ありがたい大根

きのう朝まで除雪なしのおだやか天気が幾日かつづき、昨日も雨天。でも季節は小寒を過ぎていて、一年で最も厳しい冬にいよいよ入りました。

寒気本番のこれから先ひと月を前にして、我が家でも凍み大根つくりが始まっています。

この冬は、野菜の市場価格が高く、買い求める方々のため息が報道されます。どこの家でもそうでしょうが、食卓をみればおわかりのように食には欠くことのできない野菜、それだけに野菜をもとめて店頭にむかうみなさんの「困り」がよくわかります。

その点、主食や野菜を蓄え自給のできる農家はこういう時は強みです。我が家ではほとんど毎日といってよいほど大量に食されるデェゴ(大根)とニドエモ(じゃがいも)はもちろん、シロナ(白菜)、ねぎ、エモノゴ(さといも)、ボンボラ(かぼちゃ)、さらに篤農の方々なら、にんじん、ながいも、カイベツ(きゃべつ)、にんにく、たまねぎ、さつまいも、などなど農家の貯蔵庫にはおよそ半年の間食べられる野菜があり、ほかに穀類や山菜、キノコもたっぷり貯えられています。

日干しや凍み干し、漬け物でさらに長期保存をする大根は、雪国の人々の食、そして経済(盛んになっているいぶり大根漬販売など)をささえる究極の野菜。こんなに大事な大根の役割を知らずに見目形だけでつけたのでしょうか、「大根役者」などという言葉は。

 

 

▼過ぎた連休の最終日、雪下ろしついでにいつものように田んぼ脇の里山に上がりました。

小高い河岸段丘にあるたんぼ土手の縁(へり)には、成瀬川と集落を突き抜けた北西の吹雪がまともに当たるところ。そこには風下にできる雪庇もふくめいろんな雪の造形がみられます。雪原には、キツネとヤマウサギ(ノウサギ)が交叉した足跡も。

この日の午前、遠望のブナの森では、木肌に着いた新雪がまぶしいほどに光るお天気。こんな日は、里山の杉やナラ林も、雪と陽射しと樹幹の共演となり、思わず「いいなぁ」と足を止めてしまう景色を見せてくれます。


 

 

 

 

 

豪雪に耐えて成長する秋田杉。冬の杉林の中には、樹齢100年近いと思われる幹が雪の重みで途中から折れ雪上に横たわっている様子が所々でみられます。いま立派に屹立している林は、そうした長年の豪雪にも、台風にも耐えてきたものばかり。なので、ズーンと伸びる幹を前にすると、樹のもつ優しさとともに強さをあわせた美を私は感じとります。

中には、杉の幹にからみつき、共に一世紀近くも生きてきたのでしょうフジ蔦もみられます。山にあってはごく平凡な一風景ですが、からまれる方もからむ方も、よくぞここまで共に育つことが出来たものだと感心してしまいます。

「微力だけれども無力ではない」の言葉の尊さ

休みがつづいたおかげで、母屋の3度目の雪下ろしをまずは済ませ、作業小屋や農機具格納庫などほかのすべての雪下ろしも終えました。

予報されている今日雨天後の強烈低気圧にともなう寒波、新年最初の来るであろう「大型あまげぇし(雨返し)」による猛吹雪へこれで備えたつもりです。

正月は、そばで暮らしている家族みんなが帰省しともに過ごせる時なのですが、村外の一家族が年越しから正月とインフルエンザに見舞われダウン。今年はみんなそろってのワイワイとはなりませんでした。お聞きしたら、この正月、村内でもインフルエンザで苦しい寝正月を過ごされた方々がおられたようです。まもなく学校もはじまります。ウィルスはまだ猛威をふるっているようですから用心が必要です。

というわけで、顔をみせた童たちとは雪の道を散歩したり、自然河川公園でブランコや雪合戦をしたりと、久しぶりに外でゆっくりと過ごしました。



我が家ではきのう門や神棚などから松をひき、お祝い用の山神さまの掛け軸をはずし、正月気分がかたちのうえでも終わりました。正月寒波の到来予報にあわせて、さあ、こちらも新年の本格稼働開始です。

▼おとといのAKTテレビは、核兵器の特集番組をおよそ3時間放送しました。この類いの内容でこれだけ長時間の放送はめずらしいことなので「どんな内容で伝えるのか、どんなかたちで番組をしめくくるか」と注目しながら視ていました。昨年は国連で核兵器禁止条約が採択されましたが、この会議に唯一の被爆国の日本政府は出席せず、条約への署名と批准も我が国はしていません。

番組はそのことをも伝えながら、削減されたとはいえ今なお人類を何度も絶滅させることのできる大量の核兵器をなくすための努力が、私たち一人一人に求められていることをうったえているように私は受けとめました。

ボリュウムある番組全体の解説と進行役をつとめられた池上彰氏は、放送の最後に広島のある被爆者の声を紹介しました。こちらの聞き間違いでなければそれは「私たちは微力だけれども無力ではない」という旨の言葉でした。なんと心に響く言葉でしょう。一人一人の力は小さいけれども、核兵器をなくす願いと流れは無力ではないのです。「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN)へのノーベル平和賞授賞、長い努力の末の国連での核兵器禁止条約採択、「微力だけれども無力ではない」これは、核兵器をなくす運動だけでなく、人類社会の発展にとってもすべてに共通する心得言葉ではないでしょうか。

「非核平和宣言の村」のわが村議会は、昨年末の議会で、核兵器禁止条約への署名と批准を求める意見書提出を全会一致で決め、政府あてに送付しています。

議会始まる

仕事始めのきのうは午前に村議会の定例会招集会議、午後は村消防団出初め式、後には恒例の地元消防分団の懇親会へとまわりました。
わが議会は実質的に一年を通しての開会となっています。今年の会期は12月14日までの345日間。これから本年末まで議会は会期中となり、常任委員会をはじめすべての議会活動が制度のうえでも途切れることなく続けられることになります。今議会への提出議案はありませんが、仕事始めの日に議会が開会され、その場での村長発言もありますから、「さあ、村の政治すべてが新年のスタートをきった」という雰囲気が議場内はもちろん役場庁舎全体にもただよったと感じました。年頭にピッと議会開会、新鮮さとともに気の張りがあっていいものです。

 

出初め式では、昨年の豪雨による県内の河川氾濫を例に、人的被害がなかったことの教訓として「情報の集中、収集」があげられていることをとくに重視してあいさつといたしました。すばやく正確情報をつかむ、それにもとづく的確冷静な判断、これが災害対応のカナメなのです。

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

仕事納めの28日、村に雪害警戒部が設置されました。それでも後の大晦日、元旦は、朝の除雪なしのお天気となり「おだやがで、ええな」の時を過ごすことができました。

年末には、門松用に植えていたヒメマツ(キタゴヨウマツ)の下枝を童といっしょに採り、頼まれていた親戚の方々にもその枝をお分けしました。

我が家の門松はアカマツではなくヒメマツ。深山ならどこにも普通に見られるヒメマツも、アカマツとちがい里山だとごく限られた場所にしかなく、そこへ向かうには深い雪を漕がなければなりません。高齢になると、雪漕ぎは難しくなり、家そばに植えていたヒメマツのありがたみが年々増してきます。

大晦日には、自家用水道や池用水路の水利見まわりついでに裏山まで足をのばしました。キャンジギ(カンジキ)を履いても足は膝より上まで沈むかなりの深雪。これだけ雪が深いと郡境まで上がるのはムリと判断。8分目ほどの途中で休み、焼石連峰のサンサゲェ(三界山)、権四郎森(南本内岳)、南の森、大字椿川方面や東山、村内最高峰の栗駒連山の秣岳(1424㍍)をながめてひきかえしました。

いたち、たぬき、てん、きつね、かもしか、のうさぎ、りす、やまどりなど、生きものたちの新しい足跡はいっぱいでしたが、期待していた実物たちとは一度の出会いもありませんでした。ただ、木々の梢の合間から薄い彩雲がのぞまれ、年の締めくくりにいい景色は眺められました。


明けた元日も時折の陽射しが雪のむらに注ぎ、流れる雲の間から青い空が垣間見えました。冬はお日様がずっと南寄りをすすみます。なので、デンと座る向かいの山に隠れる時間が長くなります。わが集落の成瀬川では元旦の陽射しがほんの少しの間だけ雪原と川面を照らしてくれました。

 

 

 

 

 

 

 

 

その河川敷では、いつものようにユギノシタキノゴ(エノキタケ)とノゼリを採り摘み、新しい年の野の味と香りを楽しみました。ホタテかアワビ貝のように厚い塊の希少なネズミハギモダシ(ウスムラサキホウキタケ)や、サグ、ワラビなど塩蔵していたキノコや各種山菜も、この日を待っていたかのように新年の食卓にどっと登場です。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

年越し、元旦の穏やかさもほんのつかの間、また猛烈な雪降りの村です。雪害警戒部にとどまらず豪雪対策本部設置とまで至らねばよいがと思っていますが、1月はじめでこの積雪量ですから、「これは」と、心は豪雪に備えはじめています。

▼日の出は、焼石頂上から雲海に浮かぶ早池峰山と岩手山をながめた過ぎし日の写真です。

豪雪の山里らしい年末です

師走なのに寒中を思わせるような厳しい真冬日が続きます。今日の雪の降る様子を見て「こりゃあ、この冬は豪雪を覚悟か」と思いはじめたところです。

そんな年末猛烈寒波のなかで仕事納めの日をむかえました。

役場前ではいつものように年の瀬の朝市が開かれ、年越しやお正月用の品々がならび、甘酒がふるまわれています。

わたしの今年の活動だよりも今日が納め日です。山里ぐらしのほんの一すみをお届けするたよりを1年間開いていただきましてありがとうございました。来年もどうかまたおつきあいのほどよろしくお願いいたします。

来る年は1月4日に通年議会が招集されていて仕事始めとなります。お互い、交通事故や雪の事故などに遭わないよう気をつけられてよいお年をお迎えください。

年末最後のあらげぞら(荒げ空)

きのう朝からほぼ休まず降り続き、夕方まで30㌢をこえる積雪が新たに重なりました。夜から朝は台風並みに発達した気団のために集落は猛吹雪に襲われました。強風とともに降った雪のほとんどは飛ばされて風下に吹きだまりとなり、それが屋根ではマブ(建物の風下にできた雪庇)に、山の尾根筋ではダシ(尾根の風下にできた雪庇)となりました。

 

 

 

地形上、村内でも「風の強く吹く集落」として知られるわが住む 所。そのために昨夜の雪は屋根にはほとんどたまらず風下にマブとなりました。それが今朝自重で耐えきれなくなり「ドーン」と音をたてて欠け落ちました。落ちた時の圧力で家がガタガタと揺れ、それで目覚めるということに。

こういうマブ、ダシ(雪庇)が発達した後の雪下ろし、登山や雪原の端歩きはとても危険です。ダシを踏み抜いて屋根や稜線から転落したり、山ではダシの落下がワス(表層雪崩)を誘発することがあります。山歩きでほかの人の転落を直前で見たり、カモ猟で雪原の端歩きをしていて川岸に転落した体験したことのある私は、雪庇の怖さが身にしみています。

▼横手での所用果たしついでに、「年越し、お正月用の買い出し」につきあい、なじみのスーパーに入り野菜や果物などの陳列棚をながめました。今にはじまったことではありませんが、そこであらためて「中国産」商品の多さにウーンとうなりました。

山菜などはその典型で、量としてはだんぜん多いゼンマイやキノコのサモダシ(ナラタケ)をはじめ、なんとアガキノゴ(サクラシメジ)にも中国産の字が。キクラゲなどもふくめ、乾燥できる食べもの、塩蔵できる食べものなど、貯蔵のきく食品は中国パワーが圧倒しています。

今年最後の公務会議

きのうは湯沢雄勝広域市町村圏組合議会の12月定例会が開かれました。公務としての予定ではこれが今年最後の会議です。

全員協議会で議案の詳細説明やいくつかの報告がなされ、本会議では、鈴木管理者が業務全体にわたる業務報告を行い、補正予算案など2議案を審議可決しました。

業務報告では湯沢火葬場についても触れられ、施設稼働開始から34年を経過し老朽化が進み、施設全体が狭隘であることから、施設の今後のあり方を検討する「湯沢火葬場検討委員会」が、市町村の担当課長と組合職員を委員として6月に設置されていることも報告されました。

道跡から歴史をしのぶ

土曜日、物置小屋の雪下ろしついでにわがたんぼ脇の里山にあがってみました。

ここは積雪が1㍍を優に超えています。たんぼがあるカドリノ(川通野)の台地は古来から椿川・手倉地区と結ぶ道があったところ。その台地より先の大部分はいま杉の林になっていますが、道筋跡は冬になると藪が雪に押さえられますからこのようによくわかります。

今のように道路が川のすぐ脇を通るようになったのはいつの頃なのか私にはわかりません。村の郷土誌には、明治12年(1879年)1月に調べられた地図が記載され、明治24年に椿川村が豊ヶ沢の弘法下を七拾円で売り、その代金で新道を開削したらしい旨は記されています。新道が通れるようになったのがその年なのかはわからないのです。

ともあれその旧道、村道55番目の指定とされている柳沢線は、大部分が山道のままで、手倉越(仙北道)をのぞけば昔の人々の踏み跡がすぐ近くで偲べるところ。

源義家、義経、そして平泉藤原三代の礎を気づいた清衡、さらに高野長英、禁令の頃のキリシタン、戊辰戦争に関わった藩兵たち、蓑虫山人等々、この道を通った、あるいは通ったであろう人々の踏み跡にまつわる私のロマンはどんどんふくらみます。ここで、一服しただろう、ここの水で喉をうるおしただろう、義経主従はそのときどんな会話を交わしただろうなどと。

さて、話題は少し脇へとびます。その踏み跡近くの平たい峰一帯は、石のほとんどない赤土の厚い層です。そこは土が軟らかくて掘りやすいものですから、アナグマのつくった巣穴が集中して見られます。このことは毎年お伝えしていますが、アナグマは現在冬眠中のはず。ということは、厳冬の季節にも厚い雪に穴を通し土穴から出入りしている生きものの跡は、アナグマの穴を間借りしているムジナ(タヌキ)ということになります。

種の違う同士ながらアナグマの掘った見事な地下すみかの一部をタヌキが使わせてもらっているのはよくあること。今度、足跡を正確に観て、現在の穴の主を定めようと思います。

写真の集落はわが地元部落の遠景です。一番近くでほぼ集落全体を見渡せる場所でもあるので、毎冬一度はここに立ちます。

▼この日、家の玄関から向かいの山を眺めたら、雨天のなかで立ち止まったままのアオシシ(カモシカ)が目に入りました。600㍍ほど前方ですが、老眼のこちらも遠くへはまだ目が利きます。

双眼鏡でのぞいたら木の芽か常緑の草を食べている様子で、1時間近く同じ場所に立ったまま。はんすうなどのために長時間座って休むことはよくあるのですが、立ち姿で一点に長くとどまるのはめずらしいこと。きっと、よっぽどおいしい食べ物があったのでしょう。

穏やかな冬至前日

木々に一日前から着いた雪が落ちずにそのままのところへ夜中にうす~い新雪が重なり、朝から快晴、風もなし、気温およそマイナス10℃。きのうはめずらしい条件がそろった雪の村となりました。

久しぶりに早朝の除雪車出動もなく、オペレーターのみなさんもゆっくりの朝だったでしょうが、日中もその穏やかさが続いて、行き交う人々のあいさつも「え空で(よいお天気で)、ええな」でした。陽のあたる自宅のしごと部屋なら暖房もいらずで、こんなお天気は冬の間には数えるほどしかやってこないのが冬の村。

ちょこまかの所用を果たしついでに、そんなうれしくて明るい冬景色のいくつかをおさめとっておきました。こちらがよく通う県境や郡境の尾根もいい輝きを見せていました。こういう日に高見の尾根にのぼれたら、もっとわくわくするような景色を眺められ、冬の生きものたちとの出会いも楽しめたでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

▼盛況に終わった秋田でのねんりんピック。パークゴルフ競技がおこなわれた村でも、きのう締めの実行委員会がおこなわれ、現場責任、運営に尽力された方々の労をねぎらいあいました。

実行委員会の主な目的は、大会の円滑な運営をはかること。こういう催し事の世界は「円滑に終わってあたりまえ」というのが世の常識。大きなトラブルなく、全国から招いた方々に満足していただけたのは、事務局の尽力、そしてパークゴルフ協会のみなさんの奉仕活動、各団体・個人のご協力があったからです。皆さんごくろうさんでした。

母屋を初の雪下ろし

きのうは、今冬はじめて住宅母屋の雪下ろしへ。下屋は二度目の下ろしとなり屋根の上でびっしり半日過ごしました。我が家だけでなく、お隣も、そのお隣もみんな雪下ろしです。

 

ほんのわずかの間でしたが、久しぶりの青空をうれしく拝ませてもいただきました。雪国真冬の空は鉛色の雲にほとんど覆われ続けですから、お日様と青空はそれだけありがたいのです。

屋根のそばにはクリやケヤキがあり、そこには冬の小鳥たちがよくやってきます。きのうもシジュウカラの群れに混じってヤマガラらしい姿(写真)も観られ、動いている私たちのほんの近くで小枝の翔び移りを繰り返していました。

たった半日の屋根上労働ですが、記録の歩数は約9,000歩。正確な万歩計ではありませんが、溜めていた雪が重いこともあって、結構いい運動になりました。