やがて沼ノ又国有林のブナ材は皆伐方式ですべて切り尽くされました。以後のブナ国有林払い下げは県境を越え岩手県旧水澤営林署(今は森林管理署)愛宕担当区管轄へと移りました。北上川支流胆沢川上流域での択伐(必要な材だけを選択伐採)による搬出作業へと、わが家の事業も県境を越えたのです。
春はソリで雪上の丸太を一箇所に集め、夏場はワイヤーロープの架線を張り、その丸太を集材機で胆沢川支流大森沢から県境の尾根を越して上げ、最初はその上げた丸太を馬ソリで土の道を引き下げ秋田側の林道まで運びました。写真はその当時の様子です。写真の雪上でのバチゾリ(我々はバヂジョリと呼んだ)作業光景は、それよりもっと後年に、同じように胆沢川流域で行われた作業現場の様子です。
雪解け時の春山伐採・搬出は、岩井川集落から歩いて県境の尾根(えしゃがのアゲ)を越え、胆沢川上流大森沢流域原生林での作業です。バチゾリ作業の助手やブナの根っこ掘り(伐倒のため、木の根元周囲の堅い雪を2㍍ほど掘り下げる作業)がかなりきつい仕事だっただけに、わたしの記憶にはこの当時の体験がとくに深く刻まれています。
私もふくめみなさん、東成瀬村岩井川字馬場(昔の村営牛舎のあった所)から、歩いてあのきつく長いエシャガのアゲ(胆沢川の峠)越えをして岩手側に毎日往き来したのですから、忘れないのはあたりまえです。径の太いブナを倒し切断するために使われる、旧式の大型チェンソーに使う多くの燃料やオイルを毎日背負ってです。
事業主もふくめ働く方々は、直径1㍍もの大木を含むブナ材を伐倒、長さ2㍍に切断する者、ソリでの山林労働では最もきついバチゾリと大ゾリ(シラシメ油を塗って滑るようにした幅広のソリ。大ジョリと呼んだ。)作業にあたる者、根っこの雪を掘る者、丸太をころがし集め担いでソリに乗せる者、ソリ道を補修する者など、それぞれの持ち場でしごとに就きました。伐木・搬出作業を終えたら、また急な県境のアゲ(峠)を登り秋田の岩井川馬場まで帰るを毎日繰り返したのですから、記憶に深く残るのは当然ともいえます。
私がその作業から離れた後、伐採搬出の作業現場はエシャガ(胆沢川)のダダラ(谷が狭まり急流となる箇所)・八兵衛平周囲(はちべえてい。かいち橋、かいち沢のある箇所。胆沢川では最も上流部の大きな砂防ダムの所)までさらに下りました。そのため作業の能率を上げようと胆沢川の河川敷(砂防ダムのすぐそば)に小屋を設け泊まっての山仕事も一時行われました。バス会社から定期バス営業としては使われなくなった大型バスを譲り受け、秋田側から岩手の胆沢川上流河川敷まで運び、内部を改装。それを山小屋代わりにして寝泊り自炊し、春山の雪上伐採・搬出に明け暮れた体験をおもちの方もいたのです。
早春の思い出はほんとに多く、里山で集落の母ちゃんたちとソリで杉材搬出をしたのも雪消が始まる直前の季節でした。定時制高校の頃のこの日々も私にとっては貴重な体験でした。ここに記したほかにも、3月から5月にかけての里山から県境深山での雪消の頃の思い出は、まだまだ私の記憶の小箱にいっぱい詰められています。