史上最大の人災を繰り返さぬ決意で戦没者追悼式へ

※部落長会議(議会事務局提供)
※部落長会議(議会事務局提供)

農業委員会の5月総会、村戦傷病没者追悼式、各地区の要望を寄せていただき役場からの情報もお伝えする部落長・行政協力員会議と、行事日程がきのうも連続しました。

国際的にも、国内でも、人間社会を治めるには武力(戦争)が必然という論が根深く、また台頭しているときだけに、わが国憲法の平和条項をまもる重さが極めて大きくなっています。議会を代表し、歴史の誤りを繰り返さぬ誓いをこめて追悼の言葉を申し上げました。

※追悼式(議会事務局提供)
※追悼式(議会事務局提供)

今年は、追悼の辞のなかに、富谷太一氏が著したニューギニア最後の死闘(共和印刷出版企画部発行)の著書の中におさめられた兵士各位の歌と著者の言葉の一部を引用させていただきました。以下、その大要を載せておきます。
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戦後70年を経て、比較的雪の少ない冬を過ごした村は、いつもの年よりいくぶん早めの春をむかえております。すでに桜花爛漫の時も過ぎ、萌葱色に染め上げられた村は、半年ぶりに外での農作業が本格化しようとしています。

このようにものみな躍動の春をむかえる5月に村の追悼式が行われるだけに、人生の最も心華やぐ時に尊い命を奪われ、ふるさとの春の訪れをほんの短い間しか感ずることのできなかった御霊各位の無念が心に迫ります。

このほど私は、終戦時の南方戦線である兵士たちが詠んだ歌を集めた著書を手にしました。それには、「ふるさとに 吾待つ母は如何にあらん 喜びにつけ悲しみにつけ」「手を振りて 送りたまひし母はいま あの星の方に在しまさんや」「さえざえと 輝きわたる満月に 母の姿のうつりくればや」「ゆめになど 偲ふよすがのふるさとの われ待つ母の姿を思ふ」「戦場に三人送りて身寄り無く 如何在すか老ひし父母」 戦地にあっても、ふるさと、そして母や父はかけがえのない心のささえだったことが歌からは偲ばれ、御霊の当時おかれたでありましょう心境に重ねて、私はこれらの詠み言葉を何度も追い、あらためて戦争のむごさを感じとりました。

これを著したのは、御霊各位と同じように大陸、南方と激戦の地をたどった方で、著者はそのあとがきで「空腹のまま敵陣に突入し戦死した将兵を想うとき、私の瞼の中に、いつも悲しい顔の戦友の姿があらわれる。そして煮えかえるような断腸の気持ちになってしまうのである。戦争は悲惨の一語に尽きる。」こう述べておられます。

「このむごさを二度とくりかえしてはならない」これが、御霊の尊い犠牲の上で今に生きる私たちのつとめと思います。平和を希求するわたしたちの最大のよりどころは、日本国憲法の平和精神でありますが、戦後70年を過ぎ、戦争の直接体験者が少なくなるにつれ平和憲法に反する政治のうごきが加速しています。それだけに、村議会は今後も、我が国が戦争参加への道に向かわないよう、平和宣言の村としてあらゆる努力を傾けることをここに誓います。
結びに、今年一月末、天皇、皇后両陛下が、約51万8千人という海外では最大級の日本人戦争犠牲者を出したフィリピンを訪問され、先のサイパン、パラオに次いで犠牲となられた方々の慰霊を果たされたことをここにご報告し、御霊の安らかならんことを深くお祈りしながら、ご遺族の皆様のご健勝を心から願いまして、追悼の言葉とさせていただきます。
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