珍種のチョレイマイタケ

キノコの仲間のうちでもめったにお目にかかれないチョレイマイタケを、このあいだ初めて口にする機会がありました。つまり試食です。

去る10日、村内の山にわらび採りに入ったある村外の名前もわからない方が「こんなキノコがあった」と直売所に持ち込みそのまま置いていったそうです。この話題のはじまりはそこから。

ご本人も、直売所のどなたもそのキノコは、見たことも、もちろん食べたこともないキノコですから、その場面はとりあえず「ほほう、めずらしいキノコもあるもんだ」程度で終わったのでしょう。

その後、こちらなら「そのキノコのことがもしかしたらわかるだろうか?」ということででしょうか、我が家にそのキノコは持ち込まれました。

早速、こちらは蔵書のあらゆる図鑑やきのこガイドブックを開いてそのキノコとにらめっこ。しばらくの時間を要して、発生時期、発生環境、キノコの色かたち、姿から「これは、チョレイマイタケだろう?」と99㌫ほどの確かさで素人判断をしました。

判断だけでは物足りず、「この機会に食べてみれば、食べられるか、毒か、不食かわかるはず」と、こういうことではいつもためらいがちの妻に、無理矢理たのんでお吸い物をつくってもらい試食を決行してみました。

キノコの世界は奥深いですから、研究者でもない限り「食べたことのないキノコは、食べない」が一般人の鉄則。そういうこともあって、いかにも食べられそうですが、まずは用心にと、ほんの一箸を口にしましたが、それほど特徴のある味覚はなく、だいじょうぶそうだったので、とりあえず少々をいただきその日はそこで止めに。

翌日になって、内臓にも頭にもなんの変調もなく「これは、まちがいなくチョレイマイタケ」と、こんどは安心の気持ちでゆっくりといただきました。ただ、ガイド本に記されているほどおいしいキノコではなく、やや甘みはあるもののそれほど出汁もなく、マイタケに比べれば味は数段格下。味覚への反応というものは人によってあまりにも多様ですからいちがいに決めつけはできませんが、私にとってはごくありふれた味のキノコでした。漢方薬としては珍重されるきのこのようです。

思わぬチョレイマイタケとの出会い。こちらにとって勉強になったことがいちばんうれしいことで、村内では6月10日には成長したかたちのそれが発生しているということを知りました。採取されたどこかのどなたさんかは、「まだ、ほかにもあった」といわれていたそうですから、採ってきて食べてみてほしいものです。「毒見」をした本人が証明します。食べられるキノコであることはまちがいありません。

6月議会終わる

村議会6月定例会議は、きのうの本会議ですべての日程を終え、休会となりました。

提出された議案は、平成30年度一般会計補正予算案をのぞきすべて原案どおり可決されました。

平成30年度一般会計補正予算案は、一部助成金について削除の修正案が予算特別委員会に提出され、委員会は賛成多数でこの修正案を可決、本会議でも同じように委員会修正案は賛成多数で可決されました。可決された修正案部分をのぞいた原案も賛成多数で可決となりました。

議会事務局提供
議会事務局提供

議会はいったん散会となりましたが、これからは常任委員会の活動をはじめ、広報対策特別委員会と議員全体の全県研修会などが予定されています。

▼17日に須川高原地区で発生したタケノコ採り遭難は、捜索隊が出動した翌日の18日午前、ヘリコプターからの捜索により早期に無事発見救助された模様です。

遭難者は予想したようにやはり山形の男性の方二人ということで、入山箇所は例年遭難事例が多発する湯尻沢山域でのことだったようです。とにかく無事発見されてよかったです。

雪解けのおそい箇所をのぞけば、タケノコ採りはこの週末休日でほぼ終わりでしょう。役場も、警察も、消防も、捜索隊も、その分野ではやっと一息つけるでしょう。

一般質問、水稲苗の発芽不良など質される

村議会6月定例会議の一般質問がきのうおこなわれました。

質問に立ったのは、佐々木悦男議員、佐々木正利議員、佐々木修議員の3氏。

3議員は、成瀬ダム事業の本体工事着工にともない増加すると見込まれる車両に関わる交通安全対策や、春以来大きな課題とされていた水稲苗の発芽不良問題、国道397号の県境までの冬季閉鎖早期解除などを質問。そのほかもふくめ多方面にわたる議論が交わされました。

発芽不良の件については、2議員が諸々の視点、角度から質問しました。

常任委員会で審査され採択とされていた陳情3件は本会議でも可決され、午後は予算特別委員会が開かれ補正予算案が審査されました。

▼田植え(5月24日~25日)から一月近くたち、なんとか成長への勢いがつきはじめたたんぼの苗たちです。発芽不良のために、あっせん手配されたのでしょう、各地から集められたそのいわば「代替苗」は、わが家の場合は当初から根張りも極端に悪く、高冷地の環境下では「負けた」らしく、圃場の一部(2枚目の写真)ではまだ本来の緑と勢いになれない苗株も目につきます。

この間、そこへ少しの追肥を試みましたが、いまのところ所々にみられる勢いの弱い苗株は回復しそうにはありません。

無念の別れ

鈴木湯沢市長の奥様の葬儀がきのうおこなわれ会葬の席にならびました。

公務のうえでは、湯沢市長が湯沢雄勝広域市町村圏組合の管理者であり、こちらはその組合議会の副議長という関係にありますが、鈴木ご夫妻とは、若い頃に鈴木氏とわたしが横手の同じ事務所でしごとをしたという縁などもあって、現在の公務とは別に20歳代の頃からの長いおつきあいがありました。

それだけに、「洋子さん」と私らが親しく呼んでいたそのお方が、あまりにも早く67歳で生涯を閉じられたという報には、葬儀を過ぎてもまだ信じられずの心境がつづいております。

「洋子さんは心のひろい方」という旨を友人代表の方が弔辞で述べられましたが、そのとおりの方でありました。故人は100万本のバラのうたが大好きだったそうですが、生前に多くのみなさんに届けつづけた洋子さんのあの笑顔と心のこもった仁愛の言葉は、それこそ人々への慈しみにあふれた幾万本もの花にもたとえられるでしょう。

故人の生前を偲び、夫君をはじめとするご遺族皆様の心を察すれば、かける言葉がないというのが葬儀の場でも今でも率直な気持ちです。無念の思いを抱きつつ、心からの哀悼を込め、ご冥福をお祈りいたします。

突然の訃報。薪を切り、畦草を刈り、終わり初物と初物も

鈴木湯沢市長の奥様が亡くなられたとの報が突然届きました。病魔におそわれておられたことは承知していましたが、まさかこんなことになるとはと、ただただ驚いております。故人の無念とご遺族の悲しみ、心の痛みをお察しすれば言葉がありません。今はただ、ご冥福を心からお祈りし哀悼の意を表すことだけです。

▼先週は燃料用の薪5張(約5㎥)の切断を終えました。週末は今後の議会運営の段取りなどをはじめ公務に私用にと所用などをはたしながら、金、土、日と合間合間のしごとで2度目の畦の草刈りも終えました。

きのうは草刈りを終えた後、およそ1時間ほど村内のブナの森に入り、仙台から来ていた妹に「終わり初物のタケノコ鍋を」と、今シーズン最後のタケノコを背にしました。

県境の尾根のうち最も雪解けの遅い箇所は、範囲はごく狭くわずかに10㌃ほどと限られます。それでも採取はまだできるので、短時間で20㌔グラムほどは採れました。

 

シーズンはじめ、タケノコが早く出る箇所にもクマは集中しますが、遅くまで出る箇所もそれは同じでクマはわかっています。こちらの歩く先々にはクマの食べ跡があっちにもこっちにもといっぱいあります。そこの山には今はタケノコ採りはどなたもいないので、警戒度をややアップさせ、いつもより多く声を出してブナの森を歩きました。

息子の妻宅(果樹農家)からは、自家用栽培のおいしいサクランボがとどき、初物をごちそうになりました。タケノコシーズンが終わりの頃、サクランボは熟期をむかえるのですね。ここ幾日か肌寒い天気がつづき、きのうも夕方には県境の尾根にフカゲ(東からの冷たい霧)がかかってきました。

▼県内で、タケノコ採りの遭難事例が続いていて、村でもきのう須川高原地区で遭難者が出た模様の連絡が今朝早くに入りました。「朝からの捜索への出動要請」の連絡でしたが、「こういうことで今日は会葬にむかうので」と出動できない旨をお伝えしました。

きのうの県境付近はいずこも厚いガス(濃霧)でしたからきっと迷いやすかったのでしょう。幸いにも今日は濃霧が晴れそうですし天気もよさそうです。空からも地上からも捜索隊が懸命のはたらきをするでしょうから、きっと早く発見救助されると思われます。

地区からの要望箇所をみる

先に出されていた各地区からの今年度要望箇所について、村当局と議会常任委員会合同による毎年恒例の現地視察がきのうおこなわれました。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

要望は、道路(側溝も含む)、水路などに関する内容がやはり相対的に多くなっています。村の場合はこれまで、独自の施策もふくめかなり手厚く道路網、水路(生活用水路、農業用水路、流雪溝など)網関連の整備に力を注いできています。その内容と規模は「どこの市町村にもひけをとらない」といってよい水準とわたしはとらえております。

それでも、やはり道路と水路関連は今もって生活のカナメ。要望には新設希望もあれば様々な規模の改修・補修もありで、今後もこの2つは行政のとりくまなければならない大きな柱として続いてゆくでしょう。

要望に対する村当局の現段階での考え、答えはすでに各地区の代表へ説明されていて、議会にもその内容はしめされています。それを前提にしての現地視察後の講評では「ここの要望は急いで対応を」など、視察を踏まえた意見が議員各位から出されました。

前日に続いてきのうも寒気の流れ込みで気温は上がらず、国道の温度計は日中でも13℃のところも。私は冬構えと同じ装いで出かけましたが、いつも「暑い暑い」とよく言われて寒さに強い方々も、さすがにきのうは衣替えの季節ながら半袖の姿はありませんでした。寒すぎる6月ももう半ばです。今日からは週間予報通りあたりまえのお天気となってくれればいいのですが。

▼きのうはあの岩手宮城内陸地震から10年目の日でした。村と隣り合わせる県境すぐ近くが震源地で、村と県境をはさむ各国道がズタズタに損壊、宿泊施設をはじめとして大きな被害をうけました。あれからもう10年、道路も村内の各施設も完全復旧しましたが、観光施設への通行が長く遮断されたことなどから当時の被害は深刻なものでした。

村の場合は後に起きた東日本大震災時の揺れよりはるかに大きな地震で、あの日の朝、自宅二階にいての激しい揺れは忘れられません。隣県において亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに、いまだ行方がわからないご家族がおられるみなさまの心のいたみをお察しいたします。

焼石の花たちに会いたくて(その3)

まわりの景色がほとんど見えない頂上を下り、この日はじめて登山者の方と行き会いました。岩手側からは次から次へと、若いカップル、中高年のカップル、若い集団、中高年集団、時にファッション雑誌に登場するような女性の集団、単独などの方々が登ってきます。

この時間に頂上、もしくは頂上直下まで到着ですから、こちらと同じように早く出発してきたのでしょう。あるいは銀明水の山小屋に泊まっての方がおられたのかもしれません。
姥石平はハクサンイチゲとミヤマシオガマが真っ盛り。ユキワリコザクラもまだ過ぎないでいてくれました。濃い霧のなか、ハクサンイチゲの真っ白群落は遠くからだとまるで残雪のようです。花盛りだと、同じ白でも色が生き生きとして濃く感じます。何事も、「盛り」というのはこういう生き生きした姿となって見えるのでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

出発は金明水の山小屋からでしょうか、夏油方面に通ずる道からも登山者が次々見えます。姥石平から9合目への分岐道に入ると私と逆に頂上からの周回コースをたどる方々とも再度出会いました。焼石山行ではこのコース歩きも素敵で欠かせません。昨年には登山道もかなり幅広く刈り払われましたからとっても歩きやすく、みなさん喜んでいるでしょう。

このコースは焼石のなかで最も残雪が遅くまで見られる所。南本内川の最上流部にあたるシゲイシ斜面の雪渓はまだ登山道を一部覆い、9合目直近の湿地も大きな雪田のままで、その上を通る時は寒さがさらに増しました。


 

 

 

この時間になったら秋田側から登ってこられた方々もどんどん続きます。8合目ではなじみの山仲間の同期生Fさんとも行き会いました。山歩きのご達者な彼は、6月恒例の焼石登山や仙北道踏査など毎年多くの方々のリーダー役として歩きつづけられていて、この日が今年の焼石登山日ということでみなさんといっしょでした。一行には80歳のお方も。

こちらは天気に恵まれませんでしたが、その時までにはだんだんと空が明るくなってきました。「オレはウンが悪かったが、みなさんは良さそうだ」などと笑いながら言いましたが、それはお天道様の一時の見せかけだったようです。午後になっても霧も風も止むことなく、帰りに5合目シャカヂアゲから焼石方面を振り返ったら連峰は何にも見えずでした。

お天気は一日そんな様子でしたが、霧の中の花景色、水滴の着いた花々も、後にゆっくり写真でながめたら「それはそれでまた風情があるもの」と思ったりもしているところです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

妻へのおみやげにと「タゲのすず(湧水)」をボトルに詰め帰路へ。途中、秋田側からの登山者ともひっきりなしに行き会いました。20~30歳代と思われる恋人同士か、ご夫婦らしい姿もあれば、中高年のご夫婦らしいお姿も。単独行も。

「ほう、去年から実がついていたのだろうか?」などと、ネズモヂ(アカミノイヌツゲ)の赤い実をながめたりしながら駐車場到着は正午バッチリ。駐車場には車がほぼ満杯、ほかの空き場所にも車はいっぱい。しかしいずこでも、互いを呼び合うホーイホーイのタケノコ採り声は聞こえず。なので、この日はタケノコ採りより登山の方々多しとお見受けしました。

 

 

 

 

一昨日(その1)の最初部分に載せた水たまりのなかの白いたまご状の写真は、クロサンショウウオの卵がはいった卵のうでしょうか。私はよくわかりません。この季節、この水たまりには毎年のように卵が産みつけられ、このように大きくなった卵のうが目立ちます。

昨日のハクサンチドリたちの写真の次あたりに、ちょっと変わったチドリ花がありましたが、これはテガタチドリなのでしょうか。わたしには、くわしくわからないことがいっぱいの自然と花の山です。

 

焼石の花たちに会いたくて(その2)

焼石沼の手前、タゲのすず(岳の湧水・清水のこと。いつのまにか「長命水」などという名がついたりもした)がある近くでは、お目当てのキヌガサソウがよく咲いていてくれました。山行後半の姥石平からの周回コースでもはじめてこの花をみました。「キヌガサを拝めただけで、来たかいがあり」と思ったほどです。すず(湧水・清水)で喉をうるおし、次は残雪そばの湿地に咲くミズバショウ、リュウキンカなどをとっくりと眺めます。

沼の草原はやっと雪が消えたばかり。もう少したつとここの代表的な花景色となるミヤマキンポウゲやノウゴウイチゴとならんでおいしい実をつけるエゾノクサイチゴの群落はもちろん花の気配もまだなし。でも、雪消えの早い登山道にはそれらが咲き始めています。




 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

沼の周囲でいま圧巻の花景色はリュウキンカとミズバショウ。それに、ミネザクラが満開で、三界山を背景に借りたりしながらこれらの花々を撮り続けました。そばには、これはなんでしょう?苔か植物かわからないおかしなモノもあり、カメラにおさめておきました。

 そうしている間も風は強くなり、霧もますます厚くなって吹きつけ、服が濡れ始めました。寒くもなり、手がややかじかんできましたので雨具を着けて上へ向かいます。

8合目前後からの登山道はおよそいつの季節も「花の道」。ミヤマキンポウゲやシナノキンバイ、ミヤマキンバイでしょうか、それらをはじめ、ハクサンチドリ、エゾノクサイチゴ、キバナノコマノツメ、イワハタザオの仲間が見られます。お目当てのミヤマオダマキも花真っ盛りの二株の姿と出会うことができました。この花、焼石では希少種でしょう。

 

 

 

 

 

 

 



 

 

  いつものように9合目焼石神社では諸々を祈願。そばの岩上には少し散り始めたチングルマが顔を見せ始めます。そこからの少しの間の岩渡り越えはチングルマの花の道でもあり、花リレーではやがてそれにミヤマダイコンソウも加わります。

頂上近くになったら、ミヤマシオガマ、そしてこれもお目当てのユキワリコザクラの仲間がほんの少し見られます。これらの花々は姥石平が本場なのでそこではあまり時間をとりません。ここから先はカメラのレンズに水滴が着き、一回シャッターを推しては水滴を拭いての繰り返し。こんな荒れ空の下での「花見」もそうはないことです。

頂上到着8時25分。強風と濃霧の流れるなか、濡れるミヤマシオガマとイワカガミ(コイワカガミ?)を撮り、一休みもなく岩手側の登山道へ下りました。ガスが濃くて周りがほとんど見えず、頂上では一瞬方角がわからなくなり、「はて、どっちだっけ?」と下りる道をさがしたり。

姥石平への周回コースをとったのは、下りる途中のイワウメと、姥石平の広大なハクサンイチゲとミヤマシオガマ群落、ユキワリコザクラの仲間、ヒナザクラ、チングルマたちをながめるためにです。

▼世界が注目していた歴史的とされる米朝首脳会談が行われました。この会談実現から学ぶべきは「対話こそがものごと解決の最大のカギ」ということでしょう。「話せばわかりあえることができる」です。今会談は出発点、合意された内容の実現に向けて今後も対話、協議が着実にすすめられることを期待したいものです。

焼石の花たちに会いたくて(その1)

高嶺では春と初夏の花が隣り合わせてみられる季節入りの10日、花の百名山・焼石岳に向かいました。この日出会いたいと思っていた花はキヌガサソウ、ツバメオモト、リュウキンカ、それにミヤマオダマキとハクサンイチゲ、ユキワリコザクラとヒナザクラです。

妻には出かけるとき「キヌガサソウに会いに行く」などと告げていました。

山行にとってもっとも気になるのはお天気。前日から予報に注目していて、当日も朝4時の予報では村は「晴れ」。「これなら、今日は、いい景色がのぞめるぞ」と期待。林道終点の駐車場から歩き開始は4時37分。駐車場には、予想に反してシーズン真っ盛りなのにタケノコ採りのみなさんはまだおらず、登山の方らしい様子の車が1台だけです。

 

空は曇り、東からの風が吹き下ろします。歩き始めてすぐ目につく花は、マイズルソウやエシャガイチゴ(胆沢川イチゴ・ノウゴウイチゴのこと)、ズダヤクシュやカタバミの仲間など。いつもなら早暁からタケノコ採りでにぎわう登山道には、前記のように人の姿も声もまだ無しで、ブナの森は予想に反して静か。聞こえるは風の音と鳥の声のみ。

大森山の裾がのびる登山道五合目シャガヂアゲの県境付近は、合居川と胆沢川の分水嶺がしばらくの距離で続きます。天正の滝に落ち込む合居川渓谷の流れのうち合居大谷から分かれるドヤノサ(どやの沢・合居沢)の最上流部はこの県境までのびていて、そこには吹きだまりの雪がまだ沢いっぱい見られます。今はほとんど通いませんが、ここらは、むかしから最もシーズン遅くまでの私のタケノコ採り場でした。

登山道沿いには、ミツバオウレンやイワカガミの仲間、ツマトリソウもよく目につきます。


県境の稜線から胆沢川へ下り始めると、すぐに下方から瀬音がきこえてきます。川まで下りたら登山道に雪が残る箇所も一部あり、「これなら、キヌガサソウはまだ拝める」と見込みました。川原沿いにはミズバショウとリュウキンカも見え始め、ムラサキヤシオツツジやシラネアオイも時に見られます。


 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ブナ林の中にはユギノシタキノゴ(エノキタケ)も出ていて、上がるにつれ低木のムラサキヤシオやタムシバの花は盛りです。登山道を歩きながら私がいちばん数多く目を注ぐのはツバメオモト。たいがいはもう花期をすぎていますが、雪解けの遅い箇所には、花かたちも葉っぱのかたちもほれぼれする姿がいくつか見られました。凜としていて清楚で、高山植物ではありませんが私はこの花に妙に惹かれます。


時々林のなかの花たちにカメラをむけながら、8合目の焼石沼周囲到着は6時48分。ここまで上がったら風がさらに強くなり、濃いガス(霧)が東から勢いよく流れ下ってきます。立ったまま朝食をとり、まずは周囲の花たちをながめました。

アカショウビンが渡ってきました

何日ぶりの雨だったでしょうか、待ちこがれていた8日の雨はこれこそ「慈雨」。妻に植え付けられてから一度も雨にうたれていなかった野菜たちはぐったりしおれていましたが、恵みの雨でなんとかシャンとした姿勢を保てるようになりました。

6月にあんな夏日、真夏日が続き、しかもにわか雨さえしばらくの間なかったのですから、こんな6月はめずらしいという年のうちにはいるのでしょう。おかげで、根張りが弱く赤茶けていた田んぼの早苗もいくらか緑を濃くしてきました。ただし、もうほとんどダメそうな株も目立ってきましたが。きのうは脊梁越の冷たい風が肌寒くて、我が家は薪ストーブで暖をとりました。

ところで恵みの雨が降ったその8日、朝夕毎日続いている田んぼの水見回りに向かったら、林の方角からまことによく響くキョロロロローンの鳥の鳴き声が聞こえてきました。

すぐに「あっ、アカショウビンだ」と声で確認、急いで自宅にカメラをとりに戻り、林の中に入りましたが、鳥はやや遠くへ離れたらしく、声はきこえるが姿はもちろん見えず。(この鳥の姿はなかなかおがめないのです)。

実は、その一週間ほど前、早朝にたんぼのワラビ採りにでかけた妻が、「アガショウビン、鳴ぐけぞ(鳴いていましたよ)」と言ったのを聞いていたのです。その後、こちらが朝夕のたんぼに向かっても、ちょうどその時には声がなかったのですが、どうやらまだ声が聞こえるということは、この範囲で棲息しているということでしょう。妻は、何年か前にこちらといっしょにいる時、アカショウビンが鳴き、さらに運よく飛ぶ姿までみているのでわかるのです。我が家では、まだ床に伏している朝の寝室に、彼らの鳴き声が聞こえてくるときもありました。すぐそばの沢が生息エリアでもあるらしいのです。

妻は、半年間のパートなみ仕事をしている「直売所」にいても「合居のほうでも鳴いで、えだっけよ」と、キョロロロロローンの声を聴いたそうです。同じ個体なのかはわかりません。

2年前にもちょうど同じあたりに棲み着いていましたから、渡り鳥のかれらにとってここらは棲みやすい所なのだろうと思います。

私はアカショウビンを、あんまり美しく赤い鳥なので勝手に「火の鳥」などと呼んだりもします。その赤い鳥が8日朝に鳴いていた森は、むかしの川通り道(旧村道・いわゆるアカミチ)があったところ。その森の入り口には岩井川開墾組合が建立した「五穀神社」の石碑があります。碑には、確か「昭和17年」となんとか読める文字が刻まれています。戦中のその年にソリとかで高台へ運んで立てたのでしょうか。それは、先達・先祖の苦労の歴史をしのばせてくれる碑でもあります。

河岸段丘の川通りの台地は、我が家のたんぼもふくめ碑が建立された戦中に開墾されたのでしょうか。私は自分の父親の生家があり、私自身もそこで幼い時の数年間育った土地でありながらそのことをくわしく知りません。碑もそこへ至る山道も、カドリノ(川通野)の人々によって代々まもり継がれてきました。まれに、遠く県外からこの社のない神社を参詣に訪れる方もおります。その方にとってはきっと「ありがたい、遠くの神様」なのでしょう。いつか、開墾組合や川通の台地に人々が住み着いた歴史をどなたかにおたずねしようと思っています。

岩井川集落全体と開墾された田んぼや畑を見下ろす小高い森は、仙北街道に連なる歴史の道でもあります。心を休める場所としてもとても素敵なところで、私は時々ここに通い、古の人々も一休みしたであろう高台の森にからだを癒やしていただき帰ります。

その森にアカショウビンが渡ってきてくれているのです。そこに通う楽しみがまたひとつ増えました。いつか、偶然カメラにおさめられる時があればと夢みています。

そんな素敵な赤い鳥の鳴き声が響き渡る田植えのようやく終わった山里では、ハナウドの仲間とヤグルマソウが花を満開にしています。ほかの野草にさきがけて芽をだすハナウドの仲間を、私らはウドザグと呼びます。

ウドザグは茎は空洞、臭いがあまりにきついので人はまったく食べない野草です。ただ、いち早く新芽をだすために、厳しい冬を越し緑の草を待っていた野のいきものたちにとっては春一番最初のごちそうらしく、これはこれで豪雪の土地では大切な役割をはたしている野の草なのです。


 

 

 

集落そばの里山でも、大雪崩跡にはまだ残雪が見られます。雪崩の直撃で倒された木々がそこには横たわり、堅い残雪のある狭い範囲のそこは季節はまだ春。サンカヨウが咲いていて、ワサビ、アエコ、コゴミなどが今でも食べ頃で芽を出していました。そばには、今々ツキノワグマがサグ(エゾニュゥの仲間)の茎を食べた跡も。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

▼きのうは、今年はじめて焼石岳へむかいました。

朝4時、「晴れの予報」をたよりにまったくの晴天を期待して向かったのですが、8合目からは冷たい東風と濃い霧が流れる中、雨具をつけての歩きとなりました。強い風にガスですから、カメラのレンズにはたちまちのうちに水滴がつき、それを拭いては撮りの繰り返しをしながら高嶺の花たちを拝んできました。後日、その山行の始終と花の百名山の初夏の花たちをお知らせいたします。