小春は陰暦の10月をさす言葉ですが、風もなく陽射しが斜めに注いだきのうおとといの陽射しは、さしずめ「師走小春」とでも呼んでおきましょうか。我が家の土手のタンポポも花がまだ咲いていて、蜜をもとめる虫の姿も。雪国にとってこの土、日曜日は「ええ、空だなぁ。今年最後の暖か天気となるのかな」と思われるおだやかな一日でした。空気が澄んだ土曜日の宵は、三日月と金星がならんで南の空に輝きました。
まだ12月議会中ではありますが、11月から続いたちょっときつめの行事日程もようやく途切れ、土、日曜日は、議会準備、近場の散策、書きもの、読書などで過ごしました。
今週半ばの予報には雪だるまが連続していますから「根雪前の散策はこれが最後かも」と、訪れた童と河川敷の散策。後には青空に誘われ天正の滝まで足を運びました。
河川敷にはウメボドゲ(ツルウメモドキ)の実や初冬のキノコがちらほら。水量の多い小沢は、沢に倒れた柳の木を橋にして童は少々の冒険をしながらなんとか川渡り。この冒険が気にいったようで「また、やりたい」といいますが、落ちればそのまま沢にドブン、夏と違い冬ですから濡れればたちまち寒さでブルブルは必定。それで「来年、暖かくなったらやろう」と説得。
11月半ばには1つも見えなかったブナの枯れ流木に、傘も茎も肉厚で黄金色のナメコが光ります。ナメコとしては晩生・最高級の味が蓄えられている逸品です。ユギノシタキノゴ(エノキタケ)も成長の頂点に到った発生木と出会い、これも傘が大きいですから採りごたえがあります。
ナメコ料理にはセリがつきもの。「セリ、食べたい?」と問うと「うん、食べ
たい」と童。キノコと並ぶ湧水脇のノゼリを摘み、湧水の淵に遊ぶウグイとアブラハヤの小群れをながめ、ここでの散策は終わり。河原に遊んだ1年前、2年前、3年前の出来事を覚えていて
所々で「ここでは、こんなことがあったね」といいますから、河川敷は童の記憶の片隅にほんの少し刻まれているようです。
続いてひとり天正の滝などにむかい、これも、今年最後でしょうブナの谷にこだまする滝の音、冷たく落ちる瀑布をしばらくながめました。ブナの森の樹下には常緑のイワウチワが目立ちます。そばの枯れ木にはまだムギダゲ(ムキタケ)も。
エド(池)に水を引く裏手の小沢に棲むヤマメ、イワナ、カジカたちは動きを止めて半年間のえご(岩石や岸辺の隠れ場所)、石の下ぐらしに入りました。里山の道脇には、真っ赤なガマズミもあり、口に含んだら熟れた実特有の甘酸っぱさが。この実をよく食べたわがガキの頃を思い出します。山の木の実は、ひとつひとつが趣のちがった郷愁をさそうのです。