青空の下、松むかえ

雪の少ないうちのこんな晴れの日、今年はもう来ないだろうと先に記していての昨日。たった半日でしたが、自然はうれしい陽射しを雪国の人々にプレゼントして下さいました。

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この日はちょうど童も休み。週末からは雪だるまマークがずらりとならびましたから、今度こそ「休日では今年最後の晴天かも。外でお日様を拝んでおこう!」と、家のまわりを散策。

 

薄く残っている雪がようやく笹やススキなどを押さえつけています。それでいてまだカンジキを履くほどの雪深さではなく、川原は比較的歩きやすし。

ふだんの年ならとっくに雪で隠されているユギノシタキノゴ(エノキタケ)をいただいたり、この年末にこんな遊びなどできない石投げ(童は「石のトビウオ」と名付けている)を何度も何度も繰り返したり、湧水脇では立ち止まってノゼリを少し摘んだりと、貴重な晴れ日の2時間ほどを存分に楽しみました。

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この日は「二人で、正月の松むげぇ」る、というもう一つの目的があってそちらへ直行。

CIMG1621-1松は樹齢20年ほどになるでしょうか、こちらが山取り苗木を植えたキタゴヨウマツ。成木となれば樹高30㍍近く、根元の太さ1㍍ほどになる豪雪地方・深山渓谷の「山の神」のような銘木です。

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わがお相手の樹はまだ若木。でも門松用ぐらいならたっぷりと採れるほどの型良い枝振りになっていて、もう山に行かなくても家のそばで松を迎えることができます。

 

 

童にとってははじめての門松採り。この松が、鋸を手にしている童が20歳になれば樹齢は30年と少し、私が健康寿命でいられるのはその少し先あたりまででしょうか。こちらと同じ齢の65歳ほどに童がなった時は樹齢80年近く、さらに100年、200年と重ねて幹周り1㍍、高さ30㍍ほどの大木となったとき、それぞれの節目で、わが家、わが集落、わが村はどんな姿に変わっているのか。松は成長とともに、どんな歴史を見下ろしつづけることになるのでしょうか。

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▼今朝もおだやかで朝から青空が見えます。「雪がなくて助かる」という方がいれば「んだすな」という言葉を交わし合い、スキー場や、除雪作業など、雪がなければ仕事が成りたたない方々と会えば「雪降らねで、こまったもんだ」の言葉が交わされます。雪のことでは「降らないでえがった、こまったを、相手の立場を見てさべらねばならねぐなった」と語ってくれた方がいました。そんな心複雑な日々が続くのは今日あたりまででしょうか。