定例会議冒頭で補正予算案審議・可決

村議会6月定例会議がきのうから始まりました。

新型コロナ禍の負の影響が村民生活にジワリとのしかかるなかでの議会となり、コロナ対策関連予算だけはその審議開始を早めるため、開会初日に予算特別委員会を開催、ひきつづき本会議での予算案審議を行うという通常とは異なる議会日程となりました。

村民の苦難軽減が政治の大きなつとめであり、こういう世界規模の感染症病禍真っ只中という非常時なので、今定例会議はそれに即した議事運営となったものです。

開会日の予算案審議とはいっても、2日の全員協議会、そして議案上程・説明の本会議と、予算案の十分な説明を二度受けた後に審議が進められたものです。また、その間に、全員協議会でも予算特別委員会でも3月定例会議からはじめた議案に対する「議員間討議」の時間もきちんと設けてあり、そうした経緯のなかで審議された予算案は、委員会、本会議ともにすべて全会一致で可決となりました。

コロナ禍で影響をうけているみなさんに対する村の支援策が、これで議会最終日をまたずに直ちに具体化されることになります。

なお、議会は、コロナ禍の状況を勘案し、6月支給の期末手当について1割削減の方向を全員一致ですでに内定しており、会期中にその削減案が議員発議で提案される予定です。村三役についても今朝の新聞報道にあるように村長5割削減、副村長、教育長がともに3割削減の案が同じく追加提案される運びです。

▼議会の帰り路、車の中からヤグルマソウの花が盛りで見え、そばのアマニュウ(ハナウドの仲間)の花にはやはりミツバチがとまって盛んに蜜を吸っています。その下には、フタリシズカが小さな群落でひっそりと咲きはじめていました。

お世話になった方々の訃報続く

先月には知人や若い頃にお世話になった村外の方々の急逝の報が相次いで入りました。

新型コロナの感染症対策もあってでしょうか、最近は「葬儀はすでに終了しました」とか「家族葬を行いました」という報道記事で亡くなられたことを後に知ることがずいぶん多くなっています。

湯沢雄勝・横手平鹿地方では、元国鉄や各役所、病院、教職、郵政、NTTなどの仕事に就いていたみなさんや、果樹や花卉、稲作農家など、青年運動、労働運動や平和活動、農業運動などを通じて若い頃に活動を共にした方やお世話になった先輩方がずいぶん多いのですが、それらの方々のなかにはこちらより一まわりも二まわりも年齢が増された方も少なくなく、毎年のように訃報に触れることが多くなっています。

きのうは雄勝平鹿地区全体にわたる横手盆地の田園地帯を車で走りながら、お世話になった方々の家に通った40数年前から20数年前にかけてのことを思い出し、今は故人となられたみなさんと過ごした当時をしのぶ日ともなりました。

それにしても、盆地のなかには新しい道路がどんどん増えていることにあらためてびっくり。昔の感じで走っていたら、つい戸惑い思わぬところへ出てしまうことが幾度かあり、2軒のお宅へ弔問に向かうのに2度も近所の方から案内していただくという行く先音痴なことを繰り返しました。盆地の家並みも街も道路も、この約半世紀でほんとに変わってしまいました。つまり、新しい道路が東西南北、縦に横にと圧倒的に増えたということです。

▼山里ではウドザグ(ウドは空洞の意。茎が空洞のサク)と呼ぶアマニュウの仲間が花盛りです。この野草、春一番に芽を出すだけあってさすがに花も早くつけます。

このウドザグ、何度もお知らせしているようにクマをはじめ野の生きものたちにとっては、ほかの山菜が出る前の大切な春のごちそうとなります。でも、シシウド、エゾニュウなどとちがい山菜としての利用はまったくよろしくない野草です。人にとって食とはなりませんが、こうして花をながめてたのしむ野草としての役割は立派に果たしてもらっています。それにたくさんの花へミツバチは寄るでしょうから、養蜂への役割も人への益として加わるでしょうか。

成瀬川の河川敷やたんぼの畦では、ふだんはあまりみかけない鳥が目に入りました。ここではカラハシリと呼ぶ水鳥の姿によく似ていて、そうであるような、ないような、私には生態のよくわからない不思議な鳥です。渡り鳥でしょうが、子どもの頃からよく目にしているカラハシリの仲間であるようには見えます。野鳥の会のみなさんなら、すぐにわかるでしょう。

新型コロナ関連議案の多い6月定例会議

村議会6月定例会議の日程を決める議会運営委員会と、提出議案の説明をうける全員協議会がきのう開かれました。

提出される条例改正や補正予算案の内容も金額も、新型コロナ関連の多い定例会議となります。6月議会と言えばこれまでは国民健康保険税の税率を決めるなどそれら関連議案が多く「国保議会」などとよくよばれたものですが、今年だけはそれにならえば「新型コロナ議会」と名がつくような感じにもうけとめられる議会となります。

今議会には、農業委員8人のみなさんが任期満了にともなう改選期をむかえたことから、新たな選任への同意案件も提出されます。

定例会議は4日に開会され行政報告や一部議案審議などが行われ、11日に一般質問、18日に議案審議のはこびとなります。その間に陳情審査の常任委員会や予算特別委員会での審査も行われます。

▼会議を終えた午後は、成瀬ダム工事の堤体にCSGを打ち込む「CSG初打設式」に出席しました。こちらも全国的な新型コロナ禍なので、式はきわめて質素、短時間で行われました。会場は晴天初夏の野外ですが、全員マスク姿、少人数、それでも互い間の距離を空けてというコロナ感染症予防対策が徹底された式となりました。

大正7年~大正9年(1918年~1920年)に人類史上最大級の世界的大流行となったスペイン風邪(世界の感染者数約5億人、死者数4千万人~5千万人、1億人の可能性も。国内では2380万人の感染、約39万人の死者という統計も)があります。この時代は日本のコンクリート式ダム建設が次々とはじまり広がったときであり、スペイン風邪は夏から秋にかけて大流行したとされます。この時期に着工されたダムでも、コンクリートの初打設式ではこんなマスク風景があったのでしょうか。

▼全国町村議会議長会と県の町村議会議長会が精力的にとりくんできた町村議会の選挙公営拡大が、今国会に議員立法として提出審議され、おとといの衆院政治倫理・選挙特別委員会につづき昨日の衆院本会議で可決となり、今国会中に成立の道筋が開けました。

この件については、議員のなり手不足解消ということとともに、市議会と同じ公営化ワクを実現すべきという声が長年町村議会にはあり、秋田県町議会議長会は地元選出の国会議員を通じてこの課題解決にここ数年特別の力を割いてきた経緯があります。私も、県議長会の一員として機会ある毎にそういう声を強く上げ続けてきた一人として、要望にもとづく法改正がほぼ確実になったことをよろこんでいます。

法改正では、これまでなかった町村議会の立候補にともなう供託金(15万円)が生じます。それは法定得票割合を下回る場合は没収されますが、町村議会選ではそういう没収例に該当するような得票例は極めて稀でしょう。法案審議では供託金が新たに生ずることで「立候補にハードルが生ずる」ので「なり手不足」論がなりたたない旨の議論もあったようですが、我々は、過去の事例もふくめそういうことをすべて考慮した上で、公営化枠拡大をもとめ運動してきたものです。

なお、国政から地方選挙での供託金については、「被選挙権を制約」するという論や「憲法に保障されている参政権を侵害」するという論があります。現行の高すぎる供託金は重要な問題であり、その引き下げは論は総務省の研究会報告でも言及されているようですから、それはそれで我々も引き下げをもとめてゆかねばと思います。

繰り返しますが、それらの懸念される部分を考慮してなお「公営化枠拡大」は、議員なり手不足対策と選挙公営の公平化のうえから、その懸念を上回る町村議会側の強い要望であります。改正法案が衆院で可決されたことで私にも早速よろこびの声が寄せられています。改正法案は、町村議会だけでなく当然ながら町村長の選挙公営も、現在公営化されている市長や市議会と同じ範囲で公費負担枠が拡大されるものとなっています。

新庁舎で初の広域市町村圏組合議会

湯沢雄勝広域市町村圏組合議会の臨時議会がきのう開かれました。欠員となっていた議会から選任される監査委員の同意案件と、災害対応特殊水槽付消防ポンプ自動車(Ⅱ型)の購入契約案件などを審議可決しました。

監査委員には羽後町議会の阿部養助議長を選任。消防ポンプ自動車は指名競争入札で落札した湯沢市川連の(株)高義商会と7,656万円で契約するものです。

今議会は、広域圏組合の事務所が新消防庁舎(旧雄勝総合病院跡地に建設)に移転して後の初議会となりました。長年、旧交流センターに通っていたため慣れでそちらに向かうところでしたが、途中で勘違いに気づくというハプニングも。

この日の議会は、羽後町議会の広域議員のみなさんが改選にともない交代され新たなメンバーとなりましたし、新庁舎での初議会ともなり、会議室は新鮮ムードに包まれました。

▼田んぼのまわりではガマズミの仲間やヤマオダマキが花盛りです。トチやミズキも花をいっぱい咲かせ、フジも花満開の季節へと入りました。

これまではレンゲツツジの朱の華やかさであまり目立たなかった同じ田んぼ土手のヤマツツジ。レンゲツツジが散り終わりなので、今度は「朱」に替わった「紅」でも、紅は紅なりの鮮やかさで人目をひくようになっています。

タケノコ採りシーズン始まる

週末からきのうにかけては、新型コロナ禍の行動自粛が一部地域をのぞいて緩和されたことや、連日の晴天にも恵まれ、各行楽地や街は一定のにぎわいとなった模様です。

村でも、ブナの森深山でのタケノコ採りがいよいよ始まり、また登山シーズンも始まったことからなじみの山へ向かうのでしょう、他県ナンバーもふくめ村の国道を通過する車がずいぶん多くなりました。山の駐車場も一年ぶりのにぎわいを見せ始めています。深山タケノコはまだはしりで、どこでも誰でも採れる最盛期は村ではもう少し先になります。

冬や春の雪上歩きでタケノコの早く出る場所を頭に入れているこちらも、29日、早朝に除草剤を散布、広域圏組合に提出される議案の説明を役場で受けた後、昼近くなってから出始めのタケノコをめざしてさあ今年の本格山入りです。

先にもご紹介しましたが、そういう場所はこの時期にタケノコを主食とするクマ公も同じで、クマ避け対策をしっかりやらないと思わぬ遭遇と、場合によっては彼らからの攻撃をうけることがあります。タケノコ山ならいずこでも、クマの糞とともにタケノコを食べた痕跡が多くあるのは常。そんな所では、いくらも離れない場所にクマが潜んでいるということを覚悟しなければなりません。タケノコ採りは、それだけの危険をともなうということを忘れたくないものです。

それに、クマ対策で私が強調したいのは、クマにも個性があり、また人と関わったそれぞれの体験もあり、クマすべて性格が同じではない」ということです。それは家畜やペットと同じです。おだやかなクマもいれば、気性の荒いクマもいるのです。気が荒くなった原因のひとつに人間の与えた諸々の影響もありますが、今日はその原因への言及は省きます。

こちらが入った山でも、タケノコの食べ痕とともにクマの糞が随所でみられ、中には残雪の上に直線で10㍍ほど点々と散らばる糞も見られました。まるで歩きながら用を足したような脱糞後の様子です。おかしな痕跡もあるものです。

タケノコが採れる春のブナの森は、キノコのワゲ(ヒラタケ)も今が最盛期。肉厚最高級のワゲは味噌汁でたっぷりといただき、30㌔グラムを少し上回る若くて軟らかなタケノコは、妻の手で早速瓶詰めにされます。キノコの脇には、コミヤマカタバミも咲き始めていました。

▼どこから種が運ばれてきて根づいたのか、家まわりの土手では山のアスパラガスと呼ばれるシュデコ(シオデ)が食べ頃です。そばには、山陰地方の牡丹島から求めてきたボタンも花盛り。ボタンやシャクヤクが咲き始めれば、山里へも初夏の気が漂い始めます。きのうは湿度こそ低かったもののまるで真夏でした。連日の晴天で早苗の生長がすすみ、農家同士の交わすあいさつは「そら、えふて、しょうぶしたな(天気が、よくて、よかったですね)」です。

オシドリ夫婦?

レンゲツツジに続いてヤマツツジが咲き始めた田んぼの土手。早苗田が根着いた圃場には満面に水が張られ、「水田がダムの役割を果たす」という光景が農山村全体にひろがる季節です。この頃になると深山の雪解け水も安定し、田んぼに大量の水が引かれることもあって成瀬川の水量はグンと下がり落ち着いてきます。

焼石岳に登り、西のわが村や横手盆地、東の胆沢平野を眺めたとき、春のこの早苗田に水が光る風景と秋に黄金色の稲穂が輝くふたつの風景美に心が踊ったことを思い出します。それらは日本の農村風景の象徴ともいえる人々のくらしと、水と緑と瑞穂の美がとけあった景色に満ちているからです。

田植え後のその田んぼは水鳥たちの絶好のエサ捕り場、休み場となり、カルガモをはじめ、サギの仲間、シギの仲間たちが入れ替わり立ち替わり登場します。田んぼは、タニシなど貝類、ドジョウなど魚類、イモリやカエルなど両生類やあらゆる昆虫、は虫類、ネズミやモグラ、ミミズたちの住み処だけでなく、それらを食べる猛禽類や小鳥まで多種の鳥や、キツネ、テン、イタチ、タヌキなどのほ乳類もふくめて生態系の命をつなぐ大きな役割を果たしているのです。

先日は、時期が時期ですから繁殖期に入ったのでしょうかオシドリの夫婦らしい2羽が、やはり早朝の田んぼにいるのが目に入りました。このオシドリ、カモ類の仲間ではカルガモより警戒心が強く、近くではなかなかシャッターチャンスに恵まれません。が、この日はかろうじて何枚か写真にすることができました。

そばにはそれより一回り小さいシギの仲間も一羽いましたが、こちらはもっと警戒心が強く、車を止めたらすぐに飛び立ってしまいました。

隣家出身の方の著書を読む

先日、地元集落で懇意にしていただいている先輩のKさんから「これ、読んで、みでの」と一冊の本が届けられました。本といっしょに一巻のDVD(2018年、京都で開催の一般社団法人日本パーソナルブランド協会主催のセミナーコンテストで、全国の代表7人が集まったなか、その本の著者が準優勝した際の記録)も添えられ「これも、見での」とKさんは言います。それは「セミナー講師の甲子園」といわれるその道では権威のあるコンテストのようです。

著書の名は、リーダーのための育み合う人間力(岡山ミサ子著、医学書院発行)です。この4月15日に上梓されたばかりで、著者(旧姓・備前)は村内岩井川出身の東成瀬中学校第28期生のお一人。主な経歴はご紹介の通りです。著者は愛知県看護管理協会の会長を12年間つとめた経歴もお持ちです。

岡山さんの生家は我が家と隣同士でした。このブログでも折にふれて紹介していますが、先代は大正の終わりから昭和20年代頃にかけて「気仙屋」という温泉や旅館、それに併設して気仙館という名の映画・演芸館(収容人員約300人と郷土誌は記す)を営んでおり、屋敷には「坪」と呼ばれた庭木と池のある庭園もありました。

当時「気仙屋」をつつむすべての雰囲気、人々のにぎやかな出入りの姿が私らガキにとってはとても華やかに見えたものです。(気仙屋は村の郷土誌にも記述があります。気仙の名は経営者の妻の出身地が三陸の気仙地方だったため)。後には岡山さんの父親が建設業を営んだ家筋でしたが、今はご家族の方々は村から離れられ生家はありません。

著書の内容は、これも表紙をご紹介しておりますからそれでおよその想像がつくかと思います。岡山さんは、病院の看護師、婦長、看護部長を通算40年近く体験されたうえでの「リーダー論」を、とてもわかりやすく述べられております。それは、看護師など医療関係者のみならず、多くの組織体のリーダーやリーダーとなる方々へのひとつの示唆であり、あるべき姿勢として学ぶべき内容は少なくないと思われます。

作家・井上ひさし氏の有名な言葉に「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく、おもしろいことをまじめに、まじめなことをゆかいに、そしてゆかいなことをあくまでゆかいに」という教えがあります。私はいつもその言葉を「訓」とあおいでいて、断片的にその何万分の一でもよいからそういう心がけで書き言葉や話し言葉にむきあいたいたいと思っています。その井上氏の言葉を思い出しながら岡山さんの著書に目を通しました。

著書は、自身の体験をもとにして豊富でかつわかりやすい語彙と文体でちりばめられていますから、啓発の著でありながらそれは一編の体験小説のようでもあります。セミナーコンテストのDVDも、発表の内容とうったえる姿に感心しつつ拝見しました。

とにかく、村出身の方の著書です。社会や職場で多様性へのとらえ方を大切にしなければならない時代です。社会におけるリーダーの資質は、時代状況にあわせてあらゆる分野で永遠に問われる課題です。そういうこともあって、ご一読をぜひおすすめいたします。コンテストの動画もネットで視聴できますから、どうぞ。

新緑の須川高原へ

春の農繁を終えたので、この季節になると毎年通い続けている須川高原へ日曜の午後向かいました。

夏のような天気が続き、残雪に新緑が映える季節ですが、県境・須川高原にある岩手、秋田の二つの温泉宿泊施設はコロナ禍により休業中。標高1100㍍ラインの温泉と高原の新緑、残雪の景色を楽しみに訪れる方々にとっても残念無念、また、温泉宿にとっては最大の稼ぎ時なのにこれも残念無念、閉鎖されている二つの施設を目にすると、どこにもむけられない言いようのない思いが何度も何度も湧いてきます。

高原では、県道仁郷大湯線が早く開通しているので須川湖へも車で行けます。雪解け水により一年で湖の水位が最も高くなる季節ですから、満々と水を湛えた湖面にブナの新緑と残雪多い村最高峰の秣岳(1424㍍)の稜線が映え、それらがお互いを引き立たせて絶景を見せてくれます。

高原でいま花の咲き始めの樹は、須川高原の春を象徴するタムシバ。栗駒山荘が営業されていれば、露天風呂の眼下にのぞむ群生地があり、周囲湿原のミズバショウとならんで花盛りです。タムシバの白色の花はちょうど高原のシロヤシオツツジと同じで、群生の箇所で花数が多いと初めて訪れる方なら遠目では残雪と見まがうほどです。

須川高原温泉の県境露天風呂そばにある大日岩の脇には花色のちがう二つのミネザクラが満開で人目をひきます。高原のイワナシの花はもう終わり寸前、帰りには仙人水をたっぷりとボトルにつめてきました。

山菜のオンパレードは深山へ

里山の山菜はオンパレードの季節がほぼ終わり、これからは旬をむかえたワラビや、採取期間の長いミズ(ウワバミソウ)やホギ(フキ)などに種類は限られてきます。

それでも雪消が早い割には今も家周りで採れているのは笹子(細めのネマガリタケノコ)で、我が家ではワラビやアザミとともに毎日のようにごちそうになっています。

里山でいま盛りをむかえているのはサグ(エゾニュウ、シシウドの仲間)。サグは、新芽が腰の高さほどに生長してから新たに出てくる中心茎を採取する山菜です。

サグは我が家の冬のでごじる(大根汁・おでん風大根煮)に欠かせぬ山菜です。私の大好物で、毎年たっぷりと塩蔵します。サグの中心茎はクマも大好物で、深山のタケノコが出る前は今の季節の彼らの主食といってもよいほど。タケノコだけでなく、サグのある山はクマがいると思えばまちがいなし、気をつけましょう。

これからの山菜のオンパレードは深山の雪崩斜面に移り、さらに6月に入れば本格的なタケノコ採りの季節がやってきます。クマ狩りや登山などで雪上の深山を長く歩いた経験のある方なら、強風で積雪の少ない尾根筋を知っています。そこに笹があればタケノコが早く出ますが、そういう早く出る箇所は人と同じようにクマも知っていて集中し、鉢合わせてしまうことがありますから、これも要注意です。

県境深山の雪庇のできる尾根筋の東側には大量の残雪がみられます。それは鳥海山をはじめ豪雪地方の山々の東側山麓に残雪が遅くまで見られるのと同じです。西側尾根は北西の風が強く雪が吹き飛ばされ、雪庇ができる尾根の東側に大量の吹きだまりができるからです。

深山の尾根筋散策が趣味のこちらは、今も時々そこへ足を向けます。早くタケノコが出る箇所もさすがにまだ採れ頃とはならずほんの少しが見られるだけ。尾根の風下や窪地には残雪がいたるところで見られます。ブナ倒木には毎年いただいているワゲ(ヒラタケ)がようやく姿を見せ始めました。

今日は父親の月命日。仏前のお膳にも旬の山菜たちがいちばん多く供えられる季節です。

田植え真っ盛り週間に入る

いつの年も5月下旬のほぼ10日間は、土、日曜をはさんで村の田植えが真っ盛りとなる週間です。

その始まりのきのうおとといは、土曜日にこそ午後に一時の雷雨があったものの、きのうは真夏のような陽気で田植えには絶好のお天気となりました。

我が家は、予定を一日早めて金曜日午後3時から植え作業をはじめ、土曜日でまずは春の農繁のしめくくりとなる田植えを終え、きのうは初期の除草剤を散布しました。村内では、わが集落だけでなく田子内地区から椿川、大柳まで、過ぎた週末から植え付け作業がいっきに始まりました。来週日曜までに田んぼは早苗の育つ風景へと一変し、山里の田園には一年ぶりにカエルの鳴き声が響き渡るでしょう。

植えつけの終わった田んぼには、耕起作業の始まりであちこちへ「一時避難」していたイモリたちも戻り「やれやれ、これでやっと落ち着いた」と思っているようです。我が家の田んぼは、タニシ、イモリ、ドジョウ、アキアカネ、各種カエルなどなど多くの生きものたちの住み処ともなっているのです。

早苗田のそばのレンゲツツジも満開となり、遅れて咲くヤマツツジもつぼみをだいぶふくらませてきました。焼石連峰の名峰サンサゲェ(三界山・1380㍍)の頂き近くまで木々の芽吹きが上りつめ、残雪と萌葱の緑の色対称が鮮やかな風景として目に映ります。

三界山麓すぐの沢は天正の滝の源流ともなるのですが、合居川渓谷最上流部のそこには残雪の白さに混じって「よろいのクラ」と呼ばれる崖があり、その脇には私が勝手に「よろいの滝」と呼ぶ河床面に土の多いめずらしい滝があります。(写真のなかに滝は入っています)今はまだ残雪の白さに滝の白さが混じっていて、ここに通い慣れた人でないと遠目ですぐにはわかりませんが、もう少し経って雪がなくなれば、滝の白さだけがはるか高所に浮かび上がります。わが集落から眺めるならそれは最も高い所にある滝となります。今でも双眼鏡ならすぐに滝の存在がわかりますが。

家族は農作業の合間に、転作田25アールほどに栽培しているワラビ採りもしています。ワラビも、毎年田植えの頃に真っ盛りをむかえるのです。

田植えを終えた日の夕餉、妻は神棚に御神酒を献げ、滞りなく春作業を終えたことに感謝しつつ出来秋への思いを込め「穣作となりますように」とみんなで祈りました。

転作田にはウルイやミズ、ギョウジャニンニクも植えられ、脇の土手でもゼンマイやミズを栽培しています。その土手にはシュデコ(シオデ)とならんで山のアスパラガスとも呼ばれるオオナルコユリの仲間が食べ頃で顔を出しています。この仲間の山菜は自生最適の条件がなかなか厳しいらしく、そう多くは手に入らない種です。山菜のなかでも甘みがとりわけ濃く、茎のボリュウムもあるので、「山菜の王者格」にもよくあげられます。私も、大好きな山菜のひとつです。

▼自粛要請により休業していた村の「夢なるせ直売所」が22日、今シーズン初のオープン。コロナ禍や国道397号が閉じているために車の通行量もお客さんもそれほど多くはありませんが、それでも、342号や県道仁郷大湯線は開通しているため須川高原への行き帰りの方が結構おられて、直売所らしく久しぶりに人の出入りが見られる光景を取り戻しました。