地区要望箇所の視察、議会全員協議会、農業委員会懇談会

各地区、部落から村と議会へ寄せられていた今年の要望について、現地視察が必要な箇所へでかけて集落の代表者から説明を聞く活動がきのう行われました。

議会の側は、常任委員会の調査活動という位置づけで、議員、副村長、関係課長とともに村内全域をまわりました。

この日の最後の視察地は大柳沢。ここは、用水路の取水口点検にでかけ、帰路で雪崩の直撃を受けた元部落長のNさんが亡くなるといういたましい事故現場があったところです。昨年12月末のことです。

事故を教訓として、集落の方々が「冬に安心して取水できる水路実現を」として要望を出していたものです。

むかしの人々が、谷の岩を削って水路がつくられた急峻な現場(写真)をみればすぐにわかりますが、まさにそこは雪崩だけでなく上から何がおちてくるかわからない、そして下方も切り立った「命がけ」の岩場の通り道です。

村内には、ここだけでなく同じような渓谷岩場に切り開かれた危険な用水路がありましたが、その多くは改良工事がすすめられ安全がかなり確保されるようになっています。

要望を受けた村では事故を繰り返さないための最良策を地区と協議しながら検討をすすめます。当座の対策と抜本対策を合わせて地区住民の切なる願いにこたえる策をとらねば、と現場を再度訪れた議会側も痛感したところです。

▼視察を終えた後に議会の全員協議会が開かれ、秋田栗駒リゾート(株)の営業状況報告について説明を受け質疑応答が交わされました。村の顔ともいえる指定管理の企業だけに、
議員からは各方面にわたる質問が次々と出されました。

▼それを終わって夜は農業委員会の懇談会へ。新しい農業委員による初総会がきのう開かれ新役員(会長・佐々木省吾氏、会長職務代理・佐々木文一氏、いずれも新任)も決定。農地利用最適化推進委員の委嘱も行われ、新体制での業務が始まりました。

旧委員の任期は19日限りで、そういうこともあって懇談会の中身はいわば歓送迎会ということになりました。私もふくめ農業委員会の業務から完全に退任するのは7名で、全員これまで公選で職務に就いてきた者たちです。私も、会長職15年を含む12期36年を勤めた勘定になります。みなさんのささえでなんとか役割を果たしてこられたことに感謝の言葉を申し上げ、懇談の時を過ごしました。

小学生のみなさんとふれあいのひととき

きのうは、午前、午後とそれぞれ少しの間、東成瀬小学校の子どもさんたちといっしょのところで過ごす時があった一日でした。

まず午前。役場にいたら携帯電話へ突然の着信です。電話の向こうの声は成瀬川漁業協同組合の事務局長Hさんで「これから東成瀬小学校4年生の子供たちがイワナとヤマメを川に放流するので現場に来てみてほしい」というお誘いのご連絡です。

Hさんは昔からの知人で、アユもふくめ成瀬川への魚の放流のことなどでこれまでもいろいろとお話を交わし合ってきた間柄。ていねいなご連絡を受けましたので、魚を放す岩井川真戸橋上流へ早速かけつけました。こちらは、名ばかりの漁協の組合員でもあります。

きのうは天気もよくて、まさに「放流日和」。4年生のみなさんは目を輝かせて漁協の方々からいっぱいの稚魚をバケツに入れてもらい、時に歓声をあげながら水量の豊かな成瀬川へ次々と魚を放していました。イワナやヤマメはすでに漁協によって大量に放流されているでしょうが、今年もアユが真戸橋の周辺にも放流されたそうで、「ここのアユは水がきれいで美味」と評判の声が太公望さんたちから寄せられるそうです。

肴沢の堰堤に魚道があれば下流のアユものぼってこられるとのことです。放流されたイワナやヤマメが育ち、加えて岩井川の堰堤もふくめてアユがしっかりのぼれる川になれば、成瀬川は天然アユの遡上もふくめさらに「おいしいアユがいっぱいの川」として人気が高まり、村を訪れる渓流釣りの方々も増えるでしょう。

▼午後は、少し前から計画されていた「クマの被害にあわないため」ということでの小学校全校のみなさんとのお話の集いです。

増田警察署・東成瀬駐在所さんからの呼びかけもあったらしく、村教育委員会と小学校が主催した集いで、村の猟友会へ「語り」の役割が依頼されていたものです。こちらは猟友会の元会長ではありますが、いまは会員としてはかろうじて籍を置いているものの、銃はすべて廃止している身、もちろん役員でもありません。語り手としてはふさわしくないと思いましたが、会側から「なんとか」の頼みをされ、まずは引き受けました。

短い時間で、しかも保護者ではなく小学1年生から6年生までの子供さんたちだけに「被害にあわないため」のお話をするのはなんともむずかしいもの。10日ほど前に田子内大橋場コンビニそばの国道にかかる大きな橋を駈けるクマを、Tさんが車の中からスマホで撮ったという写真などを拝借しながら、なんとかかんとか語りの時間を過ごしました。

振り返ってみましたら、お話しようと思ったことの7割ほどしか語れず、しかも大事なことをふたつはずしていました。はずしてしまった大事なことの一つは子連れの母グマのこと。子連れの母グマには特別に注意が必要で、人と出会えば子をまもるために人を襲う場合が、単独行動のクマよりずっと多いこと。もう一つは人間が捨てたゴミもクマを人のそばに近づける原因となるので、道ばたや川、山にゴミを捨てないことについてです。

ジュースやビール、酎ハイなどの空き缶はクマが大好きで、ビールの缶を牙でズダズタに穴を開け缶を裂き破いて缶に残ったビールを飲んだりなめたりした跡がよく見られます。クマは学習能力が高いですから、道ばたに行けば空き缶が捨てられているとわかれば寄ってくることは充分考えられることです。ゴミでは食べ物類のゴミもあります。山へ捨てられる食べ物のゴミにもクマは集まりますが、用水路に捨てられるゴミもそれは同じです。

集落の用水路はやがて成瀬川に合流します。用水路に食べ物類のゴミが捨てられれば、ゴミの流れ着く先は川との合流点。クマは腐敗した食べ物も大好きですから、ゴミがいっぱいのそこへ集まります。クマは普段でも集落に近づく時にたいてい川岸を伝ってきます。私の推測ですが、各集落で、大きな用水路が成瀬川と合流する場所近くでのクマ出没情報が比較的多いように思われます。水路に捨てられた生ゴミや空き缶がクマをおびき寄せている遠因となっている可能性も大いにあり、なのです。

結局、クマと出会ってしまう機会を増やしているのは私たち人間社会だということになります。きのうの語りのいちばんの目的は「クマの被害にあわないために」ということで、被害に遭わないために最も大切なことは「クマと出会わないようにすること」と申し上げましたから、クマをおびき寄せてしまうゴミのことはお話しておかねばならないことでした。これも先に学校から子供さん方へお配りしていただいた環境省のパンフレットなどにも書かれてありますので、先生やご家庭のみなさんからもっとくわしくクマのことを教えていただいたり、話し合ったりしてもらいたいと思います。

今回はそういうことのきっかけになればということで、お粗末な語りはごめんしてもらいます。いっぱいの子供さんたちと向き合っての語りってほんとにむずかしいものですね。学校の先生方の「教える」ご苦労をあらためて知ることになった集いで、どうもこちらが一番勉強になった催しということになりました。

最後に、この機会にひとつだけ記しておきたいことがあります。「クマ避け鈴をつけていてもクマに襲われた」「ラジオの音はかえってクマを人に近づけるのではないか」などを報道や出版物の文章でふれることがあります。しかし、それをもとにして「鈴やラジオはクマ避けに役立たない」というのは早合点過ぎます。前記のいろいろな事例については、どんな条件、環境のもとで「鈴があっても襲われたのか」どんな条件下で「ラジオを鳴らしていても襲われたのか」という検証が必要と思うからです。もちろん鈴が万能なわけでもありません。しかし、音を出して、臭いを出してクマに人間の存在を気づいてもらう、そのためにはラジオも鈴もまったく有効で、とくに人の声は最も効果が大きいこと。襲われないために、それにはまずクマと出会わないことが最大の防ぎょであり、その時、音は一番の役割を果たすことは確かですから、例外情報に振り回されずクマを遠ざける基本の対策をおろそかにしない。それが大事だとこちらは考えていることを記しておきます。

国道342号整備促進同盟会へ

横手から当村を経て奥羽山脈を越え、一関市を経て宮城県登米市に至る国道342号線の整備促進同盟会の総会がきのう一関市の保健センターで開かれ、副村長、建設課長とともに出席。

地元の岩手県議さん3氏や関係する3県の道路担当幹部職員さんが来賓として出席されたなか、総会は事業計画を決め決議案を採択しました。秋田側が要望する強調点は1.仁郷から狐狼化までの雪崩防止対策、1.冬期間通行止め区間のゴールデンウィーク前の早期解除の2つです。

往きは397号を、帰りは342号を通りました。一関側は例年こちらよりやや田植えが早いのですが、車窓から見る稲の成長具合はわが村とそれほど変わらないように見受けられました。

途中立ち寄った厳美の道の駅。ここも地元産の夏野菜がいっぱいならぶ季節入りです。

▼夕方、家のまわりを散歩したら、毎年おいしい実をつけるクマイチゴの仲間の木イチゴが熟期を終える姿で見られました。深山のクマイチゴはこれから熟すでしょうから、林道沿いなど、クマたちも一年ぶりに真っ赤な実のあるところを覚えていて寄ってくるでしょう。

村福祉大会、ボンアゲズ羽化、ヒグラシ初鳴き

14日は、前日に開催した高速道路関係のフォーラムに関係した湯沢雄勝の商工関係者や秋田県南、山形最上地方の首長や議長さんたちとともに湯沢河川国道事務所への要望活動を行いました。

15日は村の社会福祉大会へ出席。大会では、ささえあい、助け合いの活動分野で地道にがんばってこられた方々が表彰され、小中学生の意見発表もおこなわれました。講演ではラジオDJなどで活躍されている県ボランティア団体連絡協議会会長の阿部十全さんが、ユーモアに富んだ独特の口調と歌で「福祉」の大切さを語りました。

▼猛暑が続いた週末、不十分にしていたたんぼの水切り仕事をとりあえず済ませました。これでたんぼへの水たまりはほとんどなくなりましたから、カエルやイモリたちはみんな用水路脇などに完全移動したでしょう。

16日、そのたんぼにいっせいにボンアゲズ(アキアカネ)が羽化しました。クルマアゲズ(ヤグルマトンボ)もいっしょです。今度は、ウグイスの初鳴きやオオルリやキビタキ、ツバメの初飛来とともに、ボンアゲズの羽化も自分の季節指標にいれておこうと思いました。その日の前日、夕方、カンカンカンカンと本格的な夏の訪れを告げるヒグラシ蝉の初鳴きも聞きました。

トンボや蝉の羽化や初鳴きの日はいつもの年とどんな違いがあるのでしょうか。きっと、篤農家の皆さんなどは、日記などに書き留めておられる方もいるでしょうね。

17日、やり残していた薪切り作業をやっと終えました。買い求めたミズナラ薪木が5張(約5㎥)、息子の妻の実家が果樹農家で、倒されたり剪定されたりんごの木も毎年運び込んでもらい、さらに今年は、こちらの妻の実家が昨年まで続けていた洋なし栽培を止め、まだ収穫盛り樹齢の梨の木を切り倒していたので、それも薪用に運んでもらい、今年はミズナラ、リンゴ、梨と量が豊富です。合わせたら7㎥近くになるでしょうか。

7月は猛暑など晴天が続きましたが、田植え時以後の低温で村の農作物の生育は依然遅れを取り戻せないでいるようです。我が家など、週末に今年はじめて小さな「元成り」ナスがもぎ取られてきました。

▼妻が若い頃農業の先進地研修でお世話になった千葉館山の花卉農家Sさんから、真夏の定期便トルコギキョウが届きました。暦はまもなく大暑。村の直売所にもトマトが並び始め、食卓にも地元産夏野菜のにぎわう季節がいよいよやってきました。みずみずしいナスとキュウリとトマトで食欲もりもり、猛暑克服です。

「山形と秋田の高速道路を早くつなげて」とフォーラム

残りの畦草刈りや、畑や家まわりの草刈りもきのう終え、午後は山形と秋田の内陸部を通る東北中央自動車道 新庄・湯沢間 建設ビジョンフォーラムで湯沢の文化会館大ホールへ出かけました。

湯沢商工会議所が主幹をつとめる実行委員会が催すフォーラムで、商工関係者や行政関係者、国会議員や両県地域に関係する県議、官庁、山形の新庄・最上地方と秋田県南市町村の首長や議長等が出席しました。開会の挨拶には東成瀬村商工会の鈴木会長が立ちました。

フォーラムでは2つの演題で講演がありました。ひとつは十文字町出身の佐藤登氏(名古屋大学未来社会創造機構客員教授)による「自動車の先進技術と道路がもたらす新社会創生」と題するもの。佐藤氏は、そんなに遠くない将来、自動車は燃料を燃やして駆動するエンジンの時代が終わり、すべて電気でうごくエンジンのない車社会が来る旨を、世界の先進例をひきながら語りました。車の部品関連産業も、道路も、各交通行政もそうした新たな車社会に対応した政策がもとめられるようです。

二つ目の講演は「東日本大震災の対応について~大震災から得た教訓~」と題して、(株)復権技術コンサルタント事業企画本部理事の熊谷順子氏によるもの。熊谷氏は、東日本大震災時に東北地方整備局企画部防災課長の職にあり、東日本大震災のみならず、それ以前の震災なども含めた教訓を語られ、とりわけ、災害初動時に行政とそのトップの下す判断が、その後の被災対応に重要な結果をおよぼすこと、大震災時には道路が様々な側面から「命の道」となったことなどを強調されました。

▼草刈りを終えて田んぼ脇の草むらを見たら、梅雨時の花エゾアジサイがいずこでも花盛りです。同じ草むらには、ツリガネニンジンにやや似ていてそんなに目立たぬ花も咲き始め、ノアザミやオカトラノオも花が見られるようになりました。モミジイチゴも「これがシーズン最後」という実をまだつけていましたので、完熟の甘~いつぶつぶをおいしくいただきました。

県南3ヵ町村議会の研修交流会

羽後町、美郷町、東成瀬村の3町村議会連絡協議会の研修交流会がきのうおこなわれました。

毎年恒例の行事で、今年の持ち回り当番地は羽後町議会。

この日見聞を広めたのは①「道の駅うご」、②町で最も雇用者数の多い誘致工場そばに同じ資本系列の新たな会社がつくられている、その新工場建築現場、③舞踏家・土方巽を被写体とした写真集を展示する同町田代の旧家長谷山邸の土蔵「鎌鼬(かまいたち)美術館」、④日用品の販売をする店舗を地域の人々の出資で運営している「仙道てんぽ」などでした。

写真は、旧長谷山邸と重厚なつくりの土藏を活用した「鎌鼬美術館」の外と内部。

視察先のことだけでなく、話題が豊かで、テーブルに並んだごちそうを食べる間もないほどに会話に熱中した夕方からの意見交換会もふくめ、羽後町、美郷町と、それぞれ個性あふれる自治にとりくんでいる様子をたくさん感ずることができた交流会でした。

3度目の畦草刈り

日々の決済や、議会と農業委員会の当面する活動の打ち合わせを役場で終えた後、「行事の合間に」と、妻と二人3度目の畦草刈りにむかい、これは文字通り汗を流しつづけました。

若いときなら、こんな猛暑日の下での農作業はもちろん、真夏に行われた倒した杉の皮剥きや伐木の山林労働を含めごく当たり前のことでなんともなかったのですが、66歳を越えた体にはこの暑さのもとでの外働きはさすがこたえます。

取水口に落ちる水と完熟中のモミジイチゴの実でたまに喉の渇きをうるおしながら、まずは一日目の作業を終えました。

猛暑続く

冬に手術した目の治療がまだ続いていて、行事などの合間をみてほぼ一月ぶりに昨日通院。

「このひと月、どうも目の調子がおかしい」と伝えて診察にのぞんだら、一ランク効き目の強い目薬に戻ってしまいました。完治にはまだしばらくかかるようです。

20歳の頃1年間お世話になった相模原市のS農園さんから、夏の定期便甘いトウモロコシが今年も届きました。意外なことに、相模野の台地は春から夏にかけて好天に恵まれたらしく「野菜類の成長が例年より早い」ということです。

 

 

▼「5月25日頃以降に植えた稲が、低温期と重なり茎数不足など生育遅れ」という様子です。わが家もちょうどその生育遅れにバッチリとあたる田植え時期でした。それに化成肥料もぐんと少なめに施しているため、最近にはなかったほどの小さな稲株がならんでいます。

2日続きの猛暑で、まもなく暦は土用。時期が時期ですし、いずこも粘土質のたんぼなので、きのう「土用干し」といわれるたんぼの水を落とす「中干し」をはじめました。しばらくは、朝夕の「田の水見」出勤はなくなります。が、潟と海のような高低差のあるこちらのたんぼでは、海となる窪み箇所の水切りがこの後必要で、加えて暑さのなかでの3度目の畦の草刈り作業が待っています。

たんぼの水が突然なくなったので、イモリやカエルは大あわて。しばらくは、水気のある場所へ移り仮暮らしが始まるでしょう。

写真は、わがたんぼの取水口に群生するおいしいおいしいミズ(ウワバミソウ)です。熱いミズ鍋をフーフー吹きながら食べて、暑さに負けない体をしっかりとつくらねば、です。

猛暑下での消防訓練大会

きのう、村消防団の訓練大会が、朝から猛暑(午後の岩井川国道の温度計は36℃)の下で行われました。

お仕事をもちながら、早朝、夕刻、休日にと、この日まで練習に明け暮れた団員のみなさんのがんばり、それをささえるご家族や職場のみなさんにも頭が下がります。大会当日の技の披露も、小型ポンプ操法をはじめ湯沢雄勝地域ではトップクラス常連のみなさんが多いだけにそれは見事なもの。

今年は、久方ぶりに女性消防団も復活組織(40数年前にも一度結成)されていて、みなさんの前で、頼もしい姿も披露されました。女性特有の力を発揮された活動へ村民の期待があつまっています。

▼「Kさんから、毎年のミズ頼まれだよ」と妻にいわれ、年に一度のミズ採りへ30分ほど出かけました。Kさんはお隣の旧村の方。北海道や県外の身内の方々に贈るのだそうで、注文は20束ほど。直売所の店頭に並んでいるのを求めていただければよいのですが、「オメなの、採る、ミズ、おしど(あなたの、採る、ミズがほしいそうです)」ということで、毎年たのまれていて、これは約束事のようなもの。

こちらはプロではありませんが、村内には、そういうひいきの「お客さん」をもつ稲作農家や野菜農家、山菜採り、キノコ採りプロの方が結構多くおられるようです。

7月はミズ(ウワバミソウ)がよく成長し粘りも出てきておいしくなる季節。我が家の食卓にはまだワラビが欠かさずならんでいますが、これから秋までは鍋物や味噌汁の具に、漬け物にと、ミズもフキとならんで大切な食材として利用されます。

4月、5月のあらゆる山菜、そして6月の深山タケノコ、里のワラビ、7月からのミズとフキの旬のモノ。いずれの山菜も、いつも記すようにもちろん化成肥料ゼロ、完全無農薬で育つそれこそ野の菜たちですから、安心安全極めつきの食材。味噌汁などの菜は、ほぼ毎日食べるものだけに、こうした山菜は健康の面からも、もっともっと光があてられてよい食品と思われます。

ところで、そのミズがあるのは主に沢沿い。そこはこれからの季節のクマの食事場でもあり、大好きなサグ(エゾニュウ)の茎の根元を食べた跡が沢一帯に見られました。ミズやフキ採りで入山の方は、クマ除け対策をしっかりとる必要がありますよ。

▼先に、「今年のモミジイチゴは、やや小粒」と記していましたが、盛りの熟期となったらいつもの年と同じように立派な実が成っています。「小粒だ」などとあんまり早合点で結論づけるのはよくないと、また自然に教えられました。

過ぎれば恐怖・惨事の雨、一方には恵みの雨

4日~7日、村議会常任委員会の研修視察に同行して高知の土佐町と香川の綾川町に滞在していました。

台風3号の直撃や、梅雨前線の停滞により甚大な被害が続出した九州や西日本の豪雨災害まっただ中での研修でしたが、台風来襲直前になんとか目的の土地に着き、大雨の中でもほぼ予定通りの行動をとることができました。

いたましい被害が続出した九州ととなりあわせ、大雨警報があったものの四国は川(写真は早明浦ダム直下の吉野川)が増水はしていましたがそれほど大きな被害は報じられず、先月17日から渇水で第一次取水制限をしていたところも、大雨により取水制限を解除できるようになったと地元のテレビが報じていました。四国の渇水期にはよくテレビにも紹介される貯水量が極端に低くなった土佐町の早明浦ダム(写真)も、5日時点で70㌫ほどまでになるほど水が蓄えられたようです。

一方では人命を奪い人々のくらしの根本を破壊するほどに悲惨な災害を招く豪雨。他方渇水の土地には待ちこがれていた雨。自然の力の恐ろしさ、大きさをつくづく教えられる季節です。被害に遭われた皆様に心からのお見舞いを申し上げます。

▼畜産振興などについて学んだ土佐町、医療・福祉・介護政策について学んだ綾川町、両町議会の議長さんや関係される職員さん、綾川町・国民健康保険陶病院の院長さんをはじめみなさんにはご多忙な中、時間を割いていただきあらためて厚くお礼を申し上げます。

▼7月初めの四国のたんぼや、帰りに道路沿いからながめた岡山のたんぼにはひとつの特徴がありました。それは、わが村のたんぼよりはるかに成長の進んだ稲があるかたわらに、村とほぼ同じ成長度合いの稲や、今々早苗が植えられたばかりのたんぼも見られることです。

稲の成長のちがうたんぼがある理由は、植え付けが早く成長した稲は「早場米」として出荷するため、今植え付けられたばかりの稲は台風の時期をなるべくずらして収穫できるようにするためらしい、ということを同僚のS議員さんが地元の方からお聞きしたそうです。

温暖の土地では、なるほどこうして植え付け時期を大きく遅らすこともできるのです。雪国では、10月半ばで刈り取りを終えなければ以後は降雪の心配がつきまといますから、南と北、稲作りひとつでもこんなに違いがあることを、直に南の国のたんぼを目にしてあらためて教えられました。