暖冬少雪の割には山の残雪が遅くまで

橋梁改修工事で岩手側にはまだ通行できない国道397号は、県境の大森山トンネル手前までの秋田側は通行出来ます。合居川の道路も通行止めが解除され天正の滝へも気軽に通えるようになりました。

二つの道路にきのう入って見ましたが、異常ともいえる暖冬少雪の冬だった割には山の雪解けが遅く、道路沿いにもブナの森や小沢の中にもいつもの年とほぼ同じ残雪が見られます。いつもワゲ(ヒラタケ)の出るなじみのブナ倒木もまだ雪の下。代わりにユギノシタキノゴ(エノキタケ)が見られますから、山の季節の歩みがそれほど早くないことはこれでも分かります。

合居川渓谷「いずくら」の柱状節理の崖には、桜に変わって今度はヤマツツジが咲き始めています。

雪解けの遅い谷ではニリンソウやサンカヨウも花盛り。そこには春一番に最高品質のコゴミが採れる肥沃な土壌の一画があります。大きくなり葉を広げたコゴミの株の群生の中に入り、株立ちの様子や、ひろげた茎葉の形を目にすると、何かおとぎのくにの風景のようにも感じられます。

いつの年だったか、この底部の真ん中に小鳥の巣と卵がありました。小鳥も、巣作り子育てに最適のスポットだとおもったのでしょう。なにしろ、まわりはすっぽりと囲まれていますから。

植え代掻き終える

おととい午後からきのうにかけては本代掻き、植え代掻きとも呼ぶ2回目の代掻きに入り、田植え前の準備作業をこれですべて終えました。

小雨模様のなか早朝4時半からの作業でしたが、朝などは気温が低く濡れた手袋では手が少々かじかむほど。日中も、人々と行き会えば「さんびなぁ(寒いですね)」という言葉が交わされるほんとに寒い一日となりました。

代掻きを終えたためか、水が張られている田んぼも私にはなんとなく落ち着いた風景となって見えます。敷地や田んぼ脇のレンゲツツジも満開。土曜日にはいよいよ我が家も田植えの予定です。

元検察OB連名の二つの意見書

検察庁法改正案の採決が急きょ見送られる事態となった。

SNSをはじめとする広範な批判・抗議の世論と、15日の検察OB14人や18日の元特捜検事有志38人による意見書提出、野党のみならず最大与党内部の有力な国会議員からも批判的意見などが集中した結果の採決見送りである。

この件では、「法案はもっとていねいな説明が必要」という旨の批判的見解を発信した与党内部の方々(総裁選の党員票では現総理を上回った得票実績のある元幹事長や元防衛相)の動きに注目するとともに、元検事総長をはじめとする検察OB14人や元特捜検事有志38人の方々が連名で法務大臣宛に提出した二つの意見書の全文を私はとくに注目し読んだ。

法案そのものはもちろん「改正案」と銘打たれるのだが、当然ながら法案への批判・抗議を旨とする側の二つの主張は「改定案」反対と「改定案」に対する意見書となっている。「改正」ではなく「改定」である。それは今回の法案は「改正」とは認められないからだろう、いずれの意見書とも法案の問題点を明快に指摘しながら結論として、この法案は「検察は国民の信託に応えられない」「検察の独立性・政治的中立性と検察に対する国民の信頼を損ないかねないもの」と述べられている。

法案の重要な問題点を理解するうえで、また検察OBの意見書にあるように「正しいことが正しく行われる国家社会でなくてはならない。」という見地から検察のこれまで果たしてきた役割や疑獄事件とむきあってきた検察活動の歴史の一端を知るうえで、二つの意見書は実感のこもるまことに明快な論立てとなっている。まだお読みでない方にはネットなどで是非一読をおすすめしたい。

今は新型コロナウィルス禍で大規模な集いなどでの抗議行動などはできない状況だろうが、国民の批判がこれだけ大きな法案であれば通常の場合なら国会をとりまく空前規模のデモなどをはじめ全国的な世論の意思表示はもっと大きく「見える」化されていたものと思われる。ネットでの抗議世論の広まりが何よりもそれを物語っているし、異例ともいえる採決の見送りそのものがその証でもあろう。

地方政治の小さな議会ながら、私らが常に重きをおくのは「政治の主権は村民にある」ということである。国政も、都道府県政もそれは同じで、「国民、県民一人一人の主権」が政治を動かす要であることは民主政治の理だ。国民多数の批判の声とともに、二つの意見書を読めば、法治国家であるがゆえに、この法案の再考、撤回がもとめられていることはもう疑いようのないものであると私は思う。

▼写真は、撮りだめしていた渓谷の春の風景と小鳥です。

レンゲツツジ咲き出す

私の集落では本代掻き(植え代掻き)前の畦草刈りを「ノデ刈り」と呼びます。今シーズン第一回目のそのノデ刈りを終えた田んぼは、床屋さんに行った後の頭のようにすっきり。

水が張られている田んぼの脇にはレンゲツツジが3日ほど前から咲き始め、そのあざやかな朱一点が新緑に映えます。わが村の里山に咲くツツジは、ムラサキヤシオツツジとレンゲツツジ、それにヤマツツジ。

この後、一歩遅れて花が咲く紅色のヤマツツジは、我々がガキの頃はお菓子代わりの貴重な食べ物で、花びらをたっぷり摘み取り蜜の甘さと花の酸っぱみが混じった味や、葉っぱについた虫こぶのような塊の味を「もぢっこ(餅っこ)」と呼んで楽しんだもの。

それに比べレンゲツツジは「毒ツツジ」と呼んで昔のガキたちには人気のない花でした。鮮やかすぎるともいえる毒々しい朱色の花は、なるほど花密が毒というだけあって「毒ツツジ」の名がいかにもお似合いです。でもそれは花の食毒のこと、眺めてならばヤマツツジに比べて鮮やかなレンゲツツジの存在の大きさは多くの方々が認めるところでしょう。

今週はこの後に植え代掻き、そして田植えが待っています。週末になればレンゲツツジは花盛りとなり早苗田の脇でさらに朱さを増すはずです。

ツツジが咲きはじめるようになればワラビは採り頃の時期。これからの食卓にはワラビが毎日上がり続けます。

▼15日に開かれた村新型コロナ感染症対策本部の会議の直後にその内容をうけとめ、きのうはその情報を議員各位へ発しました。村のホームページでもその情報は発信されておりますが、7月の村消防訓練大会、公募中だった仙人修行、それに8月の社会福祉大会なども新たに中止が決定されています。

来賓として参加する各団体・組織の総会などもおしなべて中止。構成員となっている組織の総会もすべて全員合意の上「書面議決」で済まされています。組織・団体によっては、あるいは会議の内容によってはこれでよいという訳にはいかないものもあるでしょうが、こういう禍を経た後には、慣例にとらわれずいまの状況にふさわしい総会や会議の持ち方も検討されてよいのかもしれません。

ブナの森の象徴トガクシショウマ

「トガクシショウマの花に会いたい」その思いひとつでこの土曜日、深山渓谷に向かいました。この花と私が最初に出会ったのは今から40年ほど前でしょうか。そこは北上川支流の奥州市胆沢川上流部にある渓谷の急斜面で、土地は岩手の山ですが、秋田のわが村わが集落では古代から「地元の山」として親しんできた所。そこで山菜採りの際に偶然花が目に入ったのでした。それ以後は、わが村の深山渓谷でもこの花の群生地を目にすることができ、以後は毎年のように花時を見込んでそこへ通い続けています。

今年は花の着きがとても多く、美しさはピークぎりぎり。群生の中にはもう色褪せているところもあり、この日会えなければアウトという状態でした。そばには深山の貴婦人とでも呼びたくなる日本の名花シラネアオイも花真っ盛り。二つの花とも、肥沃な土のあまり溜まらない急斜面が好きなようで、とりわけトガクシショウマはそれが徹底していますから、写真に収めるにはやや手こずります。何度も斜面の足下をかため、左手は柴木につかまり、右手でカメラをもっての少々危ない片手撮りです。下手すれば写真どころでなく「滑り落ちる」、ここのトガクシショウマはそんな急斜面に素敵な群落をつくっています。

それらの斜面には深山なのでゼンマイも今が真っ盛り。場所によっては、前述二つの花とゼンマイが隣り合わせていたり、シドケの群生もすぐそばでみられたりします。崖下雪崩跡の肥沃な地面には、雪解けがおそいので真白きサンカヨウも花見頃です。

すっかり若葉に模様替えしたブナの森。灰白色木肌のブナに混じり1本見える黒みがかった木肌のミズナラは、秋にミャゴ(マイタケ)をいただける大樹です。樹下にはムラサキヤシオツツジが花盛りです。谷の上部に向かえば岩手との境を成す山々の残雪と新緑、ブナの森深山だからこそ望める景色が眼前にひろがります。展望のきく尾根では毎年決まったところでゆっくりと腰を下ろし新緑が生み出す空気をいっぱい吸い込みます。

深山のヒラ(底雪崩)跡は、ちょうど氷河が土を削ったのに似たような痕跡をヒド(小さな沢)につくります。ヒドは雪崩で運ばれた斜面の肥沃な土が溜まるところで、そこはウドやシドケ、アザミ、サグ、アエコなど山菜の宝庫となります。

山菜の豊富な雪崩跡はクマ公たちも食を摂る場所で、この季節のクマの主食ともいえるサグ(シシウドの仲間)を食べ、あちこちに糞をした跡もよく見られます。食事をした場所に糞をするのはクマの習性としてよく見られること。わざわざ食事場所で糞をするのは「ここは、オレのえさ場だぞ」という発信の証なのでしょうか。ニリンソウとオオバキスミレの花園の中にも大きなクマでしょう、特大の糞の塊もありました。糞は新しいものではありませんが、サグは今々食べた痕跡ですし、糞の様子からしてクマの体もかなり大きそうなので、谷に響く大きな追い払い声を発しこちらの存在をクマ公に知らせました。

谷に倒れた大きなミズナラの枯れ木からは、毎年天然のシイタケをいただいております。朽ちが進むにつれて発生量が少なくなり、今年はわずか3個出ているだけでした。

澄み切った晴れ空の下、畦塗り

きのうは我が家も手作業の畦塗りです。畦塗りも機械化が当たり前の時代。ですから、きのうお伝えした先輩のSさんや我が家など、こういう手塗りのしごとはわが集落ではほんの数軒だけとなっています。

晴天でも風が強かったせいでしょうか、空がとっても澄んでいて、いかにも青空といいたくなるような「真っ青」な空、その空に浮かぶ雲もひときわ白さがひきたちます。

晴天でも風があり、この季節特有のサクラガ(桜蚊・大きな蚊)も寄って来ずで作業はまことに快適。塗りおえた後の畦と田んぼを見れば、毎年決まったように「手仕事をした後は、気分いいな」の言葉がごく自然に出ます。

今日からは、畦の草を刈り、本代掻き(最後の代掻き)、そして田植えと、月末まで農繁が続きます。冬の間の運動不足でやや溜め込んだ腹回りの脂肪も、春作業の連続でほとんど燃え尽き、今度は腰痛やあちこちの筋肉痛がとれない日々となります。春をむかえ、鍬を持つ度に、年齢を否応なく意識させられてしまいます。なにしろ、コロナ禍でなければ、この6月末に松島で古希祝い(急きょ中止)の同級会をやる齢となっていますので。

荒代掻き

きのうは荒代掻き(一回目の代掻き)に一日を費やしました。本代掻き(二回目の代掻き)を能率良く進めるためと、手作業の畦塗りをするためもあっての作業です。

これが終われば次は畦塗りが待っています。

いつの年もこちらより早く畦塗りを始めるのは、同じ集落の先輩Sさんです。きのう朝の5時前、田んぼの水見回りにでかけたら、Sさんご夫婦はすでに田んぼに繰り出し一区画の畦塗りを終えようとしていました。夜明けが早くなっているこの季節、朝早くからの仕事ができるので、農家のみなさんは秋の倍近い時間の野良仕事ができて大助かりです。

田んぼに初水入れ

畦塗りを前にして、きのうは田んぼに初の水入れです。

毎年のことながら、水路の口を開けて田んぼに初めて水が流れ込む様子を見ると、「さあ、今年も、始まるぞ」の思いがふつふつと湧いてきます。同じ作物でも、「水」を相手にするお米づくりの、これは一種独特の心情といえます。

水路の脇にはモミジイチゴやキバナイカリソウがひっそりと咲き、日向にはスミレの小群落がいずこにも。モミジイチゴは例年より花のつきがよいようですから、初夏には大粒でおいしい実がたくさん見られるかも。

夏のようなお天気の下、転作で栽培している我が家のワラビがどんどん顔を出し始めています。村の農家の5月半ばから下旬は、代掻き田植えといよいよ春の農繁真っ盛りのシーズン入りです。

深山も山菜真っ盛り

春祭りの食卓につきものの山菜をもとめて山に入った人々は「雪が少なかったのに、山菜の時期はそれほど早くなかった」と言います。

私が通う里山近くの谷でも、「山の進み(緑化)はそんなに早くない」という印象を持ちました。

深山渓谷でもそれは同じで、9日に通った深い谷では今がウドやシドケの真っ盛り。昔のハギミ(山菜キノコ採りを生業とした人々)の方々が、国有林にあるゼンマイをめざして何十年も通い続けたガンクラ(崖)のゼンマイも、これから真っ盛りとなります。

以前の今の季節なら、この谷には集落の幾人かのゼンマイ採りプロの方々が山入りしていたもの。谷が幾筋もあり大きいので、おそらく競合しないように「Aさんはこっちの沢、Bさんはこっちの沢、Cさんはこっちの沢」と、それぞれ採り場をすみ分けしていたのでしょう。

それぞれの谷につけられた春先の山道を一番最初によく手入れしたのはゼンマイ採りプロのみなさんでした。なにしろ、中には一歩まちがえば百㍍前後もの断崖を滑落してしまう急斜面を横切る山道もあり、彼らはそこを重い荷を背負って横切ったのです。時にその道を歩いた私も、そういう断崖の箇所では息を一瞬止めて、慎重過ぎるほど慎重に歩を進めたものです。つかめるモノは何も無し、滑落すれば一巻の終わり、ほんとにそれは危険な道でした。

山菜やキノコで春から秋の生計をたてた彼ら山の先輩たちのほとんどが鬼籍に入られ、雪解け水の激しい濁流をこえてこの谷に入るプロのゼンマイ採りはもう誰もいなくなりました。以前のように森林管理署職員のみなさんも山深く入る姿はほとんど見ることがなく、ハギミのみなさんの山入もなくなったので、渓谷の道はほとんど廃道となり、とくに崖の道は完全に通れなくなっています。私の春と秋の渓谷歩きは、今は廃れてしまったそこの山道を通い続けた往時の人々をしのぶ山入りともなります。

雪が少なかったといっても、そこは国内有数の豪雪の深山。最大級の雪崩が起きる谷にはヒラ(底雪崩)の雪がまだ厚い塊で長く広く残っています。

雪崩の斜面はいずこも山菜の宝庫。そこは人だけでなくツキノワグマの大好物のサグ(エゾニュウ、シシウドの仲間)が多く、今々クマさんが食事をした足跡もありました。この日はめずらしくイワダラ(ヤマブキショウマ)を食べた痕跡もみられました。

山菜のオンパレード、静かな春祭り

今日は、連休前後から撮りためていた山菜やキノコたちを勢揃いさせました。

ホンナ、アエコ(ミヤマイラクサ)、ウド、シロデホンナ(ソバナ)、アザミ、コゴミ、シドゲ(モミジグサ)、笹子(ネマガリタケの細めの竹の子)、そしてワゲ(ヒラタケ)をまず並べました。

よく通う渓谷には大きなヒラ(底雪崩)で落ちた雪が被さり、それがほぼ5月中は川への雪の橋となって残っているのが普通です。でも、予想したように雪の極端に少なかった今年は、その雪の橋が4月末にはもうなくなっていました。気温が真夏日のようになった翌日で夜から朝にかけても気温が高かったので、雪解け水で勢いのある川を越えるのにひと苦労しました。

4日の沢のそばにはニリンソウが群生で見られ、エンゴサクの仲間も花盛りでした。

田んぼ脇の土手では、童に手ほどきしながらゼンマイやウド採りです。野に出れば、そこに棲む虫や生きものたちとの出会いがたくさんあり、童はそれで自然に遊んでもらえます。

木々の萌えがすすみ、山暮らしの人々の心おどる「春紅葉」の季節です。ブナの芽吹き前線はいっきに尾根と斜面を駆け上がり、標高千㍍ライン前後まで届いたでしょう。5月に入ってからはお天気に恵まれ田んぼも乾き、山里では耕起作業がいよいよ終盤です。

▼きのうとおとといは、わが集落の山神社と分社の春祭りの日でした。いつもなら4つの親子会それぞれによる恵比寿俵や神輿、青年会や社交クラブの若者たちによる恵比寿俵と、それらが集落をびっしり半日練り歩き奉納されるのですが、新型コロナ禍で今年はいずれも取りやめです。一年でもっともにぎやかとなる神社までの沿道と家々は、人の動きとしてはかってないほど静かな祭り日となりました。

祭りの日は、訪れていた童らとともにちょっとの時間自宅前の沢へ。曇天と小雨の合間を縫っての魚とりです。岸辺の草の根などを足で踏みつけ追い出すと、魚はおどろいて下流側にあてがった網へ逃げます。網を上げると「あっイワナだ、あっヤマメだ、あっウグイだ」童らは大はしゃぎ。

この日の網には入りませんでしたが、沢にはほかにもカジカやドジョウ、スナメロ(スナヤツメ)、ニガペ(アブラハヤ)などがいっぱい棲んでいます。本流の成瀬川だけでなく、山里ではこうした小さな小川でも心を踊らせ童たちは遊べるのです。獲られた魚は少しの間水槽で観察され、すぐに沢へ放たれます。