ちょっとの言葉を書き連ねるだけでも、ほかの書物・書類の応援を得なければならないことが多くあるこちら。みな若い頃の基礎学びがまったく不足しているためです。
それら書物・書類のなかでもそばにおいて最も多く使うのは広辞苑(岩波書店)と類語大辞典(講談社)、スーパー実用ことわざ辞典(東京書店)、樹木、野草、キノコなどの各種図鑑やガイド本、地理名を正確に記すための村と周辺の地図、それになんといっても欠かせぬのがわが村の「郷土誌」です。
実は、そのわが村の郷土誌は、藩政時代の「村」のしくみをくわしく述べ、そのなかで当時の「公務職」として配置された「村の長」といえる「肝煎(きもいり)」役にはどんな資質の人間がふさわしいか、当時の秋田奉行所が管内にしめした内容を載せています。
少し乱暴かもしれませんが、肝煎の言葉をたとえば当時の藩主や将軍とおきかえてもいいでしょう。約400年前の肝煎という公務職を、今時の国政や県政、全国の地方自治体で政務を執る為政者すべてにそれをあてはめて考えてもいいでしょう。
時代が変わっても、我々の社会に求められる指導者像、公職トップ像というものがここから浮かび上がります。肝煎にはどんな条件の方がふさわしいとされたのか、約400年前も、今も、為政者の資質として求められる条件はほぼ同じであることに少々驚きます。これら条件の多くは、大小の権力というものをもつ人間に、あるいは諸々の組織の先に立つ人間に課される永遠に変わらぬひとつの規範ともいえるのでしょうか。
それでは奉行所が肝煎に求めた資質の条件とは何か、村郷土誌は次のように記します。
一、第一貧ならず、正直にして心広く、質朴にして貪(むさぼ)らず。
二、慈悲あって贔屓(ひいき)なく、分別あって奢(おご)らず。
三、また、身上余慶も在り、頼もしげありて気長く、偏屈ならず。
四、大酒を好まず、好色のくせなく、芸能の癖のないもの。
ということです。
質朴で貪らず、慈悲あり、贔屓なく、奢らず、頼もしく、気は長く、偏屈ならず、好色の癖なし。昨今、国政や地方政治で問題になっている諸々の事例の当事者の方々は、胸に手をあててこの肝煎選任の条件を一度読んでみてほしいものです。わずか4つながら、なんと教訓的な言葉が多くちりばめられているではありませんか。こういう指導者たちが率いる政治なら、世界のどの国でも、わが国政でも、国内どの地方政治でも、真に民のための政が行われるでしょう。