数年に一度の強烈寒気

寒中なのに雪寄せなしの天気が一週間ほど続き、身も心もやや緩んでいたその直後に今度は「数年に一度」といわれる猛烈寒気の襲来、さすが寒中、朝のわが家も吹雪にまとわれブルブルです。

こういう時は、動かす雪の量を極力少なくし、2~3日待てば少しは寒さが緩むでしょうから、ジッとこらえるのが賢明でしょう。とくに流雪溝や水路などは雪が解けることができずの詰まりがおきますので用心が必要です。

村ではこの季節に奥深い山岳へ向かう方は少ないでしょうが、山の急斜面がある場所で工事や作業などをする方々は雪崩に要注意です。また毎年これもよびかけていますが、スノーモービルで深山に入る方々は、ワスへとくに警戒してほしいものです。

先日まで堅く締まっていた積雪の上に、いっきに大量の新雪が積もったときは、「ワス(表層雪崩)」発生の典型的な条件ができるからです。ワスは、予想を超える長い距離を猛スピードで下りますから、作業をしている場所の近場だけでなく、遠く延長線上にワスのする箇所がないか、注意をはらうことも必要です。

▼今日は、県南3ヵ町村議会の議長と事務局長の集いがあります。わが議会が今年の当番地で、活動計画などを決める予定です。

なんと美しい寒中のヤマドリ

きのう記した八卦沢の冬の景色をまず最初に。Kさんがつくり続ける農地もここだと1㍍50㌢近い積雪の下になっています。

大寒をはさむきのう朝まで一週間ほど、降雪がゼロだったりわずか数㌢だったりで、朝の雪寄せをしなくて済む日が続きました。

すでに積もっていた1㍍50㌢近い雪も、晴天や雨、放射冷却などで次第に締まり、春の堅雪渡りのように雪上をキャンジギ(カンジキ)なしで楽に歩ける日が幾日もありました。

そんな堅雪の上にふわりと3㌢ほどの新雪が降った22日の朝、曇り空ですが、生きものたちの足跡がよく見え、しかも樹木の枝に雪がほとんど着いていませんから雪上の足跡が午後になっても消えずに残っています。こういう日は、生きものたちを追跡するにはまたとない機会、ひと冬にほんの数えるほどしかこんな条件の日はやってきません。しかも、足が雪に沈まないめずらしい寒中の堅雪です。役場の所用を済ませてから「これは、またとない日、山行きだ」と急きょ決め食料をバタバタと詰め裏山へ2時間ほどむかいました。

カンジキなしでも歩けますが、時にズボッとぬかることもありますのでとりあえず履いて歩き開始。Kさんのたんぼがある沢をスタスタと登ります。

予想したように雪上は、イタチ、ノウサギ、キツネ、テン、リス、アオシシ(マッカとも言うカモシカのこと)、ヤマドリたちの足跡があちらにもこちらにもいっぱい。

沢の上流部にたどり着いたら、朝に杉林から出てきて沢に入ったヤマドリの足跡が目に入りました。沢の流れは所々が積雪でふさがれていて、穴のあいている箇所からヤマドリは入り、流れのたもとで青草や小石などをついばんでいるのでしょう。入った穴の箇所よりほかの穴には足跡が見えませんから、もし飛び去った後でないとすればヤマドリは足下の沢にまだいるはずです。

カメラを構え、息を止めて、穴の空いている沢の流れに足で雪を落としてみました。が、気配はありません。「やはり、朝の食事を終えて飛び去った後か」と思い、いま一度雪を蹴落とした瞬間、前方10㍍ほどに空いている別の穴から雪の上にひょいとヤマドリが頭を出しました。沢にできた雪のトンネルをくぐっての食事中、こちらに気づいたのです。

よく、ドドドーッの羽ばたき音で瞬間に飛ばなかったもの。これ幸いとまずはその頭にカメラをむけ、ありがたいことにすぐには飛ばずに今度は雪上に全身をみせて数歩走りはじめましたので、またシャッターを押し、最後の飛翔は、あまり早くてよくとらえることができませんでしたが、再生してみたらかろうじて羽をひろげた瞬間が一部写っていました。寒中、雪上のオスヤマドリ。狩猟時や、じっと隠れて待っていての生きもの撮影なら簡単な写しでしょうが、ただ歩いていてのこんなカメラ目線出会いはなかなかないのです。

沢田づくりが消える時代

村のほとんどで、各集落の前後には成瀬川に注ぐ支流の小沢があります。

食糧難、あるいはお米の価値が最も高かった昭和の時代には、これら沢沿いの、ネコの額のような土地までがたんぼとして大切に耕され続けました。

減反政策が長く続き、お米の価値が当時では考えられないほどに低下、一方では農機具や農薬、肥料をはじめ生産コストの増加、それにともなう作業委託料金の高止まりなどもあり、村の沢沿いたんぼはおそらくことごとくといってよいほど稲作には終止符がうたれています。

わが集落もそれは同じで、横手市山内三又との境界に接する荒沢、八卦沢、岩井沢は、かっていずれも水が豊富なために春の早苗田、秋には豊かな稲穂がみられた土地でしたが、今はたんぼとしての水稲作付けはどこにもみられません。集落南側の川向かいのたんぼも、やはり数年前までかろうじて耕作していた方たちがいずれも水稲作をやめ、黄金色の稲穂を今はのぞめません。

そのうち、八卦沢では、一昨年まで82歳になるKさん一人が長年がんばって稲作を続けてきましたが、昨年ついに作付けを断念。それでも、転作として野菜づくりには励んでいますから、たんぼはこのとおりとてもよく保たれ、沢の農地は、Kさんの流す汗のおかげで人と自然がつくる景観がみごとに維持されています。ありがたいものです。

荒れる沢田、黄金色の稲穂景観、お米のことをこうして時々記すのは、「豊かな食ができる農地をこんなにして、わが国は、これでよいのか」という思いが湧くからです。

飽食とか、ご飯を食べる人が減っているとか、全体としてお米の消費量が下がっているとかの現実はあるでしょう。が、一方には、度を過ぎた格差社会進行のなかで、国内でも三食に事欠く方、ご飯をおなかいっぱい食べられない方の姿が報道されることもあります。それを世界規模でみたなら、国内の比でない「飢餓」にある人々が8億人近くもいる現実もあります。

先週の大河ドラマ「西郷どん」は、俵詰めのお米をありがたく見つめる場面をみせ、また、西郷家が借金をしてお米を求め、家族で久しぶりにご飯を食べられるうれしさを演じました。大正、昭和と生きてこられた年輩のみなさんなら、自分の体験とドラマのこの瞬間を重ねて、「ご飯が食べられる喜び」を振り返った方もおられたのではないでしょうか。

たとえばお米が獲れるところでお米がつくられず、8億人もの飢える人々がいる。一方では膨大な世界の軍事費。「地球より重い」とさえいわれる人命にかかわる大きな課題を人類は諸々背負っていますが、その矛盾を惑星地球号の住人はいつ解決できるのでしょうか。

商工会の新春懇談会、大寒の堅雪

恒例の村商工会新春懇談会が19日に開催されました。

懇談会の一部では、プロバスケット秋田ノーザンハピネッツの元ヘッドコーチ長谷川誠氏が「プロ意識とプロマネージメント」と題して講演。長谷川氏は、能代工業高校時代、大学、社会人、そして米国、全日本、ノーザンハピネッツでと、学生、アマ、プロ時代のバスケットを通じた体験に触れながら、競技力向上とともに人間として大切なものは何かをとつとつと語りました。

 

懇談会は成瀬ダム振興事業協同組合とも共催。それもあって、この日は実質的に本体工事に入っている(ダム堤体部の掘削工事)と私たちはみている成瀬ダムについても、ダム工事事務所側から事業状況の説明をうける時間もとられました。

 

2部はいつものように懇親の席。会員のみなさんは、雇用確保、産業振興で大きな役割を果たされていて、なおかつ村の様々な分野の知恵袋として村勢発展のカナメ的存在の方々でもあります。それだけに、お一人お一人が個性あふれる論をもたれ、経営方針もそれだけに多様、進取の気概あふれる方々も多いですから、会話のなかでこちらはたくさんのことを学ばされ、今後の活動の参考になりました。

▼所用の途中に入道からながめた20日朝の鳥海山頂上と、寒中の陽射しにキラキラ光る
雪原です。

この日の雪原は数日間の降雪なしで雪がよく締まり、大人が歩いても雪に足が沈まないこれはほとんど堅雪状態。大寒の日に堅雪状態などというのはめずらしいことでしょう。天気も快晴、こんな日にブナの森の深山にむかえたら、きっといい景色が拝めたにちがいありません。

 

 

 

 

 

 

昨日朝まで久しく除雪なしの日が続きました。最も厳しい寒中に雪寄せしないで済む日々が続くのは予想外。今週に予測されている猛烈寒波は、西の地方や太平洋側にも雪を積もらせるとの予報ですが、そうだと、北日本の日本海側はいつものようにそれほどの雪とはならないのか、それともどっと積もるつもりなのか、いずれ警戒は怠れません。なにしろ大寒の最中ですから。

 

鬼首~鳴子トンネル化で冬の仙台行きが苦でない

所用で二日間、雪のない仙台に滞在していました。

雪道の高速道路は怖くてなるべく走りたくないこちら。これまでの仙台行きは山形東根経由が多かったのですが、国道108号の鬼首~鳴子がトンネル化で大幅に改良されていましたので、今回は秋ノ宮経由で往き来をしました。

二日間とも寒気が緩み道路も快適。こちらの暮らす県南のわが村は位置的には東北のヘソともいわれるいわば中心部。秋田の村といっても仙台までなら岩手県南や宮城の県北山間地方と距離的にはそんなに変わりませんから、北上経由などで遠回りせず古川から高速に入れば時間だけでなく距離的にも「遠い」という実感なく最短感覚で仙台に到着です。

これなら高速料金もほんの少しで済みます(私の軽ジープでたしか片道千円ほど)。あの道路改良では、トンネルの起工式、そして完成後の開通式と出席、国交省東北地方整備局への要望活動でも時々通っていましたが、こうして所用で通ってみて、道路改良のありがたさを、往きも帰りもあらためて思せられた仙台行きでした。途中には、一休み、買い物に手頃な道の駅もあります。

こちらは1㍍をこえる積雪でも、大崎地方の平野部から向こうは積雪ゼロ。ほぼ同じ緯度の地にありながら、奥羽の峰をひょいと越えただけでのこのちがい。冬半年間の雪の有る無し、あるいは雪の多寡、気流と山がつくるあまりにもちがいある景観には、いつものことながら自然の力の大きさをつくづく感じます。

山脈の壁は、冬場には雪をつくる壁であり続けるとともに、夏場は北から村へのオホーツク寒気の流れ込みを弱める壁となり、過去には福島原発事故の放射能気流が入りこむのを防いだ壁でもあったと思います。ブナの森の大山脈は、さまざまなかたちで人々のくらしになんとも大きな影響を及ぼしてくれているものです。

水利は雪国ぐらしのカナメ

積雪情報でお知らせしているように、例年、2㍍ほどの積雪を結果としてはみる村ですから、寒気本番の旧正月までにはおそらくその数値に達するでしょう。

雪のたまりやすい我が家近くは積雪1㍍50㌢近くに達していて、「もう、雪は十分だ」という量になっています。それだけに、ここ数日間のように朝の除雪作業なし天気が続いてくれれば気も体も一休みできて、あとひと月の寒波本番へ再備えの余裕ができます。

寒気の最中、積もる雪2㍍を毎年解かし続けてくれるのは、我が家ではエド(井戸、池)の水。屋根雪の半分ほどはこれで解かされ、さらにその水は道に流され消雪の役割も担います。

雪国の水利は、単純に「受益」の媒体としての農業用水路というだけでなく、その多くは夏期だけでなく、水道と同じで年中使われる欠くことのできない生活用水でもあるのです。

都会の子たちなどを雪上歩きへ案内

過ぎた日曜日、都会や近隣のまちから村にきていた中学生、それに村内の小中学生を含む子供たち6人とその家族を連れて雪上歩きのひとときを過ごしてもらいました。

歩きのきっかけは、村内のAさんから「村を訪れている子供たちをふくめ、子たちを雪の山で遊ばせたい、ついては案内を」とのご連絡をいただいていてのこと。

告げられていた週間予報は「荒れ空」で、「天気がひどくなければ」ということで快諾。幸いむかえた日曜日は、寒かったものの外歩きはだいじょうぶのお天気となりました。

雪の山行きといっても、小学3年生の子たちもいて、さらに子供たちはまだほとんどがキャンジギ(カンジキ)歩きの遠出経験がなく、しかも時間は2時間半ほどですから雪深いブナの森へはムリ。なので、里山のナラ林と、自宅前の河畔林で楽しんでいただきました。

この日は新雪がほとんど降っていませんでしたから比較的雪が締まり、雪道を歩く一列縦隊の後列ならカンジキなしでも歩けるほど。それでも、「まずは、体験」ということでカンジキを用意し履いてもらい、ナラ林ではタヌキの棲むいつもの穴がある森まで案内しました。たんぼわきの高台では成瀬川を一望。Aさんが持参してくれたあっついコーヒーをみんなでいただきひとやすみ。Aさんの山歩きではコーヒー持参が常で、私にとってはこれがひとつの楽しみ。寒いところでの「野外カフェ」の熱い味はほんとにおいしいもの。

河畔林では、手づくり簡易ブランコやソリ乗り、そしてノゼリ摘み体験も少しの間していただきました。子供たちの歓声、笑顔のなかで私も過ごせましたから、こちらが「どうもありがとう」とお礼をいいたくなった休日のひとときでした。子供たちに喜んでもらえるというのはとってもありがたくうれしいものです。

この日の午後は、水の出の調子が悪くなっている自家用水道の見回りにも出かけました。往き来には、ノウサギや森の翁のようなカモシカともご対面。ただし、ノウサギはこちらの発見が遅く、カメラを向けることができたのは走り跳ぶウサギが立木のカゲにかくれたためほんの後ろ足部分だけ。ゆっくり動き(逃げる時はすばやいですが)のカモシカやクマと違い、ノウサギやヤマドリなどの鳥たちは、シャッターチャンスがなかなかめぐってこないものです。ノウサギの写真は後ろ足部分だけですから、見えない前半分と顔は想像におまかせいたします。

西に大雪予報だと村は比較的穏やか

週間予報では、過ぎた週末から休日にかけ大雪が告げられていました。でも、「西の地方や太平洋側でも大雪や積雪」という予報を聞き、雪国に暮らす長年のカンから「西と太平洋側に雪と予報された時は、村は案外雪は降らない」ということを私たちは覚っています。気圧が同じ西高東低でも、等圧線がいつもの縦ならびとはちがいやや横ならびになり、東北方面のその間隔が広くなった時は、大気の流れがそういう雪空をつくるしくみになっているのでしょうか。

そして、過ごしたこの数日、やはり「これは、もうけ空」といえるほどに、予報に反して降雪は少なく、時折の青空もみえるほどに比較的穏やかな日々を過ごすことができました。
ジュネス栗駒スキー場での子供たちのスキー教室も、思わぬ晴天のおかげで思い出にのこる楽しい日々となったようです。

13日の交通指導隊、防犯指導隊合同の初出式も、寒気はきつかったものの、めずらしく吹雪のない天気の下での式事となりました。

ただし、12日朝の今冬最低気温のマイナス14℃もふくめ、放射冷却もあって寒気は厳しく、水道の凍結も盆地の県南では続発したようです。我が家でも、これはめずらしく12日の日中に水道管が一時少し凍結、お湯でさっと解凍という出来事も。

北海道とちがい、わが村で-14℃は年間を通じて最も低いクラスの気温。こういう朝には、気体、固体、液体の様々な顔をもつ水と凍てつく寒さがつくる様々な造形の自然現象がみられるとき。玄関のガラス戸、水が流れる脇の苔の上、そして池などに、寒気がつくる紋様やかたちの妙が視られました。川面には蒸気が立ち、寒くて晴天だからからこそ映える景色も目にはいりました。


心に響くしごとぶり

朝に雪寄せをしていたら、いつもなら雪に覆われている地面がすべて露出している箇所があります。「あれっ、おかしいな」とそこの土を少し踏んだら水がジワっと滲んできます。

そこは水道管が通っているところですから、おそらく管から水が漏れているのだろう、そう判断して土を掘り管をだしたら、やっぱり、管の継ぎ目が裂けてそこから水が噴き出しています。破損に及ぶような何かの圧力が管にかかっていたためのようです。

早速水道屋さんに連絡し補修してもらいましたが、農機具が壊れたときに我が家にかけつけてくれる笑顔でテキパキ仕事の農機具屋の若い従業員さんと同じで、ここの水道屋の従業員さんもすばやくかけつけてくれて、やっぱり笑顔で機敏に補修していただきました。

業者さんや、そこにはたらく方々はあたりまえの仕事をしたということでしょうが、テキパキと、にこにこと、こちらの心配にこたえながら仕事をする姿をみて、「仕事には、こういう姿勢が大事なんだ」とつくづく思わせられました。

「同じ仕事をしていても、笑顔で機敏、お客さんに喜ばれる仕事ぶり、相手にありがたいと思われる対応ぶり」こういう姿勢は、民間の業者さんのみならず、公務に携わるわれわれもよくよく心がけなければならないことです。思わぬ水道のトラブルを通じ、水道屋さんや従業員の方から、人の心に響くしごとのあり方を学ばされたところです。もうひとつ学んだことは、たとえ少量の水、それがたとえ湧水でなくても、「雪を解かす水の力は極めて大きい」ということ。雪と水利は集落のいまの暮らしでは欠かせぬ条件といえます。

▼水道のトラブルにとってやっかいなのは、凍結破損もふくめそれが雪の季節の冬に多いことです。土の上にはすでに1㍍50㌢もの厚い雪がありますから、作業の方々の苦労も雪の少ない地方の比ではないことがわかります。

ところで雪といえば、雪下ろしや車のスリップ事故などもふくめ雪国の各地でいたましい事故が今年も続発しています。

きのう、臨時の「保育士」をひとときつとめることになり、童を連れて道路脇の歩道にむかったら、かなり高くなった雪の壁が一箇所崩れています。このような現象にともなう事故を防ぐためでしょう、昔とちがい今はかなりていねいに歩道雪壁の除雪も行われるようになっています。これらの壁もまもなく除雪される予定でしょう。こちらは、「まさか、その程度の雪壁で、危険はないだろう」程度にこれまでは甘くみていましたが、実際に崩れた場面を目にしたら、小さな子供や高齢の方だとこれはやはり少し「危ない」です。

村にはすでに雪害警戒部が設置されています。寒中の底雪崩も急斜面の一部でみられ、山では表層雪崩もおきているでしょう。屋根雪対応もふくめ、雪の怖さへの油断なきよう備えをしっかりしましょう。雪で気がかりなことがあったら、とにかく部落か役場へ一報を。

タヌキの、はてな?

部落の家々をのぞめるたんぼわきの高台にあがったついでに、この日もまた、生きものの冬ごもり穴に近づいてみました。

予想したように、穴のそばには生きものが出入りした足跡が深い雪のなかにありますが、どうもその跡が今回はおかしいのです。

そばにある杉の木の枝葉を折ったり、皮をむいたりして、その葉っぱと皮を穴に運んだらしく、穴にむかう雪の上の窪みは、咥えひきずられた枝葉で足跡が消されています。

 

この様子を目にしたこちらは「あれ、なんで、今時、杉の葉っぱや皮を穴にひきずりこんだのだろう?」と不思議に思いました。

いまこの穴に出入りしているのはムジナ(タヌキ)と、足跡を確認してわかりました。穴の出入り口は今は二つ、雪がとければ5つ以上はあります。おそらく、穴を掘ったアナグマ(こちらは冬眠中)と地中で棲み分けしているのでしょうが、地下のなかみはよくわかりません。アナグマのつくった住宅をタヌキが借りていることは確かで、もしかしたら穴の掘り主はもう別に越してしまい、「ひさし(母屋)を貸して母屋をとられた」類いになっているのかもしれません。

繰り返しますが、それにしても、何の目的があって今どき杉の葉っぱや皮を穴に運んだのか、これはわかりません。穴は土中に幾筋も掘り巡らされ、しかも2㍍近い厚い積雪で寒気はすべて遮断されていて冬は温かいはず。暖房目的は考えられませんから、こちらに想像されるのは、寝床のいごこちをよくするためぐらいのことにしか思案がおよびません。

「死んだふり」をするタヌキの生態は何度も直にみています。が、寒中に杉の葉と皮を穴に運ぶタヌキの不思議を目にしたのははじめてのこと。童謡の証誠寺のたぬきばやし、昔語りの分福茶釜に登場するタヌキのように、タヌキとは、なんとも不思議で、愉快で、私をゆったりした心にさせてくれる生きものです。

帰路、タヌキが雪上に残した彫りの深い跡を思い、また先日みた核兵器の報道番組を振り返り、たんぼの雪原をキャンジギ(カンジキ)で踏み、平和の字を記してみました。芸術性すぐれた方なら、たんぼアートならぬ見事な雪原絵画や雪原書道が描けるかもしれませんね。