天然のキウイフルーツです

籾すりをすべて済ませ、学習発表会の代休日となった童の手も借りてぬか(モミガラ)かたづけなども終わり、機械の掃除なども半分ほどには手をかけました。作業が終われば、また来年に備えて各機械のあれも掃除、これも掃除の日々となります。

畑のそばの沢沿いには、大きなシラグヂヅル(サルナシ)が幾本かあります。春に花を観た蔦の実も完熟期をむかえたので、手の届く範囲の実をもぎ取りました。触ると破れるほどに熟しきった実もあり、口にいれたら「天然のキウイフルーツ」といわれる特有の甘さが口中いっぱいにひろがりました。

きのうは、久しぶりで眼科へ薬をもらいに。完治に近くなっているようで、今年いっぱいで通院は終われる見込みと自分で判断しました。

雄物川の水害防止で緊急要望

今年7月の豪雨により甚大な被害をうけた雄物川沿川。堤防が施行されていない区間で溢水したことから、その区間工事実施をいち早く求める緊急要望活動がきのう同盟会によっておこなわれました。

昨日は、湯沢と秋田の河川国道事務所、それに成瀬ダム工事事務所にたいして関係市町村と議会の代表が要望にむかいました。私は湯沢とダム工事事務所に参加。18日には東北地方整備局(仙台)にむけても同じ要望がおこなわれる予定で、その後に中央要望となります。

▼紅葉が人里と高山のちょうど中間あたりまで下がってきました。栗駒や焼石連峰はその裾まで木々が葉っぱを落とし、胆沢川の大森山トンネル周辺でブナの黄葉は真っ盛り。

私が毎年通い、時々泳がせてもらっている支流滝壺の周囲も黄・紅葉の彩りが盛りといえる様子。すずこやの森のブナも、春とはまたちがった幹の美をみせてくれます。

大森沢をはじめとする胆沢川沿いでは、ここでブナの択伐(利用する材だけを選択して伐採)をした伐根にナメコの種駒を打ち付け栽培した長い歴史があります。

大森山トンネルなどまだない頃、毎年ブナの黄葉が始まる頃から雪が積もるまで県境の尾根(八百八アゴのアゲ)を歩いて越え、黒光りの重いナメコを背中にして女と男たちはまた帰りのアゲを越え歩きました。

山は岩手でありながら、その山を利用したのは秋田のわが集落の人々。ちょうど村の短角牛を広大な胆沢川上流域(一部は西栗駒地区の国定公園も含む)に放牧したのと同じです。胆沢川上流は昔からあらゆる面で村の人々が利用した山。胆沢川のブナ黄葉は、わたしにとって昔をしのぶ彩りでもあるのです。

おがった子たち、さがしぐなった子たち

13日午前、佐賀県有田町議会のみなさん(文教厚生常任委員会)が教育行政視察で村を訪問されました。

一行の中には「中学校のPTA会長でもあります」という若手の議員さんもおられました。「村のコンビニに入ったら、学習発表会?(東中祭?)の案内ポスターがあった。こういうことは、わたしらの方ではないこと」などという思わぬ感想なども質疑のなかでだされました。

視察会場となった中学校では、全校生徒が15日に迫った東中祭の練習中で授業はなし。みなさん、2時間近くの滞在のなかではたしてどんな印象をもたれたでしょうか。

14日は小学校の学習発表会、15日はその東中祭(午前の部だけ)へ。それぞれ児童生徒たちの発表を前にして、「何から何までこなす今の子供たちはたいしたもんだ」と語りながら感心と楽しみの時を過ごしました。

春4月からたった半年しかたっていないのに、新入生も在校生も目を見張るようにおがり、さがしぐなった成長ぶりにまずは感心。体も心ものび盛りの子たちの、ことば、うごき、歌、おどりの姿を目にした親御さんやご家族のみなさんはもちろんでしょうが、こちらも、うれしくてうれしくてという気持ちでいっぱいになりました。子供って、一年増しに体も心もほんとに大きくひろくなるものですね。子たちの健やかな育ちに万歳です。

お世話になった先輩T氏逝く

20歳代の半ば頃から活動を共にし、書くこと、話すこと、諸々の課題への的確な政治判断と機敏な対応など、様々な面で教えをうけた先輩方のうちのお一人T氏が急逝され、きのう葬儀がおこなわれた。

まだ78歳。人の命はみなひとしく大切なもの。でもよく「なんで、あんなにいだましい人が早く亡くなるの」といわれるように、あまりにもいたましいT氏の、早すぎる訃報に接し無念でならない。

T氏は長年旧稲川町の町議に就かれ、川連塗りの伝統工芸士としても尽力された。趣味としては書の道にも長けておられた。漆器はもちろんだが、氏の手による漆塗りの表札や名刺、年賀状など、氏の塗りが施された伝統の技の見事さに感銘をうけた方は多かった。

T氏は、読み手の側を考えたわかりやすい文章を書くことにも秀でた方で、またその文字の美しさ、編集力の高さでも名の通った方だった。文章がまだ手書きの時代、あれほど読みやすく美しいビラなどを書き編集できる方は世間にそんなに多くはいなかった時代のことである。

医師の令息をはじめ、奥様も看護師の長い経歴があったので、T氏が病魔に襲われこんなにも早く命を奪われたこと、ご遺族皆様方のその心境をお察しすれば申し上げる言葉もない。

憲法がかかげる平和と地方自治の大切さを強く説かれた先輩T氏。お世話になり、教えをうけたことをあらためて思い起こし、活動を共にしたありし日の姿を偲びながら焼香に立ちご冥福を心からお祈りした。

▼きのう午後、籾すり作業の合間に「クォークォー」のかん高い鳴き声が聞こえた。空を見上げたら栗駒方面へ南下する雁の群れだ。50羽ほどの一群れに続き、もう一群れも続いた。毎年人里に紅葉が下りる頃彼らの群れがやってくる。奥羽の峰を越え、宮城県北部の各沼地をめざして渡ってくる大集団の先陣だろう。冬鳥たちの季節が今年もきた。

食味値最高級のあきたこまち仕上がる

昔とちがってお米づくりの主要な作業は機械に頼りきりのいま。田植えとちがい秋作業は、雨天だと刈り取りが無理で作業のできる日が限られます。そのため、機械にトラブルのないことが作業進み具合のカナメとなります。

我が家の作業はコンバインで若干の故障がありましたが、農機具屋の熟練職員Tさんによる機敏な措置で短時間でなおしていただき、最も気がかりな刈り取りはまずはスムーズに済みました。作業中、とくに刈り取り時期の機械故障をすばやく修理していただけるTさんは、こちらにいわせれば「田んぼに馳せ参じた神様」みたいな存在。その「神の手」によって壊れたピンが交換され短時間で元通りに直す姿を見ていると、お仕事とはいえほんとにありがたくなるものです。

お米は続いて乾燥調整、籾すり仕事へ移りました。コンバイン、乾燥機、籾すり機械、そしてお米の選別機と、4つの機械それぞれにスイッチを入れる時には「今年も、故障なく、頼むぞ」の思いを込めます。その思いが通じたのでしょう、コンバインの人為による若干のトラブルをのぞきすべてほぼ順調に作動。おかげでなんとか今年の秋作業ものりこえることができました。

我が家の刈り取り作業は終わりましたが、まだ刈り取りされない稲田が今年は広範囲で目に入ります。村の多くが稲をハサに架けた時代、刈り取りを終えないたんぼに雪が降ったことがありました。雪国は10月半ば過ぎとなればそんなこともあり得ます。雨天続きのこの秋、早く、連日の晴天となることを願う日々が続きます。

さて、一部仕上がった我が家の新米。登熟もよくカメムシ被害も心配無しで「もっと悪いと思ったが予想以上に品質はよい出来」と籾すり後の玄米を手にして自己判定しました。出荷米の検査でもやはり立派な1等米となりました。ただし品質とともに大事なもうひとつは収量。まだ一部の籾すりだけですが、籾の量からみて収量はどうもよくないようです。

食味値最高級のあきたこまち新玄米は早速妻によって神棚に供えられ、無事収穫にこぎつけられたことに感謝の祈りが捧げられました。

五城目町で理事会

県町村議会議長会の理事会が五城目町できのう開かれました。

平成の合併後、毎年一回は議長会をつくっている県内12町村を会場にして理事会を開催しているもので、来年の井川町で一回りを終えることになります。

理事会終了後、旧馬場目小学校(平成12年に竣工、25年に閉校)を活用した地域活性化支援センターを視察しました。廃校舎を活用し、起業にとりくむ方々を支援するこの事業には、旧保育園や旧教室などに現在約15の企業が入居。この起業を経て町での本格的企業活動にむけた準備が進められているようです。

こちらの注目を集めたのは、それらのうちのひとつドローンの操縦技術を講習する会社で、体育館を活用しての操縦講習がこの日も行われていました。

支援センター施設を活用できる年限は5年、町が特別にみとめれば最長10年ということで、その間に経営の力をつけ町内で事業展開していただくことが町のねらいとのことです。

視察では町の屋内温水プールも案内していただきました。県の未来づくり協同プログラムを活用して総事業費約5億2千万円でプールの改修を行った事業。水泳や水中歩行運動などを通しての町民の健康づくり、介護予防などがねらいとされています。

毎年こうして県内町村を訪れ、その町が誇りにしている事業、あるいは看板となる事業などを視察していますが、どの町や村にも歴史に育まれたそこならではの智慧を発揮されての個性あるとりくみがあるもの。古風漂う風格ある雰囲気に満ちた五城目、そういう印象をもった理事会行でした。

稲刈り

6日、予定通りに稲刈りを始め、8日、9日の三日間で終えました。我が家がこんなに作業開始が遅れたのも初めて。地元集落にも村全体にもまだ刈り取りされない稲田がこれほど多くあるのは近年ではめずらしいこと。

法人経営や個別の担い手農家に集落や村全体の水田が貸借され、作業が一手に集中していることと、稲の登熟遅れ、雨天により連日作業ができないなどが「遅れ」の要因とみられます。まだ多くの作業を残しているみなさんの気苦労が拝察される日々です。

刈り取り時の雨続きのため、地深く粘土質の我が家の田んぼは代掻き時の均しのお粗末さもあってぬかるみが多く、機械操作にも諸々のたんぼでのはたらきも気疲れの多い収穫の秋でした。

水持ちがよければ夏場の水管理や除草対応は楽ですが、秋は「水を吸う(水もちのよくない)たんぼがうらやましい」となります。万全な暗きょ工事でもやれば別ですが、世の中、努力やお金をかけずの「手あぐら」ではなかなか両方都合よくとはいかないものです。

きのうも夕方早めの予想しなかった強い雨で作業を中断の方多し。秋のお天気予報は大気の変化が激しく判断がむずかしいようで当たらず。これから先も予報は雨マークが多いようですから、それがはずれてくれれば稲作農家は助かりますね。

休日で野球の練習もなかった童も、久しぶりに田んぼで生きものたちと戯れ、ちょとの作業手伝いで稲穂にも触れました。小学3年ともなれば、昔なら稲束を集めたりさしのべたり運んだりと、ほぼ一人前の働きを家族からあてにされた年頃。しかし、いまの田んぼにそんな子たちの作業姿はあまり見られず。この60年ほどで、村のたんぼと童たちの関わりはそれほど大きく変わってしまいました。

稲刈り初動の予定

10月も6日となれば、いつもの年なら稲刈りをすでに終えている頃。しかし今年は、今日からようやく作業はじめの予定です。それも順調に夕方まで雨が降らなければ今日一日だけの作業で中断の見込み。7日はまた雨予報だからです。

深山のブナの森では、ブナやイタヤカエデによく発生するカノガ(ブナハリタケ)や、出会いはそんなに多くなくキノコの仲間では美味で知られるミミダゲ(ヤニタケ)が真っ最中です。それに、めずらしく天然のシイタケとも出会えました。たった1個ですが、これぞシイタケといえるすばらしい味でした。

ところで、ミミダゲとはよく名付けたもの。ヤニタケの幼菌はまるでミミタブのように軟らかで、かたちもミミタブになんとなく似ています。

ダシ味のよいキノコとして通には知られていて、お吸い物などにもよし、一夜味噌漬けでも希少な具として絶賛されるキノコです。(最後の写真は、ミミダゲとマスタケの一夜味噌漬け)

オオヒメジ(ホンシメジ)も不作の年?

セミプロ級の山菜・キノコ採り人と誰もが認める先輩のKさんが、おととい「オオヒメジ(ホンシメジ)おえだぞ(出たぞ)、ほら」と見せてくれました。

「えっつぉの年より、びゃっこで、キノゴもクニャクニャず(いつもの年より、発生量が少なく、キノコもくにゃくにゃしている)」とKさんは語りました。

こちらの採り場に早速向かったところ、予想したように今年は昨年に続き不作。出ているシメジも本来のシメジらしいかたちからはほど遠し。欲しいと強く望むものほど手に入れるのは易くない、ということをキノコたちから教えられます。

集落の人々はこのキノコに大ヒメジと、大の字をつけた名前をよく観察してつけたものです。かたちはよくないものの、姿だけはこのとおり大と呼べる一本が中にはありました。

晴れ予報なのでようやく稲刈りにとりかかれると思いましたが、田んぼの一部に水がやや湛水状態でまたまた作業は延期です。晴れなのに無念。これほど作業開始が遅れたのは我が家ではおそらく初めてのことでしょう。記憶に残るめずらしい年となるかも。

ケズリ(木じるし)

山菜やキノコ採り、それに狩猟などでブナとミズナラ帯の深山に入ると、道のない尾根筋や林の斜面などで時々こんな傷跡のついた木と出くわすことがあります。

それはキノコ採りがつけたケズリ(木印・きじるし)。キノコの発生場所を忘れないための覚え印です。マイタケなら所々にある特徴的なミズナラの木に発生するキノコですから覚え印など必要ありませんから、深山でのこの印はシシタゲ(コウタケ)の採れる場所を暗示したものでしょう。

同じような林の続くブナ林ではシシタゲは土の色に似ていてなかなか発見しにくく、それでこの方はこんなケズリを刻んだと思われます。まれに、ノギウヂ(エゾハリタケ)のある場所でも、半枯れの発生木そばに同じようなケズリ跡が見られます。春の残雪山歩きで、深いブナ森の山中でこんな印に出会うと、山の特徴を見て「ほほう、このあたりの地面にはシシタゲが出るのだな」「このブナにはノギウヂが出るのだな」と推し測れます。

さて、ブナの木におそらくナタで刻まれたと思われるこのケズリ。読めば「九月二十日」とこちらには理解できます。9月20日は深山ならシシタゲの出る頃なのです。続いて屋号印のヤマの下にトの字が見られますから、集落の古老の方ならこのケズリをつけた主がどなたの家かわかるかもしれません。

こちらがこの木印を目にしたのは約半世紀近く前。ここでシシタゲを採った話を友人に昔語ったら、山に詳しいその方は「シシタゲ山なば、てぇげぇ(たいがい)、すぐそばさ、ケズリあるものだ」と教えてくれました。翌年その場所に向かい、まわりを見渡したら、あったのです、このケズリが。

それより以前から、この印を刻んだ主はここで幾度もシシタゲを採ってきたのでしょう。「形にのこる印は、自分だけでなくほかの方も知ることになるから、印はつけない」とキノコ採りプロのある方はいいます。ただし、ケズリは一種の暗号みたいなもの。その傷跡がある木からどの方角に、どれだけ離れた場所にお目当てのキノコがあるのかは、印を刻んだ方、あるいは、そこでキノコを発見した方しかわからず、やはりプロでもケズリをつける方はおられるのです。

プロなら頭だけに刻んでおく、なるほど。プロなら、簡単にキノコの発生場所がわからないようなケズリを刻む、こちらもなるほど。では、この印を刻んだ方はプロかセミプロか、それともごく普通の山人か、そんな楽しい推測も私の山歩きには加わります。