あきたこまちの登熟すすむ

過ぎた週末の週間天気予報は、雨マークなし、すべての日がお日様マーク付きを知らせてくれました。

こんなに晴天が連なる予報は一年のうちでもそんなにないこと。「ほほう、めずらしい晴れ空続き。ということは、稲刈りになれば、荒れるかな?」と逆に少々の心配が頭をかすめたほどです。

豆名月で夜は明るく、くっきりと澄んだ青空の日中と、おかげで気分爽快な休日の日々となりました。

天気がいいので、あきたこまちの収穫を前にモミ乾燥・調整用の乾燥機や籾すり機械の作業準備にとりかかり、刈り取り用機械・コンバインも始業点検を行いました。機械はすべて順調に動きましたから、お天気がよければ予定通り下旬には収穫作業が始められます。

田んぼにも入ってぬかるみ状態を確認。歩いた状態ではまずまずの落・排水状態なので作業はあんまり難儀せず済ませることができるでしょう。ただし、稲穂がイノシシに荒らされたのは残念で、これからもまだ油断はできませんが、それだけはこれ以上の防ぐ策はとれません。

遅れが言われていた稲穂の登熟も晴天のおかげでかなり進んできました。田んぼには、穫りいれの時期になると群れ飛ぶアカトンボがもう大きな集団で棲みつき、暦で長月の澄んだ陽射しが、空を泳ぐように飛ぶトンボの羽をキラッキラッと光らせます。

天然マイタケも顔出し

先日、「増田のお祭りの頃になれば、山のミャゴ(マイタケ)出る」との旨を記しました。その祭り日は来週の15日ともう間もなくです。

15日前後にカオを見せるのは「シロフ」と呼ばれる色が白みがかった早出のマイタケです。また、通常の色が黒い「クロフ」マイタケでも、倒れて横になった木の根元などに発生するマイタケは、まだ生きているミズナラの木に出るマイタケよりもカオを出すのが早くなります。増田のお祭り朝市などに並べられる天然マイタケの多くは、そんな倒れたミズナラ大木から採られたものなのでしょう。

こちらも長年の春山登山やクマ狩り、キノコ採りの山歩きで、寿命を終えたミズナラ大木が倒れている箇所をわかっていて、きのう車のすぐそば道路わきにあるそのうちの2本に立ち寄りました。

予想した通り、うち1本の根株に食べ頃の小さくて形も弱々しいマイタケがわずかですがカオを出していました。ほんの少しですがいつもの年より10日ほど早く、思わぬ最高級キノコの香りと味を楽しむことができました。

そばの倒れたミズナラにはやや老い始めたマスダゲ(マスタケ)も見られ、先端の軟らかい部分だけを切り取って一夜味噌漬けでおいしくいただきました。

家周りでは、ハタケシメジもむっくりと黒い傘で登場しています。里山ではアガキノゴ(サクラシメジ)がそろそろ盛りを迎える頃でしょう。

先日も記しましたが、これからは食毒数多のキノコがいっせいにカオを見せます。それらの中には、今回も写真の最後に載せたようなキノコ中毒事故の多いクサウラベニタケもあります。

毒のクサウラベニタケとイッポンシメジは、食べられるキノコの王様ともいわれるホンシメジや、やはり食べられるウラベニホテイシメジ、カクミノシメジ、スミゾメシメジなどと間違われやすいキノコです。

あと2週間で秋分の日となり本格的なキノコシーズン到来となります。毒キノコの誘惑に負けない心がけが求められる季節入りです。

▼今日は村議会9月定例会議2日目の本会議で2議員による一般質問と陳情審議があります。終わっては予算特別委員会も予定されています。一般質問は3議員の通告でしたが、通告していた1議員が急きょ欠席となったため2人の質問となります。

村道の改良、林道・作業道保全の大切さ

冬期も除雪車が入れるような生活道路整備を長年計画的に進めてきたわが村。整備は人家が連担するところなどを重点的に進められ、要望箇所の改良・新設はあとのこすところわずかとなっています。

滝ノ沢菅生田地区にもそうした箇所がありましたが、今年その箇所の工事が着手され、あとは舗装ができれば完成という段階まで工事は進みました。

滝ノ沢地区にはもう1箇所人家の連担する所からの道路改良要望が以前からあがっていて、議会も現場を何度も視察しています。そこも早く要望に応えられるようにしたいものです。それが実現できれば、集落を貫く村の大小生活道路は改良整備がほぼ終わり、村による除雪体制がいっそう充実されます。

▼道路の大切さということでは、村道だけでなく過去に多額の費用が投下された村管理の林道や集落の農道、それらの道からつながるやはり多くの費用を投じて造られた林道作業道の維持管理も重要な課題です。

これらの道路についても村は総合計画でその保全の重要さを新たにかかげました。わが集落にある作業道でも、計画の視点に基づいて今年も村による維持管理の作業が手早く行われ、沿道の草刈り柴木刈り、そして道を横断するコンクリート管の土砂詰まり除去、側溝の開鑿、道路への砂利敷など的確な保全措置がとられています。

沢筋の農地が荒れ、林道だけでなくそれらに連なる山に入る農道の管理すら手不足になっている昨今です。なので、林業の振興はもちろんのこと、集落の生活をささえる村内全体のこうした山に入る道の維持、修繕、保全・管理が、山村の政治にとってはとても大事な務めとなっています。山の道は、いったん荒らして木が生えたり、側溝や横断管などが詰まって路面を水が走るようになれば、その復元にはまた多額の経費がかかるからです。

秋キノコのはしり次々登場(その二)

はしりの秋キノコのなかには、もう一つ加えておきたい仲間があります。それは、わが集落でフジミャゴと呼ぶシャカシメジ(センボンシメジ)。

このキノコも、9月初旬になればこんなに立派な姿で毎年ほぼ同じ樹下で出会えます。今年は、まずまずの発生量のようで、成菌、老菌の株がそんなに離れずに並んで見られました。4日でもうこんなに生長していますから、老菌は1日あたりだともっといい形で見られたはずです。

自然は「芸術的」な美しさをもつ造形にも長けているもの。シャカシメジの塊は、ほかのキノコにはない独特の見映えがあり、しかも味もそれほど悪くないので「通」の間では垂涎の的に入れられるキノコとされます。食べ頃の塊に出会えるのはなかなかむずかしく、発生箇所も極めて限られ数量も少なくそうは手に入らぬ高級キノコ。なので、採取できたら、やや構えてお吸い物などで少しいただくとありがたみが増します。

峰筋近くに発生するシャカシメジに会おうと沢をのぼったら、草むらにも枯れた木の根株にも、倒れた針葉樹と広葉樹にもネスゲモダシ(ナラタケモドキの仲間)がみられます。ナラタケの仲間では早く発生する種ですが、今秋は例年よりさらに早いカオ出しです。同じ仲間では出汁味がもっとも優れているキノコです。

里山の林内には、ほかにも食毒数多のキノコがいよいよ一挙に登場です。最後の写真はキノコ界最強の猛毒菌とされるテングタケ科の仲間(ドクツルタケ?)です。この美しい白さが猛毒をはらんでいる、天は、なぜこのキノコにそんな強毒をもたせたのでしょうか不思議です。

秋キノコのはしり次々登場(その一)

村の9月は秋キノコの仲間たちが次々とカオを出し始める時。

まず私にとってそのはじまりはネズミハギモダシ(ウスムラサキホウキタケ)で、それに早生のアガキノゴ(サクラシメジ)も加わります。

3日、先月末にカオをだしたばかりのウスムラサキホウキタケを「見置き」した里山にまず足を運びました。その日から一週間も経ったらキノコたちは大きく生長して、その時には姿の見えなかった塊も列をつくっていっぱい。今年は、やや発生量が多いようです。

大きいのはマイタケと同じような形で、もっこりとした株を見せ、ホウキタケの仲間のうちでは最も厚みのある塊の様子は見事です。くせのないキノコなのでどんな料理にも向きます。肉厚なので、湯がいて刺身風もよし、厚めに切って炒め物もよし、旨味のたれをつけマイタケのようにそのままホイル焼きにしてもおいしいです。

そのそばには早く出るサクラシメジもやはり列をつくってカオを見せています。こちらはごく簡単に里山近くで採れて、発生量の多い年は1箇所で大量に収穫出来ることもあり、幅広く人気のあるキノコです。わが家では塩漬けにして冬に鍋ものでいただきます。

ハギモダシ(ハナホウキモドキ)も晩生が盛りで、それにも少し手をかけました。2つのキノコをならべれば、ウスムラサキホウキタケの肉厚ぶりが目立ちます。ハギモダシを、ハナホウキタケとかベニホウキタケと記すガイドブックもありますが、完全にそれらとは別種とする「ハナホウキモドキ」と名をつけた研究者の論にこちらは寄り添います。

まもなく増田の祭り(花火で昔から有名)があります。村人は、「増田のおまづり(祭り)になれば、早生ミャゴ(マイタケ)おえる(生える)」と言います。今年も早そんな季節になりました。

田んぼを荒らすイノシシ

先月末、稲穂が色づき始めた田んぼに通ったら、圃場の真ん中あたりの稲が荒らされた状態で倒れています。

わが家の田んぼは倒伏するほどの肥料を稲に与えておらず。だから風や雨で倒れるような状態ではないのにその稲がどうしたのか倒れている。「これは生きものが倒したのだ。クマかイノシシかシカか?」と思いつつ確かめたら、案の定それはイノシシの仕業でした。

田んぼだけでなく、ミミズなどを食べようとして畦を大がかりに崩し農道の土を掘り返した跡が随所にあり、田んぼのなかには足跡も歴然。稲は倒され、稔り始めた穂を食べた跡を見て愕然。

もっとも山沿いにある田んぼで、しかもほかより田植えが早く実入りが早いことをイノシシも覚っていたらしく、わが家の田んぼが彼らの絶好の標的とされたようです。

「難儀して育てた稲を、なんで荒らしてくれるのか!」というのは人間の側の言い分。クマもシカも、そしてこのイノシシもふくめ野の生きものたちにとっては、果樹園も畑の野菜も、田んぼも、うれしい食べものの摂れる所だけのこと。そう達観してあきらめるしかありませんが、秋まで育ててきた稲が倒され食べられた跡をみるのはしのびないものです。

早速、役場に連絡するとともにラジオを据え付けて夜に鳴らし続け、人の臭いのある衣類などを畦に立て吊してとりあえずの防御をしたところです。昨年に続いての被害です。この村で農作物がイノシシの食害に遭うなど、近・現代では想像もできなかったことがもうあたりまえの時となりました。稲を食べるクマがいるということもふくめてです。

先日は、食いつぶされ倒れた稲をそのままにしておかれず、茎を起こし結わえる作業に腰が痛くなるほどの時間を要しました。茎が折れてしまっているからもうだめでしょうが。

9月定例会議始まる

9月定例会議がきのう開会されました。会議は16日までの日程で開かれます。9日には一般質問が行われ、その通告は今日正午に締め切られます。

9月定例会議は俗称「決算議会」とも呼ばれます。令和3年度村会計の決算審査が13~14の両日、議長と議会選出監査委員の議員をのぞく8人構成の特別委員会で行われます。決算審査は委員会審査のなかでも予算審査と同じように重要で、過去の議会をふりかえれば審査時間も最も多く要される委員会となります。

「決算議会」では、議決に基づいてとりくまれた各事業がどのような成果をみたのかなどが審査され、場合によっては今後の予算編成にも一定の影響が及ぶので、質疑応答にも相当の時間を要するのです。今議会でも2日間の特別委員会で旺盛な議論が交わされるはずです。

無念、同級生の突然の訃報

仙北道歩きをして帰った28日夕のこと、同級生Tさんの突然の訃報が入りました。

闘病中の身であったのはわかっていたのですが、あまりに急なことなのでとにかく驚くよりほかなしです。夜も、早すぎる突然のご逝去がどうしても信じられません。翌朝、弔問に向かいました。現実を認めたくないのですが、しかし、眠るようにしておられるご遺体を前に、無念の事実をうけとめるしかなくご冥福をお祈りいたしました。

Tさんからは、同級生でもあるこちらに対して率直な意見・助言を寄せていただくことがありました。その言葉は私にとってとてもありがたく感ずるものでした。そういう言葉をよせていただいた当時のことや、キノコ採り好きのTさんと深いブナの森で思わぬ行き会いをした日などを偲びつつ、無念の別れの思いを込め助言頂いたお礼を捧げました。

葬儀はきのう執り行われました。30日、31日と都内で東北3県町村議会議長会の研修会に出席、秋田の会長としての務めがあり葬儀へは向かうことができませんでした。

まだ71歳でのご逝去、ご本人の悔しさとご遺族皆様の無念と悲しみを思うと、帰京後こうして文字を連ねているうちも言葉に詰まります。今はただただご冥福を心よりお祈りするばかりです。Tさん、どうか安らかにお眠りください。

▼岩手、山形、秋田3県町村議会議長会の合同中央研修会がきのうとおととい行われました。やはりこの行事も新型コロナ禍で中止が続いていて、3年ぶりの開催です。ただ思わぬコロナ第7波のなかでの再開となったので、開催前も開催中も感染症が頭からはなれない気苦労の多い研修会となりました。今年は、それに3県とりわけ山形と秋田に関わる記録的な大雨被害が重なり、なおさら気の重いなかでの研修会となりました。当番県の岩手のみなさんにはそういうことで大変なご難儀をおかけしました。

研修会は、室山哲也氏(日本科学技術ジャーナリスト会議会長)が「人工知能にどう向き合うか」で、土山希美枝氏(法政大学法学部教授)が「いま自治体議会に求めるもの 政策議会の資源と成果を考える」で、田﨑史郎氏(政治ジャーナリスト)が「日本政治の課題とゆくえ」でそれぞれ1時間半ずつ講演されました。各氏の経歴などは別掲のとおりです。また、全国町村議会議長会の議事調査部から、「議会の個人情報保護条例制定に向けた手順」の説明も30分ほどありました。これは法施行の関係上、議会として来春までに対応をもとめられる課題です。

講演での学びもいろいろとありましたし、また互いに県内同士はもちろんですが、合同開催ですので我々であれば山形、岩手の議長さんたちとごあいさつを交わす貴重な機会ともなります。常任委員会等の視察活動に向けた相談事などもいろいろと交わし合われる集いともなりました。

仙北道(手倉越)踏査行(その二)

いつの踏査でもそうですが、参加される方の中には動植物をはじめとする生物、地理など自然界全体のことにとりわけ詳しい方がおられるもの。

今回の山行でも、とっても詳しい横手市のSさんが参加されていて、歩きのなかで植物などに目を注ぎながら生きものたちのいろんな生態のご紹介があり、「黙々」と雨と霧の中を歩くだけでない踏査ができて退屈しなかった。

街道沿いには、秋の気配を感じたキノコや花たちがポツポツとよくみられた。それらのうちのほんのわずかにカメラを向けた。

この日の一番の驚きは、往路の柏峠~山神の間で、道のわずか数㍍そばにあるブナの木に登っていたクマを目にしたこと。

こちらは踏査隊の3班となったので全体の歩く位置列では真ん中辺り。先の方々が歩いた時には樹上にいたクマはまだ人が気づくような動きをしなかったようで、こちらがそのブナの木そばにさしかかろうとしたら、突然樹上から真っ黒物体がまるで落ちるような早さで木を下り(落ちたのではない)、それこそあっという間に笹藪に姿を消した。

大きさ1㍍ほど。それほど大きなクマではないが立派な成獣だった。すぐ脇にこちらより先の班の方々が歩いていたのだが、幸いよく人に向かってこないで逃げてくれたもの。あまりに人の列の近くなので、クマの気性やうごきによってはほんとに危なかった。

クマが見えなくなってから樹上を見上げたらブナの実の生る枝がだいぶ折られていた。樹下には写真のように折られて落ちた枝がいっぱい。枝に着いていたブナの殻(いが)ごと割って実を観たらびっしりと中が結実していた。もうクマの主食に値するほどの立派な結実ぶりだ。普通の年のクマだと今が一番食べもの確保に苦労する時。でも、ブナの実の豊かな今年、結実し稔り始めた実をクマが見逃すはずがないのである。

このブナは、もしかしたら山中の数多あるブナのなかでも実を比較的早く結ぶ樹なのかもしれない。おいしいブナの実をゆっくりと味わっている時に、クマにしてみれば「まさか」の多くの人間たちの現れに「びっくり仰天・動顛」の瞬間だったにちがいない。

昨年秋は合居川で、電柱より高い杉の樹でヤマブドウを食べていたクマが、こちらを発見しあわてたのだろう、杉の枯れ枝に手をかけそれが折れて真っ逆さまに転落した場面を目にした。猿だけでなく「クマも樹から落ちた」のである。しかし、今回のクマは、落ちたのではなく落ちるような早さで樹を途中まで滑り下り、最後は跳び下りたのである。一瞬のことで、すぐ目の前の出来事だったが、あまりにクマの動きが速くカメラを向ける余裕はなし。人もドデンした(驚いた)が、クマもなんぼがドデンした(驚いた)ことか。

 仙北道(手倉越)踏査行(その一)

陸奥と出羽を結ぶ道としてひらかれた古道・仙北街道(仙北道・手倉越)の踏査が28日に行われ参加。

街道の踏査は、秋田側、岩手側で一部区間においては年間様々なかたちで行われていて、村から奥州市胆沢の途中までをたどるもっとも時間を要するきのうの踏査もそのうちのひとつ。今回の踏査行は村公民館と村仙北街道を考える会の主催。

きのうは、奥州市側から胆沢ダムの支所長さんも参加。また、地域交流センターゆるるん前で行われた出発式には奥州市胆沢愛宕地区センター長さんもごあいさつと見送りに出向かれた。朝6時出発予定の日程でしたから、奥州市から早朝に出かけられてのご厚意にみなさん感謝。こういう踏査交流がつづいているのも「32年前にやっと復元の踏査がはじまった古道・仙北道をなくされない」という互いの熱い思いがあるから。

さて、この日の街道歩きは予定したコース全体を歩くことは悪天のため断念。前日来の雨で成瀬川が増水した状況や当日の降雨も確実視され、胆沢川支流の小出川や栃川など大きな川の渡渉が危険と判断されたためだ。

このため踏査は、小出川手前の「山神」までとし、そこから引き返す行程に変更された。

歩き始めの姥懐(んばしとごろ・うばふところ)でいつものように御神酒を献げて一同安全祈願。はじめは雨具なしで歩けて「これは、儲け空」などと喜んで語り合った。が、途中ポツポツと雨粒が落ち始め柏峠付近でとうとう雨具着用を迫られるお天気に。

「山神」で御神酒を献げ、引き返して柏峠でめずらしい昼食。いつもならここから望める東山方面も遠くへの視界はゼロ。復路をさらに進めて「せめて帰りの展望を」とみなさん楽しみにしていた「丈の倉」からの焼石連峰眺めもやはり霧に隠されダメ。

予定のコースをたどれなくなったのも残念、それに雨と霧で遠くの視界がみんなさえぎられ、さらに雨具をつけての歩きなので、山行としては残念がいくつも重なった歩きとなった。しかし、歩く途中の胆沢川支流岩ノ目沢支流の水量や、谷から聞こえる岩ノ目沢の流れ音などを耳にして「これは、この集団での小出川渡渉はむずかしいかも」とあらためてこちらは思った。それに再度の降雨がつづいていたからなおさらである。

天候に左右される山歩きとはこういうものである。ましてや、初参加の方もふくめ集団が多いときはなおさら危険を避けなければならず、今回の「渡渉せず途中で引き返す」は賢明な判断だったと思う。この街道踏査は渡渉の安全確保が最優先といってもよい山行。こういうことも一つの貴重な体験、こういう山歩きもあるのだ。こちらも、いろいろと学びの多い「引き返し山行」となった。