「医者いらず」、「十薬」の薬草採り

真夏日の下、きのうから薪割り作業をはじめました。

マサカリを振り下ろしての割り作業は昨年から止め、薪割り機械を使っての作業に切り替えたので以前のような難儀はなく、仕事はどんどん進みます。

昨年も同じようなことをつぶやいたと思いますが、10数年前に機械を購入していながら「薪を割るぐらい、まだまだマサカリでだいじょうぶ」などと、強がりをみせて機械を動かしていなかったことを今は悔いています。「こんなに楽なら、もっと早くに使っておけばよかった」と。

今使っている機械はエンジン型式。これは身内を通じてリンゴ農家の方からいただいたもので、購入してあったもう一台の電動式薪割り機械は倉庫でお休み。自宅から離れた場所での作業はエンジン型式で、自宅近くは電源があるから電動型式でという使い分けです。

エンジンの方は力がありますから、「これは無理だろう」と思う難材でもたやすく割ってくれます。小さなエンジンでも油圧の大力にはたまげています。

薪割りでは、カミキリムシやクワガタの仲間でしょうか幼虫たちとのご対面がしょっちゅうあります。同じ木虫の幼虫でももう少し小さいのはガキの頃ならよくあぶって食べたものですが、これだけ大きいのは食べたことがありません。国内や世界各国になら、栄養価の高い貴重な食材として利用されているところがあるかも。

 

 

 

 

 

作業する道ばたにはクマイチゴの仲間が熟れ初め、桑の実などとともに夏の自然の味覚を遊び半分に楽しんでいます。モヂイヂゴ(餅いちご・エビカライチゴ)が熟れるのはまだまだ先、子どもたちが夏休みに入る頃のようです。

 

 

 

 

季節はまもなく夏土用。妻は今年初めて「ドグダミ(ドクダミ)ど、ヨガノハシ(ゲンノショウコ)干して、飲む」とめずらしいことを言い始め、畑にいっぱいのその雑草2種を抜き取っています。

二つの野草とも昔から「医者いらず」、「十薬」、万病に効く(予防か?)とされ、毎日飲んでいい薬草。ガイド本などで2種に含まれる成分をみても、ほんとにすばらしい薬草ということがよくわかります。それがあたり一面にあるのですから、これまで利用してこなかったのがむしろ不思議といってよいのかもしれません。

これまで薬草には興味をしめさなかった妻が薬草に手をかける、何か思案するところがあってのことでしょう。

西日本豪雨災害の日、草刈り共同作業

過ぎた週末から休日は、定期の所用を果たしながら村内をまわったり、この後の行事や活動のための書き物準備をしたり、買いだめしていた本を読んだりで過ごしました。

たんぼの水をすべて落とす中干しを行っていますので、朝早くの田んぼ見回り時間はとらなくてよくなっています。でも、夜明けが早いので夜11時前後の就寝でも朝4時を過ぎる頃には目が覚めてしまいます。若い頃の朝は1分でも遅くまで眠りたいものでしたが、65歳を過ぎたら目覚めが早く「これも、年のせいか?」などと思ってしまいます。

昨日の朝は、早朝5時から部落の草刈り共同作業に出ました。これは集落内の山林を通る林道や、はりめぐらされた作業道沿いの草刈り(柴木もありますから下刈りかな)で、全員の義務作業ではなく6割ほどかな?の世帯からの出役による作業です。

せっかく公費を投入してつくった林道や作業道も数年そのままにしておけば草だけでなく木も生え出し、たちまちのうちに車の通行ができなくなります。「いったん荒らせば、復元にはまた多額のお金がかかる」という自主的判断でよびかけられ、維持作業がはじめられたものです。この作業には、村でも一定額の予算を置いています。

集落内には、維持される農地があるのでかろうじてそれらの農家によってまもられている農道や作業道があります。そうした道も、その農家が作物の耕作を止めれば、やはり今回のように山林に入る道を何らかの共同作業で草刈り維持しなければならなくなるでしょう。集落にある山に入る道は、単に農地や山をもつ狭い範囲の「受益者の道」というだけでなく、広くは「集落全体の人々のくらしをまもる道」でもあるからです。
▼刈り払い作業の道脇にはミモジイチゴが真っ盛りでした。

 

 

 

▼稀にみる梅雨前線の長時間停滞で西日本への豪雨被害が深刻です。山と崖沿いの地や、旧来型の工法による堤防をかかえている土地では、全国どこでも同じような土砂、崖崩れ災害や浸水のおそれがあるでしょうから、わがことのように報道を見つめています。被災されたみなさんへのお見舞い、亡くなられた人々のご冥福をお祈りするとともに、行方がわからない方々の一刻も早い救出・発見を願います。

同じ山間や山沿いの土地でも、豪雪の地方とそうでない土地では集落や家屋の立地がちがいます。雪の少ない西日本や列島の太平洋側では、急斜面の山肌そのものに、あるいはその直下に家屋や集落が多くあります。雪がないからそうした集落構造が成り立つのでしょう。雪とのたたかいがある地方ではそういう家屋や集落は比較的少なく、私たち素人の目でも「こういうところに、もし特別警報クラスの大雨があったら、土砂・崖崩れが怖い」と不安を覚える土地が、こちらが西日本を訪れた範囲だけでもそれこそ無数にありました。

ただ、雪国のわが村でも急傾斜、土砂、崖崩れ災害の危険箇所を背後にかかえた集落はあります。「大雨警報が出たら、すばやく避難」これが命をまもる先決、鉄則でしょう。

エネルギー地産地消と小規模人口下の自治視察

3~5日と村議会常任委員会の視察研修に同行し、山梨の甲府地方に滞在しました。

この時期、昨年も台風3号の来襲直前で四国地方を訪れ、早明浦ダム下流の河川が洪水状態のなかでの視察でした。今年もほぼ同じで、台風7号(途中から温帯低気圧)が日本海を北上するなか、西日本や東海、甲信越地方に大雨などの予報が出されるなかでの山梨滞在となりました。

幸い、訪れた北杜市も早川町も大雨はなく、予定通りの日程で視察の目的を果たすことができました。

北杜市では、農業用水路を活用した小水力発電事業のとりくみを、早川町では、人口減少社会における行政運営についてを学んできました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

視察では、おかれた条件を活かしての再生可能エネルギー地産地消への探究と実現、狭隘な山間部で地方自治の本旨を大切にして「町」を維持発展させようとする意欲あふれる姿勢などを学ぶことができました。今の社会、一定の情報はインターネットで知ることができますが、現地での見聞はより深く物事の全体をとらえることができます。「百聞は一見に如かず」やはり自分の目で見、感じとることが大事です。視察を通じての所管は後に記すことにします。

お忙しいなか、ていねいなご説明をしていただいた北斗市役所生活環境部と三峰川電力(株)のみなさん、早川町役場の副町長、教育長、総務課のみなさん、そしてこの視察のために対応ご協力いただいた各議会事務局のみなさんにあらためてお礼を申し上げます。

ミズの季節です

ミズのもっともおいしい季節がやってきました。

 

 

 

 

 

 

ミズといっても、水ではなくそれは山菜のミズ(ウワバミソウ)のこと。豪雪の村でも、タケノコのシーズンはごく一部をのぞいて6月いっぱいで終わり。山里でこれから楽しめるのはミズ、そしてホギ(フキ)。栽培のワラビも少しずつならまだしばらくの間食卓にあがり続けます。

とろりと粘るミズは、これからの我が家では欠かせぬ食材。もちろん、山菜の少なくなった直売所でもミズはこれからの顔役。皮をむいて、味噌汁に、鍋物に、漬け物に、そして好みの方はミズたたきにと、多くの料理につかわれます。

農薬も化成肥料もゼロで、こんなにすばらしい山菜たちが育つ山里。安全な食べ物を毎日ただ(無料)で食べられるくらしは、やはり幸せという範疇に入るのでしょうね。

たんぼでボンアゲヅ羽化はじまる

植え付け時の除草剤散布では効きめがなくはびこる水田雑草クログワイ(写真)。このやっかいな草の抜き取り作業にきのうは妻と二人一日を費やしました。

 

この除草仕事は毎年のこと。田んぼの中干し(いったん水を抜いて干すこと。土用干しなどともいう)がまもなくはじまりますし、今日から三日間は議会の研修視察で山梨にむかいますので、それ前にやっておかねばと、37℃の猛烈な暑さに背中を熱せられながらも予定した圃場の除草をひとまず終えました。

作業をしていたら、足下にボンアゲヅ(アカネトンボ)がいて、弱々しい体で少し飛んでは稲株に止まりました。いまたんぼで羽化したばかりのようで、数匹が見られます。たんぼにはオタマジャクシもいっぱいで、草をつかめば、たまにオタマジャクシも手の中に入るほど。それにミズカマキリも見られます。

 

 

 

 

とんぼの羽化が始まっていますので、水を抜くのはそれが終わってからにしようかなと思います。

共同作業。官房長官を囲む会

土曜と日曜は、二朝続けて早朝5時から草刈りの共同作業へ。一つは田んぼ用水路組合の水路沿線の草刈り、もう一つは部落全体の共同作業で、国道沿いや幹線用水路、公園などの草刈りです。

国道沿いの草刈りは、この日曜に村内のほぼ全集落で行われたでしょうから、久しぶりに通りは見通しもよくきれいになりました。

休日は、学童スポーツの合間におとずれた童と久しぶりに近くの小川へ。ヤマメがたくさん泳いでいるいつもの小さな淵に入って戯れましたが、ヤマメは水深1メートル50㌢近い渕の大きな石の下にみんな隠れてしまい、網に入ったのはカジカ4匹だけ。それでも運動で汗をかいていた童は、「冷たぁ~い」と言いながら淵で泳ぎ気持ちよさそう。

山の畑そばにはクワの実が熟れ時。「熟しておいしいのは赤い実?それとも黒い方の実?」などと、昔の我々ガキどもには考えられないような言葉なども童からは飛びだします。二人でふざけ合いながら黒い実をもぎ取って渡すと、「甘いね」といいながら童は口にしていました。

畑ではほったらかしにしていたトチオトメイチゴも熟し、農道沿いにはモミジイチゴもおいしく熟れています。今年のモミジイチゴはやや実の着きが少ない感じです。

 

 

 

 

 

 

 

 

30日には、こちらが若い頃1年間の泊まり込み農業研修でお世話になった相模原のSさん宅からおいしいトウモロコシとカボチャが届きました。こちらより一回りご年輩のSさんは奥さんと共に現役の農園経営者です。相模野の台地で育った野菜を贈っていただく度に、Sさんご夫妻のはたらくお姿と、むこうで過ごした20歳の頃を思い浮かべます。

▼きのうの昼は、菅官房長官を囲む会が湯沢のホテルで開かれ出席。村の独自要望もふくめ毎回の中央要望活動でお世話になっており、お礼を込めながら昼食(立食)のひとときを過ごさせていただきました。

仙台、都内で要望活動

27日~28日、県南の市町村を主にして組織されている(一部秋田市や岩手県北上市、西和賀町、それに県南の土地改良区団体も含む)成瀬ダムや雄物川の河川改修、道路など、水と道路に関係する6つの同盟会合同の要望活動が、国交省東北地方整備局と衆参両院議員会館、自民党本部、国交省、財務省にむけて行われました。

 

 

 

 

要望初日には、県内にも大雨への警報がだされるなどで、行動が予定通りできるかも危ぶまれました。なにしろ、要望そのものが物語るように洪水被害の多発する雄物川沿いの大仙市をはじめ県南の市町村長(一部代理)、議長がすべて上京しているわけですから、雨の降りようによっては「行動のすばやい切り替え決断も必要」が念頭にあったからです。

27日午後、都内での活動中も、「雨なんとだ。何かあったらとにかく一報を、メールを」などの旨で、首長さんをはじめ一同は、地元の市町村職員や家族としょっちゅう連絡をとり合うことに。

結果として、新幹線や空の便などに一定の影響はありましたが、予想より雨も少なく大きな被害もなくて、28日の行動は「まずは一安心」の胸中で行うことができました。

さて、都内。延長された国会は27日が党首討論の当日ともなっていて、要望の際にはそれに触れられた感想言葉も議員さんからだされたりもしました。

 

 

 

 

 

今回は、県選出の金田代議士が自民党の副幹事長職に就かれているということもあってでしょう、自民党本部へも要望にうかがいました。今回に限らず様々な要望活動では与党でもある自民党本部へむかうことはよくあることですが、この日は要望行動の一行のほとんどが「入るのははじめて」という総裁応接室で金田氏と、今回の行動でご難儀をおかけした御法川代議士の両氏へ要望書が渡されました。

総裁応接室には、歴代総裁の肖像が掲示されています。それらを目にして私は、白黒写真の人々をめぐる、あるいはそれらの人々をもふくめた国政をさかのぼる与野党の政治史と権力闘争の歴史、それぞれの総裁(お二人を除いては首相でもある)が語られた時々の言葉と各氏の見識と度量のちがいなどに思いをめぐらせました。総裁応接室は、歴史の重みを感じさせてくれる貴重な一室です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今回の要望活動では、うかがう先方から「人数の多い要望団ですね」と少し驚かれたことも。その大人数の一同が蒸し暑い一日、約9000歩近くの動きでやや疲れた足を全員ゆっくり座って休めるほどに広い総裁応接室は、この日の私にとってほどよい休憩の一室ともなりました。

今回の行動では、いつものようにみのり川代議士と事務所のみなさんに手配やご案内で大変お世話になりました。あらためてお礼を申し上げる次第です。

小さな生きものたち

風雪害や腐食で役立たなくなったりんごの木を薪用として身内からいただいていて、それもふくめた今年の薪切り作業をきのうようやく終えました。この後にはそれらを割る作業が待っています。

 

 

 

この間たんぼの畦で見かけたカエルのたまごが入っている泡です。おそらくこの泡の主は青ガエル(生きもの大好きの孫は、シュレーゲル青ガエルだといいます)でしょう。青ガエルの仲間はよくこういう泡の中に卵が産み付けられています。モリアオガエルも、垂れ下がった木の枝にちょうどこんな泡をつくり卵を包んでいる頃かな。

私たちのまわりでは、命をつなごうとする生きものたちの動きがとても活発な季節をむかえています。すでに野の鳥たちの巣立ちも次々とはじまっていますが、地面では小さな蟻たちが巣へ食べ物を運ぼうとする共同作業がよく目につきます。

自分の何倍もある大きな獲物を遠くから時間をかけて動かしている蟻たちの姿。力の小さなもの同士が、その微力を足し合わせてひとつの目的を成し遂げようとする姿には、それが蟻たちに本来備わっている本能とはわかっていても、どこか感銘をうけるものがあります。「彼らも力をあわせてがんばっている。オレもそのようにがんばらねばな」と。

 

▼今日と明日は、道路、ダム、治水などに関わる県南6つの団体合同による要望活動が行われます。仙台の国交省東北地方整備局、衆参両議員会館、国交省、財務省などを訪れる予定です。

6月下旬は落ち着きの季節

昨日で田植えからひと月を過ぎた我が家のたんぼです。一部圃場の成長はまだかなり遅れていますが、ほかは持ち直してきたようで、これならばなんとか平年並みに育ってくれるだろうかとまずはホッとしているところです。

 早苗から成長した稲も一人前の株に近づいてきた6月下旬は、全体としてたんぼの緑が増してきて田園は落ち着いた景色となってきます。主にたんぼ仕事だけの農家にとっては、これからしばらくの間は集中した作業がないので、くらしの面でも落ち着いた気分となれるのが6月下旬です。むかしの今なら、草取りや養蚕のしごとで落ち着きの6月下旬どころか、最もきつい仕事が続く日々だったでしょうが。

平場の果樹地帯ではサクランボの主力品種「サトウニシキ」の収穫が真っ盛り。きのう身内から大粒のおいしい実をいただき、「美味い、美味い」とつい食べ過ぎてしまうほどごちそうになっています。

▼きのうは、切り残していた薪用のりんごの木の切断作業を続行。この間、チェンンソーのエンジンをうならしていての作業中、空洞となっていた材のまわりにスズメバチが10匹ほど飛んでいて、なかなかそこから離れません。

「おかしいな?」と思いながらも不気味ですので殺虫剤で退治しようと思いましたが、飛んでばかりで止まりませんからスプレーの噴射も思うようにいかず。それでも、一匹、二匹とスプレーが少し体にかかったらしく次第にハチの数は減りました。

そうしているうちに、それらの蜂より3倍ほどはあるかと見える大きなハチが木の洞の中からいきなり飛びだし、体を重そうにしながら近くのやぶの中に消えました。それは女王蜂だったのです。洞となっている木をひっくりかえしてみたら、小さな作り始めの新しい巣が洞にあり、幾匹かのハチが中にいます。

殺虫剤を噴射したので女王蜂は危険を察知して逃げ出したのでした。飛んでいた蜂たちは巣をまもる役目の蜂たちだったでしょうが、夏から秋の蜂たちよりも攻撃的ではありませんでした。あれがいつもの攻撃的な蜂でしたら、こちらは何匹もの毒針でめった刺しにされてしまうところでした。自然界、何の危険がまちうけているかわかりません。用心用心です。

仙北道のうち、初体験コースを歩く

きのう6月24日、仙北街道のうちのアドレ坂から下嵐江(おろせ・おろへ)間をはじめて歩きました。

この歩きは、村公民館と村仙北道を考える会の主催で行われた歴史の道「仙北道を歩こう」のよびかけで長年行われてきた一連の行事のひとつです。

今回のコースは、奥州市胆沢側の本来の仙北街道(旧仙台藩側)の一部です。アドレ坂から下嵐江までのその約6㌔の間は、仙北道の普段歩く行事メイン区間12㌔のコースでは歩けない行程です。秋田側も、岩手側も、12㌔コースの古道とは分けて、災害時をのぞきほぼ隔年でいわば両端となる古道も歩かれてきたようです。

こちらは、今回のコース周囲の北側山麓、つまり胆沢川の本流側クチナシ沢などからは何十年もの間、古道手前までキノコ採りや写真撮影で入山していますが、その地点区間の古道歩きの体験はなく「今年こそは」と思っていてのきのうの行事参加でした。

きのう歩いてみて、地図上で予想していた箇所に実際の古道がまちがいなく通っていることを、山の全体像からほぼ知ることができました。今度機会があって、今回のような前川筋ではなく胆沢川の本流筋からクチナシ沢などを経て入山したときは、これまでより足を延ばして尾根まで進み古道にたどりつくまで上がってみようと思いました。ただし、それは、野生キノコへの放射能汚染の安全宣言がされ「ここのキノコもだいじょうぶですよ」とされてからのことです。果たしてそれは何年先になるのでしょうか。

今回のコースは、大寒沢林道終点まで車で上がるのであれば、きのうのように散策気分で歩けるまことに軽快な道です。それでいて、古道核心部の広大なブナの原生林ほどではありませんが、ブナをはじめとする素敵な原生林の中をいっぱい歩くこともできて、楽な割には魅力の深いコースでもあります。こちらが数年前までキノコ採りと写真撮影に入った魅力あふれる林と連なりの山でしたから、「なるほど、やっぱり、道はここにあったのか」と一人合点しながらきのうは歩きました。

今回は、遠く気仙沼市からや秋田市もふくめ21人のご参加。奥州市や胆沢地方のみなさんからもご参加やお世話をしていただきました。先立ちとなって「歩こう」会(後の懇親会も)を計画された村教育委員会や会の方々も含め、みなさんご苦労様でした。ご難儀をおかけしました。

時間はすべて「およそ」ですが、6時30に集合場所のゆるるんをバスで出発。歩き開始8時10分。ちょっとした登りの連続から一部残雪も歩いてアドレ坂に8時40分着。時にタケノコを手に楽しまれる方も。ドウダン(サラサドウダン)やオゲッコツツジ(ウラジロヨウラク)などを愛でながら、道に倒れた大木の下をくぐったり、越えたりして小胡桃山着10時3分。

クマがホンノギ(ホウノキ)の皮を剥ぎ生々しい爪跡を見せるそばを通り、造林されたままのカラマツ林が目に入る中を進み、御清水場すぐ手前の見ほれるようなブナたちの根元で休憩が10時50分。記念写真を撮り、軽い食事をし、快適なお天気の下、寝転がる方もおられたりするほどに一同ゆっくりと休み11時45分に出発。そこから4分ほどで御清水場の標碑に着。

 

 

 

 

 

 

 

そこから先、登山道の主に南側には一部造林杉の林も混じります。道はその杉林を東方向にほぼ尾根に沿い8分目ほどの位置でしょうか進みます。その後にもやはり広く続く変化のあるブナの林を楽しみながら尾根の8分目ほどを歩きます。時には尾根に出たり、尾根をはさんで前川方面や胆沢川方面に出たり入ったりしながら西宮大神宮の碑などとならんで立つ野頭の標碑着2時13分。やがて右手に胆沢ダムの湛水がちらほらと視野にはいる中を進み、終着点の下嵐江には2時30分という歩きでした。晴天ながら暑くも寒くもなく、何よりもお天気に恵まれた快適な歩きでした。

植物や昆虫などに詳しい村外の方々が幾人かおられ、新しいことを知ることができて楽しい歩きでもありました。

最後の写真は帰りのバスからながめた猿岩です。ここらダム周囲は、いまから40年ほど前から私も妻も「ヤマボウシがとっても多く美しいところ」とながめてきた山。猿岩に咲くヤマボウシの花々は今が満開、とっても素敵な景色がながめられました。

帰ったら妻から「あらぁ、肌着シャツ、前後ろ逆だ」の声。なんだかおかしいとは思ったものの朝からそのままで通していたのですが、山歩き専用の肌着を反対に着て歩いた一日で、こんなこともめずらしいことです。