濃霧の中、遭難者無事救助

9日に発生したタケノコ採り遭難(山形県新庄市の女性63歳)は、10日午前10時過ぎに無事救助されました。

遭難者発見に大きな役割を果たすヘリコプターでの捜索も朝に一時行われましたが、だんだんと天気が悪くなり濃霧に加えて時々雷鳴も。現場の須川高原一帯は濃霧の海となり空からの捜索は次第に困難となりました。

ヘリ到着に先駆けて地上からの捜索隊(警察、消防、消防団、山岳遭難救助隊)が3組に編成されそれぞれの担当箇所を捜索、幸い、遭難者は元気な状態で発見されました。遭難の女性は自力で歩ける状態で、発見地点から国道までは距離もそれほどないことからヘリによる吊り上げ救助なしで済みました。それでも捜索隊のすべての組が沢や笹藪から出て活動を終えたのは午後1時半近くになりました。

あいにくのお天気で、全員、朝から雨具をつけての捜索・救助活動でしたが、雨は予想したよりも少なく助かりました。ただ、沢の水は多く、沢を遡上するいくつかの箇所で渕や瀬を越えるのに手間取る所もありました。また、転落すれば命の危険がともなう滝を巻き崖を横切る2箇所ほどでは、足場が悪く「落ちれば終わりだぞ!つかまる柴木に体重をかけすぎるな!足下をよく確保して!焦らずゆっくり!」などのかけ声を出し合いながらの活動となりました。

須川高原は村内でもタケノコ採り遭難が最も多発する所。しかもその沢も山もタケノコ採り遭難救助活動では困難を極めるところです。捜索隊による二次遭難の危険や、沢沿いの捜索では前述したように転落の危険がともなう滝と崖の箇所もいくつかあります。平地の笹藪では、たとえ霧がなくても方角がわからなくなるホワイトアウトと同様の「笹藪アウト」にもなりやすく、こうした場所で円滑に救助活動ができるよう、日頃からの現場把握や現地踏査などの訓練がとても重要になります。

「山と沢を熟知した、またはある程度知った隊員の育成・発掘」も須川高原地区の捜索ではとくに急がれており、村、警察、消防、消防団、遭難救助隊の喫緊の課題と思われます。単独でも沢と国道までの林内を往復できる程度に山を知る後継の人々を数人から10人ほどは育て確保しなければ、これからの救助活動は円滑にできなくなります。捜索隊で須川高原の山に詳しく脚力の強い方の一定数はもう70歳前後なのです。

常備消防などにおいても、あの地区の現場を熟知するためのなんらかの心構えや対策が必要と思われます。

また、ジャングルのような厚い群生の笹藪では、遭難者を視認するうえで地上からの捜索活動は一定の限界がありむずかしい課題があります。なので、私はこれまでいろんな機会に述べてきましたが、ヘリが飛べない間、あるいはヘリが飛ばない間のドローン活用による空からの捜索をもっと強める必要も今回あらためて痛感しました。

この日の活動では、隊員が個別に持参した専用のGPS通信機器や、いまはほとんどが所持となっているスマホなどによる地図情報もとても役立ちました。現場の踏査研修、これらの機器と地図、磁石の持参と活用がこれからの捜索活動では隊員全員のごくあたりまえのこととしなければならない時代です。捜索に関係するそれぞれの機関におけるドローンもふくめたそれら専用機器・装備(転落防止のザイルなど)への新たな心構えと訓練も必要でしょう。捜索時にすでに個々の隊員が携行されるようになったトランシーバーと同じようにです。(今回は危険箇所の多い捜索現場をおわかりいただきたく、それら沢と滝の箇所の写真をあえて多く載せました。二次遭難を防ぐためにです。)

▼遭難者捜索の翌日(土曜日)、村なるせ保育園の「なるせっ子運動会」へラジオ体操までのプログラムに出席。

やはり新型コロナ禍で2年間できなかった運動会。3年ぶりの開催です。前日までの悪天も遠のいて、この日は風も無しで暖かな絶好の運動会日和となりました。園児も職員のみなさんも保護者家族も久しぶりの運動会。会場は笑顔がいっぱいの日となりました。

備前新村長も、村長としては初の運動会あいさつ(村の大きな公行事の初挨拶だったでしょうか)です。