初秋のカオ役キノコ続いて登場

今は、時間があれば、割った薪を乾燥させるために積込むしごとに汗を流しています。

その合間に妻と母は自家用ジャガイモの掘り獲りも。熱中症への注意が呼びかけられているほどに猛暑の連日ですが、昔から、暑い夏につきものの仕事だけに、農山村の人々は「夏に暑いは当たり前」と、炎天の下、畑仕事に勤しむ姿が方々で見られます。

家のまわりや里山には、先日ご紹介したタマゴタケとともに、初秋のキノコたちがやはりぼつぼつ顔を見せ始めました。まずは私の大好物のアカヤマドリ、そしてわが集落ではチンダゲと呼ぶチチタケの登場です。

アカヤマドリは大型のキノコですが、大きくなると傘がボソボソになったり、茎も堅くなったりで、おいしく食べられる部分はかえって少なくなります。写真のような成長度合いの頃がもっともおいしく傘も茎も全部利用できるのです。さっそくゆがいて、刺身風にしていただきました。

キノコは、地域や種類によって食文化のちがいがよくあらわれる食材で、チチタケはその代表格。ちょっした刺激を与えるだけで乳液に似た少し粘つく液がたちまちのうちににじみ出るからでしょう、名がチチタケ。とても好んで食べる県や地方があるようですが、わが村では一部の食通の方を除けばたいていの方が見向きもしない食茸です。

私は、時々、遊び心半分で食べますが、こんなにボソボソの食感はめずらしいというほどで「おいしい」という言葉はなかなか出てこないキノコです。一流の腕をもった料理人が「珍重な食材」扱いをして「すご技」で調理したら「おいしい」という感想をもつことができるのでしょうか。

立秋をひかえキノコたちがお出まし

再来年に焚く薪割り作業をきのうやっと終えました。「暑くならないうちに」と思っていたのに、今年もやっぱり終いは8月に。

こちらが学童の頃、学校で焚く薪づくりを請け負うのは集落の人々でした。その作業場は校庭。猛暑の季節に大きな発動機の音をタンタンタンタンと響かせ丸ノコで薪を切り、後には、上半身裸の真っ黒日焼けの体にマサカリを握り、汗をふきふき薪を割る姿が教室から眺められたものです。夏に薪を手にすると、炎天下の校庭ではたらく往時の人々の光景が目に浮かびます。

さてきのう、薪割りをしているそばの草むらになんだか赤い点々が見えます。近づいたらそれはきのこのタマゴタケ。とっくに顔を出していたらしく、幼菌時に特有の原色のような真っ赤な色はあせてしまい、オレンジへと姿は変わっています。

このキノコ、ヨーロッパでは高級食材ということです。わが集落でも「タマゴモダシ」という方言名がちゃんとあり、こちらも気がむいた時は食べますが、今回は写すだけにしておきました。

テングタケの仲間は猛毒や毒キノコが多く、タマゴタケと間違いやすいキノコもあります。食毒の判定に不安のある方は手にしないほうがよいでしょう。それに、こちらにいわせれば、高級と呼ばれる割には味も食感もイマイチ。不安をかかえながら口へ運ぶほどの食材ではないと私は体験から感じています。発生の所も量もごく限られているので、食の珍しさを楽しむという程度のキノコと私は位置づけています。

猛暑の連続といっても、まもなく暦は立秋。タマゴモダシも顔をだしていますから、さあ、初秋のキノコシーズンが今年もやってきたということです。

昨日、しばらく水を絶っていた田んぼへおよそ25日ぶりで水を入れました。今年は中干しの間にほぼ定間隔で降雨があり、加えてわが田んぼは粘土質で地深いため水気が強く干しの期間をやや長くとりました。もう少し干したかったのですが、稲が「そろそろ水がほしい」という姿をしていたのでやむなくかん水です。「稲の成長、品質よりも、どちらかというと刈り取り作業でたんぼがぬからない方を重視する」という基本はずれの稲作農家ですから、篤農家にいわせたら「何をやっているか」というところでしょう。

雪解けの遅い転作田のわらび畑では、いま頃ヤマユリが満開。そばには花盛りのオオウバユリもこちらの背丈より高く屹立しています。

全県の町村議員研修

県町村議会議長会主催の議員研修会がきのう午後行われました。それに先立ち午前には、議会広報編集委員会の議員を対象にした研修会も開催。

全県の町村議員(構成員数は市町村合併による町村数の激減やその後の定数削減などで160人を少し下回る)各位は、年に一度の恒例の研修会で、地方議会と議員の果たすべき役割、当面の政局課題などの講演に耳をかたむけました。

今回の講師は「質問力向上による議会活性化について」と題して、法政大学副学長・法学部教授の廣瀬克哉氏。「激動期に入った政局」と題して、毎日新聞論説副委員長の人羅格氏のお二方です。

両氏の講話レジメの冒頭に、お聴きした内容の骨格が記されています(写真)。両氏とも、講演の最初に、今回の豪雨被災についてお見舞いの言葉をのべられました。

雄物川、横手の被害状況が全国に大きく伝えられただけに、あの時は関東方面をはじめ県外の身内や友人・知人の方々から「村はだいじょうぶか?」という電話を何本もいただきました。これは議員各位も同じだったようです。ということは、とくに政治の中枢にある方々へなら、同様の心配の電話が一般の方より多く着信していたものと思われます。

今回は豪雨被災の洪水と土砂崩れの爪痕が、雄物川沿いや山地で車中からも目につく時の研修会行きでした。全国に報道された秋田のことはどなたの念頭にも濃く刻まれているためか、「災害対応の重要さ、政治家、人間としての謙虚さ」これらに類いすることが行き来の隅々で話題になった一日でもありました。

木虫

昨日午前は、事務局長とともに急きょ所用を果たしに出かけ、午後は残していた薪割り仕事にびっしりうちこみました。

午後の仕事中には途中でかなりはげしいにわか雨がやってきました。それは猛暑の下ではとってもありがたく気持ちのよい雨で、雨具などはもちろんつけずに作業を続けました。

薪割りをしていると、時々、薪の中に入っている虫をみかけることがあります。多いのは写真のような虫の幼虫やさなぎのような虫で、これはカミキリ虫でしょうか。

食べられるものならなんでもというほど口にいれた童の頃、木虫などはごちそうといえるほどに大から小まで焼いてよくたべたもの。こんがりと焼いた木虫はほんわかとした香りがして甘く脂っこくて、「おいしい」という味を私の舌は憶えています。

写真のこの虫など、大きいですからよく焼けばさぞおいしいでしょうが、さすがに今は食べる行為まで気は進みません。

トップアスリートが村に

金曜日は特養ホーム幸寿苑の夏祭り。子供仙人太鼓、餅まき、藤波一座による懐かしの演芸と、恒例の催しが続き、苑庭は一年でもっともにぎやかな夕べとなりました。

 

おとといは、村の中学校卓球部創部50周年をはじめとする卓球記念イベント。昨日は消防協会湯沢雄勝支部の訓練大会と、人々の「動」の華麗さを見つめる二日間でした。

卓球記念イベントには、リオ五輪女子団体で銀メダルに輝いた平野早矢香(さやか)さんと、現在全日本ランキング4位の弟友樹(ゆうき)さんが講師として来村され、トップクラスアスリートの技を直に拝見し言葉をお聴きする機会となりました。

心技ともにすぐれたお二人の姿勢と言葉に「トップクラスにある方々は、どんな分野でもこうあってほしい」と思いながら、お話の時間、村外の学校もふくめた卓球少年少女たちへの臨時の卓球教室、そしてつかの間(お二人の航空便の時間が迫っていたため、少しの間)の夜の交流祝賀の時を過ごしました。

「こうあってほしい」をここに記すのは、真にトップクラスのアスリートとは、秀でた技とともに、しっかりした人格を備えておられる方との思いがこちらにはあるからです。いろんなスポーツの選手を見ても、「強い」だけで、「心」がしっかりしていないアスリートには、深い尊敬の念が湧き出てこないものです。

早矢香さんは現役を引退されていますが、今回のように子供たちへの教えもふくめ指導者として活躍されています。その教えとお人柄にたいしては、卓球に通ずる方以外もふくめ全国的に大変評価が高いようです。そして弟の友樹さんは全日本選手権で3位、全日本ランキング4位の現役バリバリです。

子供たちを励ます早矢香さんの指導者としての今後のご活躍、友樹さんの全日本チャンピオンとオリンピック出場、メダル獲得を願いながら、乾杯の発声をさせていただきました。

▼湯沢市雄勝郡の昨日の消防訓練大会。例年開催の会場は事情があり今年はそこではできなくなり、臨時に稲川スキー場駐車場での開催となりました。

村からは、規律訓練礼式にはまわり当番で第2分団、小型ポンプ操法には村の訓練大会で優勝した第3分団第3部(大柳)が出場。閉会式で審査長が「レベルの高い大会となった」とのべた大接戦の末、村の小型ポンプ操法が見事優勝に輝き県大会出場を決めました。

県大会出場がかかるポンプ部門では「東成瀬に負けるな」を各消防団が目標の1つにしている様子。市郡の技のレベル向上に村の団が大いに貢献していることが、他の団のそんな雰囲気からもうかがえました。規律部門もふくめ、春からの練習に明け暮れした団員各位と、それをささえた消防署や関係のみなさん、ご家族の方々、ほんとうにご苦労様でした。

猛暑の中で薪割り

村の行政無線放送が「猛暑なので熱中症に注意を」と呼びかける中、ヤマユリの花香漂う野で、おとといから薪割りしごとに手をかけています。

薪割りといっても、昨年までとちがい今年はマサカリを振り下ろすのではなく、機械による作業です。

かなり前に電力で動く薪割り機械を購入していましたが、「まだまだマサカリでだいじょうぶ。第一、機械はめんどうくさくてはかどらないだろう。機械の助けを借りるのはもっと齢を増してから」などと、昨年までは若者当時からの強気のままでいました。

ところが、数年前に沢の山行で転倒した際、腰を岩に強打。それが古傷となっているのか年中痛みがとれず、その度合いもややひどくなっています。そういうこともあって、試しに機械を使ってみようかとついに思案を変え、今年から動力へ頼ることにしました。

いま使用しているのは電力で動く機械ではなく、昨年に果樹農家の方から新たに斡旋していただいたエンジンで動く薪割り機械。これは馬力がありますから、たいがいの薪を難なく割ることができます。

これなら、女性たちでも気軽に作業をすすめることができ、こんなに能率良く作業できるなら「もっと早くから使えばよかった」と反省しているところです。めんどう、能率が悪いなど、やってもみないでのキメツケはよくないもの。これはいろんな仕事、活動にもいえること。キメツケ主観は時に正確な判断を鈍らせます。

▼ところで、国政は、ひとまずの焦点だった委員会の閉会中審査が行われました。先日の委員会審議の一部を視聴し、あるいは各テレビ局の報道なども含めて考えれば、問題の本質は依然として明かされていない、というのがごく常識的な見方と思われます。

この問題について、よく「水かけ論」という言葉をマスコミの紙面でも、テレビのワイド番組や解説番組などの報道でも見聞します。水掛け論とは「双方が互いに理屈を言い張ってはてしなく争うこと(広辞苑)」といいます。

互いに主張するその理屈がどちらも真っ当であれば「水かけ論」といってもよいでしょう。が、どうも、今回焦点になっている国政問題とそれに関わり主張する双方の「言葉」を聞けば、明らかに一方の言葉に虚偽が、一方の言葉に真実があるように思われます。この間国会で交わされた問答を「水かけ論」として片付ければ誰に利となるか、考えねば、です。

今回の問題に真実はひとつしかなし。国政を揺るがすほどの件だけに、歴史は、その真実を明らかにしないまま進むことはありえないと思います。その真実の扉を開けるのは国民の力でしょうが、はたして、いつ、どういうかたちでそれは開かれるのでしょうか。

郷愁をさそうバラエヂゴ

同じ木イチゴでも、木の背丈が低くツタ状になって伸び、日当たりのよい場所をとくに好むバライチゴ(ナワシロイチゴ?)が熟れる季節入りです。

私らが童の頃の夏は、夏休みに入ればまずこのエヂゴ(イチゴ)をめざして目の前の堤防に向かったもの。この堤防は、昭和22年7月23日の大洪水で村の歴史に刻まれる大被害の後につくられました。当時、むらの人々は完全流失し河川と化した田畑の復興をあきらめ、それ以上の被害再発を防ぐためだったでしょう、旧圃場の外側にこの堤防建設がすすめられました。

鉄線の蛇籠と今ではそんなに見ることのない木工沈床でつくられた堤防は日当たりがよく、そこは幾年かたつうちにバライチゴの絶好の植生地となりました。半ば欠食児童みたいな私たち童にとって、夏はクマエヂゴ、モヂエヂゴ(エビカライチゴ)、バラエヂゴ、いくらか経ってクルミ、そして秋はアギビ(アケビ)と、食べ物の楽園みたいなところでした。

瀬とふれる蛇籠と沈床は魚たちのたまり場でもあり、川が2つに分かれる広いせせらぎと淵もふくめ、イワナ、川ザッコ(ウグイ)、カジカも最適の捕獲場所で、川、河川敷、堤防は、童たちの自然公園ともいえる場所でした。

▼オニヤンマを含めほとんどのトンボの羽化がほぼ終わったようで、わたしたちのまわりはトンボ、トンボ、トンボでいっぱいです。「農作物にとりつく害虫も、彼らが食べてくれる量はかなりだろうなぁ」などと、風流とは縁のない「益虫」という眼でイチゴのそばにいるトンボを見つめました。

▼きのうのブログ、読み直しを一度もしないままでした。後で読んでみて、あまりにもお粗末な文字ならべに「ありゃりゃぁ」です。4箇所ほど書き直しをしています。失礼いたしました。今月のはじめだったか、村外に住むある方から、「最近、文が乱れぎみよ」という旨を言われました。公の手段からの発信です。気をつけねば。

町村電算システム議会、町村長と議長の政策研究会

町村電算システム共同事業組合議会の定例会がきのう開催され、洪水後の雄物川を渡り秋田市へ向かいました。

国道13号線沿いとちがい、高速道は山地に近い場所を多く通るため雄物川などによる浸水箇所はわずかの地点にしか見えません。それでも「こんな所にまで洪水が」と確認できる農地や、豪雨により山土が方々で崩れ落ちた跡は見られました。

議会の開会に当たって、まず、被災されたみなさんへお見舞いを申し上げました。

議会は、平成28年度の一般会計約6億1千万円余の決算案、29年度補正予算案を、それぞれ認定・可決しました。審議では、「電算システムになってからの、財政的メリット」
についての質疑があり、事業目的にそった費用削減がはかられている旨の答弁が金額をしめして説明されました。

議会後には、町村長と議会議長との恒例の政策研究会へ。今年の研究会は「なぜ女子はいま地域に向かうのか」-移住女子が拓く都市・農村共生社会-をテーマにした田中輝美氏の講演。自らをローカルジャーナリストと位置づける田中氏は、大阪大学を卒業後山陰中央新報社の報道記者として活躍、2014年秋に同社を退職して独立、島根を拠点に活動されているジャーナリストです。

以前に横手でも講演されたことがあり、最近は、郵便局関係からの講演要請も各地からあるということで、UIターン(とくに女子)について、島根県の実例をひきながら語られました。

移住にあたって大切と思われる心がけについて、「個人の幸せのみでなく、社会の、みんなの幸せを考える若者が増えている」「何でもいいから、とにかく移住をすすめるではダメ。移住してその地域と関われることを明確にしたものが必要」「永住を前提とする移住にこだわりすぎるのは考えもの。たとえ移住しなくても、今後その地域と関われる人々が多くなることが大切」などを、こちらは講演をお聴きしながらポイントと思ってメモ(講演を正確に表したものではありませんが)していました。

手芸と写真の二人展

すでに秋田魁新報紙上でも紹介されていますが、原田ハルヱさん(手芸)と備前源さん(写真)の二人展がこの16日から横手市十文字町のコミュニティハウス ね・ま~れで開催されています。

お二人はいとこで、原田さんの出身地は岩井川。備前さんは私と同級生で、すばらしい写真を若い頃から撮りつづけている岩井川在住の方。原田さんの妹さんも私と同級生ですが、原田さんと我々は歳が一回りほどちがいますし、十文字にお住まいの方ということですので、同じ学校の卒業生であってもこれまで面識はほとんどありませんでした。

きのうは、そんなお二人の展示会に出かけ、秀でた技が創りだした見事な芸術作品を観賞してきました。

私の手元に、世界的に著名な写真家であった土門拳氏(1909-90年)が著した写真論集(ちくま学芸文庫)があります。その著書の最後で土門氏は、「微妙にして美しいものにひかれるこころを養おう。それは自然のすみずみ、野の花、流れる雲にある。人間ならば、含羞のひとにある。」とのべられています。

写真は、それを表現しようとする方の心があらわれるとよくいわれます。備前さんだからこその視点で見つめた自然をとらえる心が、展示された作品から伝わってくる観賞のひとときでした。

原田さんは、手芸に用いる布への愛着を込めた言葉などを、展示室のテーブルに置かれた冊子へ手記模様に綴っておられました。美しい字と文章が連ねられたその冊子の各ページからは、手芸にむきあうご本人の心がひしひしと伝わってきます。

お二人の家筋は、わが村でよくいわれる「てど」のある方々をまことに多く輩出されていることで知られています。「てど」があるとは、ものづくりの技にとりわけ秀でているということで、同じ家筋の「てど」のある方々から教えをうけてきた村人はたくさんおられて、技の伝授は今も村内でありがたく続いております。お二人は、そのすばらしい「てど」の筋に加えて、自らの技を磨く努力も重ねてこられたのでしょう。

今回の展示会をまたひとつの節として、お二人が旺盛な創作にひきつづきとりくまれることをご期待したいものです。

▼きのうは田子内大塚地蔵堂のお祭り日。同集落の愛宕神社も、この24日が祭り日(虫まつりと聞く)。たんぼ脇の地蔵堂と神社には幟がはためき、そぼふる雨の中、地区の親子会による御神輿の練り歩きもみられました。「地蔵堂はお産の神様として信仰が厚く、遠く岩手方面からも参詣者が」と村の郷土誌は伝えます。それだからでしょうか、まわり当番というたんぼ持ち主の家のお母さん方が、祭り日の狭いお堂をまもっていました。

秋田にも集中豪雨

北日本に多い梅雨末期の集中豪雨。きのうの秋田は停滞した前線がもたらす雨雲直下にあたり、雄物川や中小河川が氾濫、各地で浸水や土砂崩れ被害、それにともなう道路や鉄道の交通遮断が続出しました。何よりもまず、被災された皆様へお見舞いを申し上げます。

奥羽山脈に接していながら、ほかの各地よりも降雨量が少なかったわが村。一時は村にも大雨警報が出されたものの、成瀬川は洪水としては小規模のうちに雨あしが遠のきました。

村内の多くの集落は、住宅地が成瀬川河川敷よりはるかに高位置で、洪水での被災危険箇所は限られています。しかし、住宅地の背後には中小の沢があり、崩れやすい地質構造の山地も少なくないためかかなりの箇所が土石流危険の指定地です。豪雨時には土砂被害が想定され、大雨ではそちらのほうの不安が大です。

雷、大雨ということで、土曜、日曜とも予定していた外での薪割り仕事はとり止めに。議会には災害対策特別委員会が常設され、こちらはその委員長の任にもあります。「何がおきるかわからない」ということで待機の心がけをしつつ、ためていた書きもの仕事などにむかいながら、家の中で一日を過ごしました。

合間にたんぼへ出かけたら、常に水を張っているたんぼで生まれたタノクロアゲズ(シオカラトンボ)が羽化し、勢いよく水辺を飛んでいます。このトンボは、昔の苗代の象徴みたいな生きもの。

昔の夏、田植え後苗代に放たれた鯉がやや成長し、浅い水面から背中を出して泳ぎまわり、それに驚いたタノクロアゲズが飛ぶ。昭和30年代、いまから半世紀以上前の夏休みの頃に童の目に映った風景を思いおこします。