しみました。

雪が堅く締まった雪原を歩き走る「かた雪わたり」は、こちらが子どもの頃には春休み一番の楽しみ。昔のガキどもは、歩きながらネコヤナギを手折ったり、ノゼリやバッケを摘んだり、ヒロッコを掘ったり、たたかい(チャンバラごっこ)用の木刀に使う柴木をナタやノコで切り取ったり、小沢でイワナを釣ったり、ヘギ(小さな水路)の泥を上げてドジョウを捕ったり、堆肥運びに使われたカナジョリ(鉄が滑り面に打ち付けてあるソリ)を親たちに隠れて持ち出し滑り乗ったりと、どこまでも自由に動き回れる雪原は当時の子どもたちの小さな楽天地でもありました。そんな旧き時から60年ほど経った今の童も、雪原にむかえばやはり水辺のネコヤナギをめざし、こちらと歩いて採り慣れた湧水のノゼリやクレソンの群生地に立ち寄ります。

柳の根元では人なつっこいミソサザイがさえずり、本流の淵には、これから遠いシベリアに渡るアオグビ(マガモ)や地ガモのドロガモ(カルガモ)、オシドリたちが群れで戯れる姿も目にしました。

本番らしい「かた雪渡り」ができたのはその日曜だけ。きのうは終日の雨となり、成瀬川も各地の支流と小沢も冬の流れをようやく解き、この春はじめての雪代(ゆきしろ・雪解け水)本番です。川は、雨量の少ない割には濁りの濃い流れを見せていました。いよいよ、一雨ごとに、ドッカドッカと雪が解ける季節入りです。

▼きのうは、18日に予定されている広域市町村圏組合議会に提出される議案などの説明を受けました。来年度の組合最大の事業は、旧雄勝総合病院跡地に工事中の消防庁舎建設完成にむけての仕事です。

中学生33人の門出

開会中の村議会は、8日に一般質問がおこなわれました。

陳情案件も審議され、消費税10㌫引き上げの中止をもとめる内容や、全国一律の最低賃金制度確立と中小企業支援の拡充を求める内容の陳情などを採択。政府に対する意見書案が最終日に議決されます。

この日の本会議では、開会冒頭に東日本大震災で亡くなられた方々を追悼し黙祷を捧げました。8年前の3月11日は3月定例議会の最終日でした。久方ぶりに副村長就任も決まり、ちょうど議会も改選の時と重なり、新しい節目をむかえて「さあ、これから」という時におきた魔の大震災でした。震災翌日は中学校の卒業式。それだけに、あの当時のことをあざやかに思い起こしながら、犠牲となられた方々へのご冥福をお祈りいたしました。

▼9日土曜日はその中学校の卒業式と祝賀会。立派に成長された33人の第72期卒業生と、その子どもたちを見守りささえ育ててくれた保護者、ご家族、先生方に感謝とお祝いをこめながら乾杯の発声をさせていただきました。

式典はいつものようにどの場面も感動あふれる内容につつまれました。生徒たちの涙、母親をはじめとする保護者のみなさんの、「これだけ、たくましく大きくなってくれて」という子育ての苦労をふりかえっての子の成長に寄せるうれしさの涙……。それらを目にして、こちらも目頭と胸に熱いものを感じました。

今年の卒業式では、もうひとつ特別な感慨もありました。実は、女性として前生徒会長をつとめ答辞に立たれた千田明さんは、昨年までわが議会で活動され病で逝去された故佐々木健夫議員のお孫さんでもあります。

いつも通りなら、来賓の議員席から、答辞を読むお孫さんの姿、卒業の歌の伴奏でピアノを弾かれた彼女を本来なら見つめていたであろう故人を思わず偲ばせられた卒業式でもありました。「健夫さんに、この日の卒業式を見せたかった。」きっと同じ思いの方が少なくなかったでしょう。式典会場には奥さんの姿が見られたようで、「それはよかった」と思いました。

人の社会、巣立つ、放す、離れるというのはよろこびでもありますが、それにはひとときの間ながらつらさも同居します。みんなそうやって一人前になってゆくのですからね。先日も記しましたが、我々が中卒の頃は、クラスの大半がこの3月から社会人となり、その半数以上は親元から遠く離れて首都圏などへむかいました。そういう面では、この先3年は家族と過ごすことができて、しかも学びに専念できる今の子どもたちは、ほんとうに幸せものということができるでしょう。

▼今日は、33人の卒業生のみなさんの門出をお祝いして、咲き始めた福寿草を贈ります。

50数年前の別れの3月を思う

3月に入ってから雪降りのない日々となり、雪寄せなしの朝が続いていて助かります。

明日は中学校の卒業式。今は中卒でふるさとを離れる方々はほとんどいないでしょうが、昔は、クラスの半数以上が中学卒業とともに首都圏などに就職しました。この3月は、長い間過ごした学校や友達との別れとともに、家とふるさとからの別れの時でもあり、なんとも悲しく、さびしい春でもありました。先だって、高卒されたばかりで県外へ就職されるみなさん、そのご家族の方々はそういう時を今過ごされているのでしょうか。

ふるさとに残った私などは、卒業と同時にソリによる薪引き作業などにつきましたが、たまたまその作業を道ばたでしている時に(おそらく、ソリに積んできた薪を下ろしていた時だったのでしょう)、椿川校舎の同期の方々が列をつくって、雪の一本道を歩いてゆく姿を見たのが記憶のひだに濃く刻まれています。

それはきっと、椿川で就職する方が上京する日で、同級生のみなさんがバスの出る岩井川バス停までか、あるいはバスにいっしょに乗り十文字駅まで行かれたのか、いずれ送りのために歩いていた列だったのだろうと思われます。

あれから50数年を経た春。道も集落も激変していますが、肥え穴こそないものの厚い雪に覆われたたんぼ、杉林の範囲がずいぶん増えたものの雪崩がひん発する集落近くの山々、真白き奥羽の峰(写真は東山と柏峠など仙北街道の尾根)は、みんな当時とほとんど同じです。そして、別れのかなしさ、つらさも。

雪のことで国へ緊急要望

5日~6日と、村長、建設課長とともに都内で村独自の要望活動を行ってきました。

今回の要望内容は、雪対策への支援を求めるもの。今冬は過去4年の決算額平均より1.3倍もの除雪費(1億1,401万円)が見込まれ、開会中の3月議会には約2千万円の除雪費関連追加補正予算案が提出されています。

こうした現状を理解していただき、特別の財政支援をお願いすることで、総理官邸では菅官房長官へ、そして議員会館、国交省、総務省、財務省へと要望ご説明に向かい、それぞれお忙しいなか時間を割いていただきました。

今冬の雪は、村など一部の地域への局地的な豪雪となりました。またその雪が湿り気の多い重い雪で、同じ積雪深でも雪が重いために除排雪にいつもより時間と経費がかかっていること、雪解けの速度も遅く今後の農道や農地などの除排雪経費も多額が見込まれること、現在も積雪2㍍ほどの集落があることなどが特徴です。それらを、要望の先々で村長とともにうったえました。

豪雪のむらからひとつ奥羽山脈を越えただけで雪のない世界に入り、帰りは映画のフィルムを巻き戻ししたようにまた豪雪のむらへ。岩手山もまだ雪化粧していますが、その白さはお隣の八幡平や和賀山塊のような雪深い白さではありません。同じ東北の高山でも、岩手山は鳥海山の真白き姿とは比較にならないように見える雪状態です。山ひとつをみても、秋田県南、とりわけ宮城、岩手県境の奥羽山塊や鳥海山麓の雪がいかに多いかが、これからの時期には山の白さ度合いをみればよくわかります。

夕方に帰って自宅わきの雪の山を見て、「これは、別の国ではなく、別の星に住んでいるようだな」と、雪の有る無しの違いの大きさを感じた次第です。

今回の行動でも、みのり川代議士事務所のみなさんにご案内をお願いし大変お世話になりました。また、秋田県東京事務所のみなさんにもご足労ご助言いただき、スムーズな行動ができて大変助けられました。この場からも心からお礼申し上げます。ありがとうございました。

▼動いている最中、県議の大関衛氏が命にかかわる尋常ならざる事態にある報に接しました。信じられぬままで帰路につく途中、急逝の報が続けて電話に入りました。あまりに突然のことで、いまは、ただ、謹んでお悔やみを申し上げ心からご冥福をお祈りするばかりです。

フクジュソウも開花

少しずつ進む雪のむらへの春のおとずれ。

「そろそろフクジュソウの一番花が見られるかな?」となじみの斜面に向かったら、咲いていました一年ぶりの新しい花が。

まだ雪解けの範囲がほんの少しなので群落とはゆきませんが、厚い雪と隣り合わせで咲く花のほうがフクジュソウにはお似合いです。ほかの新芽たちは、つぼみをふくらませたまま1㍍50㌢ほどの厚い雪の下で出番を待っています。

そばのヘギ(堰・用水路)では、日を浴び続けているセキショウがこの前よりも草姿をいきいきとさせ、雪を背景にその緑がいっそうひきたってきました。

くらしにも自然にも少しずつ春が

あっという間に2月が過ぎ、半年ぶりに暖かな陽射しを続いて浴びられる日々となっています。

2日~3日にかけては、地元集落のコミュニティ文化祭とそれにちなむ催しがにぎやかに、熱く行われました。開幕を告げる子ども仙人太鼓は、集落に春を告げる響きともいえます。

今年で42回目となる部落の文化祭。私ら世代が子育ての頃は、旧コミュニティセンターで行われ、親子会の活動として大きな雪像を各地区ごとにつくって出来映えを讃えあったことなど、あの当時の熱気も思い起こされます。演芸の出しものなどにも時代の変化が映され、回を重ねてきた文化祭の歴史を感じます。

▼雪寄せ作業なしの朝がしばらく続いています。地面の見えた場所や立木の根元が陽射しで暖められ、そこから雪のない範囲が少しずつ広がっています。

そんな少しの雪解け水があちこちから集まりはじめたからでしょう、成瀬川も冬のおとなしい流れを解き、幾分、瀬の勢いが増したように見えます。

先日ご紹介した川岸のネコヤナギも、冬の衣をすっかりと脱いで花を大きくふくらませています。こうなれば、雪原を自由に歩ける「かた雪」の季節が待ち遠しくなりますね。

ヒラ(底雪崩)割れで食のカモシカ

いよいよ春3月。高校の卒業式も始まる今日1日は「真人へぐり(国道342号脇、真人頭首工そばの斜面)」にいつもの年ならマンサクが咲き始めるので、私はあそこのマンサク花を春の訪れを覚るひとつの指標にしています。さて今年はどうでしょうか。

村ではヒラ(底雪崩)がごく普通に見られる季節入りです。

おととい、そのヒラの割れ目に遊ぶ2頭のカモシカを目にしました。ヒラが発生するようになると、雪が落ちて土肌がむき出しになり、そこには多年草の緑があらわれます。また、雪に押さえつけられたまま芽をやや膨らまし始めた柴木もあらわれます。

それらはみんなカモシカの大切な食の源。なので、これからの雪の野に生きる動物たちは、ヒラの落ちる斜面に多く集まります。それは4月に冬ごもりを終えて動き出すクマも同じです。

この日、ヒラの割れ目にいた2頭のカモシカは、あんまり遠くてその大きさ比較ができませんでした。おそらく親子なのでしょう、のんびりとした動きをしていました。

▼ヒラといえば、椿川ウルヰ地区にある畜舎上部斜面のヒラは油断がならないので、通りすがりには時々立ち寄って様子を観察しています。

昨年県によって斜面一部に防雪柵が設置されていて、その効果もだいぶあるようです。雪崩落ちのきのうの現場を見れば、ひきつづき同じような柵設備が必要なことを強く感じながら、落ちたヒラ、これから落ちるヒラを注視しました。

凍み大根仕上がる

雪国の人々の「冬越し」を食でささえる大切な役割の自家用野菜たち。その野菜のなかで我が家でもっとも多く利用されるのは大根。

冬の味噌汁具材はほぼ毎朝といってよいほどに大根が使われ、おでんに、ナタ漬けにとほんとにありがたい食材です。

頃はまもなく3月。秋から蓄えていた「でご穴(大根穴・大根の貯蔵庫)」のなかは、だんだんと積まれている大根の数が減ってきました。春のおとずれとともに、生の大根は食卓にのぼる回数が少しずつ減ってゆきます。

それにかわって登場するのは寒風にさらし干していた凍み大根。2月末になったら完全に乾燥が仕上がって、甘くておいしい「加工品」がいろんな料理に用いられます。昔の狩人にとっては、これから脂がのっておいしくなるヤマウサギ(ノウサギ)鍋の食材として、シミデゴ「凍み大根」は欠かせぬ食材でもありました。

唱歌「故郷」の「♪♪うさぎ追ひし………♪♪」の歌詞を「うさぎおいしい」と思っていたという冗談話がいわれます。大根は、生でも、凍み大根のように加工しても、そのおいしいウサギ鍋をひきたてる食材として重宝された長い歴史が雪のむらにはあります。

▼毎年この頃になると、若い頃農業研修で1年間お世話になったSさんから、知り合いの方がつくるミカンが送られてきます。農薬をほとんど使わない栽培が特徴のミカンです。今の時期ですから晩生種なのでしょうか、おいしくいただいております。

無農薬や減農薬の作物栽培は、収量も品質も安定しないので農業経営ということになれば簡単にはできないことです。でも、できるなら農薬は使いたくないのがみんなの理想でしょう。

我が家も、ほぼ一年中食べるジャガイモや大根など自家用の野菜はほとんど無農薬です。野菜は販売していない農家なので、自宅で食べる分だけの量だからそれはできますが、トマトなど野菜の種類によっては農薬なしだと収穫期間はほんのわずかに限られてしまいます。

栽培への工夫をこらせば、このミカンのように無農薬でも安定した収量をあげ、経営としても成り立たせることができるのですね。何事も「できない」で止まらず、探究、努力が必要なことを教えられます。

議案説明で全員協議会

村議会3月定例会議に提出される議案説明の全員協議会がきのう開かれました。

議会事務局提供

その前には日程を決める運営委員会も開かれ、3月議会は1日から19日まで開催することを決めました。1日には行政報告と議案提出、説明、常任委員会の陳情審査、8日に一般質問、12日と13日に予算特別委員会、19日に本会議での議案審議となります。

議案説明でものべられましたが、来年度当初予算案で特徴的なことがいくつかあります。その一つは、これまでの村単独事業についてかなりつっこんだ検討が行われ、継続してきた事業でも今年度限りとされる補助事業がみられたこと。補助事業への予算措置の時期などについても今年度とはちがった対応策がとられることになったことなどがあげられます。

住民全体のくらしを念頭において、合理的、能率的でしかも堅実な予算をくむのが提案側のつとめであり、議会もそういう視点をはなさずに予算案の審議にあたることになります。そのためにも、過去の予算案審議事例や前年度比較、それに決算で審議された内容なども見つめながら予算案の勉強が議会側はしばらくつづきます。

セキショウも姿を

「春が来はじめた、春が感じられる、少しずつ春が」などと春言葉を毎日記しています。そういうこともあって、きのうは、役場への往き来の途中にもう一つの春を感じられる場所に立ち寄ってみました。

そこは、村内でもおそらくここだけになってしまったかもしれない常緑植物セキショウのある小さなヘギ(せき・堰・用水路)。村内用水路はセキショウが育つような旧来の土側溝からコンクリート側溝へかわり、このようなヘギは貴重です。私は、毎年春一番にここに決まって通います。

まだヘギの大半は厚い雪に覆われていますが、わずかに雪が解けた場所で濃い緑のセキショウ(薬用、観賞用植物として愛される)が姿をあらわしていました。押さえつけられていた雪の圧力から解放されたばかりですから、勢いのある本来の植生ではありませんが、それでも、緑に飢えている私にとっては一年ぶりのうれしい再開です。

さすがに、そばに咲くフクジュソウはまだ雪の下ですが、バッケ(フキノトウ)は一つだけ芽をふくらませていました。

この小さなヘギに棲むドジョウも、雪がなくなった泥の中で「春が来たな」と感じ始めているでしょぅ。

集落そばでは、ヒラ(底雪崩)がごく普通に見られるようになっています。ここにも春です。