先人の努力を偲ぶ間木堰

先日訪れた明通沢と、そこから取水している用水路「間木堰」です。
「その昔きつねの住みし間木の野も今朝は九軒の村となりけり」と歌われた小さな間木集落。そこに引く用水路の距離は約3.6㌔と長く、しかも断崖を削り、幾本もの合流する支沢を横断しての超難関工事を提唱し進めたのは椿台の高橋佐吉翁です。
堰(用水路)は5年間の工事で大正6年(1917年)に完成。その後、維持管理のあまりの難儀を軽減しようとした集落の要望に村が応え、平成年代のはじめ、村の少なくない予算とともに大きな受益者負担をあわせて側溝配置が進められ現在のような水路となりました。
現在の水路は昔とはまったくちがい、人の通れる道幅もすべて安全を考慮し確保されています。しかし、取水口そばの断崖部やほかの難工事部の一部は通路が狭く、歩く時には転落の危険があり油断できない箇所もあります。そこを通れば昔の人々の苦労がよくわかります。
重ねて毎年記していることですが、昔の人々がお米の生産のために我々には想像できないような難儀をし、命の糧確保に汗を流した歴史がこの「堰」からは偲ばれます。それはどこの集落の「堰」にもいえることですが、とりわけ間木堰は、小さな集落に暮らしながらもこれだけの大事業を行った高橋翁とむらの人々の偉大さを知る大切な文化遺産でもあります。村の郷土誌には、高橋佐吉翁のことが詳しく記されております。
▼明通沢は、そのカッチ(沢の最上流部)が古道・手倉越(仙北街道)の柏峠方面までのびる大きな沢で、大部分が国有林です。切り立つ山と谷はブナやミズナラの宝庫。ただし、そこは危険な箇所の多い谷でもあり、過去にいたましい遭難事例もいくつかおきています。
ここは私の山入のひとつの場所でもあり、同じブナでもすてきな林の多いところでもあります。先日は珍品のノギウヂ(エゾハリタケ)をブナの大樹の幹からいただきました。そばのミズナラの幹の上部には、真っ白なウサギモダシ(ヤマブシタケ)も。美味しそうでしたが、こちらは手が届かずそのままにしてきました。
毎年ご対面するオオワライタケも大きなミズナラの根元で腐りはじめた姿でみられました。
堰沿いにあるミズキにクマが登り、枝を折って実を食べた痕跡も目に入りました。いずこにもクマ、くま、熊です。これからは、クリ、ヤマブドウのあるところではとくに注意しましょう。