ハギモダシ(ハナホウキモドキ)登場

まもなく立秋を告げますから暦の季節はもうすぐ秋。でも村はこれからお盆頃までが夏本番となるはずです。ただ、異常な長雨の今年は、その夏を感ずる日がもしかしたらもっとも少ない年となるかもしれません。

さて、初秋をむかえる村の里山では食べられる「夏キノコ」がいっせいに顔を見せ始めました。毎年ここでご紹介するハギモダシ(ハナホウキモドキ)は、深山ブナの森のトビダゲ(トンビマイタケ)とならんで夏キノコの代表格。同じ時期にはキグラゲなども登場します。

里山のハギモダシはそのハシリが例年並みの発生量です。もう少し経てばピンクの見事な菌列が、緑濃いユキツバキとコナラの林に見られるでしょう。

ところでこのハギモダシ、図鑑などでは毒種のハナホウキタケと混同された写真や解説が多く、キノコを趣味とする方々や研究者の間で様々な「論」がされていることはこのブログでも幾度か記してきました。

私が時々お世話になっている「仙台キノコ同好会」の会誌では、同会元会長で顧問の佐々木勲氏が会の講演でホウキタケに触れたことをとりあげています。その中でこれまでは一律ハナホウキタケとされてきたキノコについて、ピンクの種(村でハギモダシと呼ぶキノコ)に「ハナホウキモドキ」という仮称?で明確に区分をつけ、自らの試食体験も含め「食べられるキノコ」として語っておられます。その仮の名をお借りして私もハギモダシを「ハナホウキモドキ」としておきます。

昨年にこのことを少し記しましたが、今後発行される新しいキノコ図鑑やガイドブックでは、それを書かれる著者の方々はもう少しこうした各同好会の体験蓄積や各地方の生の体験を現地に入って取材され、研究者の科学的見地と照らしあわせ、このキノコについての食・毒に関するあいまいな表現からそろそろ卒業してほしいと思います。

8月はじめになれば顔を出すハギモダシ(ハナホウキモドキ)。とりあえず「モドキ」としておいたのだと思いますが、今度はもっと別の正式名が命名される日がくることを私は待ちます。ホウキタケの仲間ではキノコそのものも、多彩な菌列も、とっても美しい種ですし、一箇所で大量に収穫できる楽しみのあるキノコですので、美しさを象徴するような名前をつけてほしいものです。

今回採ったこのハギモダシ、ナスといっしょに炒めたり、味噌汁などで初モノをたっぷりとごちそうになりました。里山にはまだまだ幼菌がいっぱい。発生期間も長いキノコですので、これからひと月ほど、我が家の食卓にはハギモダシが上がりつづけます。

▼大相撲の照ノ富士が優勝しました。ケガや病気で序二段48枚目まで下がり、そこからの復活、そして優勝は、我々の人生によくある挫折や敗北の体験であきらめず、むしろそれに学び努力を続けることの大切さを教えてくれました。

並大抵でない苦労をのりこえた照ノ富士関の努力、師匠をはじめとするまわりの方々の指導力、関取をささえてきた皆さんの厳しくあたたかな心に拍手をおくります。結果は「優勝おめでとうございます」ということですが、たとえ今回優勝でなかったとしても、優勝に勝る大きな感動をこの序二段からの「復活」は多くの人々に与えてくれたと思います。

モヂエヂゴ(エビカライチゴ)熟す

村の木イチゴではもっとも遅れて熟すモヂエヂゴ(餅いちご・エビカライチゴ)が熟れ時となっています。

村の木イチゴは、モミジイチゴ、クマイチゴ、ニガイチゴ、ナワシロイチゴと、それぞれ味に特徴があって楽しいのですが、このエビカライチゴも、ほかの木イチゴたちとはちがう品のある特有の濃い甘さで昔の子ども達をひきつけたものでした。

ほかの木イチゴとちがい村での植生はごく限られており、私が知るのはたった2箇所だけ。それで勝手に私は「村の絶滅危惧種」扱いしている野イチゴです。「エビカラ」という名がついていますが、エビであるような、それでいて毛ガニでもあるような、ほんと甲殻類のかたちによく似た姿をしているイチゴです。

▼先月31日は、会議で久しぶりに秋田市へ。

会議は、高速道路の整備促進を期すフォーラムの開催で、県と関係する期成同盟会の主催です。

新型コロナ禍のなかで、こういう類いの県規模の会議開催にご案内をいただいたのは春以来はじめてで、いつもの年より参加者数を制限してのフォーラムとなりました。

会場となったホテルでは、受け付けで検温がされ、消毒なども徹底、着席も長テーブルに一人掛けで間合いがとられました。もちろん全員マスク着用は必須です。会議そのものも正味一時間で終えました。この日は、コロナ禍で開かれる県規模の会議の特徴をみたひと時ともなりました。

大きなカリフラワーのようなキノコ

キノコの季節になると、「きのご、みでもらいでぇ(キノコを見て欲しい)」という電話が時々わが家にかかってきます。先日もそんな一報がありました。

こちらは菌学会の会員でもないし、キノコの同定に特別詳しいわけではありませんが、普段よく食べるキノコ、あるいは時々食べるキノコ、まれに食べるキノコ、そして手強い猛毒キノコの代表ぐらいの単純な区別はみなさんと同じようにできますから、一報をいただいたところに早速かけつけました。

こんな時は、たいてい食毒の見分けのつかないキノコが多く、そんな時はいいかげんなことはいえませんので、たとえ毒ではないと思うキノコでも心配が少しでもあれば「ムリして食べないほうがいい」と言います。恐る恐る訝しい気分をもちながら食べるのでは、食べられるキノコだとしてもおいしくないということも奨めない理由にあげられます。これは自身の体験から生まれた思いでもあります。

さて、今回電話をいただきかけつけた家にあったのは写真のキノコです。仕事で山に入った時にあったらしくそれはハナビラタケ科の仲間であることは確かのようです。それで、「キクラゲのように酢みそ和えや味噌汁などで食べればいいかも」と、自分が一度食べた体験談をもとに食べられるキノコであることを伝えました。

これはそんなに出会えないめずらしい食キノコ。形はよく似ていて時々出会えるシロキクラゲ科のハナビラニカワタケより白さが強いようですからハナビラタケでしょう。

後日お聞きしたら「ンメがったよ(うまかったよ)」といわれました。こういう形状のキノコに毒キノコはほとんどなく、食べられるキノコと自信をもって断定はしたものの、それでも結果をお聞きして、実は、内心、ホッとしたところです。

要望箇所の視察と全員協議会

村議会による地区要望箇所の視察がきのう行われました。恒例となっている視察は常任委員会の調査活動として行われたもので、村の担当各課長も同行しました。

あらかじめ地区から村と議会に届いていた新規要望箇所の視察ですが、今年は新型コロナの関係で例年より遅れた日程となりました。

視察では、各地区の部落長・自治会長さんたちから現地で説明をうけ、要望の内容を把握しましたが、緊急度などをふくめ現地をみれば様々なちがいがあり、それらが視察後の講評でも意見や質問として応答が交わされました。要望によっては、部落・地区要望というよりも村の機関、一行政部門として検討が迫られているものもあります。

▼午後には、村の第三セクター・秋田栗駒リゾート(株)の経営状況の報告説明を受ける全員協議会を開催しました。

会議は、新体制となった会社取締役など幹部職員のみなさんに出席していただき、去る6月19日に行われた定時株主総会の営業報告資料をもとに説明を受けました。

企業体ですから課題はどんな年にもあるわけで、それを克服して安定した経営を維持するのが経営陣の最大のつとめでしょう。新型コロナ禍で新たな大難題がふりかかっていますが、それを乗り越えるカギは全役員と全社員が心をひとつに、立てた目標に邁進できるかどうかにかかっていると思われます。

村のカオとしての経営体でもあり、そうした自覚のもとに団結されての奮闘を強く期待し、役職員すべて、常なる自己相互啓発にもいっそう励んでいただきたいものです。

イタン先生ありがとうございました

勤務歴7年余、村のALTとして活動していただいたEThan Abrams先生が、その職務を終え母国に帰られました。

保育園、小・中学校での英語の教え、そして社会人への英会話教室などを通じてひろく村民に親しまれていた先生でしたので、村から離れられたことはほんとうに残念です。が、ご本人の今後の人生と新たな職場でのご活躍のことを考えれば「おめでとうございました」とお祝いを申し上げるのが礼儀だと思います。

イタン先生の存在は、とくに村の子どもたちにとっては英語の教えだけでなく園や学校生活の様々な面であまりに大きく貴重で、別れはほんとうに残念です。保育園の子どもたちから小・中学生、それに大人たちまでふくめて、あれだけひろい年代の方々から尊敬され、時にユーモアたっぷりにうち解け合い深く親しまれたイタン先生。そういう方ですので、お聞きした新たな職務でもすばらしい働きをされることは確かでしょう。

さわやかな笑顔で村の子ども達を魅了し、接し、教え、村民と親しくおつきあいいただいたイタン先生、長い間ほんとうにお世話になりました。ご尽力に対しまして深くお礼を申し上げます。ありがとうございました。

抹香採りはじまる

お盆を前にして焼香につかわれる抹香の材料採りがはじめられる季節入りです。

村で香の原料となるのはカツラの葉っぱ。昔なら抹香の手作りは、同じようにお墓の供物を置く棚用として使われるヨシ(葦)採りとあわせこの季節のごくあたりまえの光景でした。でもこういう場面をいま目にできるのはごく限られたところでだけ。

成木となれば樹高は35メートルにもなる大木のカツラですが、香に利用する木はたいがいが途中で芯を摘み取られ樹高を抑えられていて、手を伸ばせば届く高さに枝がよく茂りその葉っぱが摘み取られます。

葉っぱを手にするとまことに雅な香りが漂い、乾燥するにつれてその香りはさらに増します。「今年は、長雨で、いつもの年より乾燥に日数がかかるかも」と地元集落のMさんは語っていました。

ヤマユリの香漂うなかで薪積み作業

暦で二十四節気の大暑をむかえる頃になると、ヤマユリ(村の花)やオミナエシが咲き始めます。

連休は、こうした花たちに囲まれながらすでに割り終えていた薪の嶋積み作業(2021年秋から利用する薪)に入りました。その作業で手にした薪のうちのたった一本からだけですが新芽が出ています。柳やサワグルミ、栃などの木ではよくあることですが、切られてかつ割られた真夏のナラ材からこういうかたちの新芽が出たのを目にするのは稀なこと。これも「今年は異常」といわれる長雨で薪が乾燥できないための結果なのでしょうか。

連休で訪れた童たちを川の水浴で遊ばせたかったのですが、連日の雨で流れの濁りがとれず、遊びは川岸での石投げとカジカガエルとのおつきあいだけ。まだツナギ(小さなアブの仲間)も出ない今の季節は、天気さえよければ川は童たちにとって最高の天然遊園地となるのですが、なかなかそんな恵まれた日が今年はやってきません。

代わりに、野イチゴを摘んだりキノコをながめたりで、梅雨時の自然に触れさせました。

▼今日から明日の二日間、東北日本海側への大雨予報が出されました。秋田も村も、梅雨末期の大雨を過去に幾度も体験しています。とくに明日は県南部に強い雨雲が来そうです。役所でも個々でも今のうちに必要なこと、できることに備えておくべきでしょう。

ニホンジカ次々目撃

村では、ツキノワグマの目撃情報はごく当たり前のことですが、先日は、人とクマとの偶然と思われる出会いもあり人的被害がおきました。

クマは、果樹やトウモロコシ、そして近年は稔り始めた田んぼの米を食べるなど農作物への被害とともに、このように人へ危害を加えるなど実にやっかいな存在となっています。

村では、大きな野生動物といえばクマとカモシカがその代表で、はるか昔には生息していたニホンジカやイノシシ、サルの群れなどは途絶えていました。

ところが、ここ数年、かれらが隣県から県内へどんどん入り込み、冬の間も定着して生息域をひろげているようで、豪雪の村でもシカやイノシシの目撃例が度々聞こえてきます。

シカは群れとしての確認事例は村では聞いたことがありませんが、イノシシは村境の里山で群れが幾度も目撃されており、すでに村内でも群れで生息しているものと思われます。

シカの目撃例は、ほとんどが一匹で、それはたいがいオスジカです。ということは、群れもすでに村内に定着している可能性が大きいといえます。

▼写真のニホンジカは、7月13日に、村内岩井川城下の国道そば、田んぼの脇にいたニホンジカです。役場職員のTさんとご家族が国道を走る車内から目撃、スマホで撮影したという写真をお借りしたものです。このシカは一定時間のうごきを動画でも記録されています。岩井川ではほかにも国道397号の沼ノ又地区で6月末にシカの目撃例があります。

シカもイノシシも、昔はあたりまえに生息していた村だったでしょうが、それが人の手で遠い昔に絶滅しました。ですから村での彼らの生息はいわば「復活」ということでしょう。

豪雪の村ですから、真冬にはたとえ越冬しようとしても深い雪では天敵(人間)から逃げることはムリなので、特別豪雪地帯の山間部で生息数を増やすと言うことは困難のはず。そういうことで一度は県内から絶滅したといえます。しかし、雪の少ない日本海沿岸部の里山や出羽山地、あるいは平野部の丘陵地帯なら同じ県内でも天敵(人間)の狩りで捕獲できるのはごく一部に限られ、彼らは生息数を漸増させることが可能と考えられます。

それらの地域で生息数が増えれば、雪のない夏場には村など奥羽山脈の山間部地域に彼らが群れで移動することは当然考えられ、前述したようにすでにその群れの兆候もあります。

そうなれば、村でも農作物への被害発生が考えられ、その規模はクマなどの比でないことは太平洋側の現実をみればすぐに想像がつきます。クマとともに、イノシシ、シカへの被害対策も考えなければならないのか。予測できなかった現実が我々の目前に迫ります。

薬草採りの土用

暦で土用(今年は過ぎた19日)をむかえる頃、村では薬草採りがはじまります。

我が家では、ドクダミが妻の手で先日採られ日陰干しされています。もう少し経てば花が咲くヨガノハシ(ゲンノショウコ)も採られる予定で、二つは、トリキ柴(クロモジ)の葉っぱとあわせて毎日のお茶代わり、健康飲料(薬草)となります。

昔は、薬草の採り始めをふくめ、暮らしに欠かせない道具を編むための材料採りもこの季節でした。マンダ(シナノキ)やヤマブドウの皮はぎが行われたのが土用前後だったことを亡き祖父は記しています。「土用」は、うしの日の湯治をはじめほかにもいろんなことで人々のくらしの節目指標となる季節だったのです。

▼きのう半分に切り割いておいたタマゴタケ。トレイにわずかの水を入れたまま浸しておき朝見たら傘がさらに開き生長していました。水さえあれば生長を続ける、魔性を感ずる鮮紅色は室内のトレイの中でもより輝きを増しました。そのキノコのたくましさに少々驚いています。

魔性を感ずる鮮紅色、タマゴタケ

例年の7月半ば過ぎなら、「行事の合間をみての畦草刈り」と記すのがこの時期の決まり文句でした。

しかし今年は、コロナ禍なので行事や集会のほとんどがはじめから中止、あるいは延期から一転しての中止なども多く、仕事につきものの集い等での挨拶や乾杯発声もほとんどない状態が半年近く続いています。

そういうわけで行事が極端に少なくなっているため、日程に気をつかうことなく過ぎた休日は今シーズン3度目の畦草刈りに汗を流しました。雨つづきでよく伸びた雑草を刈り終えたら、いつものように田んぼ周りはきれいすっきりとなりました。

「中干し」をしようと水をいったん断ち切った田んぼは、 雨続きのために乾くどころか雨水がほとんど浸りっぱなし。この先すぐには連日の晴天をのぞめないようですので、粘土質で排水のあまりよくない我が家の田んぼは「土用干し」の効用があまりないまま出穂の季節を迎えることになりそうです。今から、収穫時期のコンバインの抜かりが気になる我が家です。

低めの気温とそんな雨続きのお天気もあってでしょう、家や田んぼまわりの土手や林の脇では土キノコの仲間たちがどんどんカオを出し始めています。

それらの中でカメラを向けたくなるのは食茸のタマゴモダシ(タマゴタケ)です。猛毒菌が多いテングタケ科のうちではめずらしく食べられるキノコのタマゴタケ。でも、私はおいしいという食感をもったことは一度もありません。魔性をあらわすような鮮紅色に惹かれて、今は「見て楽しむキノコ」の代表格としての出会いを楽しみにしています。

色も形も特徴がはっきりしているので、毒キノコとの見分けは比較的簡単です。しかし仲間にはいろんな猛毒キノコや毒キノコがありますのでムリして食べる必要はないと思っています。土キノコの仲間としては発生期間が比較的長く、村では7月半ば過ぎから9月半ば頃まで見られます。幼菌を割って一夜おいたら、トレイの上で傘を開いていました。

それにしても、並みいる猛毒、毒キノコの仲間が多いテングタケ科の中から、これを「食べられるキノコ」として確認した最初の人間はたいしたものと思います。欧州など外国では美味で上品な食茸扱いされるというタマゴタケ。日本もふくめ、その試食に最初に挑戦した方の覚悟は相当なものだったはずです。なにしろこの色と形を見たら、まずは「猛毒」を連想してしまいますから。

そばの雑木林には、ベニタケの仲間たちでしょうか、いろんな土キノコも見られるようになりました。タマゴタケもふくめ、いつもの年よりキノコの顔出しがやや早い気もします。これも異常といえる長雨のせいなのでしょうか。